ガンジーの万教帰一の信念 2014・12・13
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今年のノーベル平和賞を子供人権擁護で国際的に認められた
印度人社会福祉家が受賞した。平和運動としていろいろな活動があるが、
政治家ではガンジー翁が世界的に認められている。
彼は 非暴力主義を貫いた人だった。
1948年1月30日ニューデリーの家の庭で、庭に潜んでいた暴漢に
暗殺されたのは 、長年の非暴力を貫いた植民地時代の無抵抗の
戦いを経て、イギリスから独立を勝ち取って後、わずか5か月後
のことであった。
非暴力主義を貫いて、印度を独立に導いたガンジーは時の政府、
イギリスインド総督時代、民衆を政治的に扇動したということで
監獄に何度も入れらた。
独立後、初代の首相が、ガンジーの常にそばにいて支えてきた
ジャワハルラル・ネール氏だった。
彼は、ガンジーが暗殺された直後、次のように語った。
“ガンジーは真の意味における、国民の父であったが、一人の狂人が
彼を殺した。
何百万もの人々が、今やその光を失って嘆き悲しんでいる。
この国を照らしていたその光はありきたりの光ではなかった。
この光は今後も専念はこの国を照らしつづけ、世界もまた
それを見るだろう“
この光、それこそ非暴力の光だったに違いない。
ガンジーは生前次のような言葉を残している。
“非暴力が人々の中に住み着いた。それは今後も住み続けるだろう。
これこそ世界平和の先触れだ。”
さて、非暴力という言葉、われわれ日本人にはあまり馴染みがない
言葉だが、どのような意味合いがあったのだろう。
ガンジーの有名な言葉がある。
“サティヤグラヒス(非暴力主義者)はたとえ、相手から20回
騙されても21回目の真実を信じようとする。
なぜならば、人間の本性に対する絶対の信頼こそ、
サティヤグラヒスの信条の本質だからである。“
”人間の本性、アートマに対する絶対な信頼がある”からこそ、
”非暴力主義を貫くことができる”
とガンジーはいう。
赦しと愛 それがこの主義の根底に流れる。
お互いに、神の子として生まれてきた。
今は互いに敵対していても、誤解があっても、憎しみ合っても悲しみを
与えられても、受け入れ、それを許す。そうした 真の愛の中で
相手に対する信頼を失わず、調和の中に、必ず、心からの抱擁で
互いを認めることができるようになる~
それが ガンジーの信念だった。
武器をもって、力をもって、相手を屈し、自分の主義主張を
認めさせようとするその心にはすでに”暴力的な発動の種”を
はらんでいる。
愛と赦しこそ、今こそ、私事公事にかかわらず、求められている
時代はないとガンジーは 自ら政治の場で静かな無抵抗を貫き、
沈黙の中で訴えた。
それはまるで キリストが教えた “目には目を、歯には歯を、と
いわれていたことは、あなた方の聞いているところである。
しかし、私はあなた方に言う。悪人に手向かうなかれ。
もし、誰かがあなたの右の頬を打ったのなら、左の頬もむけて
やりなさい”(マタイによる福音書5章38~39節)
の言葉の実践そのもののようでもある。
非暴力主義をサティヤグラハと呼ぶ。
もともとの、サンスクリット語の意味は“真理を順奉する”と
いう意味だ。
ガンジーのたてた真理とは具体的にどのようなものだったのだろうか?
ガンジーの熱心な信奉者はサティヤグラヒスと呼ばれ、彼らは
ガンジーの行いを通して、自主的に以下のような誓いをたてた。
“暴力を用いない事、真理に従うこと、盗みをしないこと、
禁欲を守ること、何物をも所有せぬこと、労働をいとわぬこと、
嗜好品をつつしむこと、何物を恐れない事、いかなる宗教をも平等に
尊敬すること、スワデシ[自家製品または国産品]を用いること、
アンタッチャブルカーストの人たちを解放すること、これら11か
条の誓いを謙譲の精神をもって守ること“
何物をも所有しないことというのは、自分の物であるという執着
の情への戒めだろう。
アンタッチャブルのカーストというのは、ハリジャンと呼ばれる、
正規のカースト以外の階級を指す。
印度古来からのカースト制度の階級に所属しない、いわゆる、
卑賤民への差別を撤廃することをここで謳っている。
スワデシを用いるというのは、自国製品を活用して産業を国内で
活発化するという意図があった。
インドの国旗には紡ぎ車が織り込まれているが、これは
ガンジー自ら自分で糸を紡いでいたときの 紡ぎ車がデザインされて
いるといわれる。
彼自身、自分で織り上げた木綿の質素な服をまとっていた。
彼の部屋には自ら使っていた小さな紡ぎ車が置いてある。
イギリスのエリザベス女王に招かれ バッキンガム宮殿に赴いたときも、
紡いだ手製の木綿の質素な服装のまま謁見した。
それは どんなに華やかな正装より、インド人としての誇りに輝き、
自己の信念を織り込んだ、それ以上ガンジーにふさわしい服装は
なかったであろう。
ヨガナンダ師がガンジーの宿泊所(アシュラム)のあるワルダーを
訪れたのは1935年8月27日だった。
その時の印象を”あるヨギの自叙伝”に次のように記している。
“宿舎に戻った私は、いたるところに顕れている徹底した質素と
自己犠牲の精神にあらためて、心を打たれた。
ガンジーの無所得の誓いは 彼が結婚後、まもなく取り入れた。
彼は年収2万ドルを超える繁盛していた法律事務所の仕事を放棄して、
自分の全財産を貧しい人々に分け与えたのである。”
ガンジーはその時、ヨガナンダ師に自分の信条を次のように述べている。
“私は キリスト教の聖書も、コーランも、ゼンド・アヴェスタ
(ゾロアスター教経典)も、ヴェーダと同様、神の霊感によって、
書かれた書であると信じている。
真理を学ぶ場合、私は聖なる師(グル)につくのが最も望ましいと
確信しているが、真のグルに値するほど、完全な悟りと純粋さを
そなえた師をみつけることが、きわめて困難な時代においては、
大多数の人は、グルなしでやっていかなければならない。
だからといって、現代人は決しておのれの宗教の真理を理解
することに絶望する必要はない。
なぜならば、ヒンズー教も他のいかなる偉大な宗教も、その根本原理は
一つで理解しやすいものだからである。
私はすべてのヒンズー教徒と同様、神と、神の唯一性をしんじており、
また、生まれ変わりや神の救いも信じている。・・・
バガヴァッド・ギータやラマヤーナほど、私の心に喜びを与えてくれる
ものはない、おそらく、私が最後の息を引き取るときに私を
慰めてくれるものはギータ―であろう。・・・
もし、キリストが今日地上に再び下生しておられたら、
‘私にむかって、主よ主よというものがみな天国にはいるのではない。
ただ、天にいます父のみ旨を行うものだけが入るのである‘
と記されているように、彼はキリストの名さえしらない多くの人々
にも祝福を与えられるだろう。“
最後に、非暴力主義の意義をガンジー自らの言葉で次のように
述べたとあるヨギの自叙伝に記されている。
“(非暴力の掟)を築き上げるのには、われわれは毎日の生活の
中でそれを実行してゆかなければならない。
闘いのあるところ、妨害者のいるところ、われわれは愛を
もって征服すべきである。
私は自分自身の幾多の体験によって、破壊の掟では解決されない。
多くの問題が不動の愛の掟によって解決されることを知っている。・・
そのために 心と行動と言葉が完全に一致しなければ完
全な非暴力を達成することはできない“
自分に甘く、人に厳しくなるのが人の常だ。自分自身を統制する
ことほど、ある意味、勇気と力のいる仕事はないかもしれない。
甘言や虚言ではなく、心が一致した真言をはき、真言のように、
行動をしていくのにはさらなる努力と意思が必要となるだろう。
ガンジーは言う。
“我々が、このような真理と非暴力を、世の中の掟にしようと
決意したとき、あらゆる問題は、真の解決の兆しを見せるであろう。”
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