I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言
信教の自由: 間違った定義
信教の自由に反対してなした闘いこそは、ルフェーブル大司教が特に「勇気と洞察力とを兼備したカトリック真理の守護者」としての卓越さが発揮された所で、一枢機卿がルフェーブル大司教を veritatis catholicae defensor acerrimus (いとも果敢なカトリック真理の守護者)だと称したほどだ。
大司教は、ルッフィーニ(Ruffini)枢機卿、バッチ (Bacci) 枢機卿及びブラウン枢機卿ら、友達の意見をしばしば支持しながらも、自分の個人的な考え方、そして最も聖伝に適う意見を提言した。
レオ十三世が回勅『 Immortale Dei (不死なる天主)』で伝えた教理にあくまでも忠実にルフェーブル大司教は次のように教えた。
「人間の自由は、すべての拘束からの解放であると定義されることができません。何故なら、そのようなことをすれば、すべての権威を崩す危険に陥ってしまうからです。ところで、拘束には、精神的なものと肉体的物理的なものとがあります。精神的な拘束は、宗教の領域においては、極めて有益であって、聖書には終始一貫して発見されます。例えば、“天主を畏れることは智慧の始めである”(詩篇 110, 10)。権威とは、人間が善を行い悪を避けるように助けるためにそこにあるのです。つまり、権威は人間が各自の自由をよく使うことができるように助けるためにあるのです。」(42 & 75)
こうして、概要の立案者たちが自分たちが発見したと思った、真理の自由な探求における「新しい根拠」は、目くらましと同じだった。
「この節は、はっきりそのような宣言文が非現実的であることを見せてくれます。この世の中に生きている人間において、真理を探求することとは、なによりもなにがしの権威に自分の知性を服従させること、従順であることを意味します。この権威が、家族の権威であれ、宗教的権威であれ、甚だしくは政府の権威であろうともです。一体どれ程多くの人々が、権威の助けなしに真理に到達することができるでしょうか?」(43 & 75)
事実、この「新しい根拠」については、
「この宣言は、一種の相対主義に基盤を置いています。.... それは今の時代の特別な変化する情勢を考慮し、一つの特別な場合、例えば合衆国の国民であるかのような場合を想定して、私たちの活動を指導する新しい原理を模索しています。しかし、状況は変化しうるし、変化しています。」(76)
この鋭い指摘はジョン・マーレイ (John C. Murray) 神父の論説を狙ったもので、マーレイ神父は国家の宗教的理想を、宗教的多元主義の、及び一般化された相互寛容の、アメリカ式モデルに土台を置こうとした。
ルフェーブル大司教の指摘は、変化しつつある環境という砂の上に立てられた仮説の脆さを証明していた。それと同時にこの指摘は、真理が持つ権利という盤石の上に立てられた聖伝の教えの堅固さに光を当てていた。
「その宣言文が、真理の持つ権利の上に築かれたものではないので、そして真理の持つ権利だけがいかなる状況においても真のそして堅固な解決を与えることができるのであるから、私たちは不可避的に極めて困難な状況に直面することになります。」(76)
言い換えると、信教の自由とは、教理ではなく、純然たる日和見主義であるということだ。
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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言