Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.7.5.地球の裏側で

2010年03月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
地球の裏側で

 しかし、ヨーロッパだけしか存在したなかったのだろうか! いや、大司教は幾つもの大洋を横断した。1971年3月14日、カナダのルージュモン(Rougemont)で、“ホワイト・ベレー”として俗に知られている聖ミカエルの巡礼者たちに講演を行い、“最も神聖なもの、そしてそのために司祭となった”正にそのミサが攻撃にさらされる時、“司祭たちが受ける苦しみはまさに精神的殉教である”と述べた。

 大司教はカトリック教会内の革命について聴衆に警告した。自分がした1955年のカナダ視察以来、カナダではどれだけの変革が起こったかを見て取ることが出来た。カトリック・カナダの偉大な価値観の一切が、いわゆる“静かな革命”によって損なわれてしまっていた。

 1972年夏、彼は新世界に再出発した。8月にルフェーブル大司教はアメリカ合衆国のパワー・レークに行った。そこでネルソン神父は、大司教が大草原の聖母(Our Lady of the Prairies)の至聖所に集った一千人の巡礼団のために司教ミサを司式するように取りはからった。さらにこの巡礼地で、8月28日、彼はポスト(Post)神父を叙階した。

 1973年の南半球の夏は、大司教をオーストラリアに連れて来る。そこでは、ラテン・マス・ソサイエティー連盟が彼を招き、メルボルンの聖体大会に招かれた。この大会に出席する唯一のフランス人司教という評価を得たので、彼はあるエキュメニカルな式典に参加しないかと招かれたが、その招待を断った。その代わりに、彼はジェームス・オピー(James Opie)神父のいる、アーマデール(Armadale)に留まり、そこから、この大会(この中で、聖書が聖体の代わりに顕示され行列が行われた)を同様に拒否した3名の司教たちを訪問に出かけた。彼が訪ねたのは、スタンドハスト(Standhurst)のベルナルド・スチゥアート(Bernard Stewart)司教、トゥーウーンバ(Toowoonba)のウィリアム・ブレナン司教、そしてジェラルトン(Geraldton)のフランシス・ゼイヴィアー・トマス(F.X.Thomas)司教であった。大司教は3回、荘厳司教ミサを捧げる事ができた。その内の1回は、スタンドハストの司教座聖堂で行われ、レデンプトール会(C.Ss.R.:Congregatio Sanctissimi Redemptoris)のカミンズ(Cummins)神父、カプチン会(O.F.M.Cap.)のカール・パルヴァーマッシャー(Carl Pulvermacher)神父が補佐を務めた。この二人の司祭らは、その後聖ピオ十世会を自らの使徒職を通して手伝うことになるだろう。

 信徒たちに対しては、大司教は次のような助言を呈している。
「妥協することなく信仰を守ってください。トレント公会議と聖ピオ十世による公教要理を読んでください。そして、トリエント・ミサを探してください。あるいは、少なくともラテン語で聖変化の言葉を唱える司祭を見つけ出してください。天主に信頼し、憤慨などしないでください。スイスの神学校で、私は聖伝の教導権と典礼に忠実な司祭たちを養成しているところです。さらに私は、修道女たちの為に修道会を創立しようと考えてもいます。」

 事実、大司教は若きジャニン・ワード(Janine Ward)に面会したばかりだった。彼女は、聖ピオ十世会の修道女会の創立における最初の志願者であった。

 また大司教は、オーストラリア人神学生第一号のジェラルド・ホーガン(Gerard Hogan)にも面会した。彼は1982年、聖ピオ十世会をオーストラリアにもたらすだろう。

 1973年10月、エコンで大司教は36名の新入神学生たちを迎え入れる。その中2名はフランス語圏のカナダ(ケベック)からであり、10名が英語を話す神学生らでその内2名はオーストラリア人であった。このオーストラリア人神学生たちが来て、神学校の神学生は95名になったのだ。

 1974年には、アメリカ合衆国で始まった聖ピオ十世会の神学校で学ぶ小人数のグループを除けば、神学生の数は104名となった。

大司教は心の中で考えた。
「聖ピオ十世会が国際的になり、大洋を横断する日が来る時、この仕事は正しく天主によって望まれたのだと私は悟るでしょう。」

 この事に関して、彼にはもはや疑う余地はなかった。すでに例年の叙階式が生み出す聖ピオ十世会会員司祭数は12名に達していた。

 さらに、幾人かの司教たちは、大司教に対して司祭らを送ってくれるように要求していたのだ。例えば、ヴィト・ロベルティ(Vito Roberti)司教は、イタリアのカゼルタ(Caserta)にある神学校に司祭数人を派遣することを頼んでいたし、アルゼンチンのアドルフォ・トルトロ(Adolfo Tortolo)司教は自分の神学校と、ある大きな小教区の司牧のために司祭たちを求めていた。またブラジルのシガウド(Sigaud)大司教は、司祭10名にもってこいの司牧の仕事を提供していた。アフリカはガボンのンドン(Ndong)司教は小神学校の運営を聖ピオ十世会の司祭たちに依頼した。しかし、これらの仕事の内、何一つも実現され得なかった。


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
========================

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します!
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】