アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
1979年9月23日にルフェーブル大司教様がパリで祝った司祭叙階五〇周年記念のミサ聖祭の御説教の続き(最終回)をご紹介します。
Sermon du jubile sacerdotal - Paris, le 23 septembre 1979
英語訳 JUBILEE SERMON of Archbishop Lefebvre on the occasion of his sacerdotal jubilee, September 23, 1979
(つづき)
最後に家族の家長たちの十字軍を起こさなければなりません。家長であるあなたたちは、あなたたちの祖国において重大な責任を担っています。あなたたちは、祖国が社会主義や共産主義に侵略されるのを見過ごす権利はありません。あなたたちはそうすることが出来ません。さもなければあなたたちはもはやカトリックではありません。
あなたたちは、カトリックの市長、カトリックの代議士が出るように、そしてフランスがついにカトリックの国になるように、選挙の時に戦わなければなりません。これは「政治」をすることではありません。これは良い政治をすることです。つまり聖人達がしたように、アッティラに対立した教皇様たちが過去したように、聖レミジオがフランク王クローヴィスを回心させたように、聖ジャンヌ・ダルクがフランスをプロテスタント主義から救ったように、聖なる政治をすることです。もしもジャンヌ・ダルクがフランスに出なかったなら、私たちはみなプロテスタントになってしまっていたことでしょう。フランスをカトリックとして保つために、私たちの主イエズス・キリストはジャンヌ・ダルクという17,18歳の子どもを輩出させ、イギリス人をフランスの外に追い出したのです。これも、聖なる政治です。
そうです。私たちはこの政治を求めます。私たちは私たちの主イエズス・キリストが統治することを望みます。皆さんは先ほどこう歌っていました。"Christus vincit, Christus regnat, Christus imperat!". キリストは勝利したもう、キリストは統治したもう、キリストは命じたもう、と。これはただの歌詞だけなのでしょうか? 歌だけの問題でしょうか? 言葉だけなのでしょうか? いいえ違います! これが現実にならなければなりません。
家族の長たちよ、あなたたちこそがその責任を持っています。あなたたちの子供達のために、将来の世代のために。あなたたちはフランスがもう一度キリスト教国家になるように、カトリック国家になるように、組織し、集まり、あなたたちの主張が聞かれるようにしなければなりません。これは不可能ではありません。さもなければ、ミサ聖祭はもう恵みではなくなった、天主はもはや天主ではない、私たちの主イエズス・キリストはもう私たちの主イエズス・キリストではない、と言わなければなりません。
私たちの主イエズス・キリストの聖寵に信頼しなければなりません。私たちの主は全能です。私はこの恵みが働いているのをアフリカでこの目で見ました。ここで、この国で、聖寵が同じように働かないという理由は一つもありません。これが私があなたたちに言いたいことです。
親愛なる司祭たちよ、私のこの声を聞いているあなたたちは、この十字軍を広めるために、この十字軍を生き生きとさせるために、深い司祭的な一致を作り出して下さい。それは、私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。
そしてそのためには、あなたたち司祭は、聖人でなければなりません。あなたたちはこの聖性を求め、この聖性を、あなたたちの霊魂と心の内で働いている聖寵を示し、御聖体の秘蹟を通して、あなたたちが捧げる、あなたたちだけが捧げることが出来るミサ聖祭を通して受ける聖寵を証しなければなりません。
愛する兄弟の皆様、私は最後に、いわば私の遺言ともいうものによってこの説教を終わりにします。遺言 Testament、これは大げさな言い方ですが、この言葉を選んだのは、これが私たちの主イエズス・キリストの遺言・契約 Testament つまり Novi et aeterni testamenti (新しい永遠の契約) のこだまとなることを願うからです。
"Novi et aeterni testamenti"、この言葉を御血の聖変化の時に唱えるのは、司祭です。司祭はこう言います。"Hic est calix sanguinis mei, novi et aeterni testamenti" と。イエズス・キリストが私たちに下さる遺産、それはそのいけにえ、その御血、その十字架です。そしてこれが全キリスト教文明のパン種であり、これこそが私たちを天国に連れて行ってくれるものです。
私は皆さんにこうも言います。聖三位一体の栄光のため、私たちの主イエズス・キリストへの愛のため、天主の御母聖マリアへの信心のため、教会への愛のため、教皇様への愛のため、司教・司祭・全信徒の方々への愛のため、この世の救いのため、霊魂の救いのため、私たちの主イエズス・キリストのこの遺言・契約を守りなさい!
私たちの主イエズス・キリストのいけにえを守りなさい。永遠のミサ聖祭を守りなさい!
そうすればあなたたちはキリスト教文明がもう一度開花するのを見るでしょう。この世のためのものではない文明が、カトリックの国へと人々を連れて行く文明が。このカトリックの国とは、地上のそれが準備する天国のカトリックの国のことです。地上のカトリックの国は、他でもないそのために作られるのです。この地上のカトリックの国は、天国のカトリックの国以外のためにあるのではありません。
ですから、私たちの主イエズス・キリストの御血を守りながら、そのいけにえを守りながら、このミサ聖祭を守りながら、私たちの祖先によって私たちに遺産として伝えらたこのミサ聖祭、使徒達から現在に至るまで遺産相続されたミサ聖祭を守りながら、--- もうすぐ、私は自分の叙階式の時に使ったのと同じカリスを使ってそこでこの同じ言葉を唱えます。私が叙階を受けた五十年前このカリスで唱えた聖変化の言葉とは別の言葉をどうして唱えることが出来るでしょうか、それは出来ません、--- 先祖が私たちに教えてくれた通り、教皇様たちや司教様たち、私たちの先生であった神父様たちが教えてくれた通り、私たちはその同じ聖変化の言葉を唱え続けることでしょう。それは私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。そして霊魂が私たちの天の良き母である聖母マリア様の御取り次ぎによって救われるためです。
聖父と聖子と聖霊との聖名によって、アメン。
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英語訳 JUBILEE SERMON of Archbishop Lefebvre on the occasion of his sacerdotal jubilee, September 23, 1979
(つづき)
最後に家族の家長たちの十字軍を起こさなければなりません。家長であるあなたたちは、あなたたちの祖国において重大な責任を担っています。あなたたちは、祖国が社会主義や共産主義に侵略されるのを見過ごす権利はありません。あなたたちはそうすることが出来ません。さもなければあなたたちはもはやカトリックではありません。
あなたたちは、カトリックの市長、カトリックの代議士が出るように、そしてフランスがついにカトリックの国になるように、選挙の時に戦わなければなりません。これは「政治」をすることではありません。これは良い政治をすることです。つまり聖人達がしたように、アッティラに対立した教皇様たちが過去したように、聖レミジオがフランク王クローヴィスを回心させたように、聖ジャンヌ・ダルクがフランスをプロテスタント主義から救ったように、聖なる政治をすることです。もしもジャンヌ・ダルクがフランスに出なかったなら、私たちはみなプロテスタントになってしまっていたことでしょう。フランスをカトリックとして保つために、私たちの主イエズス・キリストはジャンヌ・ダルクという17,18歳の子どもを輩出させ、イギリス人をフランスの外に追い出したのです。これも、聖なる政治です。
そうです。私たちはこの政治を求めます。私たちは私たちの主イエズス・キリストが統治することを望みます。皆さんは先ほどこう歌っていました。"Christus vincit, Christus regnat, Christus imperat!". キリストは勝利したもう、キリストは統治したもう、キリストは命じたもう、と。これはただの歌詞だけなのでしょうか? 歌だけの問題でしょうか? 言葉だけなのでしょうか? いいえ違います! これが現実にならなければなりません。
家族の長たちよ、あなたたちこそがその責任を持っています。あなたたちの子供達のために、将来の世代のために。あなたたちはフランスがもう一度キリスト教国家になるように、カトリック国家になるように、組織し、集まり、あなたたちの主張が聞かれるようにしなければなりません。これは不可能ではありません。さもなければ、ミサ聖祭はもう恵みではなくなった、天主はもはや天主ではない、私たちの主イエズス・キリストはもう私たちの主イエズス・キリストではない、と言わなければなりません。
私たちの主イエズス・キリストの聖寵に信頼しなければなりません。私たちの主は全能です。私はこの恵みが働いているのをアフリカでこの目で見ました。ここで、この国で、聖寵が同じように働かないという理由は一つもありません。これが私があなたたちに言いたいことです。
親愛なる司祭たちよ、私のこの声を聞いているあなたたちは、この十字軍を広めるために、この十字軍を生き生きとさせるために、深い司祭的な一致を作り出して下さい。それは、私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。
そしてそのためには、あなたたち司祭は、聖人でなければなりません。あなたたちはこの聖性を求め、この聖性を、あなたたちの霊魂と心の内で働いている聖寵を示し、御聖体の秘蹟を通して、あなたたちが捧げる、あなたたちだけが捧げることが出来るミサ聖祭を通して受ける聖寵を証しなければなりません。
愛する兄弟の皆様、私は最後に、いわば私の遺言ともいうものによってこの説教を終わりにします。遺言 Testament、これは大げさな言い方ですが、この言葉を選んだのは、これが私たちの主イエズス・キリストの遺言・契約 Testament つまり Novi et aeterni testamenti (新しい永遠の契約) のこだまとなることを願うからです。
"Novi et aeterni testamenti"、この言葉を御血の聖変化の時に唱えるのは、司祭です。司祭はこう言います。"Hic est calix sanguinis mei, novi et aeterni testamenti" と。イエズス・キリストが私たちに下さる遺産、それはそのいけにえ、その御血、その十字架です。そしてこれが全キリスト教文明のパン種であり、これこそが私たちを天国に連れて行ってくれるものです。
私は皆さんにこうも言います。聖三位一体の栄光のため、私たちの主イエズス・キリストへの愛のため、天主の御母聖マリアへの信心のため、教会への愛のため、教皇様への愛のため、司教・司祭・全信徒の方々への愛のため、この世の救いのため、霊魂の救いのため、私たちの主イエズス・キリストのこの遺言・契約を守りなさい!
私たちの主イエズス・キリストのいけにえを守りなさい。永遠のミサ聖祭を守りなさい!
そうすればあなたたちはキリスト教文明がもう一度開花するのを見るでしょう。この世のためのものではない文明が、カトリックの国へと人々を連れて行く文明が。このカトリックの国とは、地上のそれが準備する天国のカトリックの国のことです。地上のカトリックの国は、他でもないそのために作られるのです。この地上のカトリックの国は、天国のカトリックの国以外のためにあるのではありません。
ですから、私たちの主イエズス・キリストの御血を守りながら、そのいけにえを守りながら、このミサ聖祭を守りながら、私たちの祖先によって私たちに遺産として伝えらたこのミサ聖祭、使徒達から現在に至るまで遺産相続されたミサ聖祭を守りながら、--- もうすぐ、私は自分の叙階式の時に使ったのと同じカリスを使ってそこでこの同じ言葉を唱えます。私が叙階を受けた五十年前このカリスで唱えた聖変化の言葉とは別の言葉をどうして唱えることが出来るでしょうか、それは出来ません、--- 先祖が私たちに教えてくれた通り、教皇様たちや司教様たち、私たちの先生であった神父様たちが教えてくれた通り、私たちはその同じ聖変化の言葉を唱え続けることでしょう。それは私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。そして霊魂が私たちの天の良き母である聖母マリア様の御取り次ぎによって救われるためです。
聖父と聖子と聖霊との聖名によって、アメン。
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