Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在121470環のロザリオが集まりました

2010年03月29日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 第3回ロザリオの十字軍は終了しました。今回は私たちの呼びかけに答えてくださったまだお会いしたこともない愛する兄弟姉妹の皆様からもご報告をたくさん頂きました!本当にありがたいことです! 深く感謝しております。

 2010年3月29日現在の報告の総計は121470環です。念願の12万環に到達しました!天主様に感謝!101%の目標達成率です! 愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!

[Catholic Traditional Image (by Bellator Dei)]

【報告】
小野田神父様、

ロザリオの十字軍のお祈りは、少ないですが8環です。今は生活が苦しいせいか、正直に言うとこのお祈りは余り価値があるようには思えません。とはいえ、ロシアの奉献は教皇様の改心が必要であり、それが全世界のカトリック教徒の改心につながるので、その意味では重要であるといえるでしょう。

【お便り】
聖母の愛して居られますトマス小野田神父様
十主の平安
アヴェ・マリア  枝の主日の大祝日おめでとうございます!m(__)m(*^_^*)
12万環良かったですね。御恵みですね!本当に奇跡だと思います!
朝、ファチマ【仮名】さんから、神父様のブログ見た!?良かった!と、とても喜んでおられまして、・・・あ!12万環達成になったのだと分かりました。
涙が出ました、良かったです!素晴らしいです!
あとは、1200万環ですね!

2005年の神父様の十字架の道行御説教を、読みましたので、土曜日の退堂の聖歌、後の方、涙で歌えませんでした、本当に、酷い、惨い、大きな不正義、恐ろしい痛みを、私の為に!私の為に御忍び下さいましたのですねぇ。
もっと、何度も、御説教を、読み返しまして、黙想致します、深く御受難に入ります。

【報告】
神父様、私のロザリオ環数とは別に、以前私が習っていた先生にお願いしたところ、ロザリオ十字軍に参加なさってくれました。2ヶ月だけの間だったのですが、報告があったので神父様にお伝えします。
2月~3月25日までで159環です。
カウントよろしくお願い致します。

【報告】
+ J,M,J, Ave Maria ☆!

小野田神父様、枝の主日おめでとうございます。
日々、ブログを掲載くださいまして、ありがとうございます。
2005年の十字架の道行きのお説教を拝読しました。イエズス様の御受難の酷さに、涙がとまりません。と同時に聖母の御苦しみを思うと、心が張裂けそうです。

日本のロザリオ十字軍12万環達成!おめでとうございます!
多くの十字軍参加者をお与えくださった聖母マリア様に感謝いたします。
どうか全世界でも1200万環を達成していますように!

聖母の汚れなき御心の凱旋のために、ロザリオの十字軍の意向でつなたくも唱えましたロザリオの報告をいたします。
3月分として

テレジア ・・・125
マリア  ・・・123
マリア  ・・・88
マリア  ・・・40
マリアたち・・・133
ルルド  ・・・51
ファチマ ・・・213
パウロ  ・・・23(2月分)
合計=773です。
※パウロの3月分は急ぎ報告いたします。

ロザリオの聖母よ、来る聖木曜日に、教皇様が聖伝の御ミサを御捧げできますように教皇様をお護りください。
天主の御母なる聖母マリア様、小野田神父様のご健康・ご活動をお護りください。
悲しめる聖母よ、聖週間をイエズス様の御受難を思い、痛悔の心で過ごすことができますように、御恵みをお与えください。

【報告】
JMJ

 3/25日までの分、18環でした。
 神父様、一年間お疲れさまでした!!!!
 秋田でまた祈りのひとときをともに過ごせますことを楽しみにしております。




+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.8.1.聖ピオ十世会の修道女会

2010年03月29日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅷ.司祭職への奉仕者たち


聖ピオ十世会の修道女会

「大司教様、大司教様のシスターたちの会に私は入会することが出来ますか?」

 オーストラリア人女性が持つ飾り気のない信仰と、まじめな顔つきに、大司教は驚いた。ジャニン・ワードは未だ存在していない修道会に入りたかったのだ!「それは私の心の中には存在しています。」と大司教は言っているが、これはまた、紙面上にも存在していた。つまり聖ピオ十世司祭兄弟会会則は“天主が彼らを奮起させ誕生させる、聖ピオ十世会と提携した修道女たち(Ⅱ.4)”を予見していた。女子修道会に関する構想は、大司教の心のなかで徐々に明らかになった。1972年10月、彼は“友人と恩人の皆様への手紙 第3号(1972年11月1日発行)”において、「司祭職を補佐する修道女たちの為の、それ程遠くない修練院創立に対する希望」を控えめに発表した。

 しかし、如何にして彼はこの仕事に取り掛かったのだろうか?ルフェーブル大司教は、修道女共同体の創立は自分では無理だと思っていた。彼は直ちに、聖霊修道会所属で、ダカール近郊のステラ・マリス(海の星)宣教区で病人の看護に当たっている実の妹、マリー・ガブリエル女子修道院長(マザー・マリー・ガブリエル)に面会した。摂理的にも、彼女はスイスのモンタナで休暇を取っていたのだ。この妹は、1971年9月、既にエコンを訪問していた。次に1972年の夏、カナダ、ブラジル、セネガルに講演旅行に出かけていたエピネ神父がダカールに立ち寄った。

 マリー・ガブリエル修道女はエピネ神父に尋ねた:「一体何事でしょうか?私の兄は何をやらかしているのですか?彼について噂を耳にするのです!」

 この1973年、大司教は、将来の聖ピオ十世会の修道女会の修練院を指導しに来るために、今ある職務の義務から解放されることを求め、そしてそれ以上もそれ以下も彼女には求めなかった! この兄(ルフェーブル大司教)は後に言うだろう。

「私は頼み倒さなければなりませんでした。」

またマザー・マリー・ガブリエルもこう告白するだろう。

「第一歩を踏む出すのは大変辛いことでした。」

 しかし、次第に彼女は、兄の仕事の重要性を理解し始め、修道服や、聖伝による生活様式をかなぐり捨てている修道会において、ますます自分をよそ者であると感じるようになった。しかしながら、1959年から1965年まで聖霊司祭女子修道会の総長補佐であった彼女は、その後、ただ一介の修道女としてセネガルに派遣してもらえるよう要請していたのだが、依然として聖霊修道会に極めて強く愛着していた。ところが、彼女が長上からの一通の手紙を読んだ矢先、この共同体に戻れば、自分には本物の修道生活など送ることは出来ないだろうと悟り、会を去っても差し支えないと考えるようになった。彼女は、決して修道会を退会せず、宣教地の修道女としての白い修道服の着用も止めずに、先ずは6年間そしてその後は永久的に、修道院内に居住する義務から解かれた 。

 1973年秋になるや、彼女は最初の志願者2名を迎え、ポンカレックに連れて行った。そこは、協力を引き受けてくれた聖霊のドミニコ女子修道会が、彼女らに対して修練院入りに向けての準備をさせていた。マザー・マリー・ガブリエルが自由の身になるのを待つと共に、1974年9月に、アルバノの家の入居者受け入れ準備が整うまで、彼女たちはそこに留まった。クロード・ミシェル神父がアルバノの修道院長となり、一方のモラン(Molin)神父と、後から来るジョゼフ・ル・ブルク(Joseph Le Boulc’h)神父が、修道女の指導司祭となった。

 聖ピオ十世会創立者は、以下のように要約される修道女会の会則草案を既に書き上げていた。

「当修道女会は、聖ピオ十世司祭会に要請される任務一切において、聖ピオ十世会の司祭たちを支援する。ちょうどその同じ御受難(御憐れみ )によって、イエズスの御母が、霊魂の贖いのため十字架上で死にいくイエズスの司祭的御業に与ったように、聖ピオ十世会の修道女会はミサの犠牲と御聖体のいけにえに対して特別な信心を持ち、自らを共贖者なるマリアの現存と一致させる。それ故に、通常の信心業に加えて、彼女たちは、普通、一日の間に、御聖体の内におられるイエズスと共に、1時間或いは30分間を2回に分けた聖時間を過ごす。」

 大司教の主要な構想は、既に、自らアフリカにおいて賞賛していた愛徳姉妹会やマリアの宣教者フランシスコ修道会の持っていた精神を結合する事から生まれた。この内、前者は活動修道会であり、修道女たちは司祭たちに献身し、人々と一緒に快く働いている。それから後者の方は、償いの聖母の女子修道会がインドでの宣教に修道生活を適応させた際に誕生した修道会であり、一万二千人の修道女たちが属する若い会であった。この会は司祭たちへの献身と、特に毎日の一時間の念祷の時間に由来する、霊的かつ超自然的な強固さで名を馳せている。

 聖ピオ十世会の修道女会は、それ故に、観想と活動を一つにまとめ上げ、「彼女たちの内的生活は、絶えざる警戒と単純さの両面を実践させる。」

 彼女たちにとっての第一の目的は、霊的であること、つまり「憐れみの御母の似姿とその跡に倣い、天主なるいけにえと共に、自らを聖父に捧げる事 」である。

 さらに、彼女たちが二番目に目的とする事は、使徒的であること、つまり「司祭の使徒職を容易にし、補う」ことである。神学校や聖ピオ十世会修道院における“最も謙遜な仕事”、例えば洗濯、料理、掃除、庭仕事などに従事して司祭の仕事を容易にする、又、小学校で教えたり、貧しい人々を訪問したりすることにより、司祭の仕事を補うことである(III.B)。通信教育での公教要理は、後日完全に聖ピオ十世会の修道女会に与えられた使徒的召命と旨く合致した。

 教会法上では、聖ピオ十世会の修道女会は、単式の誓願(清貧、貞潔、従順―Ⅱ.7)の修道的共同体である。彼女たちは、独自の総長、修道院長、並びに修道院を所有しており、聖ピオ十世司祭会とは独立したものである。それにもかかわらず、当修道女会は、会員たちの霊的かつ教義的養成を聖ピオ十世司祭会に依頼するものとし、第一に聖ピオ十世司祭会をその職務において支援する(Ⅱ.10)。

 聖ピオ十世会の修道女会の初代会員たちが、ペトロの聖座を愛する事を学んだアルバノは、1977年、ローマ研修年度中の司祭らの為の本部となり、その後、1978年には、哲学修学院となった。修道女たちの修練院は、サン・ミシェル・アン・ブレン(Saint-Michel-en-Brenne)に移転し、後年、アメリカ合衆国や、アルゼンチン、そしてドイツにも修練院を持つことになる。第一回目の着衣式は、1974年9月22日にエコンで行われ、初誓願は、1976年9月29日、アルバノにて行われた。

 志願期の6ヵ月が終わると、志願者たちは二年間の修練院を過ごす。マザー・マリー・ガブリエルは、この2年間という修練期の長さは、長すぎはしないと考えた。

 修道女会最初の施設は、1977年6月、ジュネーヴ近郊のオネックス(Onex)にある「サレジオの聖フランシスコ修道院」近くに設立された。他にも、聖ピオ十世会女子修道院は、聖イグナチオの霊躁の黙想の家(1979年、ル・ポワンテ)や、神学校(アルゼンチンのラ・レハ)、さらに老人ホーム(フランスのル・ブレミアン)などの近隣に設置された。しばしば当修道女会は、聖ピオ十世会支部修道院経営の学校管理を担当している。

 マザー・マリー・ガブリエルは、規則正しさと祈り、寛大さと実用的な専門知識の模範であり、信仰の精神で生きた方である。自分に出来る事は全てやったと感じた彼女は、聖ピオ十世会の修道女会総長の職を77歳で引退したが、1987年1月26日に亡くなる日まで、喜びと単純さの模範を自分の娘たちに示し続けた。

 ルフェーブル大司教とマザー・マリー・ガブリエルという2名の創立者による会則に従って生活しながら、聖ピオ十世会の修道女会の規則正しさと、効果的でありながらも慎ましい支援は、司祭たちから感謝されている。聖櫃を前にした礼拝の祈りの数々は、隠された宝物である。

 ルフェーブル大司教は、彼女たちに書き送った。「私は、聖ピオ十世会聖化の為に、シスターたちが捧げて下さっている一時間の礼拝時間に重きを置いています。」



聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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