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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.7.1.アメリカがエコンへやって来る

2010年03月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅶ.召命における展開


アメリカがエコンへやって来る

 ルフェーブル大司教は、希望をもって召命の潜在的源泉としてアメリカ合衆国に眼差しを向けていた。近代主義による荒廃に直面して、アメリカにはカトリックの聖伝に基づいた強固な抵抗力があったからである。ゴマー・ド・ポー(Gommar De Pauw)神父主催のカソリック・トラディショナリスト・ムーヴメント(カトリック聖伝運動)や、フランシス・フェントン(Francis Fenton)神父によるオックスフォード・ローマン・カソリック・ムーヴメント、ジョゼフ・ジェドゥラ(Joseph Gedra)神父のトリエント・ラテン語ミサ委員会(Committee for Tridentine Latin Mass)などのような組織化された運動が存在した。多くの司祭たちは、例えば、ノースダコタ州、パワー・レイク(Power Lake)のフレデリック・ネルソン神父のように永遠のミサに忠実に留まった。他のカトリック信徒たちは特定の宗派に属さない反共産主義ジョン・バーチ協会(John Birch Society)に所属していた。これらの多様な組織にあるそれぞれ異なる傾向は、ルフェーブル大司教にとって初の新入生たちの中に反映されていた。

 合衆国においては、スイスの聖ピオ十世会の創立とその神学校についてすぐに知れ渡った。1970年12月29日、カリフォルニアの一人の若いカルメル会士ジョージ・ポストは、ルフェーブル大司教に手紙を書き送った。神学生として入学が許されたので、ポストは1971年秋、フリブールのヴィニェッタ通りの家に入学した。しかしながら、これより先の、1971年3月、大司教は合衆国の視察を行っていた。大司教はケンタッキー州のコヴィングトン(Covington)にいる友人、アカ-マン(Ackerman)司教の「聖ピオ十世神学校」 で教授を務めるラムゼイ(Ramsay )神父を通して、ニューヨークの3名の神学生、アンソニー・ワード(Anthony Ward)、ドナルド・サンボーン(Donald Sanborn)、そしてクラレンス・ケリー(Clarence Kelly)と面会した。

 3月18日、大司教はコヴィングトンから、友人で後援者でもあるジャン・ルコント将軍(General Jean Lecomte)に手紙を書いている。

「私は合衆国におります。それはアメリカから神学生がいちいちスイスに来させるのを避けるためです。ここで優れた召命を引き寄せる為にも、建物をもてればと考えております。」

 当分の間、この計画が延期されたので、3名のアメリカ人は1971年10月5日と6日にエコンで霊性学年度を開始した。

 ヨーロッパ人の神学生たちにとって、クラスメートであるアメリカ人の性格は新たな発見であった。彼らはレクリエーションや皿洗いの最中には非常にリラックスしていたのが、典礼法規に関しては驚くほど融通が利かなかった。先ず、彼らはエコンでのミサには、詩篇 Judica me (天主よ私を弁護し:階段祈祷詩篇42,1-5)と最後の聖福音が省略されていると的を射た非難をした。さらに会衆に向かって、書見台から朗読される書簡と聖福音についても同様の非難をした。1974年に、大司教は1960年度版典礼法規の厳密な順守に立ち返った。しかしそれは、神学校を卒業したら教皇ヨハネ二十三世以前の諸規定に従うつもりでいた彼らアメリカ人神学生たちのある者にとっては十分に納得のいくものではなかった。同じ神学生たちは、何故ルフェーブル大司教が新しいミサを無効であるとか、使徒座が空位である と判断しないのか理解に苦しんだ。

 物質的で技術的な手段を重視する自然主義的な日常生活と、観念主義ならびに形式主義に傾いた敬虔さとのコントラストから生じる典型的なアメリカ人特有な弱点の煽りを受けているこの若き聖職者たちが起こし得るもめ事をルフェーブル大司教はすでに予想していたに違いない。1974年、ミシガン州のアルマダ(Armada)に創立されてから、コネチカット州リッチフィールドに移転された後、ついにミネソタ州のウィノナに定着したアメリカの神学校は、厳密に言えば、本当に自然な自然村政と本当に超自然の聖寵との調和の取れた統合の達成を目的にしていた。それにもかかわらず、間もなくして聖ピオ十世会を去ったアンソニー・ワードと、ルフェーブル大司教と共に留まる為にルフェーブル大司教からはるかに距離を置いていたクラレンス・ケリーや、ドナルド・サンボーンの両神学生は、この理想の達成に一役買おうとはしなかった。この状況において、私たちはある若き英国人がもつ、あの整然とした知性と、決然とした不屈の堅忍が必要だった。



聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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