I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言
嘘に満ちたエキュメニズム
同じ発言の中で、ルフェーブル大司教はこう言った。離れた兄弟たちが保存しているかも知れない「聖化の要素」を探しだしそれを高く評価しようとすることで、彼らをその間違いのうちに維持させる、と。
かくして、プロテスタントたちに対しては「あなたたちは洗礼によって再生したキリストの弟子だ」と言うことで、私たちは彼らを欺いていることになる。何故なら、彼らの洗礼は非常にしばしば「形相や質料あるいは意向の欠陥によって無効」であるからだ。また、善悪の区別が付くような年齢に達すると天主よりのカトリック信仰が欠如しているために聖寵に対する障害(obex)を持ち、その洗礼は概して何らの実を結ぶことができないからだ。
私たちはまた同様に「首位権を損傷しその中身を空にしようとする」「嘘に満ちたエキュメニズム」により、正教徒たちを欺瞞している。
このエキュメニズムは人々をして「ローマの司教は、平等の司教たちの間の第一(primus inter pares)にすぎないと思わせ言わせている。これによれば、教皇様の首位権は「ほとんど一体化した不可分の位階秩序を維持するための奉仕としてのみ」つまり「外的な一致の絆」としてのみあるとしている。
ルフェーブル大司教はこう言った。公会議が「一致を励ますために本質的な真理を」つまり教皇の首位権についての真理を、「不完全にしか述べない」ことによって、これらの真理を減少させてしまうなら、離れた正教徒たちに「首位権から由来する全ての結果を全て完全に受け入れることなく」一致の間違った概念のうちに押しとどめてしまうことになる、と。
私たちは後日、ヨハネ・パウロ二世がその回勅『彼らが一つとなるように Ut Unum Sint』のなかで、正教徒たちによって「受け入れられることができるような首位権の行使の方法が探されなければならない」と求めたのを見て、この要求が第二バチカン公会議による減少された真理の線をどれ程真っ直ぐに従っているかを見て取ることができる。
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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言
- 13.1.1.「発言することは私の義務だった」
- 13.1.2.“私は大きい集会であなたの真実を隠さなかった。”(詩篇 39)
- 13.1.3.公会議の目的を明らかにする
- 13.1.4.雄弁な一覧表
- 13.1.5.論争の方法
- 13.1.6.司教団体主義の二重の誤謬
- 13.1.7.キリストの教会はもはやカトリック教会ではないのか?