2017年11月4日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父 説教
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年11月4日、11月の初土曜日です。今日のこのミサの後に、いつものように公教要理の勉強があります。今回は公教要理の時間は少し短い予定ですが、13時頃まで予定しています、いらして下さい。
その後には15時からグレゴリオ聖歌の練習会があります。特に聖霊降臨後第23主日の固有文を一緒に歌う事ができるように、レネー神父様がいらした時にはこれをもう暗記して歌う事ができますように、あるいは鼻歌で歌う事ができますように。
この固有文は特に、復活祭が早くなった場合には、聖霊降臨後23週から最後の主日まで、何回も何回も毎年繰り返して歌われる非常に有名な曲です。どうぞこれを練習なさっていて下さい。
「時に、ふさわしい時に憐れみを受ける為に、主の憐れみの玉座に近付こう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、この今の世界は、戦争や、あるいはテロ、あるいはおかしな殺人事件などのニュースでいっぱいです。マリア様の、ファチマのマリア様の御言葉によると、「天主はこの地上に、私の汚れなき御心に対する信心を確立する事を望んでおられる。もしそうすれば多くの霊魂が救われ、この地上に平和が訪れるだろう。さもなければ多くの霊魂は失われ、地獄に失われ、この地上は地獄のようになるだろう。」地獄のようになるだろうとは仰いませんでしたが、「ロシアが戦争を挑発し、教会に対する迫害を挑発し、多くの義人は悪人と共に死んでしまうだろう。無くなってしまう国々もあるだろう」と仰いました。「しかし最後には、私の汚れなき御心が凱旋するだろう。」
ぜひ私たちはですから、もしもこの私たちの霊魂の救いの為にそれを望むならば、もしも世界の平和を望むならば、一番しなければならない事は、お恵みの玉座に行く事です。お恵みの蛇口を開いて、水をそこから得る事です。それ以外のところでいくら水を探しても、水は出てきません、平和は来ません。ジャシンタは死ぬ前にこう言っていました、「ルチア、全世界に天主様が汚れなき御心の信心を確立するという事を望んでいる事を言って下さい。汚れなき御心を愛するように言って下さい。そうすればこの世に平和が起こる。なぜかというと、天主はマリア様の汚れなき御心だけにこの平和の恵みを委ねたから。それ以外のところでは見つける事ができないから」と言って死んでいきました、それが死ぬ前の言葉でした。
ですから私たちも、汚れなき御心への信心をする事に致しましょう。今日は初土曜です。ですから初土の信心をなさって下さい。初土の信心は非常に簡単です、4つの事をしなければなりません、4つの事を5回します。「え?4つの事?」
はい。1つは初土曜日、月の最初の土曜日に告解をする事です。これを罪の償いの精神を持って、特に「マリア様の汚れなき御心に対する罪を償う」という精神を持って告解する事です。
第2は、「マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う」という意向を持って御聖体拝領をするという事です、非常に簡単です。月に1回。
あとの2つも非常に簡単です。「マリア様に対して犯される罪を償う」という意向を持ってロザリオを5連唱える事です。もう皆さんしました。一環唱える事です、5連唱える事です。
残る1つも簡単です。マリア様と共に15分間、ロザリオの15の玄義の内の何かを黙想する事です。15分間。なぜ15分間かというと、マリア様によれば、ロザリオには15玄義あるから15分です。これを今日、私たちはする事に致しましょう。特に今日は御告げの玄義を、第1玄義を黙想する事を提案します。
これを5回するのです。なぜ5回かというと、イエズス様の説明によれば、9回でも15回でも20回でもない、5回かというと、「なぜかというと、たくさん冷淡にやるよりも、少ない数を一生懸命やった方がいいから。なぜ5回かというと、それは5つの罪を償う為。1つは、『マリア様が汚れなき御宿りである、原罪の汚れなく御宿ったものであるという事を侮辱する、それに対する罪』第2は、『マリア様が終生童貞である事を否定する、その罪を償う為』第3は、『マリア様が天主の御母であり、私たちの母である事を侮辱する罪を償う為』第4は、『マリアに対する愛を、特に子供たちなどにおいて、マリア様に対する侮辱の種を蒔くような人たちの罪を償う為』最後に、『マリア様の御影、御像などに対して犯される罪を償う為』」です。
では今日は、第1玄義の御告げの玄義を黙想致しましょう。この玄義は本当に15分では足りないほどの玄義ですが、私たちはこれを、私たちが初土によく黙想する事ができるように、1ヶ月間黙想する事を提案します。でも今日この初土として、御告げの玄義を黙想する事を提案します。でもお好きな玄義を黙想なさって下さい。
マリア様は天使の御告げを受けました。一体どこで、どんな場所で御告げを受けたのでしょうか?
3人の子供たちは、遊んでいる時に3回天使の現れを見ました。光り輝く若い天使で、男性のようなクリスタルのような天使が現れました。神学者たちによると、「これは大天使聖ミカエル、ポルトガルの守護の天使、平和の天使であった」と言います。
マリア様の場合には、大天使聖カブリエルが現れました。神学者、特に聖トマス・アクイナスによると、大天使聖ガブリエルは、大天使の中でも最高の、最も地位のある天使で、「天主の力」という意味の天使でした。
マリア様がその現れを受けた時には、どこにいらしたのでしょうか?
伝統によると、マリア様はナザレトのご自宅で、小さな単純な謙遜な貧しい家で、お祈りをしていた時に御出現を受けたと言います。マリア様の家をご覧になって下さい。単純な非常に質素な家でした。マリア様はダヴィドの王家の子孫でした。しかし王としての特権は全て失われていました。地上的な特権は失われていました。財産もこの世的なものは失われれていました。マリア様の歳は、15歳とか16歳ぐらいだっただろうと言われています。すでに聖ヨゼフと婚約をしていました。同居はまだしていませんでしたが、しかし婚姻をしていました。
マリア様はどのようなお祈りをしていた事でしょうか?
特にマリア様は、無原罪の御宿りであり、上智の座であり、預言者の元后でもありましたから、聖書の預言の事をよく深く理解していました、「すでにメシアがこの地上に来られる時が来た。イザヤの預言によれば70周年がすでに来ている。一体どのような、特に多くの女性の中から選ばれたその女性というのは一体どのような御方なのだろうか?ぜひそのメシアの母となる方に自分の奉仕を捧げたい。自分はそのような資格がないかもしれないけれども、しかしそのメシアの母となる方はおそらく苦しみ、この世の罪を償うメシアの母となる方なので、悲しみの御母となるだろう。その御母をお慰めする方になりたい。何とかしてその選ばれた、エヴァに対して『蛇をかかとで踏む』と言われた方のその婢女として奉仕をしたい。そうする事ができるだろうか。その為にもしも私でよかったならば、主よ、私をお使い下さい。主の道具として私ができる事は一体何でしょうか?何がお望みでしょうか?メシアの為に、この世の救いの為に、その選ばれた方の為に何かできる事があれば、もしも私で良ければ」と一生懸命お祈りなさっていたかもしれません、「早く救い主が来ますように。」
マリア様は非常にご謙遜な方でしたので、まさか自分がその女性の中から、多くの女性の中から選ばれたそのかのメシアの救い主の母となる方であるとは想像も思いもしていなかったでしょう。しかし時が来るという事は知っていました、「もうメシアはすぐ近くに待っている」と。
あるその時に、光り輝く、非常に美しい神秘的な天使が現れて、夢の中ではなく現実に目に見える形で現れました。天主が、目に見えない天主が人となる、肉を取って人となるという事を告げるのですから、目に見えない天使が、「確かにこれは本当だ」と目に見える形で現れて、非常にふさわしい事でした。聖ヨゼフに対しては夢の中で天使は御告げをしましたが、マリア様は、この偉大な神秘を、たしかに本物である事を確実に教える為に、目に見える形で現れました。
もはやマリア様はその選ばれた、女性の内から選ばれた女性を奉仕するその方ではなく、まさにマリア様、あなたこそその選ばれた方となるべきなのです、「聖寵充ち満てる方よ、御身にあいさつ申し上げます」と大天使ガブリエルは言いました。
マリア様は聖寵に満たされた御方でした。すでに聖寵の充ち満ちを受ける方であって、聖人たちの話によれば、その最初の無原罪の御宿りの瞬間から、急速にものすごい速度でその聖寵の充ち満ちを受けて、聖寵においてますます発展していました。その時に突然、天使のあいさつを受けたのでした、「めでたし、聖寵充ち満てるマリア。」
マリア様がこのようなあいさつを受けたのは非常にふさわしい事でした。なぜかというと、マリア様が今から受ける、今から言う事は、かつてない非常に大切な事である、という事をマリア様が注意を引かせる為のものでした。普通ではもしかしたらマリア様は、天使の出現を過去受けていたかもしれません。しかしこの特別なあいさつにマリア様は、「一体これは何の事だろう」と不思議に思いました。マリア様は「一体これはどのような事だろう」と困惑しました。すると天使は言います、「恐れるなマリアよ、恐れるな。」天使は知っていました、マリア様が御謙遜の為に、この挨拶に対して「一体何の事だろう」と思っていたという事を。
天使はマリア様に説明します、マリア様のその混乱はまず謙遜の為、次に童貞を守ろうとしていた為だ、と知っていました。そこで天使は説明します、「確かに天主はマリア様を選んで、そして主は御身と共に在す。そして御身は全ての女性の内から選ばれた者となる。それは天主がお選びになった事である。」でもマリア様は、なぜ自分を天主が、このような重要でもないこんな隠れた、こんなに小さな、こんなに何もする事ができないような乙女を選んだのだろうか。そしてその事をきっと困惑していたに違いない、と天使は知っていました。
そこで天使は言います、「聖霊の力が、聖霊があなたの上にやって来るのです」と。“Spiritus Sanctus superveniet in te.” そして「マリア様がもしも身籠もるのは、これは聖霊の力によるものであって、全て天主の御力によるものである」という事を説明します。マリア様はもちろん契約にサインする前に、一体その契約の内容がどのようなものがあるかを知らなければなりませんでした。特別の照らしを受けていたはずです、「救い主の母となる為には、約束されたメシアの母というのは、苦しみの母とならなければならない」という事を。「栄光とか栄光の母親とか、あるいは征服者の王の輝く、この世的な権勢のある王の母ではなく、辱しめを受ける、嘲笑の茨の冠を被せられるような王の母とならなければならない」という事を知っていました。
そこでマリア様はその時に答えます、「主の婢女はここにおります。我、主の婢女なり。“Ecce ancilla Domini.”御身の言葉の通りに我になりますように。“Fiat”私はそれを受け入れます、それに同意します。どのような苦しみであれ、どのような辱しめであれ、どのようなものであれ、全て主の御旨のままになりますように。」
この地上において、この被造物の世界において、天主の力が現れて決定的に大変化を起こした瞬間が2つ、2回あります。
1つは創造の時でした。被造物が無から何もなかったのに有るようになった、その創造の時でした。私たちがこの被造の世界が創られて、有り始めた時でした。
もう1つは、マリア様が「“Fiat.”同意します」と言った時でした。これはあたかもマリア様が全人類を代表して、「天主の本性と人間の本性が1つとなるという事に同意します。」あたかも「神秘的な婚姻に同意します」と言ったかのように、「プロポーズに同意します」と言ったかのように、マリア様が「我になれかし」と言った時でした。その時に、創られない天主が、創られたものと結合しました。永遠の無限の天主の御一人子が、限られた被造の人間となられたのでした。この時、この瞬間に、人間は人間の本性は、天主の本性と合体しました、イエズス・キリストのペルソナにおいて。そしてこの天主にとっては全く変化のなかったものですが、私たちの人間にとっては大変化が起きました。これは、無から有るに変わったよりも、更に大きな変化でした。
なぜかというと、無から有るに変わった時には、それでも有限の変化でした。限りのある変化でした。しかし限りの有るが、無限の創られない方の本性と一致したという事は、人間にとってこれはとてつもない変化であったからです。
このマリア様が「はい」と仰った時に、すでに確かに聖寵の充ち満ちの溢れを受けたマリア様でありましたけれども、かつて無かったほどの比較する事のできない、言葉で言う事ができないとてつもないお恵みを、聖霊のお恵みがマリア様に注がれました。聖霊がマリア様を包み、そして天主の御子が人となり給うたのでした。
イエズス様がイエズス様の聖心が聖父に従順であり、この「人間となろう」としたその目的は、人間の救いの為でした。この人間の救いの為に、天主の御言葉が人となる事ができる為には、マリア様のこの「我になれかし」が必要でした。マリア様がもしもこれを「同意します」と言わなければ、マリア様の苦しみも、イエズス様の苦しみも無かったかもしれませんが、人類は救われる事がありませんでした。
マリア様はイエズス様の母、天主の御母となる事によって、同時にイエズス・キリストの神秘体の母ともなりました。聖ルイ・マリ・グリニョン・ド・モンフォールによると、「もしも誰かが、頭だけ生んで体を生まないとしたら、これは怪物だ。マリア様は怪物ではない。マリア様はイエズス様、キリストの神秘体の頭であるイエズス様の母となったその瞬間、全ての贖われる人々の母となった、霊的母となった」と言いました。
マリア様の「はい。私はどのような事でも、主の御旨のままに私になりますように」と言ったその同意の為に、イエズス・キリストは私たちと同じ肉を取って救い主となる事ができました。このマリア様の御告げに、この「はい」に、どれほど感謝しなければならないでしょうか。
どうぞ今日は、このマリア様の御告げの中に深く入って下さい。もしも私たちの目の前に天使が現れて私たちに、「主の御旨はこうである」と告げたら、私たちは一体どのような行動を取るべきでしょうか?
「え、天使さん、ちょっと待って下さい。私はそうするよりも、もっとこのこれをしていたのです。これの方が面白い、おかしい、このインターネットをもっと見ていた方が良い、Youtubeをもっと見た方が面白い。」
あるいは「今は、今はできない。」
マリア様はすぐに仰いました、「主の婢女はここにおります。仰せの如く我になれかし」と。
マリア様の汚れなき御心の中に今日は深く入って、罪の償いの為に、イエズス様を愛する為に、罪人の回心の為に、世界の平和の為に、マリア様に対して犯される罪を償う為に、教皇様の為に、この初土の信心を行う事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。