科目編成 - 師なる聖トマス
1971年5月2日、ルフェーブル大司教はエコンで、そこに勤務する教授らの協力を得て、1972学年度から始まる哲学と神学科目の教育課程を決定した。
フランソワ・オリヴィエ・デュビュイ(François-Olivier Dubuis)神父は、神学校における勉強は7年間継続するべきであると考えた。しかしより現実的で、さらに司祭を供給するよう信徒たちから願いを受けていたルフェーブル大司教は、この教育課程を一年間の霊性学と、2年間の体系的哲学(論理学、形而上学の基礎論、霊魂論、形而上学、倫理学)、さらに2年間の神学から成る5年間と定めた。時間的には短いものであった。神学生たちは、聖書学や、教会論、さらに倫理神学であっても哲学と平行して勉強し始める事になっていたのも本当であった。しかしながら、2年間の神学には3年目が後で加えられるだろう。
聖書学、教会法、カトリック教会史、さらに典礼学などのような“専門的”科目の他に、ル・ロエレック(Le Rohellec)神父のかつての弟子である大司教は、哲学と神学との統一科目(cursus)があり、この課程において、神学生たちはアクィナスの神学大全 を教科書として、問題に最初から一つ一つ取り組む授業を望んでいた。実際、神学と離れ離れにされた哲学が現実に関する自然主義的な見方を彼らに与えるという事を懸念していた。
「2年間の哲学の授業は、まず自然的な真理を、次に初めて啓示を提示するという不都合がないだろうか?」
「何故なら、天主は、私たちが(聖寵によって)超自然の状態に上げられる事を望み給うたので、今や私たちには本性と聖寵とを分断することは出来ません。ただ単なる本性だけのものとして、誰一人これまで存在した事はなく、また今も存在していません。そのような人間は存在しないのです!アダムとエワは聖寵の状態に創造され、聖寵を受けなかった人々は欠如の状態にいるのです。ですから彼らはこの聖寵の欠如を感じているのです。何故なら、この本性は傷ついており、(人祖の犯した罪:原罪により)聖寵が剥されているゆえに、秩序を欠いているからです。よって、聖寵を所有しないか、所有しているかのどちらでもない人間の存在はあり得ないのです。従って、人は聖寵に関して無関係ではありえないのです。」
単なる自然の見地に立ってなされる現実に関する学問には、純推論的な思考か、この学問が提起する論理的かつ形而上学的な精妙さによって魅了されることへの喜びをもって生徒たちを誘惑する恐れが伴う。2年間の長き学年度中、天主を目指す人間の霊的な道のりとしての神学大全に含まれた、理性と信仰とのあの驚嘆すべき総合は神学生たちから奪われてしまう。神学校の教授らは、哲学と神学とは、各々が別々に備える2つの“光”つまり理性と信仰ゆえに、この二つは全く異なった学問であり、私たちは哲学というものを神学の道具かつ“下僕”として用いるためには、先ずそれを理解していなければならないと反対した。こうして大司教は教授陣の意見に譲歩し、従うことになった。
3名の最初の教師たちに加えて、例外的な資質を持った司祭たちがいち早く加えられた。
まず、フランソワ・オリヴィエ・デュビュイ神父がいた。彼は既婚の元プロテスタント牧師であり、シオンの神学校と「大聖ベルナルド修道会」(le Grand Saint-Bernard)の参事会員のマルティニの修学院で教授を務めていた。彼は、3年間、教父学と教会史を教えた。エコン以外の場所では、普段彼が新しいミサを捧げていることをルフェーブル大司教はご存知ではあったが、アダム司教とモンシニョール・ロヴェに助言を求めて後、彼の援助を要請するほど大司教の心は十分に広かった。
次に参事会員のルネ・ベルト(René Berthod)神父。彼はフリブール大学で倫理神学を教えるサンティアーゴ・ラミレス(Santiago Ramirez)神父の元教え子であった。彼はこの師匠と同様に、聖トマス・アクィナスに対して大いなる愛を抱いていた。
ベルト神父は、もともとエコンで「大聖ベルナルド修道会」の生徒たちに神学を教え、直ちにマルティニの参事会修学院校長になった司祭である。後日、彼はロザンヌの当参事会経営のシャンピテ中学校(le collège de Champittet)の素晴らしい校長となり、ようやくラン(Lens)にある参事会修道院長の職を辞したばかりであった。モンシニョール・ロヴェからの許可を受けて、彼はエコンで教える事に同意した。ベルト神父は“教導権の教え”の授業を初め、哲学(1971年-1972年度以降)や、倫理神学(1972年-1973年度以降)の講義を授けた。この倫理神学の講義中、聖トマスに忠実であると同時にとても実用的な、ドミニコ会士ドミニク・マリー・プリュマー(Dominique-M. Prümmer)神父が著した教科書を注解した。
さらに1972年学年度の初めに、エコンは全く予期していなかったドミニコ会士チェスラ・スピク(Ceslas Spicq)神父の援助を受けた。彼はフリブール大学の教授で、エコンでは新約聖書注解の講義を授けた。この博識で謙遜な修道士は3年間毎週水曜日にやって来ては、聖パウロ、聖ルカ、そして聖ヨハネによる著書の注解を行なった。その解釈は、破滅の道にある“新しい象徴主義的聖書注解”に真っ向から対立していた。さらに彼の完璧なギリシャ語の知識は、教父たちや聖トマスによる注解を疎かにすることなく、ある一節に含まれる文字通りの意味を保証した。彼は生徒たちに対し、ルフェーブル大司教がこの科目から最も期待していた、聖書への嗜みというものを提供する事に成功した。
一年後、スピク神父のフリブール大学における同僚トマス・メルル(Thomas Mehrle)神父は、木曜日の講義のためにエコンに来始めた。フリブール大学で行なっていた講義がボイコットされて彼は大学教授の座を失っていた。彼に異議を唱え、この失職の責任を負う学生たちは、トマス的観点から万事を判断する彼を非難したのだ。
「メルル教授は、思潮の新しい動向を完全に理解することなど出来なくなる程、正統性によってまったく融通が利かないほど閉じ込められている。」
「これは良い印だぞ!」 ルフェーブル大司教は密かにそう思った。この司祭はマミ司教とドミニコ会総長(the Master General)らによってエコンに行くよう励まされた。彼はルフェーブル大司教の招待を受け入れ、2年間、大司教の望みのように天使的博士の神学大全に基づいて、聖トマス思想のまさに精髄を示しながら、さらに、理に適って第二バチカン公会議が神学教授たちに要請した、適切で聖書に基づいた教導権の根拠と、その諸決定の他に、一つ一つの教義的問題に関する簡略な歴史的全体像を加味しながら教えていた。メルル神父は、非常に正確な優れた教師で、時折カール・ラーナーと“新しい神学”を批難するのをためらわなかった。しかしながら、神学生たちには余り嬉しくなかったことがある。それは“第二バチカン公会議にも幾つか正論が存在する” という事を証明するために、第二バチカン公会議の公文書から引用しなければならないと彼が感じた時である。
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
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1971年5月2日、ルフェーブル大司教はエコンで、そこに勤務する教授らの協力を得て、1972学年度から始まる哲学と神学科目の教育課程を決定した。
フランソワ・オリヴィエ・デュビュイ(François-Olivier Dubuis)神父は、神学校における勉強は7年間継続するべきであると考えた。しかしより現実的で、さらに司祭を供給するよう信徒たちから願いを受けていたルフェーブル大司教は、この教育課程を一年間の霊性学と、2年間の体系的哲学(論理学、形而上学の基礎論、霊魂論、形而上学、倫理学)、さらに2年間の神学から成る5年間と定めた。時間的には短いものであった。神学生たちは、聖書学や、教会論、さらに倫理神学であっても哲学と平行して勉強し始める事になっていたのも本当であった。しかしながら、2年間の神学には3年目が後で加えられるだろう。
聖書学、教会法、カトリック教会史、さらに典礼学などのような“専門的”科目の他に、ル・ロエレック(Le Rohellec)神父のかつての弟子である大司教は、哲学と神学との統一科目(cursus)があり、この課程において、神学生たちはアクィナスの神学大全 を教科書として、問題に最初から一つ一つ取り組む授業を望んでいた。実際、神学と離れ離れにされた哲学が現実に関する自然主義的な見方を彼らに与えるという事を懸念していた。
「2年間の哲学の授業は、まず自然的な真理を、次に初めて啓示を提示するという不都合がないだろうか?」
「何故なら、天主は、私たちが(聖寵によって)超自然の状態に上げられる事を望み給うたので、今や私たちには本性と聖寵とを分断することは出来ません。ただ単なる本性だけのものとして、誰一人これまで存在した事はなく、また今も存在していません。そのような人間は存在しないのです!アダムとエワは聖寵の状態に創造され、聖寵を受けなかった人々は欠如の状態にいるのです。ですから彼らはこの聖寵の欠如を感じているのです。何故なら、この本性は傷ついており、(人祖の犯した罪:原罪により)聖寵が剥されているゆえに、秩序を欠いているからです。よって、聖寵を所有しないか、所有しているかのどちらでもない人間の存在はあり得ないのです。従って、人は聖寵に関して無関係ではありえないのです。」
単なる自然の見地に立ってなされる現実に関する学問には、純推論的な思考か、この学問が提起する論理的かつ形而上学的な精妙さによって魅了されることへの喜びをもって生徒たちを誘惑する恐れが伴う。2年間の長き学年度中、天主を目指す人間の霊的な道のりとしての神学大全に含まれた、理性と信仰とのあの驚嘆すべき総合は神学生たちから奪われてしまう。神学校の教授らは、哲学と神学とは、各々が別々に備える2つの“光”つまり理性と信仰ゆえに、この二つは全く異なった学問であり、私たちは哲学というものを神学の道具かつ“下僕”として用いるためには、先ずそれを理解していなければならないと反対した。こうして大司教は教授陣の意見に譲歩し、従うことになった。
3名の最初の教師たちに加えて、例外的な資質を持った司祭たちがいち早く加えられた。
まず、フランソワ・オリヴィエ・デュビュイ神父がいた。彼は既婚の元プロテスタント牧師であり、シオンの神学校と「大聖ベルナルド修道会」(le Grand Saint-Bernard)の参事会員のマルティニの修学院で教授を務めていた。彼は、3年間、教父学と教会史を教えた。エコン以外の場所では、普段彼が新しいミサを捧げていることをルフェーブル大司教はご存知ではあったが、アダム司教とモンシニョール・ロヴェに助言を求めて後、彼の援助を要請するほど大司教の心は十分に広かった。
次に参事会員のルネ・ベルト(René Berthod)神父。彼はフリブール大学で倫理神学を教えるサンティアーゴ・ラミレス(Santiago Ramirez)神父の元教え子であった。彼はこの師匠と同様に、聖トマス・アクィナスに対して大いなる愛を抱いていた。
ベルト神父は、もともとエコンで「大聖ベルナルド修道会」の生徒たちに神学を教え、直ちにマルティニの参事会修学院校長になった司祭である。後日、彼はロザンヌの当参事会経営のシャンピテ中学校(le collège de Champittet)の素晴らしい校長となり、ようやくラン(Lens)にある参事会修道院長の職を辞したばかりであった。モンシニョール・ロヴェからの許可を受けて、彼はエコンで教える事に同意した。ベルト神父は“教導権の教え”の授業を初め、哲学(1971年-1972年度以降)や、倫理神学(1972年-1973年度以降)の講義を授けた。この倫理神学の講義中、聖トマスに忠実であると同時にとても実用的な、ドミニコ会士ドミニク・マリー・プリュマー(Dominique-M. Prümmer)神父が著した教科書を注解した。
さらに1972年学年度の初めに、エコンは全く予期していなかったドミニコ会士チェスラ・スピク(Ceslas Spicq)神父の援助を受けた。彼はフリブール大学の教授で、エコンでは新約聖書注解の講義を授けた。この博識で謙遜な修道士は3年間毎週水曜日にやって来ては、聖パウロ、聖ルカ、そして聖ヨハネによる著書の注解を行なった。その解釈は、破滅の道にある“新しい象徴主義的聖書注解”に真っ向から対立していた。さらに彼の完璧なギリシャ語の知識は、教父たちや聖トマスによる注解を疎かにすることなく、ある一節に含まれる文字通りの意味を保証した。彼は生徒たちに対し、ルフェーブル大司教がこの科目から最も期待していた、聖書への嗜みというものを提供する事に成功した。
一年後、スピク神父のフリブール大学における同僚トマス・メルル(Thomas Mehrle)神父は、木曜日の講義のためにエコンに来始めた。フリブール大学で行なっていた講義がボイコットされて彼は大学教授の座を失っていた。彼に異議を唱え、この失職の責任を負う学生たちは、トマス的観点から万事を判断する彼を非難したのだ。
「メルル教授は、思潮の新しい動向を完全に理解することなど出来なくなる程、正統性によってまったく融通が利かないほど閉じ込められている。」
「これは良い印だぞ!」 ルフェーブル大司教は密かにそう思った。この司祭はマミ司教とドミニコ会総長(the Master General)らによってエコンに行くよう励まされた。彼はルフェーブル大司教の招待を受け入れ、2年間、大司教の望みのように天使的博士の神学大全に基づいて、聖トマス思想のまさに精髄を示しながら、さらに、理に適って第二バチカン公会議が神学教授たちに要請した、適切で聖書に基づいた教導権の根拠と、その諸決定の他に、一つ一つの教義的問題に関する簡略な歴史的全体像を加味しながら教えていた。メルル神父は、非常に正確な優れた教師で、時折カール・ラーナーと“新しい神学”を批難するのをためらわなかった。しかしながら、神学生たちには余り嬉しくなかったことがある。それは“第二バチカン公会議にも幾つか正論が存在する” という事を証明するために、第二バチカン公会議の公文書から引用しなければならないと彼が感じた時である。
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