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聖務日課の晩課より

2007年12月17日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

おぉ、智恵よ、御身はいと高き御者の口から発し、果てから果てへと達し、全てを力強く且つ優しく整え給う。我らに賢明の道を教えんがために来たり給え。

ルフェーブル大司教様のアンシーにおける講話、1987年9月27日(その5)

2007年12月17日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

 1987年9月27日、ルフェーブル大司教様(Archbishop Marcel-Francois Lefebvre, C.S.Sp. †)のアンシーにおける講話の続きをご紹介します。

1987年9月27日、ルフェーブル大司教様のアンシーにおける講話(フランス語からの翻訳:トマス小野田圭志神父)

Conference of Archbishop Lefebvre at Annecy (France) on September 27, 1987.


 音声ファイル:Mgr Lefebvre: Ils l'ont decouronne
or
Presentation de son livre " Ils l'ont decouronne" a Annecy

(つづき)

 私たちはものごとをありのままに言わなければなりません。この公会議中の操作を前にして、私たちは250名で抵抗しました。その後で、一体何をすべきだったのでしょうか? 私たちは小さなグループを作ろうとしました。私たちは公会議最後に集まってこう言いました。「私たちの間で小さな機関誌を作って互いに助け合おう」と。

 不幸なことに、皆さんもよくご存じのように距離があります。南アメリカに発つ司教たちもあれば、イタリアにいる司教たちもいる、他のものはあそこへ、別のものはここに。実際的に私たちの間に何の運動も残りませんでした。それぞれが各自の場所で抵抗したのです。しかし彼ら250名のほとんどは、辞任しました。目の前にするものを見て悲痛のあまり、ローマから来る全てのことに胸が締め付けられ、辞任したのです。ローマから来たものは彼らをして祭壇を変えさせ、あれを変えさせ、これを変えさせ、典礼を変えさせ、指針を変えさせ、神学校で、修道会でやり方を変えさせ、修道服を変えさせ、私服にさせ、等々全てのことを変えさせたのです。

 これら全てに胸を痛め、彼らは辞表を提出しどこかに隠居する方を選んだのです。高齢のために亡くなった方々もおられます。そこで私たちは実際的に二名だけが残りました。デ・カストロ・マイヤー司教様(Bishop de Castro Mayer)と私自身が二人が残って抵抗したのです。デ・カストロ・マイヤー司教様は、自分のブラジルのカンポス教区でその司祭たちと共に抵抗しました。司教様は古いミサを続けることを決意しました。

[BISHOP ANTONIO DE CASTRO MAYER A Brief Biography on The Lion of Campos]

 その司祭たちは自分の教区では聖伝のミサをすることを確認しました。これらの29名の司祭たちは、多くはありません。しかし90万の教区民のいる大きな司教区です。司祭たちは多くはありませんが。この29名の司祭たちは聖伝のミサを続けたのです。いまでもまだ、デ・カストロ・マイヤー司教様が司教として辞任し死刑執行人(Bishop Carlos Alberto Etchandy Gimeno Navarro †)によって取り替えられたけれども、聖伝のミサを続けています。

 まさに(新任の司教は)死刑執行人でした!彼は聖伝のミサを捧げるこれらの司祭を全て小教区から追い出してしまったのです。29名の司祭たちは追放されました。一人、また一人と小教区から、皆一人残らず。一人も残りませんでした。最後の司祭は3ヶ月前に小教区から出されたばかりです。

 すでに素晴らしい小教区が存在していました。信徒たちで一杯の、やる気満々の、熱心で充ち満ちた小教区が! 彼らはそれらをみな排除することに成功しました。何故なら彼らには警察力が味方についているからです。(そうでなかったら)信徒たちは小教区に留まるように抵抗していたことでしょう。しかし政府は、司教たちを支援するために司教たちとの同意があり、公権力の前には何も出来ませんでした。何も出来ませんでした。

 そこで彼らは何をしたでしょうか? 古い(追い出された)教会の前に別の教会を建築したのです。彼らは、プロテスタント時代にカトリック信徒たちがやったように、(自分たちのカトリック)教会を建てたのです。プロテスタントが私たちの教会(の建物)を取ってしまったとき、カトリックはその前に別の(カトリック)教会を建てた、それだけです。いまではカンポスでは同じことが行われています。彼らは多くの教会を建築し、デ・カストロ・マイヤー司教様は神学生を受け入れ持ち続けているのです。何故なら、後任の司教が司教区で最初にやったことは神学校を閉鎖することだったからです。何故なら彼らは(神学校にいた)神学生たちに、そして神学校を指導して神学校で教えていた司祭たちに「いまから新しいミサを受け入れなければならない!」と命じたからです。

 神学生や司祭たちは答えました。「いいえ、私たちは新しいミサを受け入れません。私たちは聖伝を守ります。私たちは古いミサを守ります。」

「ああ、そう! それなら私は神学校を閉鎖します。」


 そこでデ・カストロ・マイヤー司教様は神学生たちを集めたのです。デ・カストロ・マイヤー司教様は古い神学校の中に小さな神学校を建設しました。残念なことに神学生たちの数はそれほど多くないので、あまり大きい神学校ではありません。神学生たちは8名でした。数は少なくとも、8名の将来の司祭たちです。昨年そのうちの2名が司祭に叙階されました。そこで2名の司祭が追加されました。彼らは大変忠実です。大変堅固です。

 そして私自身、特別な状況の下で聖ピオ十世会を始めました。何故なら、私には修道会もなく、教区もなく、自由の身だったからです。そんな時、ローマにいると、オラニエ神学生、そしてその他の神学生たちが私のところにやってきたのです。

「大司教様、私たちのために何かして下さい。私たちのローマのフランス人神学校は、今全てを変えているところです。全てを変えてしまいました。そして今では(スータンではなく)私服を着せられています。規律ももはやありません。ラジオはどこでもなっています。典礼も変えられました。もう神学校ではありません。この中に留まっていることは出来ません。私たちのために何かして下さい。」

(つづく)

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