I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言
スキャンダルの権利とスキャンダルの結果を持つ権利
ルフェーブル大司教はたびたび「信教の自由とは、スキャンダルの権利だ」と口にした。何故なら、信教の自由は、宗教に関する誤りとこの誤りの伝播とその誤りの道徳的結果とに市民権を付与するからである。
大司教は信教の自由の結果の中で次のようなものなどを告発した。
--- 不道徳: 「29 番に言及された人間社会におけるすべての宗教共同体の自由を主張するためには、その共同体に道徳に関する自由を同時に許容しなければならない。道徳と宗教とは密接に結びついているからだ。例えば、重婚とイスラム教とは密接に連関されている。」(75)
--- カトリック国家の終末: 「カトリックの法律が付与された市民社会はもはや存在しなくなるだろう。」(47)
--- 「教理に関する相対主義と実質的宗教無関心主義」(47)
--- 「霊魂を回心させようとする宣教精神の消滅」(47)
この反対に、これらすべての極めて重大な不都合は、次のことを公会議が宣言したらたちどころに消え去ってしまうだろう。
「キリストの教会 [カトリック教会] のみが、天主の自然法と超自然の天主の法を一つも漏らさず完璧に保持し、このキリストの教会だけがそれを教える使命とそれを遵守する手段とを受けた。このキリストの教会にのみ真にそして現実に私たちの法であるイエズス・キリストがましましたもう。従って、キリストの教会だけがいつでもどこでも信教の自由への真の権利を保持している。」(97)
--------------
第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言