アヴェ・マリア!
1987年9月27日、ルフェーブル大司教様のアンシーにおける講話の続きをご紹介します。
1987年9月27日、ルフェーブル大司教様のアンシーにおける講話
(フランス語からの翻訳:トマス小野田圭志神父)
Conference of Archbishop Lefebvre at Annecy (France) on September 27, 1987.
音声ファイル:Mgr Lefebvre: Ils l'ont decouronne
一部のフランス語
Conference de Mgr Lefebvre - Annecy 1987
J'ai vu des pretres pleurer
自動翻訳
Conference Archbishop Lefebvre-Annecy 1987
I saw priests cry
(つづき)
カトリック教会は常に新しいことには反対でした。また教会は常に明確な定義に賛成していました。曖昧でハッキリとしないどのようにも意味がとれる、いい加減なこという定義には反対でした。
ミサ聖祭について、彼らはパウロ六世の総則の第七条で別のしかたで定義しました。彼らはミサを、トリエント公会議がしたのとは別のしかたで定義しました。これもまた新しい定義です。しかし彼らは同じ用語を使っています。
「教会」、彼らは「教会」という用語を使っています。しかし教会が常にそう定義してきたのとは別の定義を与えています。私たちが神学を学んだときに私たちの神学で定義されていたのとは別のしかたで定義されています。以前は教会はこう定義されていました。「霊魂の救いのためにそれを信じ(adherer)なければならなずその肢体とならなければならない、目に見える・位階秩序を持つ・君主制の社会」と。
ところで今となっては「霊魂の救いのために」などと定義にはいるでしょうか? そんなのはもうありません。終わってしまいました。新教会法を見て下さい。ヨハネ・パウロ二世教皇が新教会法を提示するためにした憲章、指針書を見て下さい。そこには教会の新しい定義があります。それによれば、教会とは「交わり、エキュメニカルな交わり」となっています。これはどういう意味でしょうか?この交わりはどこから始まるのでしょうか? どこで終わるのでしょうか? 交わり? 何のことでしょうか? これが定義です。もう「霊魂の救いのためにその肢体とならなければならない、目に見える・位階秩序を持つ・君主制の社会」ということではありません。この定義では少なくとも明快でした。例えば「位階秩序を持った」これは聖職者と平信徒とがいるということです。教会の構造を良くみることが出来ます。明確に。とても明確です。
ところが「エキュメニカルな交わり」とは、私はこれが何を意味するのかよく分かりません。こうすればもちろん、誰も彼も教会の中に入れることが出来ます。しかし教会がどこから始まってどこで終わるのか(教会の内と外の境が)分からなくなります。こんなことはあり得ません。このような曖昧で意味が何とでもとれる雰囲気の中で生きていくことは出来ません。
そしてこれらは全て教会の新しい態度を始めるために望まれたことでした。この「エキュメニカルな態度」を。これは絶対的に理解することが出来ません。これはもう宣教の態度ではないからです。極めて重大なのはこのことです。何故ならこれは教会の宣教精神を崩壊させたからです。
ではこの列挙した事柄を前に、私が皆さんに少しお見せしたこと、この新しい教会、第二バチカン公会議でそう提示された教会の新しい態度を前に、私たちの内で何名かが公会議でこれに反動しました。このことについては私はしばしば説明しました。(既に公会議の時から)私たちは教会のこの分裂を、教会が引き裂かれることをあらかじめ見ていました。いろいろな新しいことのために、リベラルな意味で理解されたこの信教の自由のために、私たちの主が王として退位させられたために、社会と良心の非キリスト教化のために、(それが起こったの)です。私たちは劇的な事態が生じるだろうとあらかじめ予見していました。それ以外にはあり得ません。新しい教会、教会の伝統的な原理と反対する新しい原理以外には。
私が所属していた第二バチカン公会議中央準備委員会の中で、ベア枢機卿(Augustin Cardinal Bea, S.J. †)とオッタヴィアーニ枢機卿(Alfredo Cardinal Ottaviani †)との対立の中で、私たちはこのことが具体的になっているのを見ました。
公会議の直前、最後の準備会合で、ベア枢機卿とオッタヴィアーニ枢機卿とで激しい対立があったのです。ベア枢機卿はリベラルな意味での信教の自由を擁護していました。オッタヴィアーニ枢機卿は伝統的な信教の自由を擁護していました。もちろん、オッタヴィアーニ枢機卿が正しかったのです。明らかです。オッタヴィアーニ枢機卿は全聖伝を代表していました。するとベア枢機卿は立ち上がってオッタヴィアーニ枢機卿に指で指し示してこう言ったのです。
「枢機卿、私はあなたの信教の自由の概念に反対です!」と。
私たちは顔を見合わせました。この委員会に七〇名の枢機卿が臨席しており、二〇名ほどの大司教と司教がいました。私はこの委員会に、西部アフリカ司教評議会の議長として参加していました。その他にも修道会の四名の長上がいました。以上がこの委員会の正会員で、その他に委員会には所属しない顧問たちも参列していました。神学顧問たちは聞いてノートを取るだけです。普通、会合は教皇様が司会をしました。今回は、ヨハネ二十三世はそこにいませんでした。私たちは互いに顔を見合わせました。二名の枢機卿が、基礎的な問題で互いに対立し反対して立ち上がっていたのです。これはもう一度言いますが、信仰の問題でした。私たちの主が社会を統治しなければならないのか、あるいはもはや統治してはならないのか、イエスかノーかの問題だったのです。
そこでパレルモのルフィニ枢機卿(Ernesto Cardinal Ruffini †)が立ち上がり、こう言ったのです。
「よろしい、かくも重大な問題について、私たちの二名の同僚兄弟が互いに反対して立ち上がっているのを見るのは大変見苦しい。私たちはこのことを上位の権威に申し立てなければならないでしょう」と。
枢機卿たちよりも上位の権威とは、それは誰でしょうか?明らかに教皇です。些かのためらいもありません。しかしヨハネ二十三世教皇はそこにいなかったのです。ルフィニ枢機卿はこの議論をやめさせたかったのだと思います。問題を消去して「私たちはこのことを教皇様に申し立てよう」と言ってそれで終わらせようとしたのです。しかし、ベア枢機卿は聞く耳を持ちませんでした。ベア枢機卿はこう言いました。「ノー、ノー、ノー! 私は投票を要求する。」
そこで私たちは投票に移りました。私たちは半数が特にオッタヴィアーニ枢機卿に賛成を投じたことを知りました。一般的に、南アメリカ人、スペイン人、ラテン人、イタリア人やローマの人々は皆、ベア枢機卿(ママ)に賛成していました。
私たちは七十名の枢機卿たちの一団が、基礎的な問題で分裂しているのを目の前にしたのです。しかも第二バチカン公会議の前夜に。公会議がどのようになっていくか分かるでしょう。ウソのような出来事です。私たちは公会議の直前であり、信教の自由という重大で大切な問題について、二人の枢機卿が対立しているのです。
そして枢機卿団も真っ二つに分裂しています。公会議では一体何が起こるのだろう、と心配になります。想像できますか? 第二バチカン公会議はこの闘いのイメージでした。第二バチカン公会議は四年間のケンカ(bagarre)でした。しかしこのことを認めなければなりません。教皇様は革新派の側についていました。保守派の方ではありませんでした。全ての問題はここにあったのです。もしも教皇様が「私は保守派に賛成する」といえば問題は起こりませんでした。聖伝は以前のように続いていたことでしょう。
教皇様はその反対に、革新派に見方をしました。ベア枢機卿の側にたちました。もちろん、勝ち誇ったのは革新派たちです。リベラル派が勝利したのです。これが教会の劇的な大事件です。皆さんは「彼らは主を退位廃冠させた」(Ils L'ont decouronne)の本の中で読むことが出来ますが、もしも皆さんがそれを読む機会があれば、教皇様たちが自由主義について言っていること、十九世紀の全ての教皇様たちと二十世紀の最初の半世紀の間教皇様たちが口をそろえて言うことを読むことでしょう。教皇様たちは、今現在教会によって公式に認められたことを排斥しているのです。これを理解するようにしてみて下さい!
私たちは今、絶対的に信じることの出来ないような問題を前にしているのです。彼らがどうやって公会議で勝利を手にしたのか? ハッキリ言わなければなりません。彼らはすぐに主要な地位を占めた、命ずる地位を得たのでした。それは簡単です。政府の場合と同じです。社会主義者達が政権を取ると、すぐに彼らは社会主義に好意的ではない人々をすぐに更迭し、社会主義を実行するのです。これは明らかです。バチカンでやったこともそれです。リベラル派が勝つとすぐにバチカンのクリアにいた聖職者達は排除され、それはローマ・クリア(ローマ諸聖省)と、聖伝をすこし強く支持している司教たちのいる全ての司教区についてそうでした。これらの人々はみな排除されました。多くの司教たちは、教会で起こっていることを見て辞任していきました。彼らはあまりにも動揺し、あまりにも心苦しく思ったからでした。辞任する司教たちには多くの理由がありました。
私たちは250名で闘っていました。これが Coetus Internationalis Patrum と呼ばれるもので、「公会議保守派教父たちの国際的会」という意味です。私たちは闘いました。この会には会長が任命されていました。しかし告白すれば、仕事をしたのは会長ではありませんでした。会社などではよくこんなことが普通です。事務総長や秘書が仕事をします。事務総長はブラジルのディアマンティナ(Diamantina)の大司教シガウド大司教(Archbishop Geraldo de Proenca Sigaud, S.V.D. †)でした。
シガウド大司教は、ドイツで創立された神言会の会員で、ドイツ語を流ちょうに話しました。シガウド大司教は、デ・カストロ・マイヤー司教(Bishop Antonio de Castro Mayer †)やカルリ大司教(Archbishop Luigi Maria Carli †)とともに、公会議の最中、常に活動的でした。
そこにいる私たちは4,5名でした。そして(リベラル派と)闘おうと試みていました。何故なら私たちには破局が来るのが分かったからです。
分かりますか? もしも自由主義が本当に凱旋してしまうと、教会に何が起こるだろうか、ということが? そんなことがあれば教会は崩壊してしまいます。それはフリー・メーソンとの妥協です。全てのこととの妥協です。社会主義、共産主義、そして全ての誤謬との妥協です。妥協をし始めるのです。もう(誤謬と)闘うことをやめてしまうのです。そうでしょう? そうなったら「教会はもう宣教的(カトリックに回心させようとする)ではない」と言うようになるでしょう。ちょうどエイズのように、教会を内部から瓦解させるこのエキュメニズムが出るでしょう。
私はこのことを自分の説教中に何度も言いました。教会は今日エイズにかかっている、と。私は医者ではありません。しかしエイズにかかると、私たちを毎日のように攻撃している様々な病気に対抗する体内の全ての抵抗力がなくなってしまうようです。私たちの組織を攻撃する全てに対抗する力が。血液や体の機能は、私たちの体を破壊しようとして来る全てに対して抵抗します。つまり、エイズという病は、体の病に対する抵抗力の消滅です。そこで、(エイズにかかると)結局は体が分解してしまうのです。何故分解するかというと、何故なら抵抗するものが何もないからです。抵抗力がなくなるからです。
それと同じことです。これと同じことが教会に起こっています。抵抗力がなくなってしまいました。誤謬に対して悪徳に対して、そして教会内にある全ての病に対して、もはや抵抗力はありません。
そのために教会は今すこしずつ少しずつ腐敗しているのです。教会は分解しつつあります。ちょうどからだが腐って風化していくようです。これは極めて大変な事態です。そこで、私たちは抵抗しようと試みているのです。もう一度、対抗しているのです。
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音声ファイル:Mgr Lefebvre: Ils l'ont decouronne
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I saw priests cry
(つづき)
カトリック教会は常に新しいことには反対でした。また教会は常に明確な定義に賛成していました。曖昧でハッキリとしないどのようにも意味がとれる、いい加減なこという定義には反対でした。
ミサ聖祭について、彼らはパウロ六世の総則の第七条で別のしかたで定義しました。彼らはミサを、トリエント公会議がしたのとは別のしかたで定義しました。これもまた新しい定義です。しかし彼らは同じ用語を使っています。
「教会」、彼らは「教会」という用語を使っています。しかし教会が常にそう定義してきたのとは別の定義を与えています。私たちが神学を学んだときに私たちの神学で定義されていたのとは別のしかたで定義されています。以前は教会はこう定義されていました。「霊魂の救いのためにそれを信じ(adherer)なければならなずその肢体とならなければならない、目に見える・位階秩序を持つ・君主制の社会」と。
ところで今となっては「霊魂の救いのために」などと定義にはいるでしょうか? そんなのはもうありません。終わってしまいました。新教会法を見て下さい。ヨハネ・パウロ二世教皇が新教会法を提示するためにした憲章、指針書を見て下さい。そこには教会の新しい定義があります。それによれば、教会とは「交わり、エキュメニカルな交わり」となっています。これはどういう意味でしょうか?この交わりはどこから始まるのでしょうか? どこで終わるのでしょうか? 交わり? 何のことでしょうか? これが定義です。もう「霊魂の救いのためにその肢体とならなければならない、目に見える・位階秩序を持つ・君主制の社会」ということではありません。この定義では少なくとも明快でした。例えば「位階秩序を持った」これは聖職者と平信徒とがいるということです。教会の構造を良くみることが出来ます。明確に。とても明確です。
ところが「エキュメニカルな交わり」とは、私はこれが何を意味するのかよく分かりません。こうすればもちろん、誰も彼も教会の中に入れることが出来ます。しかし教会がどこから始まってどこで終わるのか(教会の内と外の境が)分からなくなります。こんなことはあり得ません。このような曖昧で意味が何とでもとれる雰囲気の中で生きていくことは出来ません。
そしてこれらは全て教会の新しい態度を始めるために望まれたことでした。この「エキュメニカルな態度」を。これは絶対的に理解することが出来ません。これはもう宣教の態度ではないからです。極めて重大なのはこのことです。何故ならこれは教会の宣教精神を崩壊させたからです。
ではこの列挙した事柄を前に、私が皆さんに少しお見せしたこと、この新しい教会、第二バチカン公会議でそう提示された教会の新しい態度を前に、私たちの内で何名かが公会議でこれに反動しました。このことについては私はしばしば説明しました。(既に公会議の時から)私たちは教会のこの分裂を、教会が引き裂かれることをあらかじめ見ていました。いろいろな新しいことのために、リベラルな意味で理解されたこの信教の自由のために、私たちの主が王として退位させられたために、社会と良心の非キリスト教化のために、(それが起こったの)です。私たちは劇的な事態が生じるだろうとあらかじめ予見していました。それ以外にはあり得ません。新しい教会、教会の伝統的な原理と反対する新しい原理以外には。
私が所属していた第二バチカン公会議中央準備委員会の中で、ベア枢機卿(Augustin Cardinal Bea, S.J. †)とオッタヴィアーニ枢機卿(Alfredo Cardinal Ottaviani †)との対立の中で、私たちはこのことが具体的になっているのを見ました。
公会議の直前、最後の準備会合で、ベア枢機卿とオッタヴィアーニ枢機卿とで激しい対立があったのです。ベア枢機卿はリベラルな意味での信教の自由を擁護していました。オッタヴィアーニ枢機卿は伝統的な信教の自由を擁護していました。もちろん、オッタヴィアーニ枢機卿が正しかったのです。明らかです。オッタヴィアーニ枢機卿は全聖伝を代表していました。するとベア枢機卿は立ち上がってオッタヴィアーニ枢機卿に指で指し示してこう言ったのです。
「枢機卿、私はあなたの信教の自由の概念に反対です!」と。
私たちは顔を見合わせました。この委員会に七〇名の枢機卿が臨席しており、二〇名ほどの大司教と司教がいました。私はこの委員会に、西部アフリカ司教評議会の議長として参加していました。その他にも修道会の四名の長上がいました。以上がこの委員会の正会員で、その他に委員会には所属しない顧問たちも参列していました。神学顧問たちは聞いてノートを取るだけです。普通、会合は教皇様が司会をしました。今回は、ヨハネ二十三世はそこにいませんでした。私たちは互いに顔を見合わせました。二名の枢機卿が、基礎的な問題で互いに対立し反対して立ち上がっていたのです。これはもう一度言いますが、信仰の問題でした。私たちの主が社会を統治しなければならないのか、あるいはもはや統治してはならないのか、イエスかノーかの問題だったのです。
そこでパレルモのルフィニ枢機卿(Ernesto Cardinal Ruffini †)が立ち上がり、こう言ったのです。
「よろしい、かくも重大な問題について、私たちの二名の同僚兄弟が互いに反対して立ち上がっているのを見るのは大変見苦しい。私たちはこのことを上位の権威に申し立てなければならないでしょう」と。
枢機卿たちよりも上位の権威とは、それは誰でしょうか?明らかに教皇です。些かのためらいもありません。しかしヨハネ二十三世教皇はそこにいなかったのです。ルフィニ枢機卿はこの議論をやめさせたかったのだと思います。問題を消去して「私たちはこのことを教皇様に申し立てよう」と言ってそれで終わらせようとしたのです。しかし、ベア枢機卿は聞く耳を持ちませんでした。ベア枢機卿はこう言いました。「ノー、ノー、ノー! 私は投票を要求する。」
そこで私たちは投票に移りました。私たちは半数が特にオッタヴィアーニ枢機卿に賛成を投じたことを知りました。一般的に、南アメリカ人、スペイン人、ラテン人、イタリア人やローマの人々は皆、ベア枢機卿(ママ)に賛成していました。
私たちは七十名の枢機卿たちの一団が、基礎的な問題で分裂しているのを目の前にしたのです。しかも第二バチカン公会議の前夜に。公会議がどのようになっていくか分かるでしょう。ウソのような出来事です。私たちは公会議の直前であり、信教の自由という重大で大切な問題について、二人の枢機卿が対立しているのです。
そして枢機卿団も真っ二つに分裂しています。公会議では一体何が起こるのだろう、と心配になります。想像できますか? 第二バチカン公会議はこの闘いのイメージでした。第二バチカン公会議は四年間のケンカ(bagarre)でした。しかしこのことを認めなければなりません。教皇様は革新派の側についていました。保守派の方ではありませんでした。全ての問題はここにあったのです。もしも教皇様が「私は保守派に賛成する」といえば問題は起こりませんでした。聖伝は以前のように続いていたことでしょう。
教皇様はその反対に、革新派に見方をしました。ベア枢機卿の側にたちました。もちろん、勝ち誇ったのは革新派たちです。リベラル派が勝利したのです。これが教会の劇的な大事件です。皆さんは「彼らは主を退位廃冠させた」(Ils L'ont decouronne)の本の中で読むことが出来ますが、もしも皆さんがそれを読む機会があれば、教皇様たちが自由主義について言っていること、十九世紀の全ての教皇様たちと二十世紀の最初の半世紀の間教皇様たちが口をそろえて言うことを読むことでしょう。教皇様たちは、今現在教会によって公式に認められたことを排斥しているのです。これを理解するようにしてみて下さい!
私たちは今、絶対的に信じることの出来ないような問題を前にしているのです。彼らがどうやって公会議で勝利を手にしたのか? ハッキリ言わなければなりません。彼らはすぐに主要な地位を占めた、命ずる地位を得たのでした。それは簡単です。政府の場合と同じです。社会主義者達が政権を取ると、すぐに彼らは社会主義に好意的ではない人々をすぐに更迭し、社会主義を実行するのです。これは明らかです。バチカンでやったこともそれです。リベラル派が勝つとすぐにバチカンのクリアにいた聖職者達は排除され、それはローマ・クリア(ローマ諸聖省)と、聖伝をすこし強く支持している司教たちのいる全ての司教区についてそうでした。これらの人々はみな排除されました。多くの司教たちは、教会で起こっていることを見て辞任していきました。彼らはあまりにも動揺し、あまりにも心苦しく思ったからでした。辞任する司教たちには多くの理由がありました。
私たちは250名で闘っていました。これが Coetus Internationalis Patrum と呼ばれるもので、「公会議保守派教父たちの国際的会」という意味です。私たちは闘いました。この会には会長が任命されていました。しかし告白すれば、仕事をしたのは会長ではありませんでした。会社などではよくこんなことが普通です。事務総長や秘書が仕事をします。事務総長はブラジルのディアマンティナ(Diamantina)の大司教シガウド大司教(Archbishop Geraldo de Proenca Sigaud, S.V.D. †)でした。
シガウド大司教は、ドイツで創立された神言会の会員で、ドイツ語を流ちょうに話しました。シガウド大司教は、デ・カストロ・マイヤー司教(Bishop Antonio de Castro Mayer †)やカルリ大司教(Archbishop Luigi Maria Carli †)とともに、公会議の最中、常に活動的でした。
そこにいる私たちは4,5名でした。そして(リベラル派と)闘おうと試みていました。何故なら私たちには破局が来るのが分かったからです。
分かりますか? もしも自由主義が本当に凱旋してしまうと、教会に何が起こるだろうか、ということが? そんなことがあれば教会は崩壊してしまいます。それはフリー・メーソンとの妥協です。全てのこととの妥協です。社会主義、共産主義、そして全ての誤謬との妥協です。妥協をし始めるのです。もう(誤謬と)闘うことをやめてしまうのです。そうでしょう? そうなったら「教会はもう宣教的(カトリックに回心させようとする)ではない」と言うようになるでしょう。ちょうどエイズのように、教会を内部から瓦解させるこのエキュメニズムが出るでしょう。
私はこのことを自分の説教中に何度も言いました。教会は今日エイズにかかっている、と。私は医者ではありません。しかしエイズにかかると、私たちを毎日のように攻撃している様々な病気に対抗する体内の全ての抵抗力がなくなってしまうようです。私たちの組織を攻撃する全てに対抗する力が。血液や体の機能は、私たちの体を破壊しようとして来る全てに対して抵抗します。つまり、エイズという病は、体の病に対する抵抗力の消滅です。そこで、(エイズにかかると)結局は体が分解してしまうのです。何故分解するかというと、何故なら抵抗するものが何もないからです。抵抗力がなくなるからです。
それと同じことです。これと同じことが教会に起こっています。抵抗力がなくなってしまいました。誤謬に対して悪徳に対して、そして教会内にある全ての病に対して、もはや抵抗力はありません。
そのために教会は今すこしずつ少しずつ腐敗しているのです。教会は分解しつつあります。ちょうどからだが腐って風化していくようです。これは極めて大変な事態です。そこで、私たちは抵抗しようと試みているのです。もう一度、対抗しているのです。
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