母を”野辺に送って”最後の章:友人のいない人の”散歩禅”とは?
*************************2018年 1月 3日
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12月30日【2014年】年末特集番組でタイトルは忘れましたが、
”あなたの家に着いていっていいですか?” という 終電近い時間に、
一般人に声をかける番組がありました。
そして、その人の家に着いていってよいという許可があれば、一緒に、行く
という番組でした。
とある東京の69歳の男性に密着取材した記録をみました。
初めての取材時は、夏服を着ていましたが、その後の取材は季節が
変わっているようでした。
一人住まいで、納豆と玉ねぎを常食として、そのプラスティックの納豆
のカラの容器が、台所に散乱・・畳にはゴキブリがはい回っていて・・
玄関は’ごみ’の山で開かず、10年以上の前の新聞が散乱している・・
ご覧になったかたもいらっしゃいますか?
私はこの番組を観て、この番組に登場するスタッフに感心しました。
そのスタッフ、声だけ登場する彼は、たぶん、カメラを回しながら、
住人に、質問したり、話かけている、顔が見えない30台初頭の
プロデューサーでしょう。
何を感心したかといえば、この人の優しい目線と会話のやり取りの中の、
職業的好奇心を人間的愛情でカバーした、優しい独特の声のトーンと、
今まで友人など存在しなかった思える、そのごみ屋敷の住人の心を自然と
開かせる穏やかで優しい会話でした。
相手が警戒心なしに、素の自分でスタッフに対応したり、答えたりする
様子や内容は、1人の人間の生きざまを描いた小説を読んでいるようで、
次第に引き込まれていきました。
テレビでひな壇に座っているタレントの安易な反応、”え~!””すご~い”
”うっそ~!”式の反応のように、何度も、視聴者の法から、そういう言葉
が出そうな、現実離れした、でも実際の生活の場面を目の前にして、この若
いプロデューサーは淡々と反応していました。
そして、感情に走らず、”なぜ、そんなゴミ山で暮らしているの?”という
視聴者の素朴な、疑問に沿うような質問を、自然に投げかけ、渦中の男性は、
それに対して、ありのままを語り、彼の生きざまや考え方などが 答えから
垣間見られることは、実に、興味深いものでした。
”宇宙の意思” というものがあるとしたら、この男性の生き方も、もしかし
たら宇宙の意思なのかもしれない、というような感慨さえしました。
取材中、疲れれば、いびきをかいて寝てしまう男性。
カメラが回っている前で、ごみの中で納豆と玉ねぎを 一度も洗った
ことのないという器にいれて、混ぜて美味しそうに食べる男性。
カメラを回す、若いプロデューサー相手に、”今夜は泊っていったら?”
と親愛の情で聞く男性。
”散歩をしているときは散歩禅だ。心が一番安らぐから。”
と言いながらも ”人恋しくなって、そういうにぎやかな所(新宿歌舞伎町など)
に散歩に行ったりするよ”と語る場面は、印象的でした。
ある意味、仙人的生活感のある一方、寂しいという人間的感情も湧くという
実に人間的な場面でした。
”だって、あんただって、もし、誰も家族や知りあいが1人もいなくなったら、
生きていることが無意味のような気がするでしょう?
人は人間といって、人の間で生きるものなのだから”と説得力のある言葉。
イメージ写真
あちこちに散らばっている本、崩れそうな本棚と哲学書が並ぶ本棚、
”私はバカだから、こうした本を読みたいと思ったのです。”
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番組最後の圧巻なシーンは、このごみ屋敷のごみがプロの 片づけ屋に
よって、運び出され、玄関が開くようになったことでした。
かたくなに拒んでいた、掃除を、最終的に、この若いプロデューサーが
’手伝うので良ければ、掃除しましょう’ の一言で、受け入れたとのことでした
そこに至るまでに、番組スタッフとゴミ屋敷の老人との間に、きっと、
何らかの友情が、芽生えていたのかもしれません。
ごみ屋敷で過ごすことを、良しとして、かたくなに。何十年もその生活を
変えなかった男性が、心を変えた!・心を変える! 自分を変えることも
至難なのに、偏屈に見える老人の心を変えた!・・・”掃除? うん、いい
よ。手伝ってくれるの?悪いね”
こうして、ごみ処理代費用35万円ほどの、大量のごみの片づけ作業は終わり、
うって代わったさっぱりした家の中と変貌したのです。
”変わったのは家だけではなかった。心を変えた”というテロップが画面に
出て、周りのぼうぼうと生え茂っていた、雑草や門の周りの植木すら、
手が加えられたのでしょう。
番組スタッフたちの、心意気は、69歳の孤独なごみ屋敷の住人の心を
開いて、文字通り、家のごみとこの男性の頑な心を開放することが
できたようです。
なぜか、私は、もっと謙虚に生きていきたいと思ったことでした。