局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

赤ちゃんで癒される

2010-02-02 23:25:47 | 友人
四国路 しまなみ海道編を書こうと思ったがちょっと休憩。

今日は友人のFさんの初孫を見せてもらった。
着物の会で出会っていつの間にか仲良くなったFさん。
その行動力と太っ腹で世話焼きで誠実なところ、グルメ、おしゃれ方面でもいつもお世話になっている。
今度ママになった長女ちゃんもとても気が利いておもしろい子。ムスメの相談相手になってくれたりムスコと同業者ってこともあり、家族ぐるみで遊んでいた。
その彼女が先月出産した。実家に帰っているうちにお祝いしたいし、赤ちゃんの顔も見せてもらいたいし。
やっと風邪も抜けて 旅行から帰ってきて落ち着いた今日、Fさん家を訪ねた。

ピンポンすると
「局ちゃん 開いてるよ~ どうぞ~」と長女ちゃんの声。
出産後大分体重は戻ったというまだママというよりバリキャリ時代と変わらないHちゃんがまだおぼつかない手つきで赤ちゃんを抱いて現れた。
「わ~可愛い! おめでとう!」
「あがってあがって ママはベランダみたい。ママ~ 局ちゃん 来たよ~」

Fさん髪を振り乱して登場
「んもう~ 座ってるヒマがないのよ 次から次に用事があってさ H子は抱いてても危なっかしいしガサツだし~」
そう言いながら赤ちゃんをHちゃんの手から受け取り私に抱かせてくれた。

久しぶりに抱っこする赤ちゃんはまだ首が据わってないので頼りなくふにゃふにゃしているけど、切れ長の目と通った鼻筋がFさんとHちゃんに似ている。お顔も小さいし美人になる可能性大である。



まったく赤ちゃんってのはすごいエネルギーと癒し力を発散してるね。

かわゆい かわゆい 

それに誰に抱かれてもご機嫌よく半分うつらうつらして時々にっこりして全然ぐずらないし、布団に寝かしておいて 近くでいつもみたいにオバサン話をしてゲラゲラ笑っても全然気にしないような大らかで育てやすそうな女の子である。

「だってこの家みたいにしょっちゅう誰かが出入りしているところに居たら太っ腹に育つしかないじゃない」とHちゃん

確かにワタシの居る間にもHちゃんの友達がお祝いを届けにきた。 午前中にはFさんの友達がやはり来ていたそうだ。
FさんもHちゃんも友達が多いし付き合いも広く、駅にも近いから本当にヒトの出入りがあるお家。

「ウチのホニャララ(長男)は生まれた時、神経質で繊細で大変だったのよ。ちょっと音がすると起きちゃうから抜き足差し足で歩いててさ」とムスコの生まれた時の話をしたら

「それで今あれなの~? ありえない~」と一笑に付された

ワタシも人間変われば変わるもんと思うが 息子は2400gで生まれて母乳の飲みも悪くて育つか?というくらい神経質でヒヨヒヨした赤ちゃんであった。いつの間にあの態度のデカイドラに変身を遂げたのであろうか?
当時、ボケ老人だった祖父が居たので出産後実家に帰れず、オットが赴任したばかりで慣れない関西で友達も居ないで一人で子育てしていた(オットはありえないくらい忙しくてまるで協力できず)あの頃の イタイケな私に比べて Hちゃんはなんと楽しそうに子育てができることか・・・
(ワタシだって苦労した時代があったのよん)

だから、ただ無事に育てる事を目標に、髪を振り乱して 何かに追い立てられてたようなあの子育て時代は 今思い出しても楽しかったとは言えないのよね。
今だったらもっとゆったり子育てを楽しめるのにな~ さすがにもう産めないよね(ギネスに挑戦になってしまう)

こうなるとやっぱり孫で赤ちゃんを楽しむしかないんでしょうね。
ムスコとムスメ どっちが早くなるんだろ? もちろん今は未定も未定だけど。



↑予行演習



コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再確認した我がドジキャラと友の大切さ

2010-01-05 22:31:40 | 友人
今年の行事初めは 故郷の同窓会だった。
私達の卒業した小中一貫校の5年に一度の同窓会である。4クラスの男女90人ずつと小中の先生たちもご招待して盛大に行われる。

ワタシは一応(名のみの)幹事だったし、先生への花束贈呈係にもなっていたので着物で行くことにしていた。
あまり大げさでなく小紋か大島あたりでさりげなく行こうと思っていたのに、母が
「お正月なんだからもっと華やかなものにしなさいよ」と強行に主張して訪問着を着ることになった。
年を食った娘でも 母ってもんは着飾らせたいものなのね。



おかげでチーママと呼ばれたではないか・・・

一次会はホテルのパーティー会場で午後三時開始

全体で70人くらいの会だった。

二次会はホテルの最上階のラウンジ借りきり 殆ど帰る人がなく先生も帰った後ということもあり更に盛り上がる

三次会は近くのカラオケ屋に
ここで東京やその他の地方にこの日のうちに戻る組などはさすがに帰ったが、一次会、二次会に来なかった地元組を電話で呼び出したりする動きも見られ、人数はまだ30人ほど。
大きな部屋だったが動けないくらいの満席となる。
歌うより話すのが主流
ここでは大きなビールサーバーと焼酎をボトルで頼んであった。
もうこの時点で6,7時間は飲み続けているみんな。
女性のキス魔が現れたり、場は一部で乱れている。
ワタシはこの日はチビチビ飲んでいて量は飲まなかったし、ビールと焼酎にとどめておいたのでかなり頭ははっきりしていて(ワインを飲まなきゃほぼ素面でいられる体質であります)、「まったくみっともないわね~」とキス魔をハラハラしながら見守っていた。私はどっちかというと酔えば酔うほど毒舌に磨きがかかる 色気のナイ酒癖の持ち主である。
キス魔は就職したムスコの事で悩んでいたらしく、偶然同じような職種のムスコを持つ私に悩みをうちあけたあと今度は泣き上戸にシフトして 二人のオトコに腕を支えられながら四次会に向かった。

さて三次会お開き という事になり会計係になった私は みんなから集めたお札と伝票とバッグを片手に 着物の上前を片手に持って階段を登ろうとした。
酔ってなかったのにもかかわらず 階段でけつまづいてあやうく着物で転げ落ちそうになった。とっさに伝票とお札を放り出して両手をついてそれをまぬがれたのは判断力と運動神経のタマモノと自分で自分を褒めてあげたいところだが 周りの爆笑を招いてしまったではないか。
舞台友Nなどには 「もうやめてよ 局~ おかしすぎてナミダとおしっこがもれそうだよ~」とまで言われた。

その後 フロントで支払いのあと 「ショールを預けたんですけど」とトンチンカンな事を言い フロントのおねえちゃんの???の顔と 「局 カラオケ屋にクロークはねえよ」と言う突込みを浴びた。(前の会場のホテルと記憶が混じっていたのである。)
置いてきたショールは、あるオトコが首に巻いて持ってきてくれていた。
「やだ~ ありがとね」と言ってそれを自分が巻いたら片方がずり下がりで地面に垂れていて
「局って 昔からこういうキャラだったっけ~?」とまた爆笑された。

わざわざ訪問着を着せたがった母は 優雅に年を重ねた娘を昔の仲間に見せたかったのかもしれないが その目論見は見事にはずれたと言わざるを得ないであろう。

個人的にはこうやってバカを晒した同窓会だったが、一つ良かったことがあった。
私達の学年代表幹事は 生徒会の会長をやっていたGという男の子だった。
彼はこの学年で一番のおぼっちゃまキャラ すごくできるという感じではなかったけどそれなりに努力家で後には旧帝の法学部に進学したし、運動神経は抜群で細身の美少年といった典型的な附属っ子であった。
お家は江戸時代から代々続くある老舗であった。
大学を出たあと何年か司法試験に挑戦していたらしいが、結局あきらめてお家を継いだ彼だったが数年前に色々な要因があってお家の商売は人手に渡ってしまった。
彼はそこに雇われている立場になってしまったらしい。

5年前の同窓会はその渦中で学年代表の彼は欠席だった。その後も一切学校関係の集まりには出てくることがなかった。
誰に対しても公平に親切で面倒見のよかったGだったからやはりみんなから好かれて動静が心配されていた。
彼がその気になるまでそっとしておこうよ という意見と こだわりなく誘おうよ 俺たちの会長じゃないか という意見も錯綜した。
私達の仲間内の教授が彼に自筆の手紙を書き、彼は三次会にひょっこり現れた。
とっても痩せて顔色もよくなかったけど、あいかわらず愛想がよくて紳士的なところは変わらなかった。

四次会(まだ行ったんかい)のファミレスでは彼とじっくり話すことができた。
話のはしばしに公私ともに大変そうな状況はうかがえたが、小中の時代の思い出を話す彼は生き生きとして本当に楽しそうだった。

「こんなことを話せる集団はここしかないよね」と何度も言っていたのが印象に残った。

その後 こちらに戻ってきたワタシはそのテーブルで一緒に話した二人の友人からメールをもらった。

ちょっと見の外見は変わった人もいましたが、昔、何かを一緒にやった仲間とは
時間の経過を忘れ、昔に簡単に戻ることが、できることの喜びを
ここ何回かの同窓会で感じています。

S太郎の言葉通り、これまで順風満帆にきた人は一握り
だと思います。皆何かを乗り越えてきていると思いますし、
そのための努力を行ってきたと思います。

まじめなコメントになりつつありますが、俺は附属という集団は
決して嫌いではないですし(これを財産と考えるようにしています)、
Gとは話足りなかったので、また、次回(5年後)の会に参加
できるように精進したいと思います。



附属の同窓会集団・・・こりゃいったい何なんだろう。
僕にとっては、すこぶる居心地のよいものです。
その中でも特にtuboneやテンコと話していると、楽しくて時の過ぎるのを忘れる。

昔は人生50年とかだったらしいけど、現代に生きる我々はまだまだ人生を終了できるほど達観はできないね。
せいぜい人生の黄昏が仄見えるところにきているってところかな。
でもさ、秋の夕暮れがとても美しいように、人生の黄昏も悪くないね 後略


多かれ少なかれ 良かれ悪しかれ ワタシという人間の基礎を形作った空間。
その後何十年という時を経ても顔を合わせば直ちに昔の顔が思い浮かべられ、たとえどんなにその中に偉くなったヤツが居てもこの会ではみんなが対等で居られる。
しかし、仲間の成功は喜びあえるし、困ったことがあると無償で相談に乗ってもらえる。

今になって この仲間がいるってことは財産だなってつくづく思える。

その思いが私だけじゃないってことが確認できてうれしかった・・・




コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジイジ 歌う!

2009-12-24 20:26:53 | 友人
日々 バタバタしております。

おとといは高校時代の友人+αとクリスマス会
何組かはオット連れであった。(私は単独参加)



池袋の駅近のイタリアンで。

大皿で出るカジュアルコース

 オードブル シャコのマリネ?が美味だった

   渡り蟹のトマトソースパスタとゴルゴンゾーラのリングイネだったけか



メインはカジキマグロのソテー カジキマグロっておいしいって感じることがあんまりないけどこれはおいしかった。

他にサラダとピザなぞあと何品か出て2000円ちょっととディナーにしてはお値打ち。味も良かった。席は満席でぐるナビでも人気の店っていうのが納得できた。

これに飲みホをつけて4800円 食事代のみの二倍になるが。ビール・ワイン・カクテル各種、たくさん種類はあったし とにかくみんなのんべーなので絶対元はとったと思う。

その後 みんなよっぱでカラオケに

この中の同級生カップルで40台半ばで「孫」ができちゃった人達がいる。
進学女子高に行っていた自慢の娘が浪人中にいわゆる 「できちゃった婚」したのである。親自身も就職一年目でできちゃった婚だった記憶があるので できちゃった婚っていうのは連鎖しやすいみたいである。
思惑違いだったと思うしお相手も大学生で生活力がなかったので随分心配したようだった。
しかし、その後はうまく行っているようで、つい最近二人目の孫ができたそうだ。
アラフィで二人の孫持ち・・・
二人ともまだ若々しいし、とてもジイジとバアバには見えない。
O-くん と OOOちゃんと孫に呼ばせているらしい



ビリージーンを歌うジイジ 孫もびっくりであろう 


さて 今宵はクリスマスイブですが 子ども達はそれぞれ楽しい予定があるようで、残された夫婦はオウチディナーである。
が、オットはまだ帰ってこない。

おなかすきました。



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人ごとではないこと

2009-11-25 12:06:16 | 友人
ここ一月ほどの間で、私のごく親しい女友達二人の身の上になかなか大変なことが起こってしまった。

まず、食の伝道師Fさん。80歳になったばかりの実のお父様が自宅で転び、打ち所が悪かったのか脊損になってしまった。
おっとり系でチョイ惚けのお母様をリードして老夫婦でがんばって自立して暮らしてきたのに、お父様は救急車で運ばれてそのままICUに。一命はとりとめたが、これからも不可逆的に首から下は動かなくなってしまったらしい。

お母様にはその事実はまだ伝えていないが、もちろんショックを受けているし、一人では置いておけないのでFさんの自宅にひきとっている。

そしてもう一人は元モデルのT。事情があって実母を引き取っている 家はダンナさんの両親との二所帯住宅なので一緒に住むわけにはいかないので、その近くに自分のポケットマネーでアパートを借りてお母様の生活を見ていた。

そのお母様、引き取った当時、妹夫婦に追い出されたのがショックで抑鬱状態、または時々興奮して泣き出すなんてこともあり、持病を診てもらうのと一緒に神経内科にも診てもらったらしい。そうしたら抑鬱剤と安定剤が出たそうだ。
それがどうも過剰だったらしく、ある朝、朝食を届けに行ったところ、布団に仰向けに倒れて失禁したまま起き上がれずにいたらしい。そのまま オムツ生活になってしまった。

二人とも私より年上で殆ど同い年、陽気で行動的で華やかな女性たちである。きちんと子育てをこなした上で、自由になった時間と自己資金でおしゃれをして、色々な行事を楽しみ、世界中遊びに行っていたマダム。 その二人にも青天の霹靂というか、試練というものは降りかかってくるものなのね。

FさんもTも情報量や実行力が元々あるので、介護の仕組みなどを勉強し、色々な申請をこなしながら 現在がんばっている。 私も直接お手伝いできる事はないけれど、少しでも役立つ情報などは聞かれたら周りの医療関係者に聞きながら伝えることにしている。
または 「あ~ ムカつく 今の医療制度って何よ! 聞いてよ 局ちゃん」なんて時は電話で相手になったり 近場でランチくらいはお付き合いして一緒に憤っている。
やっぱり今は とにかくお年寄りは在宅で介護しようっていうのが基本的な厚労省の方針みたいである。よく3ヶ月たったら年寄りが病院から放りだされるなんて病院を悪者にした論調も見られるが、病院だって慈善事業じゃないんだし、企業として成り立っていくためには置いておけばおくほど赤字になる、寝たきりの患者さんに対してはそういった処置もやむないことであろう。そういう保険制度にした厚労省が悪いのだと思う。
FさんやTはまだ時間的、金銭的には恵まれているから可能かもしれないが、そうもいかない所は、どうするのだろうかと時々我が身に置き換えると空恐ろしくなってしまう。
子供手当てのおかげで配偶者控除も無くなるらしいし、そうなったらパート枠関係なく働くのがこれから生きる道だ なんてどこかの経済評論家が言ってたけど、そうも言ってられなくなるかもね。子育て終わった所帯は増えた税金に圧迫されながら年寄りの介護だよ、これからは。

障害者と要介護者を抱えてしまったFさん。 母親が要介護者になってしまったT。
どちらも本当に大変だと思うけど、救いは二人とも明るくて前向きなところ。
Fさんは弟夫妻も自立しているお嬢さん二人も協力的だし、今まで散々ヒトをまとめてお世話してきた実績もあるので周りの友人たちも力になろうとしている。
一時はかなり落ち込んでいたけど、持ち前のパワーで、どうにか色々な方法をとって両親の安泰と自分の自由な時間も模索している状態と見受けられる。

Tの方が可哀想なのは 男の子二人がまだ大学生と高校生だし、ダンナさんは「やるならどうぞ」って感じで協力的ではないらしい所である。もちろんお母さんの全財産を受け取ってから追い出した妹夫婦は知らん顔である。(T自身、どうせ何言ってもムダだから今度のことを伝えてもいないと言っていた)
ダンナの両親が 「やれるだけのことをやって差し上げてね」と言ってくれるのが救いだと言っていた。
周りに親しい友人も居るだろうが、いざとなった時に身内に頼める人が居ないっていうのはホントに大変だと思う。

一月に一度彼女と広尾に行く用事があるのだが、用事が終わって近くのカフェで
「も~ 母の事は最期までめんどうみるつもりだけどさ、あたし自身はこういうめんどうは子供にはさせたくないのさ。もうガンになっても手術もしないし、延命なんてとんでもないわよ。 理想はさ、足腰と頭は鍛えておいて ピンピンしててコロリって逝きたいよ。 局さ、もう少し母が落ち着いたら ポックリ寺一緒に行こうよ。」

なが~い足を組んでオープンカフェでバニーニを食べつつタバコをふかしながら見かけに似合わないことを言うT。
この際肺がんになってもいいやってことで長らく禁煙していたタバコも復活だそうなw

私もピンピンコロリは念願である。「いいよ、付き合うよ。ただタバコで肺がんになるのもいいけど、その前に肌が汚くなるからやめとき。いい女がだいなしよん 」とアドヴァイスしておいた。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子別れ

2009-10-08 22:22:44 | 友人
私の長年の妹分の昼行灯、長男のK君のグループホームを探している。

ダ☆ン症で、もうそろそろ20歳くらいになる男の子。一般的認識だとおとなしく争いを好まないと思われているが K君はかなり活発で好奇心が強くユーモアがあって積極的。
私のように個人的に性格をを知っていたり 知らなくても受け入れるタイプの人にはいいが、受け入れがたい人も世の中にはいるもんで、その度小さなトラブルは起こしていた。
昼行灯はその度に謝ったりKちゃんに対して注意はしていたのだけど、なかなかすべて良いようにはいかず、ここのところへこみ気味だった。
作業所への行き帰りに問題が起こることも多いし、将来のことも考えると、K君を受け入れてくれるグループホームに入るってことも選択の一つではないか?
もちろん週末には自宅に帰ってこられる条件で・・・ ということで、自宅や作業所から遠くないところをいくつも見学していたらしい。

そして昼行灯もK君も満足って所を見つけ出した。
指導者も障害者に対してゆったりと大らかに臨む人だし、一緒に暮らす予定のメンバーとも気が合いそうだってことで、昼間何度か連れて行ってK君も気に入った様子なので、この度1週間の予定で体験入所をすることになったらしい。

本当にマイペースだし、やはり母親には甘えてしまうのか、昼行灯が注意してもなかなか時間を守らず作業所へのお迎えバスの時間にいつも遅れてしまい、人に迷惑をかけてしまうのが嫌いな昼行灯にストレスを与えてしまっていたK君。
毎朝の葛藤がないだけでもずいぶん気が楽・・・と言っていたのだけど・・・

そのグループホームに送っていった朝、帰ってきて彼女からかかってきた電話

「局ちゃん 今Kを送って行ったところ」

「そうなんだ Kちゃんどうだった?」

「うん、ご機嫌だったんだけどね、私もこれでちょっと気が楽って思ってたんだけどね」

「うん」

「行きの車でなんだか泣けちゃった」

「さびしくなったの?」

「それもあるけどさ、この子ってこの先私や周りの思惑であっちこっち動かされて、自分の意思で居られる所に居られないんじゃない 一生自分の意思で生活ができないんじゃないって今更ながら思えたらかわいそうになった」

「うん」

「車運転しながら涙がポロポロ出てきてさ」

「うん」

「それ見たKが おかあさんどうして泣くのって言うから」

「何て答えたの?」

「おかあさん Kちゃんと今日から離れるから寂しくなっちゃったのって答えたのよ」

「そしたら?」

「私の頭を良い子良い子ってなぜながら おかあさん、寂しくなったらメールしていいぞ って言うのよ~~ あいつったらさ~~~ 余計泣けたよ~~」


・・・・・Kのヤツ、私まで泣かすなよ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同窓会@船上

2009-10-05 20:25:47 | 友人
昨日は中学時代の仲間とプチ同窓会だった。

場所はここ
天王☆アイルにあるレストランでフルコースを食べたあとに45分間のクルーズ。

去年も同じようなメンバーで屋形船での会を催したのだけど、その際
「出るものが天ぷらばっかりで飽きた」
「外に出ないし、天ぷら食べてビール飲むだけならどこでやっても同じ」
という反省点が出て 今年はフレンチのコースをいただいた後で初秋の東京湾をゆったりクルージングしようという企画をたててみた。



慣れない幹事の一日だったので写真を撮るヒマがなかった。
メイン↑がイマイチだったがコース料理はまずまず。
ゆったりした個室も用意してくれたので周りを気にせず話ができた。

飲みほメニューもつけて一部メンバー(含むワタシ)はガンガンいく。

およそ2時間の会食のあとに 船に乗り込み



ドリンクを片手にデッキに
この日は寒からず、暑からず 穏やかな秋の日が注ぐ気持ちの良い日だった。



マフィアの親分と情婦といった雰囲気をかもしだすKちゃんと舞台友N

この二人が船の先頭部分を占めてあたりを睥睨していたおかげで 私達以外の客はデッキに出てこられず(怖かったのであろう)ほぼ貸切状態で船上を楽しめた。

クルーズを終えてレストラン前から品川駅までタクシーに分乗して行こうと待っていたところに循環バスが来たのでみんなで乗り込む。
日曜だったためか客は私達だけ。なのでバスの中で写真を撮り合うオジオバ。
やはり中学時代に帰ってしまう。

アトレでお茶を飲んでこの日は解散。楽しい一日だった。

しかし先ほど、先週までなかったはずのシミの芽を顔上に見つける。
やはり穏やかな秋の日差しなんて油断しちゃいけなかったのね とちょっと反省。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三つ子の魂

2009-08-24 22:51:00 | 友人
さて リーズナブルなチャイニーズでお腹を満たしたあとで 私達三人はちょっと落ち着いたところでお茶を飲みながら今度はおしゃべり心を満たすことにした。

私はAと幼稚園の最終学年から高校まで同じ学校で学び、大学進学とともに東京に出てきた。それからなぜか住居や職場が近いとか 偶然に共通の知り合いがいるとか 不思議な縁で結ばれて 40年を超えてずっと連絡をとりあってきた一番古い友達だと思う。
しかし遡るとDとはもっと古い頃から知り合いだったのよね。
私の祖母がやはりDの祖母と女子師範の附属校(私の出身校の前身)で一緒だったらしく私は幼稚園に入るか入らないかの時に祖母に連れられてDの家に遊びに行った事が何回かあったのだ。
もうおっそろしく昔のことだから(笑)記憶も彼方だけどお父さんが開業していた医院の奥に大きな庭をへだてたお屋敷があり その頃は珍しかった毛の長い室内犬がいた(その当時は座敷犬といっていた)
一人っ子だったDはとてもおとなしくて口数が少ない少女で恥ずかしがり屋だったけど、祖母同士がおしゃべりに興じている間に私はDの部屋で一緒に本を読んだり人形で遊んだりしながら待っていた覚えがある。

Dは小学校で何回か同じクラスになったがその頃とまったく変わらないおとなしくて寡黙な少女で、「おっとり」とか「深窓のお嬢様」とかっていう言葉は彼女のためにあるようなヒトだった。
私はどっちかと言えばもっと活発な女の子集団にいたので小中時代はDと敢えて一緒には居なかったけど、昔の縁もあってかお誕生会とかには必ずDは招待してくれたことを覚えている。
高校から東京の学校に進学してしまったDちゃんのウワサはバッタリ途絶え、おばあちゃまはもちろんお母さんももう10年以上前に早世してしまわれたのでその後のDちゃんの話は 「歯医者になったらしい」「結婚したけど成田離婚したみたい」としか耳に入ってこなかった。
それほどDちゃんはおとなしくて自己主張しない子だったのよね。

そして5年前の同窓会でずっと出てこなかったDが同じテーブルに座り、その姿や佇まいの印象がまるで昔と変わっていなかったのでびっくりしてしまった。
名刺をもらったら都心で開業しているというので更にびっくりした。
以前と変わらない小さな声で静かなしゃべりかたと物腰 他人を雇って仕事をしている感じがまるでないんだもの。

その後何度か同窓生の集まりで顔を合わせたけど 相変わらずニコニコしてヒトの話を聴いてはいるが 自分から話をふることもなく 私も私であれこれ忙しいので特に個人的に話を深めることもなかったけど、こうやってAと三人で話をしてみてなんだか感慨深い気持ちになった。
細かいことは聞いていないが、結婚して離婚して開業、お母さんを亡くしなんて色々あったにもかかわらず今でも おっとりしたその苦労のようなものが一つも彼女に陰を落としてないように見られるところ、Dみたいなヒトってホントは強いんじゃないのかしらねえ・・・

「Dちゃん仕事忙しいの?」ってAがふったら
「ううん ヒマなの~ それに色々制度が変わって収入激減よ このままだとウチっってつぶれるかもしれないわ~」 と深刻な事態を話すのもあくまでもおっとりした口調だった。
私も歯科の保険点数が下がったり規制がきつくなったりしているのは興味を持っていたのであれこれ聞くと まじめに厚労省の指示通りに診療して保険請求をするととてもじゃないけどやっていけない事。
「なんだか歯科医って淘汰されてるみたいな気がするわ~」とため息をつきながらDちゃん。
「ホント厚労省ってバッカよね」と極端な局意見に対して初めて 「そうなのよ バカよね。 現場を知らないヒトが制度を作ってるとしか思えないもの・・・」とその時は真顔で答えたけど、やはりあくまでもおっとり。
「バカよね」って言う根拠は、前も書いたけど あまり点数を抑えてマジメに保険診療でやってる歯科医をいじめるとそのうち自費診療のところしか残らなくなっちゃうのではないだろうか?ってことである。
そうすると困るのは患者である私たちなのよね。

     * * *

そんなこんなで性格も立場も違う女三人だけど 話は尽きずに夜は更けた。
後でAと 「Dちゃんって大変かもしれないけど せっぱつまってギスギスしたりはこの先も絶対ないよね」
「なんかDちゃんと話してると 私達がすんごくガサツな女って感じがしちゃうよね」
「ホント三つ子の魂だよね。あそこまでお嬢だと死ぬまでお嬢だよ きっと」という結論に達した。

イーサンさんの好奇心のために(笑)
Dちゃん、きれいですよ。でもAみたいな都会風な美人じゃなく ふっくら(ぽっちゃりじゃなくふっくら)していてクラシカルな感じ。
床の間に置きたい系佳人です。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色々 つれづれ と peace night

2009-08-06 20:58:26 | 友人
昨日は仕事は休み。
だけどそういう時の方が忙しかったりする。

午前中は絵付けに



時計の続きを描く 金彩に入った やっとゴールが見えてきた感じ。


午後からまつげ&ネイルサロンへ

エクステをつけたし、ペディキュアをしてもらう



あっさり珊瑚色のベースに控えめにストーンをつけてもらった



サロンの近くの有名鯛焼き屋でおやつの鯛焼きを買い

帰りにスーパーで買い物をして

夕食を作り 娘と食べて

夜の行事に備えた。

この日は広島発の peace nightがあったのよね。

こちらにもコメントを寄せてくれる ⑦パパさん や 女社長さん が出演したり関係したりする 原爆記念の日に発信するネット放送でした。

焙煎人サマには広島行き以来東京で二度ほどお会いしましたが、動いている⑦パパ映像を見たのは久しぶりだった。

普段下ネタ好きで冗談ばっかり言ってるけど、こういう画像ってシャイで良い人キャラがちゃんと表現されるもんですね。
私がお会いしたときより10kg以上体重増加らしかったが そんなに太っては見えなかったけどね。腹凹まし効果だったのだろうか?

調子の出たところで急に 局ちゃんと画面から呼びかけられ 焙煎人さまからは あれはバカじゃけえと名指しでバカ呼ばわりされて(今度ご馳走してくださいね
結構一人受けてしまっていた。

全部は見られなかったけど、うらやましかったのは広島の地方都市ならではの元気さであります。

東京ってのはあまりに巨大で あまりに人間関係さが希薄で 横のつながりができにくく最初から誰かがするだろう、今してるんじゃないの?って感じで何かを発信しようって気力がそがれる。
かと言って 私の故郷(一応県庁所在地なんですが)の街のあまりにも寂れた元気のない現在、あんなエネルギッシュな大人たちが何かを発信しようとする気概が感じられないのよね・・・

で、広島ってちょうどよい規模で ちょうどよいエネルギーがフツフツしている感じがしていいな~って思ってしまったのでありました。
ブログつながりで思いがけずにそちらにお友達ができて良かったな~と思う。
日常生活じゃまず知り合えなかったものね~







コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い理由

2009-07-08 22:41:35 | 友人
今日は二つ目の記事アップ。
パソコンのスイッチオフしようと思ったところに 携帯メール着

親友Aからであった。

「帰って来たよ! ささやかながらおみやげもあるから近いうちにランチしよ。
東欧男子は 世界遺産以上に目の保養でした 

東ヨーロッパ10日間の旅を終えて帰国したらしい。いいなあ イケ面ウォッチの旅。

しかし、アラフィながら このノリは大したもんだ。

Aの若さと美貌はこういうノリだと思った。あやかりたいもんだす。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや

2009-02-17 09:48:13 | 友人
昨日はこちらのブログにもよくコメントを寄せてくれる reikoママさん(軍鶏長姉)と初めてお会いすることができた。

⑦パパさんつながりの広島在住の方だけど、息子さんが二人ともこちらの大学に在籍中なのでよく東京にもこられているらしい。
去年私が広島に行った際はご事情が会ってお会いできなかったのだけど、人を介して私の宿泊先においしいケーキとシャンパンをわざわざ届けてくださっていた気配りの方。

某駅で待ち合わせして、(一応私の服装はお伝えしてありましたが)私は多分あの方と思っていたが あちらは中々わからない様子。声をかけたら
「あら~ ⑦パパさんが見えないくらい小さいって言ってたからもっとずっと小さい方を想像していて・・・」 だそうである(爆)
「そんな小さくないじゃないですか」だって 
はい、態度がでかいのであまり小さくは見えないと思いまする。

気軽なカウンター割烹でコースランチを

  

色々お互いの事はブログによって知っている(リアル友より知っているわけですから)話が弾む。
温かい人柄とともに人をリードする貫禄も備わっている頼もしく素敵な方とお見受けいたしました。

こちらで髪型のイメージチェンジをするというご希望なので、行きつけの美容室にご案内。
私の担当者に紹介して一言彼に挨拶をして私は帰ろうと思ったのだが(先週デジタルパーマをかけたばかり)
「あれ、局さん 今回はかかりが悪いですね」
「そう? まあちょっとゆるい気はしたんだけど・・・」
「お時間あったらかけなおして行きませんか?」

ってことで私もパーマのかけなおしをすることに・・・
今度はしっかりかかった。こんなに手間のかかる施術をタダでしてくれて申し訳ない気もしたけど・・・
reikoママさんはカットとエアリーウェーブとカラーとフルコース施術だったので仕上がりは拝見できなかったが、きっと素敵になっていることでしょう。
今度お目にかかるのが楽しみ♪

しかし、ブログつながりで友人が増えるなんてのも不思議なご縁です。
私は人見知りというか、自分から友人作りには積極的ではないヒトなので ⑦パパの 人と人を結びつけよう精神のおかげだと思う。その証拠にブログつながりに関しては広島以外には友人はできないもの(爆)
しかし、ブログで綴ったものを読んで、それである意味気が合いそうと思ってお互い会いたいと思ってお会いするわけだから、表面だけみてつきあっている(浅い関係の)リアル友より私のことはわかっていてくれるわけですね。

こういった関係もまた楽しいのかもしれない。
岩村菓子舗の紅葉まんじゅう、今まで食べた中であんこが一番おいしかったわ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同窓会

2009-02-12 20:37:46 | 友人
昨日は恒例同窓会@下町はしごだった。

附属を卒業した私達同窓生は最近やたら仲がいい。
昨日も ランチはフグ割烹でコースを堪能→カラオケを挟み→老舗下町おでん屋
という1次会から3次会まで9時間コースである。途中帰るのは殆どいない。
ホント好きね。

* 一次会(某老舗ふぐ屋)



やっぱりフグと言えば白子ですネ



医者(アンチエンジング専門 アロハ着用・頭の中もアンチエンジング) 局 歯科医(インプラントもやるわよ~ 手術好きなの~とさらりと言う元お嬢×1)



親友Aは今日は着物で参加 チーママと呼ばれていた。

* 二次会(ホテルのカラオケルームにて)



なぜかカラオケというとくっつきたがる医者デュオ(膠原病医と整形外科医)
気持ち悪いが抜群にうまい。チャンピオンを熱唱中
着物後ろ姿は日本舞踊お師匠さん(こちらは大ママの貫禄)

* 三次会(某老舗おでん屋)

  

このおでん屋さん 大好きです。
ここの所下町老舗の悪口を何度か書いたけど、ここの味も色も濃いけどなんともいえない深い味わいのおでん♪ 昨日は口の中でほろりと崩れるつみれが抜群においしかった。茶色に炊き込んだ茶飯におでんつゆをかけて食べる茶漬けも最高。

みんな職場では中堅以上責任のある立場だろうし、男女問わず結構きっちり子育てしてきた風も感じられるが、バカになってくれるところがすてき。

女性陣もこういった会でありがちの ダンナがどうの子供がこうのって話が全くといっていいほど出ない。聞けばみんなご立派な学校出して自慢になる子供たちみたいだけど、そんな話より自分自身が何をやってるとか何に興味をもっているとかの話の方がずっとおもしろいし話が弾む。
また当時誰が誰を好きだったとか 昔からOOの好みはああだったとかいい年のオジオバになってもその手の定番話は盛り上がる。

損得づくで結びついてはいないが、誰かが困ってる時などは 「じゃ OOがその手は詳しいはず」と話が廻って助けてくれたり、誰かがエラくなったりお祝い事があったりすると 自分の事のように喜べる関係がうれしい。

この会を殆ど仕切ってくれるのは舞台友N

「ホントにあんたたちはあたしの自慢のタネなんだからね。子供にもママの友達はみんなエライんだよって威張れるんだよ」という彼女の気持ちもわかるような気がする。

この仲間は今までも、これからも大事な人たちだし、改めてこういった仲間に巡り合えた環境に置いてくれた両親にも感謝するなあ・・・

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新春イタリアン

2009-01-07 10:24:24 | 友人
おとといの夜はジム友のキレイどころと新年会だった。

また飲み会?とお思いの皆様に・・・言い訳がましいですが 去年の年末の彼女たちからの飲み会の誘いは2回連続でパスしているのである(他の予定とかぶったのとそこまで頻繁に飲んでもいられないって私なりの自粛)
しかし、新年会はやろうねっと念を押されて申し訳ないことに私の都合で日程を調整してくれた。
そしてもう一人 妹分の昼行燈。
「ね~ 局ちゃんったら最近ちっとも遊んでくれない~」「どっか連れてってよ~」←オバになっても妹的性格
三人とも住所は近いし、昼行燈は天然だけど邪魔にならないキャラだし、いいや、この際一緒に誘っちゃえと言うことでこの機会に彼女を誘ってしまった。

所は 新宿伊勢丹裏のイタリアン クラOディア
こぢんまりした店構えだけどここの石窯で焼くピザは絶品。つまみ類も量は少ないけどどれを食べても良いお味である。

  

ソムリエはaround30の女性できりりとした白衣にソムリエバッジもりりしくてかっこいいし気さくにワインも選んでくれる。
今日は白ワイン。



ジム友 30代の小西真奈美似ちゃんと 美形アラフィマダム



酒豪のジム友のワイン摂取速度につられて早くも酔っぱらった昼行燈と局


みんな気さくでネアカキャラなので初対面ながら盛り上がり両方を結びつけた私としてはほっとした。

で、話題は 小西真奈美(以下真奈美と仮に命名)の結婚問題になった。

30代半ばの真奈美、お肌つるつる、小柄で華奢な体系なので20代くらいに見えるのだけど、今はお相手がいないでフリーらしい。
去年の最初から
「局さん 私 今年は12年に一度の恋愛運の年なんですよっ! 今年は絶対結婚相手見つけますっ!」って言ってたのに結局何事も進展せずに終わってしまったらしい。

もちろんお誘いはあったらしいが、真奈美がその気にならなかったり相手が天秤かけてたりで
「結局実りなしですっ 」の一年だったとか・・・

これだけ可愛いし とても気もきくし性格もいい。しっかりした温かい家庭でとてもかわいがられたお嬢さんタイプ。
彼女も子供が大好きだし、早く結婚して子育てもしたいらしい。

「局さんも昼行燈さんも 誰かいい人いたら紹介してくださいね♪」

その日私も家に帰って夫に真奈美の写真を見せましたさ。

「あなたの職場で独身いないの~?」

「う~~ん 最近奥さんに逃げられたOOOの××ならいるよ。」

「どうして逃げられたの?」

「×××と浮気したのがバレタらしい。しょうがないな ありゃ。若い子好きの病気だから」

「いくつよ?」

「57,8だったかな」

「話にならん  パスッ」

「あっ ◎◎◎にも独身いたな。あいつは30代半ば」

「ちょうどいいじゃない♪ どんな人?」

「う~~ん 鬱で半年仕事やすんでて出てきたんだよな。仕事はどうにかこなすけど同僚とは口きかないんだよな~」

「あっそ わかった 

別に鬱が悪いわけじゃないが、最初から紹介するのははばかられますがな。

昼行燈も家に帰ってダンナに聞いてみたらしい。
昼行燈ダンナは もともと私の兄代わりの遊び相手だった。今や 誰でも知ってる一流メーカーの部長である(仲間内では奇跡の昇進と言われているが)
理系で女性に縁がなくやむをえず独身で来ちゃったようなイイ男が居そうな職場である。

しかし、彼曰く

部下で独身者は46歳で風采の上がらないオヤジ系のハゲか、44歳で彼女いない歴44年のアキバ系の童O君の二人。どちらも好人物ではあるが、女性にアピールできるような点は見当たらない 以上

ですと。

いったいアラ40の独身のいい男ってのは世の中にはいないのであろうか?(象の墓場かいな?)
30,40代の独身のいい女っていうのは周りを見回しても結構いるのにな~

ホント不思議なんですけど・・・



コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問題勃発

2008-12-12 23:18:44 | 友人
と言っても 友人家庭でありますが・・・

ごく親しい友人のダンナがリストラに合いそうだ。
夫妻は各々再婚。40過ぎてから電撃的に結婚したカップルである。

結婚当時ダンナの方は日本の超大企業にいて 某国に赴任していた。
そして某国の企業にハンティングされて その当時かなり良い条件を提示されてそれに乗って転職した。
その際 周りはかなり心配した。だって彼の勤めていた日本企業はやはり安定しているし、某国はなんていっても某国 その提示された条件がずっと守られるのかどうか信用できるの~?って感じだったからだ。

私の友人も 結婚したばかりでの夫の転職 および その話に乗ったら 向こう8年は日本に帰って来られず新婚当初から別居ということもあり 決して賛成した話ではなかった。彼女は優秀なキャリアウーマンで同年代の男性の平均と同等以上の地位、収入がある。完全に自立しているし、この時点では老後一人でいたとしても先々困らないような設計図を描いていた。

でも 彼は某国企業に転職した。
最初は 某国経済が拡大につぐ拡大で彼もブイブイ言わせていたようである。
私から見て 「日本に居ないのになんでそんなもん買う必要があるんだよ?」みたいなものまで購入していた。 そう ミニ小室状態でしたね。
それが この世界的な金融危機とともに瓦解しちゃったわけです。

彼のプロジェクトについていた予算は消失し、現地のスタッフは解雇され、彼は完全に仕事を干されてしまったそうだ。

彼 「もう某国に居るのが嫌になった。 ボクは悪くない すべて某国と某国人とウチの会社の経営陣が悪い」

嫁 「あなたの大変な状況はわかる でも周りだけ責めるのもよくない この先のことを考える上でも 自分の仕事上での反省点も顧みるべきでは?」

彼 「いや ボクは一生懸命やった。結果がでなかったのはまだ結果を出す段階でなかっただけだ。反省すべき点はない。人事権も予算もボクにまかせてくれればよかったのに。ボクはアイディアだったらいくらでもある」

嫁 「でもあなたは 大企業の看板をしょって働いては来たけれど経営するといった経験はないのでは?」

彼 「どうして君はボクに対して否定的なことしか言わないのだろう ボクは今まで挫折した経験はないのに」

彼は結局 彼女に愚痴を聞いて癒してほしいと望んで一時帰国した。
結婚当時は 「ボクは同等なパートナーとしての伴侶を求めているから、働いてキャリアを積んでいる女性がいいんだ」って言ってたのに。彼女は自分の社会経験から彼に意見を言っているだけなのにそれによって傷つけられたんですとさ。
慰めて愚痴聞くだけなら世間知らずの優しい女性に言えばいいやん。相手が違うでしょうに。

「聞いてよ 局ちゃん~!!」

という彼女からの悲鳴電話で彼女の昼休み空いた時間一緒に昼御飯を食べた。

友 「挫折したことがないって アラフィで言い切る男って怖くない?」

局 「うん 怖い。挫折を挫折って感じなかっただけなんじゃないの?」

友 「そうなのよ! 挫折を挫折って感じてそれをどこが悪かったかって自分の中で咀嚼して次に行かなきゃヒトって進歩がないわよね」

局 「その通りだと思うよ。それに今までの経緯を見るとうまくいかなかったことをすべて周りのせいにしてるみたいに感じる」

友 「局ちゃん鋭い 私が一番嫌なのもそこなのよ。彼が日本に帰ってきて東京の街を歩くとやたら人にぶつかるの。雑踏を歩きなれないってこともあるのだけど、彼は自分の歩くペースを変えようとしないわけね。それであとから 日本の歩道は狭すぎるとか どうして日本人はあんなにのんびり歩くんだろうか?って言うのよ」

局 「へ~」

友 「だって歩道が狭いのは仕方のないことでしょ? それに人より早く歩きたければ追い越すタイミングを図るとか 歩道の継ぎ目の時にすり抜けるとか自分の側が工夫すべきじゃないの」

局 「一事が万事ってことね」

友 「仕事上でもそういうこと感じてほしい。」

局 「感じないでこの年まで来ちゃったとすると難しいかもね」

これ以上書いてもしょうがないけど、彼の家庭の問題にも私の友人は巻き込まれている。 
結婚したと言ってもずっと別居 子供もいない状態で 急にできた義兄弟や姑に情がわくとは思えないけれど 彼のお母さんの病気の時は日本に居ない彼の代わりに彼女が病院に行って手続きしたりもしていた。
私の周りの♂たちは 彼女ファンが多いので そんな彼女の状態に対してあちこちからブーイングも聞こえてきた。

「彼女が再婚する必要なかったじゃないかよ」
「大した男じゃないじゃない Oちゃん、この先苦労するだけだよ」
「局ちゃんがついていながら どうして再婚なんかさせたんだよ」

って 私は彼女のお目付け役じゃありまへんが・・・
(そんなにOちゃんが気になるなら あんたが離婚でもして面倒見てやれや)と言いたいんですけど~

「しかしOちゃんもダンナに優しいな。俺がそんな状態でニョウボに癒してほしいなんていったら 何をバカなこといってるんじゃって言って叩き出されるさ、局んちもそうだろ」

余計なお世話だっちゅうに そうかもしれないけどさ 

もちろん人生は良い時ばっかりじゃないのは承知してるし、夫婦ってお互いに困った時こそ助け合わなければならないのってのはわかっているけれど、彼女の結婚生活を見ていると 結婚したがために余計なストレスを抱え込んじゃっただけのように思えてしまう。
私が彼女びいきってこともあるけど、どう見てもあのダンナは彼女にふさわしい男性とも思えない。それこそ余計なお世話なんだけど・・・


コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガリレオ夫妻と定例飲み会

2008-10-13 11:15:12 | 友人
おととい(毎日出かけてるので日記も遅れ気味)の夜は飲み会だった。

夫の高校時代からの親友夫婦である。妻の方は私の高校の同窓生。
実はこの二人は私たちの結婚式の二次会で知り合ったカップルなので夫同士、妻同士も会っているし、年に一度はこうやって2カップルで会うことにしている。

昨日は青学近くの 英国風パブで。
夫が何かの二次会で行って雰囲気がよかったからと言っていたので予約しておいたお店だった。
青山通りからちょっと入ったところにある3階建てのツタの絡んだ建物は確かに素敵である。



建物を撮りたかったのに無理やり被写体となる夫w

  



内装も遊びがあってよかった。個室だったので落ち着けたし。

そして料理ですが・・・

 アボガドとマグロのサラダ(これは○)

 馬刺しのカルパッチョ

 ジャガイモのスープ

 メインデッシュ (夫は牛頬肉のワイン煮込み 私はメカジキのロースト)

 デザートは塩アイスクリーム(これも○) コーヒー

この場所でコースディナー食べて値段設定はかなり安かったからおいしさを期待してはいけない。しかしメカジキのローストなんてどうにかして欲しかったなあ プロなんだから のデキであった。

渋谷の喧噪からは離れているので落ち着けるし、夜にしては値段も安いので学生や若いカップルの勝負デートなんて時にはいいだろう。しかし私たちの年代が料理を楽しむ水準の味とは言えないところが残念だったわ~(すんませんな 文句が多くて)



このバスペールエールっていうイギリスの生ビールは美味だった。
その他 酒類は色々種類は多かった。その点のんべの♂二人+私にとってはありがたかった(友妻はマテ茶)

かなりできあがってから記念撮影

 

友人カップルはどちらも最高学府卒、♂の方はガリレオ関係の仕事である。(しかも40代前半から准はとれている)
去年も書いたがそれで長身、イケメン(かつてはこの前大麻で捕まった加瀬大Oに似ていた)そして誰もが認めるいわゆるエリートであろう。
しかし去年も書いたが 昔はかなり言うことがとんがってて偉そうでいや~な奴だった(石原慎太郎的発言が多かった)私も若かった頃はその手の発言にイチイチ反応して反論し、家族ぐるみで泊まりに行くといつも飲みながら喧嘩になって夜が明けるなんてことになった。
だけど 人ってやっぱり年取ると穏やかになるのね~

人を小馬鹿にするような発言が減ったし、上から目線の物言いをした後に 「なんちゃってな~」なんて言葉も出るようになったし いつの間にか穏やかなオジになっている。

以下、かなり酔っ払ってからの会話ですが・・・

ガリレオ家の子供は娘三人 大・高・中とそれぞれ多感なお年頃である。しかしガリ夫は風呂上がりや着替え時は完全に裸体 それも前も隠さずに家じゅうを闊歩するんですと。娘たちもまるで父親の裸に反応しないと言う。
対して我が家、夫は絶対に裸体で家族の前にも出ない。どんなに暑い時でも最低 トランクスとシャツを着て脱衣所から出てくる男である。したがって家の家族もその点では慎ましやかなのよね(笑)

ですので

局  うっそ~ 娘の前でって信じられない
ガ夫 小さい頃から慣れさせてれば大丈夫だよ 時々あそこに視線を感じる時もあるが
局  そうか 慣れさせるって大切なのかなあ 我が家で娘の前でなんて信じられないよね、あなた
局夫 文化の差だろ
ガ夫 文化って言われると考えちゃうなあ・・ 裸族かよ 俺ん家は
ガ妻 でもあなたのお兄さんも全面ガラスの二階のベランダで真っ裸で歯磨きするって言ってたじゃない
ガ夫 そうなんだよな~ それを真似して小学生の甥も並んで裸で歯磨きしてるらしいぜ
局  アハハハ やっぱり文化の差じゃん
ガ夫 教育効果もあるんだよ
局夫 そんなもんねえだろ
ガ夫 あるさ これ以下だったら彼氏にするな とかな
局  ハードル低っ! とか言われてたりして
ガ夫 ギャハハハ そうかもな って 見たのかよ!?

とか思い出すとなんてくだらねえ会話w エリートガ夫も相手が相手だとお品がおちるのね。

つくづく個室にしておいてよかったと思ったわ~

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い友達

2008-08-10 14:33:47 | 友人
昨日は親友Aの家にお茶しにいった。
都心のおしゃれなマンションである。ダンナは某国に単身赴任中。
Aは大手メーカーで商品企画をしている傍ら 大学で住居関係の講師もしている。
バリキャリのハシリである。

その講師1年目の教え子の子たちにとても慕われて その子たちが学校を離れてからも個人的な付き合いを続けていた。ちょうどその時 Aも離婚後の独身中、それに同じ時期に三人とも父親を亡くしたという共通項もあって余計絆が深まったらしい。
私も彼女たちに紹介されて色々遊びに行った事もある。
ちょうど彼女たちが大学を出て数年、25前の時だった。
二人とも とても可愛くて良い子だったが まだ学生っぽさが抜け切らずに 真面目なRちゃんは職場の人間関係に悩んで夏休み期間中引きこもりになったり Mちゃんは彼氏との関係を清算するか否かで悩んで 遅くまで飲みながら話を聞いたこともあったっけ である。

で、この5年のうちに 一番の変化が Aの再婚。
幸か不幸か結婚後ダンナがすぐに単身赴任でAは変わらず仕事しているのであまり体制に影響はないのだが、Aの結婚に際して 老舗の服飾専門学校の講師をしているRちゃんは ウェディングドレスを作り(それを着た美人のAはめちゃめちゃ美しかった)Mちゃんは披露宴代わりのパーティーを企画して、私はその席でスピーチをして(一度目の時もやったw)という経緯もあり、年は違うが ときたま会って話せる若い友だちとして付き合いが続いている。

でも ここのところ私も忙しかったので 彼女たちに会ったのは1年半ぶりくらいであった。

  局とRちゃん
  MちゃんとA

二人とも相変わらず可愛くておしゃれだが、やはり落ち着いた雰囲気になっている。
いくつになったんだっけ?と聞いたら 「やだ~ 局さん もう30ですよ・・・」 だそうだ。自分も年をとるはずですねえ・・・
仕事上でも 色々任せられる中堅となっている自信も感じられる。

でも そこは若い子たちだから当然 恋バナもあるわけですよ。

Mちゃんはずっと続いてる彼氏と どうやら落ち着き、来年中には式をあげるらしい。Rちゃんは公認会計士の彼ができたらしい。
Rちゃんは美貌で真面目でとても良い子だが、ちょっと物事を真剣に考えすぎるキライがあって 仕事も人間関係も悩んじゃうタイプだった。
以前引きこもりっぽくなった時も Aに頼まれて夫の後輩(一般的に見ても私から見てもなかなか引く手あまた男)を紹介したこともあったが、夫の後輩側は結構気に入ってアタックしていたが Rちゃんのお眼鏡にはかなわずにダメになったこともあり わりに気難しいところもあった。それに条件じゃ転ばないなってところもあった。
Aも私も よかったじゃない~ と喜んであげたが 問題はお相手が5歳年下ということらしい。

大学卒業して試験に受かったばかりだそうだ。
「局さんは 息子さんに5歳上の彼女ができたら やっぱり反対しませんか?」と聞かれて言葉に詰まりそうになった。
一般的に聞けば 5歳上・・・ とちょっと考えるかもだけど、Rちゃんみたいな子とわかれば良いと思うけど。

「お母さんから 結婚はどうするの なんて言われるんですけど まだ向こうが若すぎるから なかなか計画たてるまでいかないんですよね・・・」

「結婚はいつでもできるけど、子供を産んで育てるには残念ながらある程度のタイムリミットってものがあるからね」おせっかい一言を言ってしまった局

Aも
「そうなのよね、それだけが問題。私なんて 女が企業で仕事をし続けるってののハシリの年代だったからね~ 結婚はできたけど子供を持つって選択が困難だったもの」

確かに私達の同級生 Aを始め 一級建築士のN その他女医、会計士の同級生はみんな独身か子無しである。彼女たちの遺伝子を考えると子孫を残さないのがホントもったいないな~と 最近つくづく思ってしまう。

「だからね 私の後輩って卵子を冷凍保存したんだって。それで人工授精するんだったら ある程度年齢がいってもいいようにって」とA

「私もそうしとけばよかったかも~」とA

「すごいね 今の話は でも参考になるよね。こんな話 私の若いときなんて誰もしてくれなかったもの」と私

その後また色々な話がでて 夕方Aの家を後にした。

「これから中目に飲みに行きますけど局さんも行きません?」と二人から誘われたが、昨日はやめといた。

これから二人がどんな人生を選択するんだろうか? 
私が彼女たちの年齢には もう二人の子持ちだったからその時点で 立ち止まって考えたり 選択するという余地はなかった。
そういう自由さはなかったが、悩むヒマもなかったなあ なんて考えつつ・・・

秘かに応援してるから 色んな意味で幸せになってよね♪



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする