局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

たかが楊枝 されど楊枝

2010-09-29 23:05:08 | 友人
前の記事☆ クリックから続きます。

さて 秋の景色の中、邦楽の会の前哨戦としてのお茶会。お客様にゆったりなごやかな雰囲気でお茶を召し上がっていただきたい、私たち 水屋 お運び連もテキパキかつなごやかに事をすすめていたのである。





ところが・・・
今回は昼の部と夕方の部と二回にわけての展開 それぞれお客様は40~45人くらいずつという予定だった。
お菓子は余裕をみて5種類で計100個くらい用意してあった。

水屋連はそれを 懐紙の上に並べ楊枝を添えてお盆にいくつか彩りを考えて置いて、ワタシはそれをお運びしてお客様にお取り回ししていただいていた。お運びが一段落するとワタシもお菓子の用意なども手伝っていた。



お菓子準備中

ところが 昼の部のお茶会がそろそろ終わるという時間
お菓子準備係だった Aさん Eさんが
「あら~~ どうしてかしら? 黒文字(楊枝)が足りないわよっ!」

私たちがお菓子一つ一つに添えていた楊枝(矢印の小袋)が あとお菓子が50個ほど残っている状態で残り10数個くらいになっていたのである。

「あら ホントだ これじゃ夕方の分が足りないわ!」

私たちはどこかに隠れているのではないかとお菓子が入っていた紙袋の中や 空いた紙箱の中 下に落としたかと思って机の下などもはいずって探しまくった。
しかし何所捜してもそれ以上の楊枝の袋はない。水屋の様子を見に来たFさんに

「楊枝が足りないのよ~ 夕方の部始まるまでにどうにかしなきゃ」と訴えた

「もう一度よく捜して! なかったら たねやさんに持ってきていただかなきゃ」とあせりつつも指示を出してまた広間に戻っていった。

「困ったわね~」そりゃ~お茶会の席で手づかみで生菓子を食べていただくわけにはいかないではないか。

「いざとなったらコンビニに行く? でも爪楊枝くらいしか売ってないわよね」

「爪楊枝じゃ体裁悪いわよね~」 

「まったく たねやさんもどうしてこんなことになるのかしら?」

とたねやさんを疑っていた。

ところが 一番冷静沈着なEさん・・・

「ね、もしかしたら・・・ この楊枝の袋の中 まとめて入っているんじゃないかしら?」

はっとして顔を見合わせる水屋連

早速袋を破ってみたら ちゃんと黒文字が3本ずつ入っていた。

そりゃ~ それを一人一人に出せば足りなくなるはずである。
前回書いた でたらめ銘といい 再度たねやさんごめんなさい である。

「しまったわね~~」 と あせりつつ 紙袋から出して黒文字を数えてみたら 36本 これでは午後の部は足りない。最低でも50本は用意しておかないと心元ないではないか・・・

お茶会でお菓子を食べたあとは 懐紙に黒文字を包み持ち帰るのが普通である。
それならば 帰るお客様は余分の黒文字も持っているはず・・・・

「こうなったら仲間内つかまえて回収するしかないわね」

トホホであるが それしかないではないか・・・
師匠の舞いの高弟子さんたちやお茶関係のエライ方などにはそんなこと頼めないが、着物の会などの仲間なら快く応じてくれるであろう。

お運び業務が終わったワタシはさりげなく玄関付近で気の置けない人を呼び止めて

「ねえ 申し訳ないんだけど 黒文字の袋返してくれる? 」と頼み フトコロや袂やバッグの中から黒文字を回収するという業務にあたったのである。
校門でマジメな生徒を待ち構えてカツ揚げする着物姿のスケバンのような図であろう。迫力ないけど・・・

舞台友Nにも当然頼んだが

「まったく局は 何かやらかすね~」とあきれられてしまった。 ワタシのせいだけじゃないんだよ~~~

そして回収した黒文字は 使用済みのものと一緒になっているのもあったので 裏方で洗って乾かしてという過程をへて夕方の部に備えられた。

真剣に 45、46、47・・・ と黒文字を数えるAさん。 その数が50本を越えたとき

「これなら大丈夫よ~~~!!」と手を取り合って喜んだ私たちであった。

楊枝でこんなに気をもんだり安心したことは初めてである・・・




余ったお菓子をお持たせにしていただいたのでウチでゆっくりいただく。

これは 菊ちとせ 秋らしい華やかなお菓子だった。



“菊の香もほのかにやどる綿帽子”
秋におこなう着世綿は、菊の夜露をふくんだ綿で体を拭き、長生きを願うもの。いつまでも健やかにと、願いを込め菊に綿をかぶせます。

たねやのHPを見たら ちゃんと句まで添えられていた。お運びするにもちゃんと勉強しておいてこれくらい答えられないといけないってことね。そして楊枝の数の確認は必須。

しかし こういう失敗はあとで笑いのネタになって結構思い出になるのよね。



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秋の文化活動

2010-09-27 23:44:54 | 友人
先日の日曜日は Fさん主催の会のお手伝い



去年の会の様子はこちら☆
おととしはこちら☆

色々和物で精進しているみなさんの発表の場としてもう三年連続で催されている。 芸事を教えている方もいるし、殆どが家族持ちや介護も抱えている中でなかなかこのペースで開くのは大変だと思う。しかしコアなファンもいるし 一番のお姐さまの舞いの師匠が
「大変な時こそみんなで力を合わせてこういう催しはやらなきゃいけないのっ!」という力強い言葉で今年も開かれることになった。

場所はおととしと同じ 目O庭園。鈴木三☆吉さんの私邸だった庭園である。山手線の駅から程近く近くに西武線も通っているが、そんな都会の喧騒を忘れさせる典雅な回廊式の庭園を持ち、お茶会ができる施設や道具類やこういった邦楽の発表会もできる広間も備えている。  

 

ワタシはこの日は下足番か案内係でもさせてもらおうと気楽に行ったが F指揮官の一言で
「局ちゃんは お菓子のお運びね Eさんと打ち合わせしてお客様がいらしたら随時お菓子をお出ししてね~」と人前に出ることになってしまった。
不調法なのに困ったなあと思ったが指揮官の命令は絶対であるw

お客様のいらっしゃるまでには色々裏方としても準備も手伝う。


水屋の様子 お茶の先生と同じくお運びのSさん


宮廷女官チャングムみたいと言われた Kさん(普段は宝飾デザイナー)


師匠 案内係 司会(普段はプロのナレーター)


本番前のリハーサル風景

普段着物の会では一緒に勉強する先輩として、飲みにいけばみんなで酔っ払って大騒ぎする仲間としてのお付き合いのあるみなさんが 自分の芸を人に披露するという舞台を控えて 張り詰めていくさまが感じられる。
普段 優しく人のいい「おばさま」が緊張して厳しい顔になっていく様は 違った美しさを感じてはっとさせられる。

先日観て感激した上村松園の描いた女性たちに共通する風景。これが現実の世界で垣間見られるのは幸福である。



ワタシたち呈茶の裏方も お菓子を盛り付けたり下がったお茶碗を洗ったり大忙しだったし、ワタシはひたすらお菓子をお出ししていた。
着物を着てお盆をもって座ったり立ったり膝ですすんだりって結構疲れるもんですね。 よろけずすっと立たなきゃかっこ悪いし長めに着付けたので裾踏んづけたら転ぶかもって緊張感もあったしさw

お菓子をお出ししている最中に 「これはなんというお菓子ですか?」などと聴かれてちゃんとお菓子の銘を覚えてなかったので 適当に 「月に雁です こちらは中秋の名月です」などウソこいてしまった。 たねやさんごめんなさい。


今日のワタシのいでたち。利休茶?になるのかな?そろそろ秋って感じの草花の刺繍の単衣の訪問着 帯は黒地に赤と白で大きな菊紋を織り出した紗帯。
あっ ワタシまた髪を更に切りました。中途半端が嫌になったもので。ショートボブで上海租界風を狙ってみたつもりだが、姐さん方からは「着物コスプレ狙った?」「なんかアキバ系って感じになった」と言われた。

お茶が終わって本番に


笛 今年は 能で使われる特殊な楽器であった お家元の奥様


今年の師匠はことさらきれいで墨染めの着物がよく似合って ちょっとうつむいたところなぞ30代くらいの艶っぽい女性に見えた。(本当はワタシの母くらいの年)
Fさんの「局ちゃん OOさん(師匠)は 周りの若さを吸い取って生きてる妖怪だからね。近づくと吸い取られるから注意よ」との定番ジョークのネタになるのがよくわかる。


お召し替え後の師匠 舞いをやっている人は着物での立ち居振る舞いがキレイです。横に居るAさんは若さ吸い取られ中。


主催Fさんと 舞台友N 「局 悪いけどあたしは洋服で行くからね ワタシが着物きると女剣客になっちゃうんだよね」と言いながらミッドナイトブルーのシルクのワンピースで現れた。

今回は 前回までのお客様が思ったより多いということから 昼と夕方との二部制となった。
一部と二部の間に 庭を散策。

 

ススキや萩の花が風情を添える。 ニシキギがチラホラ紅葉している。
先週まで30℃以上あってクーラーをつけていたのに 秋は着実に来ていたのね~(なんてのんびりしたこと言ってたらいきなり初冬みたいな寒さだし もうちょっと穏やかに季節が移り変わって欲しいもんですよね)

二度の発表も無事に終わり 片付けもみんなちゃっちゃと済ませ お客様も満足してお帰りになって長い一日は暮れた。

「まったく文化的でご立派なオバサンだね。」「いいねえ優雅に暇つぶしができて」とオットが皮肉っぽくと言うが、こういった草の根的な和物の文化活動って大事だと思う。
Fさんたちも席料はいただくものの殆ど持ち出し分の方が多いし、自分の精進や満足もあるが こういったものは次世代にもつなげなきゃと思うもの。年くうと余計・・・


一つ裏方でオオボケしたため あせったエピソードもあったが その話はまた次回書きます。
















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オジ飲み 第二回

2010-08-31 08:15:05 | 友人
週末その後とバタバタしてパソコンを開く時間がなかった私。コメントのお返事も遅れておりました。1

土曜日は二回目となったアラカンとの合コンであった。

前回の記事はこちら
この時もかなり盛り上がりを見せて次はビアガーデンという約束が成立していたのだったが、さすがアラカン、デパートの屋上なんてのではなくなかなかおしゃれな場所を指定してくれた。

神楽坂のここ



ちょうどハワイアンナイトであった。シビラのワンピースが素敵に似合うNちゃんとオレンジ色のシルクワンピを迫力で着こなす舞台友N



こんな川べりの席で。当然エアコンは効かないが、周りに緑が多いのと水の上というのは風がほどよく吹いてくるのと気分的にも涼しい。

おすすめのビールでまず乾杯 これはハワイのビールでフォーチュンクッキーのように蓋の裏に言葉が書いてある。ところがそれがハワイ語と英語併記でとても小さくて薄い字なのでとても読みにくい。
景気よく乾杯したあとで蓋を目から遠ざけたりメガネを取り出して眺める我々・・・ ここがこの世代の悲しいところである。
しかし持ち物にはこだわるこの年代、オジサンの一人が取り出した携帯老眼鏡がイタリア製の組み立て式ので、同じのをMちゃんが持っていて 「これ便利ですよね」と話が盛り上がる。
しょっぱなに盛り上がる話が老眼鏡ってところがやっぱり悲しいところである。

 ムール貝やらピザやらも案外美味。

 いつも色っぽい親友A(イーサンさんへの画像サービスです)

 白髪オジに囲まれる局 右側のオジさまはこのシャツが50000円近いということを告白して毒舌Nちゃんに「値段に見えません!」と切って捨てられていた。

笑って飲んで食べて 二次会へ

 神楽坂の街並み

路地を入っていったところの 焼き鳥屋へ

 やはりオジにはこういう店がよく似合う

 三人娘 舞台友N Mちゃん N

おなかがいっぱいだったけどこちらでは伊佐美で

ここでは往年の音楽の話になり、奥様を亡くしたちょんがーオジ(一番真面目)が熱く赤い鳥を語り始める。わりにいい加減に聞いている私たち。
それをきっかけに当時のアーティストの話になったが 「小田和正のバンド名」が思い出せず 「チューリップだったよねー」など言っていた私たちに焼き鳥を運んできたお店の人が「オフコースですっ」ときっぱり一言告げていったのには笑ってしまった。

みんなかなり酔いが回って両Nの毒舌と突っ込みが冴えわたりおなかが痛いほど笑ってしまった。
オジたちも突っ込まる一方、時々やわらかいジャブをかましてくるのは年の功かしら。

次は文化活動+飲み会ってことにしようという提案もなされて次回の日にち(新春ですが)もここで決定された。
なかなか楽しいし 色気関係には発展しなさそうで健全&安全で何より♪





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確かに暑過ぎる

2010-08-18 13:42:33 | 友人
暑い暑いって言い飽きたのでごれ以上は言いたくないけど今年の暑さはどうかしてる。

例年だとウチに居る時は午前中くらいはクーラーはつけないでもいられたのに朝からそれはムリっていう酷暑である。
我が家の愛犬も高齢化したこともあるし、熱中症にもなられたら大変。人間様が留守の時にもクーラーは彼のためにつけっぱなしである。7月の電気代は例年の二倍ほどになっていた。今月はもっといきそうである あ~オソロシ。

一昨日から昨日にかけては特にすごい。
一昨日は一番暑い時間に仕事に行ったが、炎天下を駅から10分歩いて職場にたどりついた時 正直ヒトのガマンの限界を超えた温度だと思った。

昨日もちょっと車ででかけて帰ってきてエンジンを切った時 車の温度計は39.5℃を指していた。



もうカンベンしてほしいよ。

夕飯の支度をあわただしくやっていたら 携帯に電話が 昼行灯 ☆からであった。

どこかの駅のホームからのような喧騒が聞こえる。

昼 「ね~ 局ちゃん、おしえて~」

局 「何を?」

昼 「あのさ 私が新婚時代に住んでたところってどこだっけ?」

局 「どこって 大阪だったよね え~と有名なお祭りがあるところ ・・・ そうだ 寝☆川!」

昼 「あっそうだそうだ それでさぁ OO(昼行灯オット)ってそこからどこに通ってたんだっけ?」

局 「どこって あーた ホニャララの研究所だったでしょ」

昼 「そうそう だからそこの場所」

局 「んもう~っ △△△じゃんっ」

昼 「あっそうだ それがずっと思い出せなくてさ~ ツボネちゃんだったら覚えてると思ったんだ どうでも良い事よく覚えてるもんね」


私がよく覚えてるのじゃなくって 昼行灯が忘れすぎなんだと思う。
暑さに頭が沸いたのか 大丈夫か? 昼行灯・・・
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定番飲み会

2010-08-15 23:45:32 | 友人
木曜日 早く仕事を終わらせる予定のオットと待ち合わせ 友人夫妻とビアガーデンに行く予定をたてた。

私たちの結婚式で出会って結婚したカップルなのでオット同士 妻同士が親友。毎年一度は四人で食事と飲みに行く習慣になっている。

以前の飲み話はこちら

今年の暑さでビアガーデンが盛況とか・・・ 
どうせならちょっとオモムキのあるビアガーデンに行こうよってことで・・・



こちらの庭園のビアガーデンに行くつもりだった。都心とは思えない緑の濃い庭園に向かって飲むビールは美味しそう♪ってことで

ところがあいにくの雨で 外の座席は濡れているのでテラス席と庭に面した室内しか席が用意されていずに早めの時間設定にもかかわらず待っている人たちの列ができていた。

ここで待つのも時間の無駄だよねってことで急遽変更して赤坂へ

オモムキは変わるが 私の大好きなタイ料理屋さんにご案内。ティー☆ン赤坂店(☆はヌです)

 

  



毎年似たりよったりの話で 「またその話かいな?」とツッコミツッコマレながらも この集いは「安定感に裏打ちされた定番の楽しさ」ってのを味わう会になったような気がする。
若い頃は結構アグレッシブなキョージュにワタシが過反応をして お互いの配偶者にまあまあと言われながらも喧嘩直前まで討論をして徹夜した なんてこともあったけど 最近は二人とも丸くなったものである。

そんな中でも今回勉強になったのは 備前焼のカップだとどうしてビールは激しくあわ立つか? の科学的説明だった。
(講釈するのが好きな人っていつでも講義口調になるのね)

みんなこちらの料理はとても気に入ったようだった。満足して次へ・・・

すごく入りにくそうなショットバーを選んだ二人。「アル☆ャーノン」っていう名前の店であった。今度はワタシが「アルジャーノンに花束を」 のあらすじを講釈してあげた。

中がうかがい知れない厚い木の扉の店だった。カウンターにはなかなか渋イケメンのマスターが一人 他にはお客が誰もいなかったこともあり丁寧に迎えてくれた。
キューバの地図がモチーフになっていてラム酒にこだわりがある店らしかったが まるでその辺を無視してスコッチを頼む男連中。
葦のくきで香をつけたものや なんだかイソジンみたいな香のするスコッチなど変なものをリクエストして飲み干す二人。
ワタシはストレートのスコッチなんておいしいとも思わないし、こんな少しの液体がグラス一杯1000円以上するっていうのがどうも許せないがさすがに口には出せなかったな。(こういう点女は現実的だと思う



ここはここでたまにはいいやって感じで面白かったけど。
日付が変わるころにお開き ちょうど良い具合に酔っ払って帰還。

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夢を実現した女たち

2010-08-13 20:51:44 | 友人
世の中デフレ デフレと騒いでいる。
みんながモノを買わなくなったから値段が下がり、経済が回らなくなるらしい。

そういわれれば ワタシもデパートでなんか購入するといった頻度がずいぶん少なくなってしまった。
Iなんかの年間購入額が一時の何分の一かになっていつのまにかカード会員の割引率が少なくなっていることを発見。

確かに今すぐ欲しい!って言うものってあんまりないしね~ 服やバッグで今更流行を追おうともあまりおもわないし、電化製品も使えりゃいいやって思うし あまり物欲が刺激されない今日この頃・・・
欲しいものが多いムスメに比べて 物欲の低下ってのも一種の老化かもしれないとも思ってしまう。

しかし、この状態に久しぶりに刺激を与えてくれたのは 今回帰郷したさいの故郷の友人たちであった。

一人は画家。

舞台友Nが 「ねえ局 Kが歌舞伎座が取り壊されるってのでこの前東京に描きにきてたらしいよ。ワタシ記念に欲しいんだけど一緒に見に行かない?」と誘ってきたのであった。歌舞伎好きなN。思いいれがあるのであろう。
ワタシも 最後の公演、助六を☆観にいき このオモムキのある建物が銀座の然るべき場所から消えてしまうのがなんとも惜しいことだと思っていたのであります。



造詣教室も兼ねたKのアトリエ。
彼女は小学校から高校まで同じ学校だったが、とにかく画が好きで暇があったら何かを(例えば先生の似顔絵や)どこにでも(教科書のかたすみにも) いつでも(授業中でも)描いている人であった。
その後教育学部で美術の教師になる勉強をしてしばらくは教職についたが 自分で教室を興して営業のかたわら、故郷の色々なところのスケッチしたのが評判をよび、講演や一日絵画教室などの講師によばれたりする文化人になってしまった。
スケッチ集やカレンダーなども出版され 原画もファンがいてよく売れているらしい。

そんな有名人になっても 昔と変わらず 飾らずそそっかしくおもしろい女性である。

舞台友Nはさっそく歌舞伎座のスケッチをお買い上げ。その上年末に行ったイタリアスケッチ旅行の画もお買い上げ。
ついでにKがNのキレイな横顔をスケッチしたいといいだし、あっと言う間にそれも作品となった。


Nの特長がよくとらえられている。



ワタシは見てるだけ・・・ と思っていたのだが、やっぱり歌舞伎座のスケッチの原画が欲しくなり、まだ額装されずにスケッチブックにあった小さいのをお買い上げしてしまった。これならウチのリヴィングにもマッチします。

気の良いKは出版されたばかりのスケッチ集をワタシとNにくれた。表紙裏にもさっと風景を描いてサインしてくれる。





その後 Nを車に乗せて隣の市でやっていたやはり小中の同級生の 今度はビーズ作家の展示会に。
毎年この季節に開く彼女の展示会は受注会も兼ねている。



彼女の作品はとにかくデザインと色使いが美しい。小さな方眼紙にデザインを起こしあの小さなビーズの一つ一つを使ってを織り器でつむぐ繊細な作業。
「もう目がヤバイし 肩もこりかたまっちゃってるんだよね~」と嘆きながらも毎年新しい作品を繰り出してくるデザイン力・・・



今回ワタシが目をつけたのは この袱紗である↑
ちょうど熨斗袋が入る大きさ。この色だから 冠婚葬祭使えそう。熨斗袋を出した後はくるくると丸めるとごく小さくなるしなやかさ。
こんなの受付で出したいではないか・・・

「これ欲しい!」って言う前にNとMちゃん(現地で待ち合わせ)に先を越されてしまった。
一つ作るのに一月はかかるので そう一度に何個も予約できないらしい。(私たちだけじゃないし)
値段を聞いたら ん~とちょっとためらう価格なので一年袱紗貯金して貯めてから買おうっと。

代わりに即売コーナーのペンダントを買ってしまった。

 

この色あわせがとても好み。

図らずも仲間の作品で欲しいものに二つ巡り合えた日。
ありきたりの物じゃないモノで久しぶりに沸いた物欲が満足した日だった。

ビーズの友人も中学校の頃から美術や家庭科の被服の授業にはみんなの注目の的。あの当時の地方のチューボーの基準からは考えられない趣味の良さだった。Nは小学校の時 彼女がさっさと描く洋服のデザイン画をうちに持って帰ってそれを元に服を作ってもらった事があるらしい。 ワタシもNが中学の家庭科の時に作ったワンピースとあまり切れを使ってつくったサンダルが 当時みんなでダッサイ型紙を使ったはずなのに 色々なところにオリジナルな工夫があって大層かわいいものに出来上がったのを思い出した。

二人とも少女の頃から得意だったこと、好きでたまらなかったことを職業にして それを成功させている女性たちである。

色々紆余曲折もあったみたいだけど ひたすら えらいよな~と感動してしまった。
(やはり故郷の女はエネルギッシュな人が多いよ)
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お家訪問

2010-07-28 07:38:31 | 友人
実家方面に友人が新築をした。
小中一緒の友達である。結構数奇な道をたどってきた友。外国エアラインCA→国際結婚→子供連れて離婚→外国暮らし→子供の進学のため帰国→某エアラインに再就職

定住志向のなさそうに見えた彼女が故郷に終の棲家といった家を建てる気になったらしい。
それに多少かかわったのが 建築士である親友A
完成したお家を観にいくので局も一緒においでよと誘われ、ワタシが実家に帰るタイミングにあわせてくれた。

さほど広くない敷地なのに敢えての平屋。今流行らしいペニンシュラ型のシステムキッチンが中央にあるリヴィングダイニングは余分なものが何もなく 

小さな中庭を中心にリヴィング 書斎 お風呂とトイレと 寝室が囲むように建ててある。



小さな家だけど壁紙や照明やブラインドなどがこだわってある。リヴィングや寝室には色がないけれどお風呂のタイルは思いっきり可愛いもので遊んでみたり。

引っ越すたびに身のまわりのものを思い切りよく処分してしまうという彼女はとても持ち物が少ない。
土もキライだし、室内に植物もいらないというが、たった一つの中庭の木が却って存在感を際立たせている。
段差もなくいざといったら車椅子でも移動できそうな家。そして二匹の猫(いっぴきは非常に気性が荒い)と同居。

完全にこれから一人でも暮らせるぞ!という覚悟と潔さを見せた家だと思った。クールで自立していてシンプル志向の建て主をそのまま体現したような家。

「女手一つでかっこいいな~ これだったら老後一人でも安心ね♪」と私たちが言ったら

「何いってるのよ!、仕事もこの先どうなるかわからないからこれから就活も婚活も並行してやるわ」とのこと。

確かに美人で若く見えるしまだまだ両方イケそうだけどね。
なまじ変な♂とくっつくよりは気楽に一人もいいんじゃないかと思わせるキャラである。
つくづく我が故郷の同窓生(♀)はたくましいわ。

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午前様で人生勉強

2010-05-16 00:31:21 | 友人
また遊んでるのか局のヤツとお思いの方もいらっしゃると思いますが・・・

昨夜は久々(でもないか)の痛飲&午前様であった。

何度か書いているが クリック☆ クリック☆ クリック☆ 私の兄とも呼べる三人のオヤジたちとその中の一人の妻 昼行灯と渋谷で飲んだ。

この飲み会は殆どがしっかりもの昼行灯オットT(大手メーカーの部長職)が仕切って 昔の火宅の人事件がたたって乏しい小遣いを管理されているAのためになるべくリーズナブルな所を選んで予約してくれて成立していたのだが、 昨日は珍しくNが言いだしっぺになり 店も予約をするからと言って誘ってきたのであった。

「渋谷の正統派焼き鳥屋だからよ、煙にまかれてもいい服で来いや」

「はいよ」ってことでジーンズ上下で渋谷へ。マットウなサラリーマンのT、Nはスーツだったが、弱小広告代理店勤務のAはヨレヨレのジーンズと怪しい麻のジャケット・・・

 こんな焼き鳥屋

 

店に入ると昭和のかほり

金曜日の夜とあって 会社帰りのグループやオヤジの二人連れ 渋好みのカップルなどが それなりに楽しそうにお酒をのみつつ焼き鳥を食べている。

焼き鳥がおいしくてついでにビールもおいしくてすすむ。

実はこの日はオットが出張帰りに合流する予定だった。オットも彼らの事は当然知っているが、一人ずつと相対したことはあるが、この三人と私がはちゃめちゃに飲んでいるという場面には遭遇したことがなかったような気がする。
呆れられるのは必至だと思っていたが この店からさてどかか河岸を変えようかといったところで連絡があった。

「仕事が終わったらそのまま接待されちゃったからそっちには行かないよ。明日早いからOO(職場近くのマンション ボートマシンありw)に戻るわ」とのこと
更に「どうせ 遅くなるんだろけど たいがいにして引き上げろよ みんなによろしく」 へいへい

私は飲まなかったが、この店で A N 昼行灯は桝酒を飲みそれがきいてるらしくもうかなりの酔っ払いである。
こうなると恥じもかきすてでオジオバの恒例撮影会に


昼行灯とA

 
酔っ払った昼行灯が撮った N、局、T とAと局



完全に酔っ払った図体のでかい昼行灯を支える局の図



ここはカウンターにちょっとおいしそうなお惣菜が並び、日本酒、焼酎も安いラインナップで並ぶ店であった。



ここで焼酎1本みんなであける

実はこのメンバーで飲むのは二年ぶりくらいである。
一年に1,2度くらいは集まっていたのだが、ここのところNが出席を渋りガチだったのである。二年ほどまえ広尾のモツ鍋屋でやったとき、Nは一次会が終わるか終わらないかくらいに 「じゃ、オレ 今日はこの辺で」とさっさと帰ってしまった。
残されたメンバーは 「Nがさっさと帰る時は絶対にワケアリ」と推測しており、ちょうどその頃オヤジバンドで大学時代のバンド仲間と音楽活動を再開していたNに不穏な動きがあったのである。
「あれは女ができたんだぜ」 とAが断定 蛇の道はヘビである。

その後Tが誘ってもNは「まだスケジュールが・・・」 とか 「その日はちょっと先約が・・・」とか生意気を言ってはなかなか飲み会出席の色よい返事をせずに なんとなく三人が集まらないといつものノリにならないので この飲み会は先送りになっていたのである。

ところが今回はNからの誘い それもモノグサなNが自分からみんなにメールしてアポをとって店まで予約するとは・・・!

「Nがこういう行動をとるって珍しくない? あれは女と別れたね」局断定。30年の付き合いともなると家族同様行動パターンが読めてしまうのが情けない・・・

この店を出たのが11時をちょっと廻ったろころだった。私はもうお開きと思って駅の前で「んじゃまたね」と言って改札に向かおうとした。
それを留めたのはN

「なんだよ局! 一人で帰ろうってのかよ。もう一軒いいじゃないかよ」としつこい。
何だよって前回は一次会終わりでさっさと消えてなんだか怪しい行動をとったくせに

「ほら お前が気に入ってたバー行こうぜ、懐かしい曲も聞けるしさ」

「終電間近は混むからいやなんだよ」と抵抗したが聞き入れず。Aと昼行灯は完全に酔っ払って朦朧状態である。正常に状況を把握しているのは Tと私

「じゃ、さ。次の店で 二年前から最近までの行動を吐きなさいね。だったら残る」

「ナンだよ。最近までのことって」と目を泳がせるN。Tはニヤニヤしていた。




そしてN行き着けのバー。7、80年代の音楽がかかり落ち着ける空間。
見ると 


完全に寝ているA


同じく爆睡 昼行灯(あとで椅子から転げ落ちた)

ジョー・サンプルだのビリー・ジョエルだの 私たちの若かりし頃の音楽が流れている空間でバーボンのソーダ割りを片手にじっくりNを問い詰めてしまった。
詳細略・・・

「まあな 色々あるわな、人生は。 チクショー 局 お前の周りのキレイ所 一人紹介しろ!」←Nの結論。わたしゃ そこまでしてあげるほど親切ではありません。

なんだかんだで時間をみたら1時過ぎ 

千葉方面のAはもちろん 私も終電は逃した。T家のルート上に私の家があるので一緒にタクシーで帰ることにした。AもT家に泊まることになった。

タクシーの中で目覚めたAが

「局 相変わらずチビだな。お前チワワの血でも入ってるんか?」なぞと言うから、私も対抗して「Aちゃん 連休は実家に帰ったの? そうそうたまにはお母さんに顔見せてやんなよ。デキの悪い息子ほど可愛いって言うじゃん」と返すなぞしていたら タクシー運転手がビビリつつ笑いをこらえていたのがわかった。

今日は私はこんな状態にもかかわらず午前中から仕事に行ったが、11時ごろ昼行灯からメール着。

「目が覚めたらAちゃん居なかったよ。お昼くらい食べてけばいいのにさ。ダンナに聞いたら 朝から最悪って言いながら慌てて出てったんだって。家のトイレに携帯落としたらしいよ」 とのこと。

で、さっき携帯が復活したらしいAからのメール

「昨日はT家のお世話になりました。朝、トイレに携帯落とした。 液体もブツもまだだったのがせめてもの救いだった。
洗うわけにもいかないから紙で水気を拭いてショップに持ち込んだ。ってことは・・・ ブツがついても水で洗うヤツはいないだろうからショップの店員は臭い携帯も触るしかないって思うと気の毒だな・・・」 と言うアホ丸出しのメールだった。

この人たちと出会ってから早30年。 まさかこの年までこんなバカを継続しているとは出会った当時は思わなかったが、この先も進歩せずに集まってアホを楽しむのかもしれない。
みんな特別遊んでるわけじゃなくてごく平均的な人たちだと思うけど、「オトコってしょせん遊ぶものなのよね~」とか 「でも基本的には家族が大切みたい」とか この世代のと言うよりある意味普遍的なオトコの生態ってものを彼らを通じて観察させてもらったことは 私の人生に+になっていると思う。(多分)

オットもこの人たちとの事は不思議な関係と思いつつも一応尊重してくれているようだし。




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おせっかい合コン

2010-05-10 11:28:23 | 友人
ワタシのブログを良くお読みになってくださる方にはもうおなじみの舞台友N。
小中同じ学校で過ごし、その後は音楽方面にすすみ、ヨーロッパ留学先で同じような音楽家のご主人と出会って結婚したヒト。
オペラ 宝塚 歌舞伎 もろもろの舞台のワタシの水先案内人であり、私たちの同窓会の万年幹事のまとめ役である。

そしてその高校時代の恩師。詳しくは言えないが今は結構な印税収入で暮らしておられる。
彼も文化オジで、とにかく舞台物、出版物に詳しい。

今年は年明けそうそうの歌舞伎でご一緒した。
この時一緒だったのが中高一緒だったMちゃん。気の毒なことに3年ほど前にと~~っても仲良しだったご主人をガンで亡くされた。ただとっても資産家なお家だったのでその後の生活に支障はなく、優秀な3人のお子さんたちはご主人のあとをつぐべく進学してみんな優秀な大学生となってちょっと一息といった感じである。
中学時代から癒し系美少女として名を馳せて 今でも十分その雰囲気が残る美人である。

そこに目をつけたのがおせっかいじゃなくて世話焼きN
「ホニャララ先生の友達で奥さんを亡くしたおじさん(以下ヤモメオジとする)がいるんだけどさ、二人を合わせようと思うんだけど。どうせだからSの送別会を兼ねた合コンにしようよ。局協力するように」

向こうは5人のオジ 私たちは来月からご主人の転勤のためにベ●ギーに行ってしまうSを含めて6人である。
みんな同郷、同じ学校を卒業した同い年オバ
まず私にふられた任務はその6人のオバプロフィールを作成することだった。
連休前に卒業大学 家族構成 仕事 趣味 一言プロフィールなどエクセルで作成して文化オジに送ったが、なかなか好評であった。文化オジもそれぞれのオジたちのをまとめて 一緒に印刷してそれぞれに配ってくれた。

場所は御茶ノ水某ホテルのワインバー



雰囲気も落ち着いておつまみ類もおいしかった。おまけにほぼ貸切状態だった。
相手のオジたちはいわゆるダンカイ世代ど真ん中。東京生まれの東京育ちでオットの高校にもほど近い高校の同窓生である。

この日の目的はMちゃんとヤモメオジの秘かなお見合いというものだったし、その年代だと多くはハ●かメタボと予想。まるで期待はなく刺身のツマとしての盛り上げ役に徹しましょうという覚悟で参加したワタシだったが、予想に反してと言っちゃ悪いが面白かったのよね~~

ダンカイ育ちって60人居た大人数のクラス育ちで 雑踏にもまれて育ち 学生運動ど真ん中。それなりに競争しながら熱い時代を過ごしてきた方たち。その後に来た熱の醒めた時代に育った私たち世代。「シラケ世代」なんて呼ばれてもさ、そっちが勝手にかき回しといて その混沌が過ぎたあとの時代を作ったくせによく言うよ と私たちから見れば言いたくなる世代ではあります。
私たちが就職した頃はその方たちが上司になって付き合いもあった世代。なかなか濃ゆい人たちが多かったと思う。

そしてその中で定年という年を過ぎても未だ勝ち抜いて働いている、もしくは再雇用されて新しい道でがんばっているオジってのが昨日のメンバーだったのでなかなか面白かったです。オットと同業者のオジだけはちょっとメタボ気味だったが 音楽プ☆デューサーのオジさんなんかはトライアスロンが趣味というだけあって贅肉ひとかけらもなく髪も突っ立てていてそれが似合っていた(ワタシの苦手なバーコードは一人もいなかったし)その他もみんな仕事を目一杯こなし、趣味もそれなり、したがって話題も豊富で退屈はしなかった。それに昔の自慢話やつまんないシモネタセクハラ発言も出なかったし。



問題のヤモメオジは髪は真っ白だが宇津井ケンに似ている昔はかなりイケメンというのが納得できるオジであった。



一方Mちゃん(中央) おしゃれだし年とっても可憐な雰囲気。ヤモメオジの長い語りもうなずきながら聞いていて、なかなかいい雰囲気だった。

ワタシたちもなかなかオシャレメンバー(周りは)それぞれ仕事しながら自己メンテに励んでいるのでデブでもないし、年齢的には十分いっているがいわゆるオバハンというイメージではないと思う。(多分)



親友A



建築家Nちゃん

ワインがすすむにつれて座は盛り上がって 二次会は近くのイタリアンで飲みなおし。
こうなると毒舌Nちゃんは オジたちを気持ちよくジジイ呼ばわりを始める。話はあっちこっち飛ぶけど色んなところで笑いがはじけて楽しい会としてお開きになった。
オジから「次はいつ?」との話も出てたし、私たちも結構面白かったねって感想だったのでこれは定例会になりそうである。
まあダンカイから見れば 私たちも十分オジョウサンですからね。たまにはちやほやされるのも一興。

肝心のヤモメオジとMちゃんのその後は知らないけど、同じ種類の寂しさを共有できて、たまにお茶飲むくらいの異性の友達って居たらちょっと楽しいんじゃないかと思う。ビジュアル的にはお似合いの二人だったし・・・






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B型の方々 vol 1

2010-04-24 23:26:55 | 友人
今日は完全オフの日と決めていた。
いちいちブログには書かなかったけど 今週は人に会ってランチだ飲みだが多かったし、リハビリの後にまた仕事で都庁へ行ったり忙しかったのである。
家の中が雑然としてきたので ちょっと真剣に掃除したりせっかく晴れたから犬と長めの散歩をしたりしたかったのである。

ところが・・・

遅く起きて来たムスメと昼ご飯にパスタを食べていた時・・・

ご近所友人より電話

「ねえねえ 旅行の事打ち合わせしたいから 私2時からテニスなんだけどさF屋まで出てこない?」
1時20分くらいのこと

「今から?」

「うん すぐ」

実は近所友のO丸奥様とは2007年の年末に一緒にドイツ旅行に行ったことがある。

兼高かおるになりたかったという旅慣れた彼女だが(ここ半年でもロシアと韓国とタイに行っているはず)なぜか私と一緒になると 珍道中になりおまぬけなエピソードに満ちてしまうのである。
その経緯は この辺 や この辺 この辺にありますのでお暇ならお読みください。

「すぐって ワタシ化粧もしてないよ~ 」

「化粧なんていいじゃん すぐおいでよ」

「日焼けする」

「日焼け止めだけ塗って来い」

まったくB型ってのはこれだよ。それに今日はテニスじゃなくって「オーケストラ」って映画を見に渋谷まで行くって言ってたはず・・・
しょうがないので日焼け止めだけ塗りたくり自転車に飛び乗ってF屋まで飛ばす。

「ほれ これこれ 安いでしょ」某南半球である。

「うん、確かに・・・ 」

「あなたが行かなかったら私ひとりでも行くつもりだったんだけどさ 一緒に行こうよ」

実はですね。先日ワタシの誕生日。プレゼントをくれてロ☆ホでご馳走してくれたのが彼女である。その時に

「ねえ そろそろまた一緒に旅行行かない? 行ける時に長い旅行は行っておこうよ イタリアにしない?」

と誘ってくれたのである。私もヨーロッパはあまり年を行くと道中もしんどいのでできれば色々今のうちに見て置きたい(そのうち自分のこと以外にも両親や姑の介護とかもからんで中々行きにくくなるしさ と 言い訳)

「そうだね~ ヨーロッパはこの前のドイツ以来だし いいよ 行く!」とその時には言った。

しかし 3日ほど前 彼女と何かの話でブータンの話になった。
まだ都市部以外には電気が通じてないらしい。しかし国民が自分で幸福という認識を持っている割合がとても高い国。ヒマラヤのシャングリラと呼ばれているそうな。

「行って見たいよね」なんぞと何気なく言ったワタシ

そしたらその次の日

「ねえねえ イタリアじゃなくてブータン行かない?」と突然のメール・・・

「どうせなら人の行かない所に行きたいじゃん!」 さすが兼高かおる・・・

ワタシはちょうどジムに行くところだったのでそのメールを見てぶっとんでしまった。
O丸奥様の行動力だったらHPで仮押さえしかねない。

「これからジムだから2時間ほど待って」とメール

そしてエアロをこなしてシャワーを浴びて、車に乗り込んでおそるおそる携帯のメールをのぞくと・・・

「やっぱりブータンはあきらめるわ。富士山より標高高いから高山病がひどいらしい。おばさんには無理だってOO(ムスコ)に言われたわ」

そりゃそうだよな~ と ちょっとホッとして

「そうだよ あんなところで行き倒れたら困る」とメールしたら

すぐに

「じゃ、さ ホニャララにしようよ、おじいちゃんが昔出張で行ってすごいよかったんだって」

と言うことになったのである。

イタリア→ブータン→ホニャララ
さすがB型の兼高と主体性のないワタシ・・・

旅はまだ先のことだが 今度はどんな珍道中になるのであろうか?





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先輩・後輩

2010-04-20 09:58:24 | 友人
日曜日の朝のこと、この日は夕方まで予定がなかったのでゆっくり朝寝を楽しんでいた局家夫婦だったが、メール着

このへんに書いたけど、私には大学入学以来のつきあいの兄とも呼べる(親友の兄とその仲間)付き合いの(今やオジ)が三人いるのだが、そのうちの一人からメールが届いた。
Nからである。ダメンズAやしっかりものの昼行灯オットのTに比べてあまり目立たないキャラだけど自分の趣味(オヤジバンド)を仕事と両立しつつ淡々とマイペースで生きているように見えるタイプ。
Aはアホ過ぎ、Tは優等生過ぎで 二人だけでいると疲れるのだが、Nは二人でいて、一番疲れないオトコかもしれない。なぜか家の母とあちらのお母さんも仲がよいし、私たちの結婚式の二次会のプロデュースもしてくれたのでオットとNも仲がいい。お互い色気を感じず付き合って四半世紀以上。考えてみれば夫より長い付き合いなのね。

しかし、別に難はないんだけど結婚が遅く、更に子供を持ったのも遅く、50過ぎた今、一人息子が今年やっと小学校に入学した状態。よく見ると節制してるからお腹は出てないしオシャレでジジイ臭くはないキャラなんだけど、昔から若白髪の傾向で今やほとんど真っ白な髪。ムスコの運動会の時なんて「あらあらおじいちゃんもいらして・・・」なんて言われないといいよね~ などと昼行灯と話していたのだけど・・・

その一人息子クン、いわゆるお受験をくぐりぬけて今度オットの小学校の後輩になったのである。NもN奥さんも小学校は公立育ち、入ってみたらなんだか戸惑うことが多くて家のオットに時代は違うけどその小学校の話を聞きたいから会えないかな~というメール。

オットに言ったら 「今日はヒマだから今日会おうか」とのこと
じゃ ランチでもと 稲川●次プロデュースのお蕎麦屋さん(五● ●は代です)で待ち合わせ。
   この店のお蕎麦 気に入ってます。 お店のしつらえも好き。

2年ぶりに見たNムスコは適度にヤンチャで適度に礼儀正しく良い味をかもしだしていた。
N奥さんは出過ぎず引っ込みすぎずの地味目ながらもきちんとした小柄な美人である。
やはり遅く出来た一人息子というと目の色が変わるのかホントに心配そう・・・

私も地方ながらオットとNムスコと同じような小学校で過ごしたからわかるけど、やっぱり行事が多かったり、教生が来たりや研究授業はしょっちゅうあったり、授業の進み具合や力の入れるところが違ったりするので周りの公立小とはちょっと違うかもしれない。
それにオットの時よりも系列の高校進学できる人数も更に絞られているらしい。
その辺を両親としてもとても心配しているようだった。
確かに将来の進学先も心配かもしれないけど、今現在の環境も大切なんじゃないかな~と私もオットも考える。
学●院でさえ学級崩壊なんて言われる時代ではあるけど、先生の質は区立より良いと思うんだけどなあ・・・
少なくとも家の子たち、ムスコは小学校は区立だったけど4人持ってもらった担任の2人の女性はとても良い先生だったけど 2年の担任の40男はまるで統率のできないオトコで1年生でしっかりまとまったクラスを持って1ヶ月でめちゃくちゃにして、授業も何を言ってるのかわからない無能さだったし(一般企業だったら使い物にならないであろう)、3,4年担任の50オトコはあんなに陰険で卑怯なオトコは今まで会った事がないくらいヒドイ性格な教師だった。
ムスコは中高で素晴らしい先生たちに出会ってそれまでのマイナスを取り返したから良かったが、あのままでいったら教師不審になるところであったと思われる。
もう期待はしないから、別にことさらに熱心じゃなくても普通の常識をもって職を全うしてくれればいいのにとだけ思っていた。
ムスコの学年にはちょっと問題児も居て器物なんかも壊されてなかなか大した環境であった。
しかしその問題児も低学年の頃からみんなの給食をぶちまけたりする子なのを周りの教師は知っていながら、その子のいるクラスをまだ新米の女性教師にまかせてベテランの先生は片方のクラスを持ったというのも私から見ればずるいな~と思っていた。
新婚だったその女性教師はムスコたちが6年の時妊娠したけどその問題児にお腹を蹴られる事件まで勃発した。さすがに憤った周りの男の子達(含むムスコ)がボコボコにしたらしいが・・・
とにかく怪我がなくて無事に帰ってきてくれよ~と毎日祈るような思いだった小学生高学年のムスコの環境だったのよね。

その点私立だったムスメは小中高と良い先生に恵まれ、?ちょっと抜けてる?と思ったのは小学校2年の時のおばあちゃん先生一人だったから ハズレだと思う教師に出会ったのは1/12の確率 ムスコの1/2の確率よりはずっと恵まれていたと僭越ながら思う。

私の小中を思い出してもみんな熱心で懐かしい先生ばかり、今でも同窓会においでになるとあちらも生徒一人一人を覚えていてくれて話が弾む。
区立の先生はローテーションが多くて、そこの学校に定着しないから先生独自の色も出にくいと思う。
ムスコも自分がそこで学んだ先生は今では一人も居ないから 先生を訪ねて自分の小学校に行く楽しみもない(せっかく近いのに)その辺も私は不満を持つところである。

そんなこんなで区立教育に不審と恨みを今でも持っている私にとってはNムスコが11倍の倍率をくぐりぬけてその小学校に合格して本人が楽しそうに通っているんだからめでたいことだと思うんだけど・・・

しかし、オットは小学生時代、周りはわりに坊ちゃん嬢ちゃんが多い環境の中でかなり悪ガキで目立っていたようなのである。このへんにも書いたけど
バス通学で一緒の革靴を履いた同級生の靴をわざと踏んで泥だらけにしたり、資材置き場から何かを運んで川をせきとめようとしたり、卒業生が作って置いて行った校庭のトーテムポールをくずして教頭室で立たされたりと伝説を作ってきたオトコらしい。

Nムスコと話していて、当時を思い出したか、食べ終わった後で、ちょっと学校まで行ってみようよと車を走らせ
「あのOO山遊んだかい? あのトンネルの脇におじちゃんは武器を埋めたんだからな。まだ気づかれてないならそのままあるぞ」とか
「この校舎のウラで秘密の会議をいつもやってたんだよ。あとあそこに落とし穴作ってさ。友達がはまっておもしろかったよ」とロクでもないことをNムスコに吹き込む。
目を輝かせて聞いているNムスコ・・・
まあ高校進学で多少苦労するかもしれないけど、子供らしいのびのびとした今の感じを保ったままあの学校生活を満喫して欲しいものだわ~

しかしながら今日あたり校庭を掘り返してないことを祈る。
N夫婦はアドバイスを求める相手を間違っっちまったと思っているであろう・・・

夜はムスコとM子カップル 娘 と待ち合わせて韓国料理へ

  

    


よく食べて飲んで、おいしかった 
省みればこの日もカロリーオーバーだわ~ 



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ママ友会

2010-04-15 14:04:14 | 友人
なんだかバタバタと忙しい日々が続く。

首痛とリハビリ通いでウチでおとなしくしていたため不義理をしていた友人からのお誘いなどが重なっている。

おととい ムスコの幼稚園の時のママ友と食事会。
幼稚園の母の会で出合って気が合って20年。
色々家族や取り巻く環境に変化(良い事も悪い事も)ありながらも、仲たがいすることもなく続いてきた7人の友人。
ワタシ自身の学校や仕事や趣味を通じて作ってきた友人関係も大切だけど、こうやって子供を仲立ちにしてできた友人関係ってのもありがたい仲間だと思う。
ムスコもこの頃の友達とは会ってなくてもたまに会う兄弟姉妹のように楽に話ができるみたい。

地元 行列のできるイタリアンで


  

前菜に黒鯛のカルパッチョ、バーニャカウダなど

  

石窯焼きのピザもパスタもおいしかった。
5,6年前にいってパスタがまずかったのでずっとご無沙汰していたのだけど見直した。
行列には行列だけのことがあったのね。

このメンバーで初めて 二次会はカラオケで

 まだきみ~を~ 愛してる~ と絶唱するHちゃん

  このグループ内で一番マジメな部類の美人母 他で遊ばないらしいのでwこういう時にはノリノリ

ワタシがカラオケ屋からの「あと10分ですよ」の電話を受けて 「あと10分でいいよね?」と確かめたら 間髪をいれずに「延長!」ときっぱり自己主張した彼女であった。

久々によく歌った。



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咽喉元過ぎて飲み会復帰~草の根国際交流

2010-03-16 21:16:56 | 友人
3月1日に頚椎ヘルニアが原因の痛みが発症して半月。
週二回のリハビリ通い。禁スポーツクラブ 禁夜遊びを自分に課して早半月。

まあたまにはこういう期間もあっていいかなと思ってたけど、そろそろ遊びたいムシがうずきだしてきたのであります。

先週土曜日、オットにバレンタインデーのプレゼントをいただいていたので、一日早いがお返しにと Fさんの家に行ってきた。
オットが「適当にうまそうなもの選んで届けといて」と言うのである。
オットが職場に配ったガトーOラダのラスクはちょっと前なら珍しいしおいしいから喜ばれただろうが、今となっては並べば買える日常のお菓子になってしまった。食の伝道師に捧げるにはちょっと役不足である。
で、私はかなりレアな実家方面でおしゃれなカフェ(OOの代官山wと言われる地区があるのである)で買ったバラの形のフォンダンショコラに桃屋のラー油を添えて贈ることにした。

夕方なら居るわよ とのことで4時ごろ訪ねたF邸には、先客に韓国ガールのKちゃんが居た。こちらに日本語の勉強に来た際に在日のご主人と知り合い男の子を産んでこちらに暮らしているセレブコリアンである。
韓国海苔巻きを教えてくれたり去年の韓国旅行の時にソウルの面白いところを案内してくれたりしたしっかりして親切な良い子である。

お互いに再会を喜び合っているところに Fさん
「これからもう一人韓国の女の子がくるの。J智の学生さんなんだけど日本の一般家庭に招かれたことがないって言うから今日お呼びしたのよ。局ちゃんとKちゃんにも紹介するから仲良くしてね」とのこと。
ここの家のお客って韓国人、中国人、タイ人って国際的なのである。
そこへ来てFさん、お得意の手料理でおいしくもてなすから彼らも大喜びで、本国に帰ってからFさんが訪ねると家族をあげて大歓迎してくれるのである。

まだ学生のSちゃんは長身で小顔でアイドルみたいな可愛い女の子だった。
思わずFさんに「可愛い子ね~」とささやいたら Fさん 「局ちゃんが可愛いって言っているわよ」。それを聞いてにっこりして「ありがとうございます 嬉しいです」って素直に喜ぶ、育ちの良さそうな感じの良い子だった。
これからFさんの飲み仲間も合流して遊びに行くと言うが私はオットも帰ってくるので今日は帰るねと言ったら
「一次会は駅近の立ち飲みだからビール一杯だけ一緒に飲もうよ~ 案外おいしいわよ~」とFさん。
オットの帰りは9時頃 だいたいの夕食の下ごしらえはできてるし・・・
「ん じゃお付き合いしま~~す」とホイホイ乗ってしまった。(夜遊び自粛は二週間だった)



こ~んな感じの飲み屋。炭火で焼き鳥を焼く煙がボウボウ出ていて、隣の人と肩をくっつきあうくらいのスペースで飲むところ



私はナマ、Fさんはホッピー

串焼きももつ煮もおいしかったな~



はしゃぐコリアンガールズ

留学生のSちゃんは就職もこちらでしたいらしく、この就職難のご時勢一生懸命就活中らしい。
何事も前向きでひたむきなのはお国柄?

かの国で部分的には相容れないところもあるけど、オットの仕事関係で知り合ったコリアン奥様やこうやって遊ぶコリアンガールズはみんな感じがよくて礼儀正しくてフレンドリーな人たちである。
歴史的に悲しい過去や現在も国家間には微妙な問題もあるけど、個人的に友達になっちゃうとお互いにゆずりあうところはゆずりあってもいんじゃない?っていう意識が不思議に生まれるものなのよね。

個人的にまるで知らないで一部のマスコミにあおられてお互いのイヤな所に注目して反目しちゃうのは両方にとって悲劇だな~とも思う。
これに限らず、なるべく偏見を持たずに世の中渡っていきたいものです。
それにはおいしい食べ物と気さくで楽しい会話だね。

この日、この後は他のおもしろオバたちと合流するって話だったけど、ちょっと未練を残して先に家に帰った。最初から飛ばし過ぎるのもナンだし・・・

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毒舌お見舞い あれこれ

2010-03-06 22:34:07 | 友人
ブログでは、今回の首痛騒動は書いたけど、リアル友達には自分からは言わないようにしていた。
実家の両親にももちろん内緒、年寄りに余計な心配かけたくないしね。

普段リアル友人にもわりとそういうスタンスである。
ホントに困ったらうちあけるが、少々のトラブルは人に言わないタイプかも…

しかし、今回はタイミングが悪かった。
症状の出た前日は同窓会、当日は着物の会だった。
同窓会の後の連絡やその他で、つい漏らしちゃったり、着物の会の人たちは私が具合が悪くて着付けの実技を見学していたのを知っていた。

同窓会当日、銀行に行き忘れて手持ちがないと言うので壱万円貸した建築士Nちゃん
私の職場から彼女の事務所は近くである。たまに寄っておいしいコーヒーをご馳走してもらうこともある。
「お金返しついでに飯おごるから寄ってよ。今週中はど?」とメールがきた。
一番ひどい時だったので、「実はこういうわけでしばらく無理」と返信したら、

「ひょえー マジ? 局ったら人に金貸しといて自分の首がまわらないんじゃシャレになんないねー。
とにかく無理せず養生してね。あたしも気を付けよ」

と返信が来た。


同じ系列の友達で また舞台の招待券があるからって誘ってきた今度は舞台友のN。同じくワケを話して断ったら

「やだ~ 大変だったんね。 局もこけし体型で首も気の毒ね。早く治しとくれ」

気の毒なのは首じゃなくて私本人ではありませぬか。


極めつけは食の伝道師Fさん。 今回彼女の友人の「神の手整体師のKさん」のおかげでどうにか立って歩くことができたってことでホントにお世話になった。

Kさんが帰った後にお礼と報告の電話をしたら

「どうした? あっじゃ少しはよくなったわけね」と言った後にいきなり高笑いするんですよ。
「あはははは ちょっと安心したらなんだかおっかしいわ。普段運動もしてるしいかにも元気で遊んでる局ちゃんがね~ あはははは」

「もう~ 笑ってくださいよ。昨日は冗談ぬきでベッドから起き上がれなかったんだから~」

「それを想像すると意外だから笑っちゃうのよ~ 若作りしてるけどあなたも年相応だったのね~ あははは」

確かにもっと深刻なガンとかだとしたらこんな風に笑わないだろうけど、まあ命に別状なくて一過性のものだったからね~ ピークの時にメールが来て 「今 娘が帰るの待ってるの 一人でトイレも行けないんですよ~」なんて言ったのを思い出したら笑っちゃうかも・・・

それに着物の会の時に ここのところ痩せたFさんに周りの人から
「痩せたわね~」「スマートになったわね~」の賛辞がとんでいて、Fさんも嬉しそうに
「そうなのよ~ なじみの商店街のおじさんから Fさんがぽっちゃりじゃなくなると淋しいなんて言われちゃったのよ」なんて言ってるのに対して
「あっ それは大丈夫ですよ、Fさん。ぽっちゃりじゃなくなるまでにはまだだい~ぶ猶予あるから 心配ないよ~」と憎まれ口をたたいて
「んも~ 局ちゃんたら~」とこづかれたのであった。 見事に意趣返しされたじゃないか。

しかし、今回迅速に動いてくれて頼もしかったのもFさんであった。
「ご紹介するわ」とか、「今度連れてってあげる」とかは絶対に口約束で終わらない。彼女の機動力と世話焼きはいつも損得抜きで周りを助けている。
ありがたい存在だと思う(毒舌だけど~)

そして今回も妹分の昼行灯は昼行灯で天然であった。

今週彼女がパートに勤めている花屋さんに行く約束をしていたのだけど行けなくなった。その時もしかしたら入院するかもって言う話をしていた。
その後「入院したの?」って電話がきたので大丈夫だったことを告げたら

「な~んだ」

「な~んだって何よ!?」

「局ちゃんが入院したらお花持ってお見舞い行こうと思ってプリザーブドでブーケ作ったんだよ。持って行けなくなっちゃったよ~ ほらほら可愛いでしょ。写メ送るね~」



ハイハイ可愛いよ。別に入院しなくたっていいから持っておいでと言いたい!




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異世代交流ホームパーティー

2010-02-15 00:51:54 | 友人
先月の記事に女子飲みとして書きましたが、親友Aの教え子のアラサー女子二人が結婚することになった。ひとりはもう籍を入れ、一人は結納が終わり、この9月に挙式するらしい。

ところでバリキャリのAは4,5年前に再婚したのだが、そのダンナは結婚当時は日本の企業から某国で働いていたが、結婚直後に某国企業からヘッドハンティングされて就職してしまった。だから結婚してからずっと別居。ときたま長い休みの時と、日本出張の時のみ同居という変則結婚生活をしている。

そんなことだったのでAのダンナとはなかなか会う機会もなかったし、結婚してからの期間サブプライムローンの破綻の影響から彼の仕事はなかなか大変で ハタで聞いててワタシも 「大丈夫なんかいな?」と思ったこともあるし、ワタシもA贔屓ゆえ、あまりAのダンナに関しては親しみを持つことができなかった。
そして美人で性格も良いAのファンはワタシの周りにもたくさん居るのである。
Aダンナの企業の様子や某国の現状を知っているオトコたちは口をそろえて
「Aちゃん あんなオトコと結婚しちゃって大丈夫なのかな~ 局がついてながらどうして再婚なんかさせたんだよ Aちゃんは一人でに生きていけるよっ!」とおせっかいにも心配するヤツラが多かったのである。

ワタシはAのマネージャーかい?そんな心配なら自分で守ってあげろや と言いたいところではありますが・・・

当然ウチのオットもAファンなので Aダンナに対してはあまり良い感情を持っていなかったのであります。 

そして昨日、Aダンナが二週間ほどの休暇のために帰ってくるので アラサー女子たちのお相手と一緒にウチの夫婦もホームパーティーに招いてくれることになった。
2週間前くらいにそういう話があったのでオットに振ってみたら 「ん?Aちゃんち?行く行く」と二つ返事であった。

東北で仕事だったオットは遅れて参加とのことでリクエストされた酒類とオードブルの足しを持ってワタシは一人で都心のおしゃれなマンションへ



ホテルのロビーのようなエントランスでコンシェルジェみたいな制服を着た管理人が常駐するマンション。今度結婚する有名モデル(魚介類)もつい最近まで住んでいたらしい。駐車場には日本車が殆ど見当たらない。

部屋にだどりつくまでに二度チェックがありセキュリティーも厳しい。

部屋についたらAダンナが料理をしていた。
(へ~ すごいじゃない いつも作るの?)と小声で訊ねると
(まっさか~ お客の来る時だけよ。普段は何もしないけど自分も料理するっていうのを見せたいタイプね)とAも小声。まあウチのオットは茶も入れないからね、やるだけマシである。



メニューは海老の包み揚げ トマトと卵の中華風炒め 手前のバケットのクリームチーズ詰めは局作

途中 ウチのオットが着たところで成城石井スーパーで買ったというラム肉もサササと炒めるAオットは手際がいい。



これはラム肉用のスパイスでヒツジが食べる草からつくるらしい。クミンが効いていてラム肉の風味を引き立てていた。

Aちゃんファンのオットは腹に一物あるわけなのになぜかすんごくAオットとフレンドリーに某国やAダンナの仕事の話や今の政治の話などで盛り上がっていた(なんだ気が合うんじゃん)

一人のアラサー女子のダンナは急な仕事が入ってドタキャン。もう一人の婚約中のカップルの男の子が来ていた。



Mちゃんと婚約者。Mちゃんより6歳年下の 某大手の監●法人に勤める公認会×士である。(この日は仕事帰りでスーツ姿だった)
ウチのムスコと2歳しか違わないんだけど この子がまあ穏やか、かつ頭が切れてなんとも良い子だった。彼女の恩師とはいえ初めての家に来て、なにやら面白いが態度のでかい初対面の全然関係ない年上夫婦(局家ね)とも同席しながらも楽しそうに自然にくつろぎ、出すぎず 引っ込みすぎずに口を挟むサマは知的で上品であった。

Mちゃんに対する気遣いも然り、オードブルを取り分けたりワインをついであげたりの動作がごくごく自然で優しさがにじみでている。背も高いし、穏やかな風貌はイケメンと言っても許される部類であろう。
Mちゃんとは8年ほどのつきあいになるが、彼女のまじめで純粋なところ、努力家なのを知っているワタシとしては Mちゃん よくこんな良い子見つけたね~ 結婚したら幸せになるよ と心から思った。
今流行の草食系、しかもエリートで育ちの良い子ってホントにいいわね~、肉食系の昭和オトコとしか付き合ったことのないオバサンはあと20年後に生まれたかったなとも思ったのであった。


メインはちょっとカレー風味の薬膳鍋

  

デザートには赤坂のドーナツ屋のドーナツで



とても満足!



今日になってAにお礼メールをした。

「楽しい夜でした。ありがとね。たまに若いカップル見るとやはりうちらのダンナは昭和のオトコってのを実感するね~ しかし客向けとはいえ OO氏の手料理おいしかったよ。 あっ Aちゃんアオザイ似合ってたよ。下にズボンは履かなくてもいいじゃないかってダンナが言ってたよ 

「ほんとぉ 昭和歴然だよね~ ワタシ今出張前泊で××なんだけど みんなからのお礼メールを●●に転送する度に もうニッコニコのコメントが戻ってくるのよ。ああやって仕切んの好きなのよね~。まあこれから二週間以上の ボク休暇・ワタシ仕事の長丁場の入り口に非常に助かります ふぅ~」 と 帰って来たので

「二週間でネをあげてどうする? がんばって乗り切ろう」と返信しておいた。



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