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邪悪なダ・ヴィンチ・コードはカトリック信仰に対立する

2006年05月16日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

邪悪なダ・ヴィンチ・コードは

カトリック信仰に対立する

歴史に見せかけたカトリック信仰への攻撃

「無知は私たちの最悪の敵である」(聖ピオ十世教皇)


スタイル


 ストーリーは平凡なフィクションとされる。しかし作者は、実際の出来事、実在の人物、実在の場所などを織り込ませながら、少しずつ事実であるかのように提示している。フィクションと実在を巧妙に混ぜ合わせ混乱を引き起こさせることにより、最後には反キリスト教の宣伝となっている。

「私の本の中で、私は数世紀の間ひそひそと語られていた秘密を明らかにする。私がそれを発明したのではない。この秘密が成功したスリル小説の中で、初めて暴かれた。私はダ・ヴィンチ・コードが読者に考察の新しい軸を与えることを心から期待している。」(ダン・ブラウンのサイトhttp://www.danbrown.comより)


 この道具として使われている曖昧さは真理と誤謬を超えて、善と悪を超えて「考察の新しい軸」を提示しようともくろんでいる。それはキリストに対する憎しみである。キリスト教とカトリック教会に対する憎しみだ。


歴史的・文化的な文脈


 この邪悪なおとぎ話は、歴史的事実に関する無知、宗教に関する無知、福音書に関する無理解を良いことに、多くの人にアピールすることができた。第二バチカン公会議はカトリック教会の聖伝と歴史との断絶をもたらした。多くの司教、司祭、平信徒らは、教会の過去と切り離され、根無しにされ、混乱の中に放り込まれている。ちょうどその時、作者は、証拠もなく歴史上の実在の場所や人物を歪曲し、似非科学的やり方で話を作り上げた。子供じみた秘教的なグノーシス伝説で話を丸め込み、無知な人々に付け入る。ダ・ヴィンチ・コードは、何も知らない多くの人々に、多くの誤解と偏見と不信を送りつけている。


詐欺の言葉づかい


 前書きから「ここで取り上げられた遺跡、美術品、公文書、秘密儀式のすべての描写は、証明されている」と著者は読者を騙している。


 ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」にある聖ヨハネは、実はマグダラのマリアであると言う。これには根拠がない。何故なら西洋絵画の全伝統は、キリストの右に聖ヨハネを描きつづけていたからだ。ブラウンによるとキリストの前にはカリスが無い。何故ならマグダラのマリアが「聖杯」だからだ、と言う。しかしダ・ヴィンチは、御聖体の制定の前の様子を描いたのであり、だからキリストはユダの裏切りを予告しているのだ。従って、聖杯はこの時には必要ではなかったのだ。


 シオンの修道院とは「一〇九九年に創立されたヨーロッパ秘密結社の一つで、実在の組織である。一九七五年、パリ国立図書館は秘密文書の名前で知られる羊皮紙を発見し、シオン修道院に所属する数名の会員の名前が分かった。その中にはアイザック・ニュートン、ボッティチェリ、ヴィクトル・ユーゴー、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの名前がある。」しかしこの名前の団体は、ドルイド教の僧、反ユダヤ主義者のペテン師ピエール・プランタール(Pierre Plantard)「尊師」によって一九五六年に作られた協会でしかなく、それ以前に存在していたものではない。神話を作り上げるためにピエール・プランタールは一九六七年に偽物の文書を偽造しそれを国立図書館に置かせた、と言うのが事実だ。


 パリにあるサン・スルピス教会は「シオン修道会」と全く関係がない。秘教的なものも異教的な要素もない。ブラウンは読者が素直に信じることをいいことに、フィクションと現実とを混ぜ合わせて全くデタラメを書き連ねる。

 サン・スルピス教会にあるオベリスクと真鍮の帯は、秘密の跡でも何でもなく、一八世紀の科学道具の一部だった。ステンドグラスの真ん中にある P と S の文字は、「シオン修道院」(Prieure de Sion)の頭文字ではない。この教会の聖なる保護聖人の聖ペトロと聖スルピスの頭文字だ。

 パリの子午線は、ブラウンが自分の説のために使っているが、ダ・ヴィンチ・コードが言うようにルーブルを通っているのではない。サン・スルピス教会も通っていない。ブラウンの限界は明らかだ。

 ダ・ヴィンチ・コードによると、ティービングはアラマイ語の伴侶とは「妻」という意味だ、と断言する。しかし実際の文書はアラマイ語ではなくコプト語で書かれている。コプト語の伴侶に当たる言葉はギリシア語からの借用語であり「霊的な姉妹」を意味すると思われる。「妻」ということを言うのなら「ギュネー」という言葉を使っていただろう。

目的


 ダ・ヴィンチ・コードがインスピレーションを受けたのは、最近のグノーシス、秘教、フェミニズム、ニューエイジ、カバラ降神術だ。いにしえの反キリスト教的なおとぎ話、偽伝書、異教のデタラメを盛り込んで、悪意を持ってキリスト教を攻撃する。ダ・ヴィンチ・コードは、カトリック教会が歴史を歪曲したと告発し、「真のキリスト」に関する文書をなきものとしたと非難する。ダ・ヴィンチ・コードの究極の目的は、キリスト教信者の滅びであり、信仰の喪失であり、カトリック教の崩壊である。

 ブラウンは言う。「イエズスに関して、カトリック教会が私たちに教えたことの大部分は、そして私たちに今でも教え続けていることは、全く単純に間違っている。」(ダ・ヴィンチ・コード) 彼は数世紀にわたって新興宗教やセクトらが、最近ではエホバの証人とかイスラムとかが、たどたどしく繰り返す文句をまた歌い始めている。事実の「新しい見方」を促進するためにカトリック教会の信用を失墜させようとしている。


 この「歴史小説」の目的は、私たちの主イエズス・キリスト、人となった天主の御言葉に関する神学を根本的に攻撃することだ。ダ・ヴィンチ・コードの攻撃の中心は、本質的に私たちの主イエズス・キリストその人にある。この本によれば、キリストは確かに偉大な人物、大預言者ではあったが、天主ではなかった。キリストの第一の弟子はマグダラのマリアであり、彼女と結婚したことになっている。マグダラのマリアの胎は「聖なる杯」であり結婚の実りである娘サラを身ごもった。フランスの王たちはこの子孫である。


キリストの独身の事実

 ブラウンはキリストの独身の事実を否定する。彼は三〇歳にもなるユダヤ人であれば普通に結婚していたはずだ、ユダヤ教世界においては独身というのは殆ど存在していないことが確かに証明されている、と言う。しかしもしもブラウンの言うようにキリストが少なくとも偉大な預言者であったとしたら、旧約の預言者のように終生の貞潔を守るべきではないだろうか。キリストの先駆者、洗者聖ヨハネも童貞であった。ユダヤ教世界に独身が無かったなどというのは虚言である。

キリストとマグダラのマリアと「結婚」


 キリストとマグダラのマリアと結婚が、「文書による証拠」で書かれたとうそぶくこの小説で想像されている。この「結婚」は、本質的にすべての人間関係を性愛の観点しかものを見ることの出来ない貧弱な現代の傾向から出たものだ。現代のメンタリティーは、天主の聖寵によってキリスト教的な貞潔を守るなどということを受けいれることが出来ないからだ。だから現代社会は司祭の独身制、修道誓願について攻撃をかけている。


 偽伝の「フィリッポの福音」と言われるグノーシスの本によると、グノーシス共同体に置いては口による接吻が行われていたらしい。この接吻ということは、新しいメンバーに霊を伝えるという象徴的な意味があったようだ。古代キリスト教では接吻に霊的な意味があったのであり何ら性的な意味を持っていたのではなかった。ローマ人への書簡(一六:一六)の中で聖パウロも口づけについて話をしている。マグダラのマリアがキリストの御足に接吻をした、これだけをもって二人が結婚していたという証拠にはならない。メシアの来る前の旧約時代に、ヤーウェがイスラエルの花婿であったように、キリストはその教会の花婿である。教会こそがキリストの唯一の花嫁である。



 ダ・ヴィンチ・コードによるとカトリック教会において女性は軽蔑されているとされる。ブラウンはキリストは本当はマグダラのマリアを教会の頭としたかったと暗示させている。しかし使徒たちが陰謀をたくらみ、マグダラのマリアの地位を横取りしてしまった、と言うことになっている。だからカトリック教会は、女性を蔑視しているという。


 しかし、原罪の汚れなく宿り給うた天主の御母聖マリア、そして罪を痛悔したマグダラのマリア、そしてその他の多くの女性の聖人たちは、カトリック信仰の中心にいつも存在している。たしかにプロテスタントは女性の神秘を自分たちの宗教から追放してしまった。しかし、カトリック教会は、全人類史において、男女両性の等しい尊厳を認め、教え、確立させた最初の団体である。カトリック教会の指導において、キリスト教文明は古代の異教的習慣と隷属状態から女性を解放した。


 これを書くのに、
Da Vinci Code contre foi catholique
par Abbe Marc Vernoy, fsspx
を参照にした。

 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。


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<<ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい!>>

2006年05月15日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

<<ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい!>>



 アリンゼ枢機卿はキリスト者らに、ダ・ヴィンチ・コードに反対して行動を起こさなければならない、と要請した。


 報道によればアリンゼ枢機卿は「キリスト者は、椅子に座って何もせずに「赦し忘れる」だけで充分だとは言ってはならない。政治的な行動を取ることも時には私たちの義務である」と言った。


「キリストを冒涜し、それをよしとする人々は、キリスト者が自分たちを侮辱する人々を赦し愛するということを乱用している。」

http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4750283.stm
http://www.sabcnews.com/world/europe/0,2172,126503,00.html



 私たちは、私たちの救いのために生まれ十字架につけられた天主を冒涜するのを黙って見ているわけにはいかない。


 これはあまりにも重大な問題だ。かつてそのような映画が日本で世界で作られたし、これからも創られ続けるかもしれない。もうたくさんだ。


 もはや、黙っていることは私たちにとって許されない。この種のジョークや笑い話はもうたくさんだ。まことしやかに語られる嘘はもうこりごりだ。この種の邪悪な反キリストの映画について、私たちも声を挙げなければならない。



 この冒涜は全世界であまりにも宣伝され注目を浴びた。ここで私たちの主イエズス・キリストが冒涜されて、黙っているのは正義が許さないだろう。私たちカトリックは、この本を拒否しなければならない。


  何故なら、ダ・ヴィンチ・コードにおいては
  私たちの主イエズス・キリストが天主ではないからだ。
  イエズス・キリストは単なる人間にすぎないからだ。



 このフィクションによれば、イエズス・キリストは、ダヴィドの王家の極めて優れた男であるが、天主ではない、マグダラのマリアと結婚しこの地上の王座とソロモン王のように、王家の血統を残したいと考えた、キリストが十字架につけられた後、妊娠していたマグダラのマリアはフランスに逃げ、キリストの子孫はメロヴィング朝王家の元となった、この血統は今日でも続いているが、敵から隠されていなければならない、その敵とは男性支配社会のカトリック教会である、カトリック教会は権力を握り続けるために嘘の歴史を作り上げた、云々。全く荒唐無稽な話だ。

 


ダ・ヴィンチ・コードは、冒涜とデタラメの極みだ



 ダン・ブラウンによると、マグダラのマリアが中世に何故人々があれほど「聖なる杯」を求めていたかを理解する鍵となる、何故なら「聖なる杯」とは2000年前にキリストが最後の晩餐で最初のミサ聖祭を捧げたその物質的なカリスではなく、キリストの王家の血統のことだ、ということになっているからだ。マグダラのマリアがキリストの血統を運ぶカリス(杯)である、というのだ。


 ダン・ブラウンの想像によると、カリス(杯)というのは、古代において女性のシンボルだったと主張する。ブラウンによると聖杯は、神聖な女性のシンボル、フェミニズムのシンボル、となる。ブラウンはそこで中世の教会がマグダラのマリアを売春婦と「見なした」とする。それはキリストが元来望んだ地位に女性がつくことを防ぐためであった、とする。


 ブラウンによると、マグダラのマリアを頭とする平等な教会をキリストは望んでいた、ことになっている。何故ならマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であるからだ。ブラウンがこれによって何を言わんとしていたのか私たちには分からない。彼はそれを説明しようともしないからだ。ただコンスタンティン皇帝によって公認されたカトリック教会は「女性を従属させ、女神を追放し、不信者を焚刑にし、異教を禁止した」ということで間接的に「女性の原理」を描写するだけだ。


 まったく歴史的な証拠もなく、読者はそのような「歴史の秘密」を聞かされ、それを信じるように期待されている。歴史はカトリック教会の「陰謀」だった。マグダラのマリアの血統を隠しつづけようという陰謀だった、という「秘密」だ。ブラウンはマグダラのマリアの血統がシオンの修道院(1099年創立)の秘密兄弟会によって数世紀にわたって守られてきたとフィクションする。


 ファンタジーは続く。このシオン修道院は、神殿騎士会(the Order of the Knights Templar)を成立させた秘密結社であり、創立の最初の九名の騎士はキリストとマグダラのマリアとの血統に関する秘密文書を密かに入手することが出来た(!)、そしてこの秘密文書はエルサレムのソロモンの神殿に隠されていた(もうめちゃくちゃ!)、そこで神殿騎士会がそこを本部とした。中世の十字軍の理想も、じつは神殿騎士会の目的を遂行させるためのカバーアップだった(!)、とされる。



 神殿騎士会については、多くの学術論文や研究書がある。中には極めて批判的で否定的な著者も存在している。しかしこの騎士会がマグダラのマリアの骨と「王家の血筋」を守るために創立された、などというのは全くの空想でありおとぎ話、荒唐無稽なデマに過ぎない。ブラウンは、しかし、今まで隠されていたマグダラのマリアの「遺物」がパリのルーブル博物館の大ピラミッドの下に隠されている(!)と言う。(あまりにもくだらない)


 もしも本物の聖女マグダラのマリアの聖遺物を崇敬したいのなら、フランスのヴェズレー(Vezelay)というところにある修道院とバジリカに存在している。マグダラのマリアは、私たちの主イエズス・キリストの御復活の後、ユダヤ人達の迫害があまりにも厳しく、ガリア(フランス)のマッシリア(マルセイユ)に逃れてきた。聖女はマルセイユの近くのサント・ボームという洞窟で苦行の生活をして一生を終えた。彼女の聖遺物は、ヴェズレーにある聖女に捧げられた大聖堂に運ばれ、そこで彼女の取り次ぎにより、多くの奇蹟がおこった。中世の間、有名な巡礼地となった。

 


ダ・ヴィンチ・コードは、ここがおかしい!


 ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか内容が自己矛盾している。



 ブラウンはマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であると主張するが、何故、神聖な(divine)存在になり、女神(goddness)となったか、というとその理由は自分の胎内にイエズス・キリストの種を運んだからだ、と言うことになっている。しかしブラウン自身はイエズス・キリストが天主であることを否定している。もしイエズス・キリストが神でないなら、何故マグダラのマリアが女神(goddness)となることができるのか?


 もしもキリストのおかげでマグダラのマリアが神となったなら、イエズス・キリストも神なのではないか??

 


ダ・ヴィンチ・コードは、ここがデタラメ!



 ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか基本的歴史的事実に反している。

 ダン・ブラウンは今までの過去の歴史はすべてが「勝利者」によって書かれているので、覇権的・特権的・男性的利益の観点から書かれている、従って、全歴史を見直す必要があると主張する。「歴史家」が自分の望むようなことを除いて、すべての現実を否定し、すべての歴史を書き換える、これが彼の立場だ。ブラウンは事実や真理は存在しない、と言う。だから事実や真理に基づく歴史は存在しないと言う。


 ブラウンの愚かさは、例えば西暦三二五年に開催されたニケア公会議が、イエズス・キリストを「単なる人間」から「天主の聖子」と変えたと主張することだ。これなどは、それ以前は、イエズス・キリストを天主であると考えていた人はいないかのような主張だ。ブラウンは、それ以前の三世紀の間、イエズス・キリストのみが天主であると宣言し恐るべき迫害で殉教していった数百万のキリスト者たちの流した血を全く無視している。


 ニケア公会議以前、初代教会の教父たちは、イエズス・キリストが天主であることをくり返しくり返し説いていた。アレクサンドリアの聖クレメンテは一九〇年にこう書いている。
「キリストのみが、同時に天主であり人間である。そしてキリストは私たちのすべての良きものの源である。」


 ニケア公会議はローマ皇帝によって招集されたかもしれないが、約二五〇名の司教らがそれを指導した。そしてキリストの天主性を否定したアリウスを排斥・断罪した。ブラウンはアリウスは賛否両論で票が割れたと主張するが、事実はアリウスを支持して投票した司教は二名だけだった。これが歴史的事実だ。ブラウンが捏造することとは全然違っている。



 ブラウンは、イエズス・キリストとマグダラのマリアとの結婚と平等主義の教会について、グノーシスの福音に基づく、と主張している。ブラウンによれば、キリスト教とはグノーシス教会の腐敗変形したもの(!)で、元来のグノーシス教会では女性神を礼拝していた。彼は、本当に言いたい放題! まずあたかもグノーシスが統一教義を持っていたかのようにブラウンは考えている。これは歴史的事実に全く反している。


 グノーシスは、極めて多種多様で数多い汎神論的なセクト・カルトで、キリスト教以前に栄えていたが、紀元後三世紀に復活しだして現代に至っている。グノーシスは基本的に、物質が霊を悪くさせるもの、物質=悪、霊=善、と考える。そして全宇宙は神が物質により悪化したもの、と考える。


 グノーシスの「福音」には色々あるが「フィリッポの福音」によれば「この世は罪によって存在し始めた」とある。グノーシスは物質の悪を克服して、霊に戻ることがすべての存在の目的であると説く。中には女性神として「母」や「智恵(ソフィア)」と呼ばれる原理を説くものがある。しかしそれらは、グノーシスの一部だ。ブラウンの主張は、グノーシスがすべて女性神を礼拝すると主張する点で、グノーシスを歪曲している。



 聖書学者はこの点で一致しているが、グノーシスの「福音」と呼ばれるものは、キリスト者の信仰を反映するものでは全くなかった。グノーシスの書物はキリスト者によって、廃棄され、無視されていた。最近になって発見された「福音」と言われるものは、皆、古代のゴミ捨て場から出てきたものだ。


 フェミニズムの先頭を行く「神学者」と言われるような人々やシスターも、キリストとマグダラのマリアとの結婚やグノーシスの福音について歴史的信憑性は全くないと主張している。


 私たちが今もっている四福音書は正真正銘の歴史であると、教会教父らによって既に二世紀には証明されている。(もしも、それに少しでも虚偽があったら、ユダヤ人達はそれみよがしに、それを指摘して突っ込んでいただろう。しかし彼らはそれが出来なかった。)
Carl Olson and Sandra Miesel, The Da Vinci Hoax (San Francisco: Ignatius Press, 2004)


 従って、ブラウンの主張は全く根拠がない。



 これを書くのに
 The Da Vinci Code: Blasphemous Thesis and Bad History
 by Marian T. Horvat, Ph.D.
 published by Tradition in Aciton, Inc.
 を参照にした。

 

 

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2006年2月19日アメリカで、聖ピオ十世会総長のベルナール・フェレー司教様が行った講演

2006年05月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!

フェレー司教様の講演


 DICI(http://www.dici.org/accueil.php
から出ているChristendom 誌3号http://www.dici.org/dl/fichiers/Christendom_3.pdfに掲載のRome and the Society of Saint Pius X,
the principles of our activity(ローマと聖ピオ十世会、私たちの活動の原理)という記事。


 2006年2月19日、コロラド州デンヴァーの聖イシドルス教会で、聖ピオ十世会総長のベルナール・フェレー司教様が行った講演。

約7MBの WMA (Windows Media Audio format) ファイルに変換し、インターネット上にアップロードしてものは次にある。
http://www.ernestschaffer.com/H.E_Bishop_Fellay_021906.wma

フェレー司教様の講演がテキスト化されたもの。
http://www.sspx-denver.com/text.htm



 これらを見ると、聖ピオ十世会の行動原理が何かまず最初に説明されている。



 それは、天主の御助けにより、私たちがカトリックとして留まりたい、カトリック信者たりたい、ということだ。


 では、カトリック信者である、とはどういうことだろうか? カトリック信者であるためには、何が必要だろうか。


 それはクレドだ。使徒信経だ。アタナシオ信経にはこうある。

救われんと欲するものは、誰といえども、まづカトリック信仰を擁せねばならぬ。この信仰を完璧に且つ欠くことなく守りし者でなくんば、誰といえど、疑うことなく永遠に滅びるべし。
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila154.html



 信仰とは、主観的なフィーリングではない。客観的な真理だ。



 フェレー司教様の講演を読んでいて、ティシエ・ド・マルレ司教様のインタビューの解説を読んでいるように思った。

 

 

 

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 ティシエ・ド・マルレ司教様のインタビューについて

2006年05月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!

 ティシエ・ド・マルレ司教様のインタビューについて
一言メモ。

http://www.remnantnewspaper.com/Archives/archive-2006-0430-tissier.htm


 ティシエ・ド・マルレ司教様がアメリカのコルトンというところで堅振を授けるために来られた時(今年の4月か5月)、45分ほどインタビューがあった。インタビューアーはスティーブン・ハイナーだ。


 スティーブン・ハイナーはまず、ゼニットによるフランス司教評議会の報道発表(プレス・リリース)と、その他ネット上の情報(AngelQueen.org)でのリファン司教の発言などを指摘し、コメントを求めた。


 すると、ティシエ・ド・マルレ司教様は「この文書について知らない。私はあまりそのようなことに興味がないので、そのようなニュースを追いかけていない。ここでの問題はそのようなことではない。問題は「交わり」ではない。それは第二バチカン公会議以後のこれら司教たちがもっている愚かな考えに過ぎない。「交わり」の問題があるのではない。信仰宣言の問題があるに過ぎない。「交わり」とは何でもない。これは第二バチカン公会議の発明だ。本質的なことは、司教たちがカトリック信仰を持っていないということだ。「交わり」ということは私に何も意味しない。これは新しい教会のスローガンに過ぎない。新しい教会の定義は「交わり」だ。しかしこれは、カトリック教会の定義では全くなかった。私は聖伝によって理解されてきた教会の定義だけをあなたに伝えることが出来る。」


「教会は、洗礼を受け、カトリック信仰を宣言し、ローマ教皇に従う人々の、目に見える社会だ。これらの3つの要素こそが、本質的で必要なものだ。これだけが私にとって重要なことだ。「交わり」とは私には意味をなさない。もし私があなたに伝えなければならない重要な何かがあるとしたら、これら司教たちが信仰を失ってしまったということだ。特に贖いの玄義と教義に対する信仰だ。何故なら、第二バチカン公会議は贖いについて一度も語ったことがないからだ。典礼改革も、そうだ、贖いの玄義を完全に歪曲化した。」・・・


「私は彼(ラッツィンガー枢機卿)をネゴシエーターとして知った。彼は私たちを和解させ、私を公会議の教会に再導入させようと望んだ。私にとって彼は、知的で、「再編」のプロジェクトに興味を持つ男として見えた。私たちは彼のイニシアティブを避けた。しかし今や彼が教皇様だ。彼は特別の聖寵を持っている。しかしこれらの聖寵を使っていない。彼は教会のために何もしていない。教皇となり1年が経つが何もしていない。」・・・


「例えば、司教団体制(collegiality)がある。教皇(ベネディクト十六世)は教会を司教や枢機卿たちと一緒に統治したいと思っている。そのため彼は教会を統治できなくなっている。それが原因で教皇となって一年が経つが彼は何もしていない。これが原因であるのは明らかだ。司教団体制が彼を麻痺させている。まさに司教団体制が教皇を麻痺させている。」・・・


「ベネディクト十六世は、この3つの誤り(自由・平等・博愛)に献身的である。信教の自由に関しては、彼はほとんどヨハネ・パウロ二世と同じだ。両者ともいかなる政府もカトリック国家では有り得ない、いかなる政府もイエズス・キリストを真の天主であると認めることが出来ない、と確信している。勿論これは、カトリックの教えに反している。特にピオ11世のクァス・プリマスに反している。(ピオ9世の)シラブスにも反している。シラブスは一八六〇年代のもの、クァス・プリマスは一九二五年のものだ。それほど昔のものではない。時代遅れのものではない。」・・・


(インタビューは、いろいろな話題に飛ぶ。しかしインタビューを終わりにしようとするスティーブン・ハイナーに、ティシエ・ド・マルレ司教様は「あなたの質問に感謝するけれども、本質的なことには触れなかった」と指摘する。質問者は何のことかよく分からない。そこで、ティシエ・ド・マルレ司教様は、カトリック教会にはびこる異端について指摘しようとする。例えば、と言って、ベネディクト十六世が司祭時代に書いた本の問題について言及する。)



 このインタビューを読んで、ティシエ・ド・マルレ司教様にとって、もっとも感心があったのはカトリック信仰だと思った。カトリック信仰、そして救霊だ。


 ティシエ・ド・マルレ司教様にとって、バチカン内部のポリティック、マスメディア、聖ピオ十世会内部の人事(誰が次期の総長になるか)、その他諸々は全く副次的であり、本質的なことではない、ということだ。ティシエ・ド・マルレ司教様はカトリック教会に、そしてローマ教皇様に、カトリック信仰を求めている。そしてそれをこそ求めている。教会は、そして教皇様は、正しいカトリック信仰を与える義務がある。


 私たちにはそれを求める権利がある。ティシエ・ド・マルレ司教様が訴えていたのはそれだった。司教様の、飾り気のない、ぶっきらぼうにも思える応答において見え隠れさせていたのがその信仰の要求だっと思う。


 ティシエ・ド・マルレ司教様にとって、ベネディクト十六世がカトリック信仰を守るために勇敢に戦ってくれるか否か、それだけが問題なのだ。ベネディクト十六世が純粋な正統信仰を宣言し、異端を排斥するか、それがもっとも大切なことだ。


 だから「教会は、洗礼を受け、カトリック信仰を宣言し、ローマ教皇に従う人々の、目に見える社会だ。これらの3つの要素こそが、本質的で必要なものだ。これだけが私にとって重要なことだ」と言った。


 だから、カトリック信仰と関係のない「交わり」ならば、それはティシエ・ド・マルレ司教様には意味をなさない。



 教皇様といえども、私たちをしてこの信仰を棄てさせるように要求できない。教皇様といえども、私たちがこの信仰を棄てないから、といって教会の外に放り出すこともできないし、追い出すことも出来ない。私たちがこの信仰を棄てないかぎり、教会を「出て行く」こともあり得ない。カトリック信仰を棄てる人こそが、教会から出て行くことになるのだから。



 ティシエ・ド・マルレ司教様は、信仰の真理を問題としている。政治的な「数」の問題ではない。信仰はポリティックの問題ではない。教皇様は、カトリック信仰の擁護者であり、絶対君主。信仰のために教皇制度が存在する。カトリック教会は、信仰で動くもの。「数」で動くのではない。



 ティシエ・ド・マルレ司教様が言いたいのは、その点なのだと思う。



 私たちの祖先は、この信仰の真理のために殉教していった。イエズス・キリストが真の天主であるというこの真理のために命を失っていった。イエズス・キリストが、真の天主であるがゆえに、個人と同様に、政府も為政者も、キリストに対して公の誉れと服従を示さねばならない、という真理のために。


 私たちの祖先のカトリック信者は、これらの真理を黙想し、真のキリスト教的理想に向かって歩む大きな力と勇気とを持っていた。


 私達の主キリストには、天と地の全ての権能が授けられている。
 全人類は例外なく、天主なるキリストの権威のもとに置かれている。
 私たちの主イエズス・キリストの権能はキリスト者のみならず、全ての人類を含んでいる。人類は真理に従う義務がある。人類は、真理を拒む自由も権利もない。人類は、その本当の福利のために、真理に従わなければならない。人類は真の天主のいない、天主から独立した「独立自律空間」をもつ自由はない。



 カトリック教会は、この真理を全人類に伝える使命を持っている。私たちは、ティシエ・ド・マルレ司教様と共に、教皇様がこの真理を伝えてくれることを期待している。



 もちろん、カトリック教会も人間から構成される団体だ。政治的な要素も、パワー・ポリティックスも、カネの力も、人間的な弱さもあるだろう。だからいざというときには、最終的手段として政治力に訴えることも出来る。教会が政治に関わることも許される。ただし、すべては信仰のためであるはずだ。政治のために信仰があるのではない。



  私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を」
教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を」



 私たちが、教会にこの信仰を求めているとしたら、あまりにも多くを要求しすぎているのだろうか??

 



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韓国カトリック教会では何が起こっているのか?儒教編その1

2006年05月08日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

「慶州文化エキスポで "茶禮ミサ" 奉献」
(カトリック新聞1998年9月20日付けの記事より 拙訳)



一〇月一三日午後二時 オリュンデ殉教福者修道女会

 全世界四〇余カ国の有形無形文化を一つの場で見ることが出来る、98年慶州文化エキスポで、カトリック典礼と茶文化が接ぎ木された茶禮ミサが奉献される。

 韓国殉教福者修道女会のオリュンデ分院に属している韓国カトリック文化研究所傘下の「聖母茶山茶会」は、慶州文化エキスポの期間中である一〇月一三日午後二時に茶禮ミサを奉献、文化エキスポを訪れる国内外人たちに韓国カトリックを紹介する機会を持つ。この日のミサは、サムルノリ(注:銅鑼(ドラ)や鉦(ショウ)や鼓(ツツミ)や太鼓(タイコ)の四種の打楽器でけたたましい音響の中にいろいろなリズムを交錯させる韓国民族音楽)、みことばの典礼、聖体典礼、奉献、終わりの儀式、鶴の舞い、サムルノリの順で進行され聖母茶山茶会の指導司祭であるキム・ジョンピル神父(オリュンデ聖ベネディクト瞑想の家 院長)を始めとした司祭団で共同司式がなされる。

 来る一〇月の慶州エキスポ場で奉献される茶禮ミサは、国内に土着化したカトリック典礼の一典型として、ここを訪れる国民、外国人たちに東洋文化と密接した関係がある茶文化と接ぎ木された韓国カトリックの真価を見せてくれることができるだろうと期待を集めている。
・・・(以下略)


+++++++++
(’’)?  全世界四〇余カ国の有形無形文化を一つの場で見ることが出来る慶州文化エキスポで、二〇〇〇年のカトリック聖伝の典礼が開かれても良かったんじゃないかな?


(’’)? 最近発明された茶禮ミサはうまくいくかわからない実験だから良いんだよ。カトリック教会がずっとやり続けていた聖伝は実験が禁止されているようだね? 実験すると成功しちゃうからかな?


(ー_ー )主よ、憐れみ給え! 天主の御母聖マリアよ、憐れみ給え!


【韓国の儒教のことを知らないと、何のことかよくわからないかもしれないので、説明を付け加えたい。】




(’’)?  茶禮って何? 

【一言メモ】 茶禮とは。

 韓国において、儒教の「祭祀」と言われるものがある。

 儒教の年中行事として、正月(旧正月)や秋夕(中秋、旧暦8月15日)には、祖先祭祀(チェサ)を行う。これを茶禮(チャレ)という。

 お正月の祭祀は、茶礼(チャレ)と墓参りである。正月朝早くに、歳饌(朝作られた料理)と歳酒(未開封のお酒)トックを用意して祠堂に並べ祭祀を行うことを‘茶禮’と言う。

 茶禮は子孫たちが皆、一族の長の家に集まり進行される。茶禮が終われば大人に新年の挨拶をしその後、墓参りをする。墓参りは先祖の墓を尋ねて簡単な歳饌と歳酒を供えて辞儀をする。

 秋夕(チュソッ)にも、各地に散らばった家族はすべて故郷に集まり、一族全員が祭祀を執り行い、先祖のお墓参りをする。

http://www.seoultabi.com/content/basic.html?m_idx=2&s_idx=5&b_idx=39

 本来は、先祖に茶を供えたらしいのだが、儒教式の供物に置き換えられ、いわゆる「お茶」は用いられていない。

 韓国では、「緑茶」以外のものも「茶」と呼ばれているからだ。例えば、高麗人参を刻んでゆっくり煎じ濾した汁を「人参茶」といい、
ナツメを煎じた汁を「ナツメ茶」、クコの葉あるいは実を煎じたものを「クコ茶」、五味子(ゴミシ)を沸かさずに水に一日位つけてこした汁を「五味子茶」、柚子のシロップ漬け少々に熱い湯を注いだものを「ゆず茶」というが、日本語でいう「お茶」とは全く関係ないものだ。これらを「薬用伝統茶」という。

http://www.wattakatta.com/culture/custom/04-03.html




 韓国では高麗時代までは、いわゆる「茶葉」が仏教寺院だけではなく宮中における「進茶儀禮」にも欠かせないものであったが、李朝時代以降、仏教が次第に抑圧されるに従い、喫茶の風習は衰退した。
 また茶の国内への供給量がごく限られたものであることから、茶葉を用いた喫茶の習慣は上流階級や一部の寺院のみであった。このため朝鮮半島で「茶」と言う場合は、中国・日本などで言われる「茶」ではなく、木の根などを煎じた薬湯や、果実を湯に浸した物(柚子茶)等を指す場合が多い(韓国伝統茶)。また茶の代用として炒米に湯を注ぐ「こがし」も、日本同様に行われていた。


【ウィキペディアでは現在のところ「茶禮」(タレ)と読ませているがこれは「チャレ」と読むべきである。明らかな間違い。】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E9%81%93

 



(’’)?  祭祀って何? 

【一言メモ】 祭祀とは。

 祭祀(さいし)これを韓国語では「チェサ」と発音する。

 韓国語の祭祀とは、日本語のニュアンスでは「神々に捧げる犠牲」という意味である。

 例えば尹 亭重 神父著の『詳解 天主教 要理』(上)京郷雑誌社1960年発行(168ページ)によれば、次のようにある。


===以下引用開始==


 キリストにおかれては十字架上で血を流して亡くなることは、司祭として天主に祭祀を捧げたことだ。では、祭祀とは何なのか?

 祭祀は、合法的祭官が、唯一天主に感覚物を奉献し消滅することにより、その至尊無對であられる権能を承服する心情を表現する公式敬神行為である。


「合法的祭官」=祭祀は、元来、公式的敬神行為であり、故に公衆の代表が捧げるもので、これを祭官あるいは司祭と言い、この祭官は誰であれ私的に出しゃばってその職に就くことは出来ないのである。聖パウロのヘブライ人への手紙5:1。


「感覚物」=祭祀は公式行為であるために、他人が見ることの出来ない内的心情だけではダメであり、この心情を表現する感覚出来るような物件がなければならない。旧約時代にこの感覚物は穀物や、羊、牛のような動物であった。これを「犠牲」と言った(創世記4:3-4など)。この中で、メルキセデクはパンとブドウ酒を祭献した事実は、有名だ(創世記14:18)。


「奉献し消滅すること」=感覚物の奉献と消滅に祭祀の本質がある。ところで、奉献だけでは祭祀が成立せず、必ず消滅がなければならない。液体ならばこぼし流され、火に焼かれるようなものであれば燃やされ、動物であればされなければならない。これにより天主におかれてのみ持っておられる生死に関する大権を承服することにもなり、罪深い私たちは当然ならば死ななければならない命ではあるが、そうすることは出来ず、代わりに犠牲を殺してしまうのだ。


 このような犠牲物の一部分を、祭祀に参与していた人たちが、その場で受けて食べた。天主に祭献され聖化された祭物を食べることにより、或る程度、天主と相通することになり、天主の神聖さに参与することにより天主と親しくなるという意味だ。これは祭祀の本質ではないが、祭祀を完全にさせる(構成部分ではなく)完成部分だ。


「唯一天主に」=このような祭祀は、1、天主を欽崇(=礼拝)するために、2、罪の赦しを祈り、3、受けた恩恵を感謝し、4、必要な恩恵をこいねがうために、天主にのみ捧げていたのだ。・・・


 キリストは祭官であると同時にまた祭物であり、十字架上でこの祭物を天主に祭祀されたのだ。祭物(=Oblatio)、犠牲(=Hostia)、祭殺(=Immolatus)などは、祭祀の専門用語だ。


===以下引用終わり==

 


 さらに、同 神父著の『詳解 天主教 要理』(下)京郷雑誌社1960年発行(272ページ)によれば、次のようにある。


===以下引用開始==


「祭祀」= 祭祀は、合法的祭官が、唯一天主に感覚物を奉献し消滅することにより、その至尊無對であられる権能を承服する心情を表現する公式敬神行為である。・・・


 祭祀は、天主恭敬の最高儀式ゆえに、人類と共に久遠なる歴史を持っていたし、人類と共に普遍的である。即ち、どの民族であっても祭祀を持っていた。祭祀は、元来、天主のみに捧げるものではあるが、未開の非キリスト教的社会においては、道を誤り、亡霊だとか種々の神々に祭祀を捧げた。北京には天壇がある。天子が民衆のために天に祭祀を捧げていたところである。韓国でも、干ばつが起こったりすると、ブタや犬を捕まえて山に登り祭祀を捧げる風習がまだ残っている。以前にはオーストラリアのある原始民族は、実際に人間を殺して鬼神に祭祀を捧げていた。韓国の『沈清伝』が実話では勿論ないけれど、船員たちが沈清という人を海に投げて殺そうとすることも、沈清という人を犠牲にして鬼神に祭祀を捧げるのだ。


 旧約を見ると、アベルは子羊を捕まえて天主に祭祀を捧げたし、ノエは野獣と鳥を祭祀に捧げ、メルキセデクはパンとブドウ酒で祭祀を捧げた。


===以下引用終わり==



 つまり、韓国語では「祭祀」というと Sacrificium という意味である。これは韓国語の伝統的な天主教用語が中国語の影響を受けていることから由来している。(中国語では sacrificium の訳語として「祭祀」或いは「祭献」という。)



「慶州文化エキスポで "茶禮ミサ" 奉献」の記事では、ミサを「犠牲」(聖伝による概念)としてではなく「会食」(新しいミサの概念)としてとらえているので、「祭祀」ではなく「茶禮」となっている点も興味深い。

 

(’’)?  韓国儒教の祭祀って?



【一言メモ】 人間の死後について四種類の態度を取る可能性があると思われる。
(1)天国あるいは地獄という別の場所に行く。(キリスト教など)
(2)生まれ変わって、この世に戻ってくる。(仏教などの輪廻転生説)
(3)死後も魂はそのままこの世に居残る。(儒教)
(4)死んだら何も残らない。全て無くなる。(唯物論)


 儒家の朱子は、死者の魂が全部居残るとこの世が霊魂でいっぱいになってしまって困るので、時間が経てば雲散霧消するとしたが、消えてしまえば祭る意味が無くなってしまうので、子孫がいればそれに感応して散ったものもまた集まる、とした。しかし何代目あたりで消えてしまうのかがわからず、朝鮮の儒者らは一七世紀頃まで論争をしていたが、一八世紀になると、四代まで祭ることで定着を見た。


 祖先の霊魂がこの世に留まるので、子孫は祭壇をもうけて、食べ物を捧げ、祖先が飢えて餓鬼にならないようにし続ける、これが儒教の祭祀の根本理念となった。祭祀の時には祭壇に山海の珍味を山と積み上げる。「生きて仕えること生に仕える如く、亡に仕えること存に仕えるごときは、孝の至りなり」(『中庸』)とあるように、子孫は祖先の霊に給仕する。つまり、儒教とは死者と共にこの世に暮らす宗教である。


 儒教では四代祖までその命日の夜中に祭る(忌祭祀、年間合計八回の法事)。元旦や秋夕の朝に本家に全員が集合して祭祀する(節祀)。陰暦の十月に子孫全員が墓参りをする。冬至より一〇五日後にご飯を墓に供える(寒食)。こうして毎年祭祀だらけで、その度にお供え物に饗宴が浪費される。


 李氏朝鮮(1392-1910)では、一八世紀に四代祖血族が堂内(チバン)を核として、門中(ムンチュン、分派祖血族)や、宗族(チョンチン、同本同性血族)という血縁組織が成立した。そして宗族という血族集団しか自らを守るもののないとし、宗族を信じ礼拝する宗教を作り上げた。韓国は、世界でもまれな単一民族の国だけれど、その内実はバラバラの宗族の集合体だという相反した事実が作られた。



(’’)?  李氏朝鮮では? その前は何を信じていたの?


【一言メモ】 韓国の儒教は、李氏朝鮮(李朝)の為政者による儒教教化の人為の産物だった。日本でも檀家制度などで江戸時代には仏教が保護されて国教となっていたが、維新後新政府の元でこれからは氏子制度で神道が保護されるようになったように、李朝は、高麗(918-1392)が国教としていた仏教を棄て、朱子儒教をその宗教とした。


 李朝の成立と共に儒者らは、高麗の伝統的な埋葬の風習を断固として処罰し、辺境に流配した。火葬者は百叩き、迷信故にすぐに埋葬しないものは斬り殺しを受け、シャーマンや僧侶は弾圧され、ソウルから駆逐され山野を彷徨した(いまでも韓国では仏寺は山の中にのみある)。十九世紀末に至るまで、朝鮮では僧侶は選民扱いでソウルにはいることは許されなかった。李朝の王と儒臣たちの儒教教化は、死者のために現実の生を捧げる誠意をひたすらに試した。


【参考資料:古田博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書1995年】

 

(’’)?  儒教は、天主教に対してはどうしたの?


【一言メモ】 儒教は、今から約250年前に中国経由で入ってきた天主教にたいして迫害で及んだ。とくに天主信者が「祭祀」と呼ばれる先祖の霊に対する礼拝を拒んだからだ。そして韓国の多くのカトリック信徒は、これを拒んで殉教していった。


「その祭祀というのは虚しく無益なことです。真理に従うためには、虚しいこと無益なことを捨てなければならないということは明白な事です。眠った親に食べ物を調えて差し上げて眠りに入ったままそれを召し上がりなさいと言ったら、それは愚かな事ではないですか。だから親が亡くなった後に食べ物を召し上がるなどと思っているなら、それはもっと愚かではないですか? 霊魂はそれが行くところに行き、肉体は力無いしかばねに過ぎなくなるのです。 霊魂は霊体(神霊体)のため物質的な食べ物を食べて生きているのではありません。また天主の戒律は素晴らしいものであり, それを守れば功徳になります。国王のために自分の生命を捧げる人を逆賊だとは言わないでしょう。まして天地と天主なる人と万物を主宰し給い、王の中の王であり、全人類の普遍な父親であり、雨と露を思いのままに降らせ給い、一番微弱な草木から大木までも皆育つようになさるお方です。その恩を被らないものは存在しないのであり、天主を裏切るよりはかえって自分命をかけるという人を、いったい何故逆賊だと罵るのですか?」

(韓国の百三位聖殉教者の一人、イ・ホヨン・ペトロ(1838年11月25日殉教)が、儒教式の祭祀を捧げないので逆賊だと刑吏から言われて答えた言葉)



(´・ω・)  現代のカトリックって、聖伝以外は何でもありみたいだね、と思った方はクリックをお願いします↓
http://blog.with2.net/link.php?269452

 


 


2006年5月の聖伝のミサの予定。兄弟姉妹の皆様を心から、聖伝のミサにご招待いたします。

2006年05月06日 | 聖伝のミサの予定

兄弟姉妹の皆様を心から、聖伝のミサにご招待いたします。

アヴェ・マリア!

5月は大阪にも主日のミサがあります。
東京では20日の土曜日にも午後5時半から聖伝のミサがある予定です。


     <2006年5月>

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」
12日(金)殉教者聖ネレオ、アキレオ、ドミチッラ及びパンクラチオ(3級祝日)赤 午後5時半
13日(土)教会博士証聖者司教聖ロベルト・ベラルミノ(3級祝日)白 午前11時
14日(主)復活後第4主日(2級)白 午前10時半

 

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
20日(土)午後5時半 聖伝のミサ
     午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://www.geocities.jp/cantusgregorianus/
     午後8時40分 グレゴリオ聖歌による終課
21日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          復活後第5主日(2級) 午前10時半
     午後2時半 公教要理の霊的講話
     午後4時半 グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
22日(月)平日(4級)白 午前7時
23日(火)平日(4級)白 午前7時

 

それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 

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ブログの読者からの声より。(一部掲載をお許し下さい)

 

神父様もせっかく説教を一生懸命原稿を作っておられるのでしょうから、東京・大阪・ソウルなどのミサで行われた説教をブログにアップされてみてはいかがでしょう。せっかく立派な説教をされても、聴取者がきている方だけだったらもったいないよ。



ポーランドの記事すごいですねー。
勇気付けられますねー
コルベ神父様も天国から応援してくださっていることと思います。
コルベ神父様はインターネットもない時代に数人で一から日本の基礎をつくられましたからねー。

 



 ブログの記事の内容はたいへんわかりやすかった。
 やはりミサが核ですね。



 聖伝のミサの件もそうですが、神父様に与えられた任務の一つは、雪山でこごえかかっている信徒をはげますことです。例え自分達が生きている間に教会がマトモにならず、むしろ異端一色にそまってしまっても、カトリックの火が灰の中でくすぶっているということを示し続けることです。そのためにもブログの更新を宜しく(笑)おいそがしいところとは思いますが・・・ランキング落ちていますよ(汗)



 そのうち、日本共産党に、マルクス誕生日のお祝いとかだすようになったり、総連に偉大なる主体思想の創設者金日成将軍誕生日のお祝いとかだしたりしかねません。



「仏様のお誕生を祝賀し、仏様の慈悲がこの地に満ちることを共に祈願します」はいいのですが、復活祭に仏教徒から「イエズスキリストの御復活をお喜び申し上げます」ってバナーは届いたのかしら?

 


 進化論はカトリックは認めない人が多いですね。聖伝のミサには好意的でも、創造論となると首を横に振る人が多い。まー、プロテスタントの福音派の牧師でも、きょうび進化論をそのまま説教する人は少なくなりましたね。ただ、彼らは気が付いていないのですが、人祖が猿だったということを認めたら、カトリックどころか広義のキリスト教全体を根底がなくなりますよ。だって原罪が意味なくなります。十字架の犠牲が意味なくなります。ミサのいけにえの意味もなくなります。

 


 


ランキングはやはり聖伝にシンパシーを抱いている人が多いということでしょう。




最近はカトリック的なものはだめなのですよ。
マリア崇敬、ロザリオ、なんでも。霊操の黙想会なんかも。お坊さん呼んで座禅や内観はOK。これが第二バチカンクゥオリティ。
テゼ共同体の信仰がカトリックのあるべき姿なんていう大司教様もいるし。

 



いいですね。こうした雪山で遭難して凍死しかかっている人を励ますような記事も1/3は必要ですね。大部分の人は凍死するんでしょうけど、凍傷になって手足がもげても助かる人もいるでしょうから。せめて絶望の中で凍死しないようにしてあげないと。一旦棄教した人でも、後でそのことに気がついて帰ってくる人もいるでしょうからね。

 

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 兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 


 


今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?(仏教編 その六)

2006年05月05日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

エキュメニズム関連 韓国情報(仏教編 その六)


韓国カトリック指導者らは、ブッダの誕生日に挨拶を送る


 ソウル(韓国)、ソウル大司教区のチョン・ジンソク・ニコラオ枢機卿は、ブッダの誕生日を記念して韓国の全ての仏教徒らにメッセージを発した。
http://www.buddhism.or.kr/news/speech/_board_view.asp?article_id=4414&page=11&search_key=&search_value=
http://www.buddhism.or.kr/news/order/_board_view.asp?article_id=659&page=1&search_key=&search_value=



 4月26日のそのメッセージにおいて枢機卿はこう言った。
「私は、この春、全てが新しくなる時、ブッダの誕生日を記念して全ての仏教徒の皆さんに祝賀を申し上げます。」今年は5月5日がその日に当たる。


 枢機卿は、今日、憎しみ、敵対、そして多くの種類の差別が世界中に幅をきかしていることを指摘し「そのために、私たちはブッダの教えがもっともっと必要です。私たちはブッダの慈悲にならい、愛を実践することによって多くの問題を解決することが出来る、これこそ全ての宗教の基本的な教えだ、と信じています。」と言った。


 枢機卿は、教皇ベネディクト十六世が、この多元主義の時代において諸宗教の対話と調和が必要であることを強調したと述べ、諸信仰の対話を活発にすることにより、平和な社会をつくることを助けたいという意向を持っていることを表明した。


 4月25日、韓国カトリック司教評議会は、例年のバチカンからのブッダ誕生日のメッセージを韓国語に訳して、曹渓宗に送った。曹渓宗は韓国語でもっとも大きな韓国仏教の一派である。このバチカン・メッセージ「共に人類に奉仕する仏教徒とカトリック信者」というタイトルで、教皇庁 諸宗教対話評議会 議長 マイケル・フィッツジェラルド大司教が、2月にエジプトとアラブ諸国の教皇大使として任命される前に、署名したものである。


 曹渓宗は、チョン枢機卿のメッセージと共に、このバチカン・メッセージの韓国語訳を自分のホームページ
http://www.buddhism.or.kr/news/order/_board_view.asp?article_id=657&page=2&search_key=&search_value=
に掲載している。

【以下は、日本語訳
 万物が新しい生命で生まれる春に仏様が来られた日を迎えたすべての仏者の皆さんに祝いのあいさつをします。

 仏様は無限な善意と自卑心を施しました。しかし私たちが住む世の中には今も絶え間ない紛争、憎悪と対立、多様な種類の差別が存在しています。 したがって今日私たちに仏様の教えることはより一層必要です。私たち皆が、仏様の慈悲にならい、すべての宗教の根本教えである愛を実践する時このような問題を解決することができるでしょう。 いつも自分の主張だけ打齣すのではなくお互いにお互いを尊重して気配りしながら持ったことを一緒に分ける時、私たちの住む世の中はまことに平和な世の中になるでしょう。

 教皇ベネディクト十六世は多元化時代の宗教間和合と対話を強調しました。 我が国もより一層活発な宗教間対話を通じて平和な社会を建設し、皆が人類の共同善の増進に寄与することができるのを希望します。

 もう一度仏様来られた日の喜びを一緒に分かち合って、私の枢機卿任命を祝ってくださった仏者の皆さんにこの機会を祈って感謝のあいさつをします。

仏紀 2550年仏様のいらっしゃった日
カトリックソウル大司教区
教区長ジョン・ジンソック枢機卿】


【バチカン・メッセージの日本語訳は、http://www.jbf.ne.jp/
にある。「灌仏会」お祝いメッセージ カトリック中央協議会より 2006/04/12 
 
「共に人類に奉仕する仏教徒とカトリック信者」

親愛なる仏教徒の皆さま

  1.灌仏会を迎える仏教徒の皆さま、また世界中の仏教共同体の皆さまに、教皇庁諸宗教対話評議会を代表して、私は心からのお祝いを申し上げます。皆さまが、喜びに満ちたお祝いの時を過ごされますよう願っております。

  2.今年も、この機会を拝借し、私たち双方の共同体の絆をいっそう強められるよう、いくつかの考えを皆さまと共に分かち合いたく存じます。今回は、教皇ベネディクト十六世が、世界中のカトリック信者に向けて発布した最初の回勅に基づいて考えてみたいと思います。それは、『神は愛』という書簡で、ラテン語では、『デウス・カリタス・エスト』という題がつけられており、愛の性質に関する考察です。教皇さまは、「愛」という言葉、頻繁に使われながら、多くの場合誤って解釈されているこの言葉が、再び本来の正しい意味合いを見いだし、日々の生活を導くものとなるべきことを確信しておられます。

  3.べネデイクト教皇は、二つのタイブの愛について語っておられます。一つ目は、「エロース(性愛)」、すなわち男性と女性の間の愛で、自分自身の幸せを求める愛です。二つ目は、「アガペー(愛徳)」で、相手のためになることを求める愛で、相手がそれを気に入らなかったり、それについて知らないという場合もあり得ます。カトリック信者にとって、この二つ日の愛は、神への愛、すなわち神が人間に対して示された愛に私たちが応えることにより初めて可能になります。このように神への愛と、同胞である人々への愛は、切り離すことができないもので、ただ一つの掟を形成します。「愛は愛によって成長します。愛は“神聖なもの”です。なぜなら愛は神から来るもの、私たちを神と一つに結ぶものだからです」(『神は愛』18)

  4.私たちカトリック信者は、「アガペー(愛徳)」の完全な現れは、生涯を通じ、言葉とわざもって神の愛のよきおとずれを説かれた神の子、イエス・キリストのうちにあるということを信じています。この愛は、イエスが全人類のために自らの命をお与えになったとき最高の形で示されました。また、とくにご聖体という形でご自分をお与えになったイエスは、いっそう「アガペー(愛徳)」の源であるといえます。カトリック信者は、この源から汲み取り、兄弟柿妹、とくに貧しい人、苦しんでいる人々に愛を示しながらイエスの足跡に従おうとしています。

  5.仏教徒の皆さまは、「メッタ(慈)」という概念の内に示されている愛を人々に与えておられますが、私たちはその大切さを皆さまとの対話を通して知ることができました。その愛は、所有欲のない、人々を助けようとする愛です。それは、人類の善のために、利己的な関心を犠牲にする覚悟をもった愛であると考えられています。仏教の教えによれば、「メッタ(慈)」は、単に善意を抱くというだけでなく、ひとりひとり、全ての人に仕えるために、慈善のわざを実践するところまで及びます。それは、真に普遍的な善意です。もう一つ忘れてならない功徳は、「カル- ナ(悲)」です。これを通して、生きとし生けるものに対する優しい慈悲が示されます。

  6.世間では、愛という言葉がよく使われ、また乱用されていますが、仏教徒とカトリック信者が、それぞれ自らの伝統を出発点として、この言葉の本来の意味を再発見し、それぞれ自らが理解したことを分かち合うならば、それこそ有益なことではないでしょうか。愛と真理に基づく関係を築き、相互の尊重を深めながら、対話と協力を促進させ、必要を抱えている人々のために奉仕し、一緒に働いていくことは、仏教とキリスト教、いずれの伝統に従う者にとっても励ましとなることではないでしょうか。

  7.これらのことを思い巡らしながら、私は最後に、この灌仏会のお祝いが、仏教徒とカトリック信者の友好をいっそう強め、「アガペー(愛徳)」と「メッタ(慈)」の精神のうちに、私たちの協力関係をますます深めてくれる時となるように願います。このような精神をもって、わたくしはあらためて皆さまに心から灌仏会のお喜びを申し上げます。

2006年2月14日
教皇庁 諸宗教対話評議会
議長 マイケル・フィッツジェラルド大司教

http://www.jbf.ne.jp/php.module/index.php?mode=detail&ct=jbf&id=377


 法頂僧侶は4月25日にブッダ誕生日のメッセージを発した。
「苦しみのうちに判別の鋭い目を開ける人々は、仏を見るだろう。愛のうちに贖いに気が付いている人々は、イエズスを見るだろう。」

 法頂僧侶は、人々が日々出会う全ての人々において生きている仏を見るように、と促した。彼によれば、サマンタバドラ・ボディサットヴァ(良く悟りを開いているもののもつみなぎる良さ)とマイトレーヤ(慈悲仏)はどこにでもある。

「"全てが仏である" という真理の中で、現実の本質は明らかにされ、私たち全ての前で無限の光が照らされる」と説明した。


Catholic leaders send greetings for Buddha's birth - Catholic Online
http://www.catholic.org/international/international_story.php?id=19634
より。

 

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(’’)? 憎しみ、敵対、そして多くの種類の差別が世界中にある。「そのために、私たちはブッダの教えがもっともっと必要です。私たちはブッダの慈悲にならい、愛を実践することによって多くの問題を解決することが出来る、これこそ全ての宗教の基本的な教えだ」??


(’’)枢機卿様、お言葉ですが、キリスト教の「愛徳」と仏教の「慈悲」とは全く異なる概念です!

 (1)まず、キリスト教の愛徳は、全ての創造主、全ての善の源、全ての被造物の究極目的である天主への愛に基づいている。

「愛の源なる天主、主は限りなく愛すべき御者にましますが故に、われ、心を尽くし力を尽くして、深く主を愛し奉る。また主を愛するがために、人をもわが身の如く愛せんことを努め奉る。」

 この天主への愛は超自然のもので、全てを超えて、私自身さえも超える、限りのないものだ。

 私たちは被造物として天主の御旨を知り、これを愛を込めて話す義務を負う。それゆえ天主の十戒を遵守するのだ。
 また天主の御旨は「生めよ、増えよ、地に満ちよ。地の諸々の獣畜、天空の鳥、地に這う物、海の魚、おまえ達を恐れ、おまえ達におののく。これらはおまえらの手に与えられる。全ての生ける動物はおまえ達の食となるべし。」である。

 禽獣虫魚は人間とは全く異なる。人間は天主に似せて創られたが、他の動物たちには知性も意志もなく、永遠の霊魂を持たない。動物たちは、間接的に人間に使役されて創造の目的を達成する。そのために人間の善のために、食物となり、学術研究のために用いられることができる。こうして人間は万物の霊長となる。


(2)仏教の慈悲は、輪廻転生思想から由来している。この世で人間として生まれても、悪行の報いによって来世はその霊魂は地獄に廻ったり、畜生に廻ったり、するという説だ。

 だから行基菩薩の歌にも「ほろほろと、鳴く山鳩の声聞けば、父かとぞ思う、母かとぞ思う」とある。つまり、あわれ私のお父さん、お母さんが鳩に生まれ変わって鳴いているのかもしれない、と思っているのだ。だから、その山鳩を捕らえて殺すなら、自分の親を殺すかもしれない、家のニワトリは自分の祖父かもしれない、これを食べるのも祖父を食うも同然だ、だから仏教では殺生も肉食も出来なくなる。

 徳川第五代将軍の綱吉は、「生類憐れみの令」を発し、特に自分は戌年生まれなので犬を殺したものは斬罪に処した。イノシシ、狼、狐、狸が人民に害をなすようになり、人民を苦しめた。

 良く考えると仏教の絶対的不殺生は誰にも守ることは出来ない。何故なら、私たちの吸っている空気の中にも、飲む水の中にも、無数の微生物が生きており、もしかしたら彼らは私たちの親かもしれないからだ! 

 もしも人間と他の動物たちが同種類、同性質、同水準のものであり、多少の程度の問題でしかないとしたら、人間が他の動物を食用にすることが出来なくなる。この原理を受け入れた後に、未開の原始人が猿を食べるのを是認するなら、文明人が未開の野蛮人を食用にすることさえも是認しなければならなくなる。

 全ての人種が同等と主張するなら、一切の動物に、蚊にも蛇にも蚤にもシラミにも細菌にも先進諸国と同等の権利を与えなければならなくなる。この世は猛獣の天下となり、人間はその餌となるだろう。

 

(’’)? 「苦しみのうちに判別の鋭い目を開ける人々は、仏を見るだろう。愛のうちに贖いに気が付いている人々は、イエズスを見るだろう。」「"全てが仏である" という真理の中で、現実の本質は明らかにされ、私たち全ての前で無限の光が照らされる」??

 ほら、枢機卿様が「愛」も「慈悲」も同じだ、全ての宗教の根本だ、と曖昧なことを言うから、僧侶も同じことを言い始めている。つまりキリスト教も仏教も所詮は同じさ、と。


(’’)? 「共に人類に奉仕する仏教徒とカトリック信者」?

「愛の源なる天主、主は限りなく愛すべき御者にましますが故に、われ、心を尽くし力を尽くして、深く主を愛し奉る。また主を愛するがために、人をもわが身の如く愛せんことを努め奉る。」これが、キリスト教の愛だ。人間は、まず、天主に奉仕しなければならない。そうすることによって霊魂を救わなければならない。

 しかし、教皇庁の諸宗教対話評議会議長の大司教は、天主にではなく人類に(!)奉仕すると言っている。

 教皇ベネディクト十六世の回勅『デウス・カリタス・エスト』。教皇さまは「愛」という言葉が頻繁に使われながら、多くの場合誤って解釈されているというが、正に、自分でそう言っている先から誤った解釈へと導いているのではないだろうか?


(’’)? 残念ながら、これらのエキュメニズム運動は、私たちをして、天主のいない、超自然を否定する、キリストの不在の「宗教」へと導いてしまっている。


(’’)? 私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を
教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を


(’’)? こんどから新しい教会で洗礼を受ける時、こうなるかも?
教会   「あなたは現代の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「エキュメニズム運動を
教会   「エキュメニズム運動はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「他宗教と共に人類に奉仕することを

 

(ー_ー )主よ、憐れみ給え! 聖母マリア様、憐れみ給え!


 兄弟姉妹の皆様、この五月の聖母聖月の間は、天主の御母聖マリアによくお祈りをお願いします。特に韓国のカトリック教会のために、お祈り下さい。

 

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3. 5. 3. 自由主義的な方針に関する批判的な見解

2006年05月04日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

5.自由主義(リベラリズム)の風に直面して(その3)

 

自由主義的な方針に関する批判的な見解


 しかしいくら勉強に熱心であり従順の精神を持っていたとしても、私たちのマルセル・ルフェーブル神学生の先見の明を邪魔することはできなかった。無慈悲にも新任長上は神学校に新しい方針を与えた。ルフェーブル大司教はベルテ神父に対して次のような現実的なイメージを持ち続けるだろう。「2つの顔を持った人、見かけは伝統的であるが、しかし同時に非常に融通の利く人。誤謬に対してこれを断罪するとか、誤謬と争うとか、誤謬を攻撃するとかということは、もう問題ではなくなった。そんなことはほっておいて、私たちは賢明に立ち振る舞おう。 」


 ル・フロック神父の反自由主義からこのようにはっきりと離脱することは、教皇が直接ベルテ神父に指示したことだった。新任神学校長は、神学校の校報『サンタ・キアラのこだま Echos de Santa Chiara』紙に、次のように書いた。「ほとんど 1時間も謁見をした際に教皇聖下は、そして何回も会った研学聖省長官枢機卿様は、私に次のような明確な指示を与えてくれた。...過度に行き過ぎることがないように予防し、暗礁を避けなさいと。」


 1928年 4月 22日にはベルテ神父に別の私的な謁見が与えられ、さらに 1928年 6月 16日にはフランス神学校全体に与えられた謁見でピオ11世は「神学校の運営において、教皇の意向を大変よく理解」したと言って神学校長を褒めた 。


 マルセル・ルフェーブルはこの言葉を聞いた。彼はピオ11世が神学校の方針において変化を与えた源泉であることを理解しただろうか? 彼は教皇自身が直接に、十字軍の精神の代りに、緊張緩和を要請したということを悟っただろうか? それはあまり考えられない。何故なら、ピオ11世に対する彼の献身はその生涯変わらないものだったからだ。またずいぶん後になってベルテ神父の指導下にあった時代について話す時にも、ルフェーブル大司教は教皇に何らの非難も加えなかったからだ。彼はただこう言うだけだ。「その当時、神学校の最後の数年は、そのために少し辛かった」と。


 方針の変化の現実を理解するためには、1932年にデレンム (Dhellemmes) 神父が聖霊修道会会報に書いた明解な解説を読むだけで充分だ。


「学生達が将来的に行使しなければならない行動を予想して、生徒たちの実践的養成は判別をもって推し進められて来た。教皇様が何回にもわたって表明したお望みによれば、一番重要な事は神学生たちに、それにおいて実生活の偶発的諸条件に原理を適応するその条件を正しく認識することが出来るようにさせることである。」


 明らかに、マルセル・ルフェーブルはル・フロック神父から原理は状況を変化させるためにあるのであって、状況が原則をその状況に合わせて変わるためにあるのではない、ということを学んだ。この混乱の背後にはまさしく言葉上の論争を越えるものがあった。何故ならデレンム神父は次のように続けて書いているからだ。


「青年らの傾向は、完璧主義へと傾いている。彼ら考えによれば、原理は完全で絶対的な適応を要求する。彼らの過度な主知主義は、自分たちの厳格な原理から導かれる結論に一緻しないようなすべての行為に対して、 喜んで臆病であるとか、惰弱であるとか、無知であるとかと決めつける。それらを合理的なやり方で確立された方針の理性的で合法的な適応であるに過ぎないのにもかかわらず。 」


 これはル・フロック神父が生徒たちの心に灯した健全な熱意の火を吹き消すこと、すなわち彼らの生活の喜びだった「原理を力強く生きること」を拒否することだった。マルセル・ルフェーブルは、絶対に原理から脱することができない程にトミスト(=聖トマス・アクィナスの体系を身につけた神学者)だった。彼は聖トマスと共に、難しい時代の不幸のために、或る一つの原理が適用されえない時には、その原理よりももっと高次元的でより一般的な他の原理が適用されなければならないということ 、そして絶対に原理自体をあきらめることではないことをよく知っていた


 これを言ったのち、マルセル・ルフェーブルにとって、第一原理は, 特にその原理が自然法や天主の法に関わるのならば、決してその権利を失わなず、決して希望もなく棄てられてはならない 。同じく、いくら偶然の状況に適応されうるように環境に順応したことだと言っても、最後の原理から由来する行為が、無条件に誉められることはできない。ところが、デレンム神父はこう言葉を結んでいる。

「そう考えると、或る者たちの目によれば、私たちの社会的組織、職業的組織、国際的組織が受けている不評判の説明が付く。これらの組織は、まず最初に、彼らには秩序と権威の原理に矛盾しているように思われている。」この極めて当を得た不評判と、不賢明な評判との間をマルセル・ルフェーブルは選んだ。


 また、ピック (Pic) 司教が神学校でした「フランス・カトリック王党派の第三共和制への参加運動 (le Ralliement)」に関する講話、アルヌ (Arnou) 神父のジュネーブ機構 に関する講話、及びリエナール (Lienart) 司教の労動組合主義 に関する講話はルフェーブル神学生の批判的な判断を働かせた。特にリールのリエナール司教は聖職者について次のように語って自分の講話を始めた。

「私たちは煉り粉をふくらませるパンだねであり、私たちの教義や信仰を現代の思想と混合させなければならない。」最後に彼は講話をこう言って終えた。「キリスト教的労働組合は、知性と心を形成するだろう。それは信仰により社会生活に染み込むだろう 。」

 


(つづく)

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3. 5. 2. 完全に神学的な力強さ

2006年05月03日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

5.自由主義(リベラリズム)の風に直面して(その2)


完全に神学的な力強さ



 神学校の新しい方針はルフェーブル神学生にとって試練であったが、それを乗り越えるために、若い神学生は1927年に到着した新しい霊的指導者、すなわち聖霊修道会に属していたルイ・リアグル (Louis Liagre) 神父から多くの素晴らしい助けを得た。この神父は、マルセルの同郷人で 1859年にトゥルクァンで生まれ、一生涯を教授と霊的指導者として奉仕した。彼は尊者リベルマン神父の充実な弟子として、寛大に離脱することにより全面的に天主の御旨の嘉することに全く身を委ねて固執するように霊魂たちを励ましてくれた。この離脱を基礎にして、リアグル神父が指導している者等を真の謙遜、平和及び絶え間ない念祷の生活を確立させており、これへと霊魂達を方向付けていた。ところで神父様は、喜びにあふれた、愛に満ちた、天主に対して自分を忠孝な子供とする離脱を求めていた 。

 マルセルはこのような態度を取って平和を得た。


 1928年 1月 2日、リアグル神父は霊的講話のシリーズを始めたが、テーマはまさに「聖ヨハネと聖パウロによる愛徳 」であった。聖ヨハネは、天主は愛だと言う。天主の法は、被造物の法と同じく、愛徳である。自分から出て、他者に自分を伝える、出来る限り他者のために自分を犠牲する。この愛徳の循環の中に入って行き、「天主が私たちのために持っている愛」を悟ること、そしてそれを「信じる」こと、つまり"Credidimus caritati "


 リアグル神父は文通の相手に次のように繰り返した。
「神学とは、天主の学識だ。そして Deus caritas est! 天主は愛だ! 願わくは、聖ヨハネに基づく「神学」のこの崇高な要約が、形而上学の概念及び方式を遙かに超えて、君にとってますます意味深く見えてきますように。 」

 試練を経験して傷ついた神学校によく適合して、この教えはマルセルをつかまえ、彼を天主にまで持ち運んでくれた。彼はそれを自分の教え及び生命にしたし、後日には自分の司教職のモットーとするだろう。


 他方で、リアグル神父は自分が指導している生徒たちにまともに黙想することが出来るために、黙想の方式から脱することを勧告した 。彼が愛する幼きイエズスの聖テレジアは、ピオ11世によって 1925年 5月 17日列聖されたが、聖女は霊的生活を始めるその最初から、天主にたいする大いなる愛を抱くことを願い、それは霊的生活のわずか最後の瞬間ではなかった。すなわち天主に対する愛は霊的闘いの土台にあるべきであった、闘いの後で天主に対する愛があるのではない。
「彼女ははじめから魂を信頼と愛そうという熱望で開花させ、喜びと勇気を息吹かせ、霊魂を勇敢にし強くした。 」


 マルセルは天主の愛に対する観想において天主に心を集中し、しおしおと悲しみに負けはしなかった。彼は気持ちに左右されなかったし、辛い感情に負かされることもなかった。これは彼が後にエコンの神学生達に勧めた態度だったが、これをまず自分が 1927-1928年にサンタ・キアラで身につけたものだった。ルフェーブル大司教はエコンの神学生達にこう言うだろう。


 「皆さんの神学校生活を通じて、皆さんが天主様へのそれほどの愛に、天主に対するそれほどの緊密さにたどり着くようにと私は願います。これがあなたたちに、天主の愛における、天主への愛着における、均衡と平和、堅固さ、恒常性を与えることでしょう。そうなるとあなたたちの人生の間に耐えなければならないあらゆる試練、あらゆる難しさ、不愉快さなどのすべての事が、天主様に対するあなたたちの愛に、もはや手を付けることがないでしょう 。」


 このように純然に神学的な力強さで武装したおかげで、マルセルは残念に思うことも黙ることが出来たし、反感にも打ち勝ち、一致と平和のために全てを尽くし、ベルテ神父のデリケートな任務をもっと容易にし、正しい態度を維持することに決心した。すると彼の同僚学生たちが彼を称えて神学校の「天使」と渾名を付けたのも、理由がないわけではない。他方でまた、彼の他の同期生たちはマルセルは「その敬虔、従順の精神及び熱心に勉強する態度で、認められていた」と証言している 。


 グレゴリアン大学で神学専攻 2年目に登録したマルセル・ルフェーブルは、フェリクス・マリア・カペロ(Felix-Maria Cappello) 神父の指導の元に教会法の勉強を始めたが、聖イグナチオ教会にあるカペロ神父の告解室は常に告解を受けようとする人々が行列をなし、神父は教授として 38年を在職した後「聖人 (un uomo santo)」の噂のうちに死を迎えた。彼はいろいろな人々から相談を受けたが、最高の原理を完全に把握していたために、そこから自分の答えを司牧上の視野の広さと固い確かさ込められたものとして汲みだしていた 。彼はマルセル神学生をして、教会の法に現われた教会の母親のような慈しみ深くて整然としている精神を愛するようにさせた。


 ハインリッヒ・レネルツ (Heinrich Lennerz) 神父とラッザリーニ (Lazzarini) 神父の教義神学過程で、マルセル神学生は命題を暗記するのが非常に大変だった代わり、命題よりも聖トマスの神学大全 (Summa Theologica) について非常に良く養成してくれる、教えの手順 (ordo disciplinae) の方を好んだ。遂に彼は 6月 27日試験に通過し、7月 2日神学学士学位を受けた 。

 

(つづく)

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3. 5. 1. 自由主義者たちの悪意

2006年05月02日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


5.自由主義(リベラリズム)の風に直面して(その1)


自由主義者たちの悪意


 新任神学校長であるセザル・ベルテ (Cesar Berthet) 神父はその最初、マルセルを暖かく迎え入れた。しかしマルセルの心は皆から愛されていた旧神学校長の追憶で締め付けられていた。ルフェーブル神学生は神学生たちからその春の陰謀事件の性格が「スキャンダラス」であることを教えられていた。彼はそれについて憤慨していたが、後に言うようにそれは自由主義者たちの悪意に関する摂理的な実践授業だった。


「私はその後、特に私が司教となった時、教会を現代の誤謬と妥協させようとする者たち全てに対して常に疑いを抱くようになった。それは私に油断してはいけないということと、司祭たちが私を訪問するとか私が教区を訪問している時、ああだこうだという報告を聞く時、常に目をきちんと開いて覚めていなければならないということを悟らせてくれた。そのような話を聞く度に、私は次のようにすぐその場でこう考えていた。オッと! 自由主義者たちがいるから、お互いに対立したのだ、と。 」


 相変らず時々、幾人かの神学生たちは荷物をまとめなければならなかった。何故なら、長上神父の言葉によれば「ローマの雰囲気は彼らにあわない 」という理由のためだった。彼らは「アクション・フランセーズ賛同者」と言われていた。事実、彼らはル・フロック神父が去ったという事実と新しい雰囲気を耐えることができなかった。ジョルジ・フレノ- (Georges Frenaud) は彼らのうちの一人のようだった。ソレムは彼を歓迎したが、ソレムの修練院長はこのような「黒い羊」に対して特別な理解の心を持っていたからだ。マルセル・ルフェーブルはサンタ・キアラにとどまったが、彼の妹クリスチアンヌの言葉によれば、彼はル・フロック神父の「支持者たちを監視するためになされていた地下の権謀術数」をひどく苦しんでいた。彼女は「それは、高く評価することの出来た以前の平和な雰囲気をひどく害するものであった」と言った。

 

(つづく)

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本当の従順と偽物の従順 名無しさんへ

2006年05月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!


名無しさん、
 コメントをありがとうございます。
 今日は、勤労者聖ヨゼフの祝日です。聖ヨゼフの御取り次ぎを願いつつこれを書いています。


 まず、聖座が年内に限定的に避妊具の使用を認める回勅を出すということが準備されているらしいということですが、おしゃべりとうわさ話が好きなイタリアのマスメディアが流したニュースのようです。

 バチカン内の「健康管理のために働く人のための教皇庁立会議」議長のハビエル・ロレンソ・バラガン枢機卿は、自分の統括している「会議」には公文書を発行する権能がないこと、ただ夫婦の一人がエイズの患者がいた場合について「研究」をしているだけ、とのことです。

 Vatican Cardinal on Condoms: Error in Reporting, I Don't Have the Authority to Produce a Document
http://www.lifesite.net/ldn/2006/apr/06042610.html

 上の英文の記事によればそのような「回勅」など出る予定はないとのことです

 マスメディアは、センセーショナルな内容の記事が出れば売れるので、また道徳の規準を下げるような世論を作り出すことが出来ると、それによって金儲けをすることが出来る企業もあるので、このような情報を流すのだと思います。




 コメントを拝見するに、名無しさんは「教会がどうなってしまったかわからなくなってしまったカトリック信者」のお一人のようです。ルフェーブル大司教様は、そのようなカトリック信徒の方々のためにオープン・レターを書かれました。是非、お読み下さい。

http://fsspxjapan.fc2web.com/op/op00.html

 

 特に、ただ今準備中なのですが、第18章の「本当の従順と偽物の従順 」をご覧下さい。


 そこでの内容をここですこしお知らせすれば次の通りです。(すこし議論の順序を変えてあります。)


==以下、ルフェーブル大司教様の「公開書簡」の内容==


 教会の中はどこでも無規律があり、教皇の訓戒は無視され、第二バチカン公会議の勧告や決定事項さえ尊重されていない。しかし、決して彼らが不従順だとはいわれない。この不従順という言葉は、聖伝に忠実に止まろうとするカトリック信者たち、つまりただ単に信仰を守りたいと望むカトリック信者たちだけについて言われている


 以前、教会はどこでも同じ信仰で、同じ秘蹟があり、同じミサ聖祭を捧げていた。その当時、これが変わるだろうと誰かが言ったとしたら、私はそのようなことなど信じることもできなかった。キリスト教世界の全地域で、私たちは皆天主に同じやり方で祈りを捧げていた。しかしリベラルな近代主義の新しい宗教は、分裂の種をまいた


 司祭たちは何をしたらいいかわからなくなっている。自分の長上たちが彼らに押しつけることに盲目的に従って、そのためにある意味で子供の時からの幼少の時以来の信仰を棄て、自分が叙階を受けるときに荘厳にした近代主義に反対する宣誓という約束を破るのか、或いは、抵抗するべきか、しかしそうすることは教皇様と離れてしまうかのような、私たちの霊父でありキリストの代理者から離れてしまうかのような印象を受けてしまう。どちらにしても、何という苦しい状況でしょうか。心が張り裂けるようだ! 多くの司祭たちは苦しみのあまり早死にしてしまった。


 どれ程多くの司祭たちが、長年の間司祭として聖務の奉仕していた小教区を離れ去るようにし向けられたことか! これらの司祭らは自分の長上たち位階制度のあからさまな迫害の餌食となって、信徒たちからの大きな人望と信頼とにも関わらず、信徒たちからむしり取られてしまっている。


 分裂は、信心のほんの少しの表明にさえ作用している。フランスはヴァル・ド・マルヌ県では司教は、長年の間主任司祭を正式に任命することになっている個人所有の教会でロザリオの祈りを唱えていた二五名のカトリック信者らを警察を呼んで排除させた

 メス司教区では司教は共産主義者の市長に頼んで、聖伝を守るカトリック信者たちの団体に譲与した場所の賃借権を停止させるように動いた

 カナダでは六名のカトリック信者が裁判所で有罪判決を受けた。彼らは頑固に跪いて御聖体拝領をしたということで有罪となった。カナダのアンティゴニッシュの司教は彼らを「宗教儀式の秩序と尊厳を故意に攪乱した」と告訴した。そして「攪乱者たち」は裁判官から、六ヶ月の保護監察を言い渡されたのだ! 司教がキリスト者らに天主の御前で跪いてはいけないと禁止命令を出したのだ!

 昨年、青年らが行ったシャルトルへの巡礼はミサ聖祭で幕を閉じたが、そのミサ聖祭はシャルトルのカテドラルの前の庭で行われた。何故ならカテドラル内部では聖ピオ5世の聖伝のミサが禁止されたからだ。二週間後、同じカテドラルはスピリチュアル・コンサートのためにその全ての扉を大きく開いていた。そのコンサートの中では、元カルメル会修道女がいろいろなダンスを踊っていた。

 現代、残念ながら、迫害は教会内部からおこってきている。フランス革命の時、カトリック司祭らは倉庫や納屋でミサ聖祭を捧げなければならなくなってしまったが、現代ではカトリック聖伝に忠実に留まろうとする限り、「不従順」だとされ迫害を受ける。


 教皇様が使徒継承の聖伝と自分の全前任者教皇たちの教えとをこだまのようにそのまま繰り返して語る時、私たちは教皇に固執する。正に、ペトロの後継者の定義それ自体が、この信仰の遺産を守ることにあるからだ。

 ピオ9世教皇は、(第一バチカン公会議の決議書である)『パストル・エテルヌス』の中で私たちにこう教えている。「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」

 私たちの主イエズス・キリストが教皇様や司教たちそして司祭職一般に委ねた権威は、信仰に奉仕するため。教会法や教会組織また権威を、カトリック信仰を無きものとするために使うこと、それらを命を伝えるために使わないこと、それは霊的な堕胎行為であり霊的な避妊行為だ。


 だからこそ、二千年の間たゆまなく教えられてきたそのままの私たちのカトリック信仰と合致することを全て受け入れることに対して、私たちは服従し、その準備が整っている。ただし私たちはこれに対立することは全て拒否する。


 五世紀の前半に、レランの聖ヴィンチェンチオは教義の発展について次のように語っている。

「もしも教会の或る一部分が、交わりからつまり普遍の信仰から切り離されたとしたら、カトリックのキリスト者は、どうしたらよいのだろうか? 壊疽にかかり腐敗している肢体よりも、全体において健康な体以外、いったいどの部分を取るというのだろうか? そしてもし新しい伝染によって、もはや教会の一部分のみならず、一度に教会全てが毒を盛られそうになったとしたら、その時もっとも配慮しなければならないことは、いかなる嘘の革新にも誘われることもできない昔に固執することである。」


 教会において、一人のキリスト信者にその信仰を減少するように強制することができるようないかなる権利も裁治権もありえない。全ての信者は、子供の時にならった公教要理による自分の信仰に危害をかける人がいれば、それが誰であろうとも、彼に抵抗する権利と義務がある。もしも信仰を腐敗させる危機にさらすようにという命令を受けた場合には、これに不従順である絶対の義務が生じる。


 正に、第二バチカン公会議後の改革と方針とによって私たちの信仰が危機にさらされていると判断されるので、私たちはそれらに不従順であり聖伝を遵守する義務が生じている。


 私たちが教会とペトロの後継者とになす事のできる最大の奉仕とは、改革されたリベラルな教会を拒否すること、これだ。イエズス・キリスト、人間となった天主の聖子は、リベラルでもなく、改革され得もしないからだ。


 二つの宗教が互いに対立している。私たちは今、劇的な状況の中を生きている。選択をしないと言うことは不可能だ。ただしこの選択とは従順と不従順とのどちらかを選ぶというものではない。


 私たちは信仰を守ることを選ぶ。私たちが、教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに固執するなら、私たちが間違うことは有り得ないからだ。危機は極めて深い。良く知り尽くし巧みに組織され、指導されている、それは、この事業を操っているのは人間ではなくサタン自身ではないかと本当に私たちが信じることが出来るほどだ。


 カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃だった。


 「では私たちにいったい何が出来るというのか? 私たちにこれをしろ、あれをしろ、というのは司教様なのだ。 ほら、この公文書は要理委員会が、または別の公式委員会が発表したものだ。」

 では、信仰を失う以外に何も残っていないと言うのか? そのような対応をする権利はない。聖パウロは私たちにこう警告した。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが真の従順の秘訣だ。

==以上、ルフェーブル大司教様の「公開書簡」の内容終わり==




 ルフェーブル大司教様は、いろいろな司祭や信徒の方々が聖伝を守るために苦しんでいる例を挙げていますが、韓国のことも付け加えたいと思います。

 このブログで韓国カトリック教会のエキュメニズム情報は、ソウルに住み聖ピオ十世会の聖伝のミサに与っているパク・テレサ姉妹が、私に現状を報告するために作ってくれている新聞の切り抜き帳からの一部です(パク・テレサ姉妹には心から感謝します)。聖ピオ十世会は韓国の信徒の方々とほぼ20年前に出会いました。

 私はまだ神学生で韓国語も全然知らなかった頃、聖ピオ十世会のラローシュ神父様に連れられて最初に韓国に行ったのが1988年末から89年新年にかけてでした。そこで私は初めて、今私が毎月会っている信徒の方々やパク・テレサ姉妹らとも出会ったのです。

 御聖体を礼拝し崇敬したい、跪いて口で拝領したい、それを求めていた韓国の信徒らは、ソウル中を「良い」教会を探して回ったのです。かなりの割合の人々はプロテスタントからカトリックへの改宗者でした。洗礼を受けた教会では洗礼を受けた時には跪いても御聖体を受けられたのに、後には、それが拒否されるようになり、あるクリスマスには行く教会もなく、一緒にロザリオの祈りをしていた年もありました。

 アメリカに移民して聖ピオ十世会の聖伝のミサに与っていた現信徒会長が韓国に着た時、このグループとコンタクトをとり、聖ピオ十世会について知らせたのが始まりでした。そして韓国の信徒の方々は以後、聖伝の信仰を守る闘いを続けています。


 日本でもカトリック教会の聖伝の信仰を守るために、聖ピオ十世会は兄弟姉妹の皆様と力を合わせてがんばっています。



 ルフェーブル大司教様がどれほど聖伝の信仰のために闘ったかを、その伝記を通して、出来るだけ早くお知らせしようと思っていますが、ルフェーブル大司教様も、聖伝の信仰を守るために苦しみました。


 ルフェーブル大司教様は、第3次世界大戦とも表現している第二バチカン公会議という戦争の現実を見ました。アシジのエキュメニズムも見ました。カトリック教会の受難と十字架のような時代を生き抜きました。しかし、ルフェーブル大司教様の素晴らしいところは、人間的な弱さをもつキリストの教会を見、十字架につけられるのを目の当たりにしながらも、イエズス・キリストを見捨てなかったことです。使徒聖ヨハネのように、十字架の足下に留まったことです。聖伝のミサと聖伝のもとに留まったことです。

 そして世界中のカトリック信徒と司祭の方々に、イエズス・キリストの聖伝復活の希望を与え続けていることです。



 ですから、名無しさんもがんばって下さい。天主の御助けによって、聖母の汚れ無き御心の御取り次ぎにより、私たちの弱さにもかかわらず「もしこのような内容の回勅が出たらもう公教会信徒やめます」などと言ってはいけません。

 では、信仰を失う以外に何も残っていないと言うのか? そのような対応をする権利はない。ルフェーブル大司教様は言います。


 聖座と教皇職は正しい教義を誤りなく伝承していくために天主が建てられたものです。もしもカトリック倫理に反する回勅が出されるなら、それは不可謬権を行使したものではあり得ません。私たちは第二バチカン公会議以後、多くの躓きとスキャンダルを見てきました。私たちは、人間に期待しているのではありません。


 私たちは天主がカトリック教会を立てられたのであるから、その天主に期待するのです。天主は変わることがないからです。人間がいくら言おうと、公教会の教義は人間がその時々の都合によってどのようにでも変えることが出来ない、永遠に不変のものだからです。


 聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 

□コメントが届いた記事:プロテスタントの牧師が信徒をカトリックの修道院に連れ、カトリックの聖体拝領

□コメントが届いた記事のURL:
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/df3bae0e9ea5a78dca59a495b5968193

□コメントを書いた人:名無し

□タイトル:「もう何も信じられない」

 


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