父が退院したと思ったら今日は病院違い 母の肝臓がんの経過を聞きに総合病院に行った。
先週のCTの結果だけど 病巣は縮小傾向 今のところ再発は無 血液検査の結果も良好ということだったらしい。
良かったよかった。 運も良かったけど、母の病気に対する取り組みも良かったのであろう。楽天的 かつ 真面目に自分の病気に取り組んで克服しつつあるって感じ。
「このまま三か月に一度フォローして行けば大丈夫だと思いますよ」とニコニコしながらおっしゃった主治医も頼もしい。
そして母、何を言い出すかと思えば
「私 最近運動を始めたんです。エアロビなんですけどやっても大丈夫ですか?」と聞く。
先生 苦笑しつつ
「ああ 運動はいいですよ。筋肉が衰えないほうが肝臓にもいいですし 肝臓の数値が悪くなるほど無理はしないでくださいね」だと
エアロビつーてもラジオ体操に毛が生えたくらいなもんなんだから大丈夫であろう。
診察が終わって母は待合室で小声(本人はささやいてるつもりらしいが、普段謡で鍛えてるから声がやたら通るから困る)
「OO先生って伊東四朗に似てるんね」
全然似てない OO先生がかわいそうである。どっちかっていうと写楽の描いた役者絵に似ているw
その後 私の運転で家まで帰ったのだけど 壊滅的にたそがれてる我が故郷の駅前である。
私の住んでいたころもドーナツ化現象と言われ始めてはいたが、その頃の駅前はこじゃれた喫茶店やジャズ喫茶、レストランも駅前通りにあり、化粧品店 電気店 映画館 ブティック パン屋 が大企業の支店のビルの間に混在し 広い歩道を歩くと大きな街路樹からの木漏れ日も美しく なかなか便利で良い環境だったのに。
それが20年前くらいだったか イトー☆ーカドーができて、それ自体は便利だったが、そのせいで駅前通りの小売店が撤退していった。
そして そして バカヤローなことに 地元の商店を壊滅させてきたご本尊は去年売上低迷を理由に撤退したのである。
駅前に巨大な廃墟を残して・・・
そうこうしているうちに 東京の企業の支店もどういうわけか隣の市に拠点をうつし(なんだか隣の賢い市長が色々柔軟にそういったものを受け入れ自分の市を発展させているうちに、全部そっちに取られちゃった模様)櫛の歯が抜けるようにビルは空きビル化した。弟の言うことには有名な外資の金融関係の会社もちょこっとビルを借りたと思ったら6か月もたたずに撤退したらしい。さすが損得勘定が優れてる なんてたたえてるバアイじゃないけどさ。
再度言う イ☆ーヨーカドーのバカヤロー!
今度の震災で狭い避難所にひしめきあっている被災者の方々の映像をみるたびに (あの☆トーヨーカドーの跡地そのまま被災者に提供すればいいのに)と思ったね。
そしてまだ続きが・・・ そのそばに(多分)JR関係の事業としてやっていた生鮮食品の小さなスーパーがあったんだけど(そんな高級品はないし品揃えも定番のものしかなかったが)ヨーカドー帰りにちょこっとした買い物をするってのに便利だったのにどんどん品薄になって怪しい嫌な予感を覚えていた店舗が この震災が後押しして やっぱり三月につぶれた。
母がやけっぱちのように 「OOが店終いしちゃったよ これで我が家も買い物難民だ~」と珍しく顔文字つきのメールを寄越した。よっぽど腹が立ったのであろう。
そして駅まで歩いて5分という我が実家の両親はホントに買い物難民化している。食糧や雑貨は生協で頼むにせよ、ちょっとしたもの、たとえばバンドエイドが切れちゃったとか電球とか犬のおしっこシーツなんてものを買いに行くには父が運転免許を返納してしまった故、タクシーかバスしか手段がない。
まさか県で一番都会とされていた我が故郷、それも駅から5分って位置でこんな不便をこうむるとは想像できなかった。
いろんな要因があるんだけどね、主要産業が衰退した後にその後の産業が育たず、割に保守的な土地柄、進出してくる新しいものを歓迎せず・・・。8年続いた市長がホントにバカだったらしいし その後の市長は欲深。自分の係累の土地持ちが儲かる政策しかしないらしい。
駅前もしかりだけど街の中心のシャッター通りもすごいもんだよ。目抜き通りでスケボーができるくらい、昼間から。
まあその市長を選んだ住民にも責任があるんでしょうけどね。
まあ既に故郷から離れて遠くから眺めて時々来る私みたいなもんには嘆く権利もないんだろうけどさ。
弟も現状を分析すれどもどうにもならず 私が 「ホントこのタソガレぶりはひどいよね。広島なんて地方都市でもすんごく元気があったよ」って言ったら 「ここより元気のない所はないよ」と完全にあきらめムードである。 困ったもんだ。
先週のCTの結果だけど 病巣は縮小傾向 今のところ再発は無 血液検査の結果も良好ということだったらしい。
良かったよかった。 運も良かったけど、母の病気に対する取り組みも良かったのであろう。楽天的 かつ 真面目に自分の病気に取り組んで克服しつつあるって感じ。
「このまま三か月に一度フォローして行けば大丈夫だと思いますよ」とニコニコしながらおっしゃった主治医も頼もしい。
そして母、何を言い出すかと思えば
「私 最近運動を始めたんです。エアロビなんですけどやっても大丈夫ですか?」と聞く。
先生 苦笑しつつ
「ああ 運動はいいですよ。筋肉が衰えないほうが肝臓にもいいですし 肝臓の数値が悪くなるほど無理はしないでくださいね」だと
エアロビつーてもラジオ体操に毛が生えたくらいなもんなんだから大丈夫であろう。
診察が終わって母は待合室で小声(本人はささやいてるつもりらしいが、普段謡で鍛えてるから声がやたら通るから困る)
「OO先生って伊東四朗に似てるんね」
全然似てない OO先生がかわいそうである。どっちかっていうと写楽の描いた役者絵に似ているw
その後 私の運転で家まで帰ったのだけど 壊滅的にたそがれてる我が故郷の駅前である。
私の住んでいたころもドーナツ化現象と言われ始めてはいたが、その頃の駅前はこじゃれた喫茶店やジャズ喫茶、レストランも駅前通りにあり、化粧品店 電気店 映画館 ブティック パン屋 が大企業の支店のビルの間に混在し 広い歩道を歩くと大きな街路樹からの木漏れ日も美しく なかなか便利で良い環境だったのに。
それが20年前くらいだったか イトー☆ーカドーができて、それ自体は便利だったが、そのせいで駅前通りの小売店が撤退していった。
そして そして バカヤローなことに 地元の商店を壊滅させてきたご本尊は去年売上低迷を理由に撤退したのである。
駅前に巨大な廃墟を残して・・・
そうこうしているうちに 東京の企業の支店もどういうわけか隣の市に拠点をうつし(なんだか隣の賢い市長が色々柔軟にそういったものを受け入れ自分の市を発展させているうちに、全部そっちに取られちゃった模様)櫛の歯が抜けるようにビルは空きビル化した。弟の言うことには有名な外資の金融関係の会社もちょこっとビルを借りたと思ったら6か月もたたずに撤退したらしい。さすが損得勘定が優れてる なんてたたえてるバアイじゃないけどさ。
再度言う イ☆ーヨーカドーのバカヤロー!
今度の震災で狭い避難所にひしめきあっている被災者の方々の映像をみるたびに (あの☆トーヨーカドーの跡地そのまま被災者に提供すればいいのに)と思ったね。
そしてまだ続きが・・・ そのそばに(多分)JR関係の事業としてやっていた生鮮食品の小さなスーパーがあったんだけど(そんな高級品はないし品揃えも定番のものしかなかったが)ヨーカドー帰りにちょこっとした買い物をするってのに便利だったのにどんどん品薄になって怪しい嫌な予感を覚えていた店舗が この震災が後押しして やっぱり三月につぶれた。
母がやけっぱちのように 「OOが店終いしちゃったよ これで我が家も買い物難民だ~」と珍しく顔文字つきのメールを寄越した。よっぽど腹が立ったのであろう。
そして駅まで歩いて5分という我が実家の両親はホントに買い物難民化している。食糧や雑貨は生協で頼むにせよ、ちょっとしたもの、たとえばバンドエイドが切れちゃったとか電球とか犬のおしっこシーツなんてものを買いに行くには父が運転免許を返納してしまった故、タクシーかバスしか手段がない。
まさか県で一番都会とされていた我が故郷、それも駅から5分って位置でこんな不便をこうむるとは想像できなかった。
いろんな要因があるんだけどね、主要産業が衰退した後にその後の産業が育たず、割に保守的な土地柄、進出してくる新しいものを歓迎せず・・・。8年続いた市長がホントにバカだったらしいし その後の市長は欲深。自分の係累の土地持ちが儲かる政策しかしないらしい。
駅前もしかりだけど街の中心のシャッター通りもすごいもんだよ。目抜き通りでスケボーができるくらい、昼間から。
まあその市長を選んだ住民にも責任があるんでしょうけどね。
まあ既に故郷から離れて遠くから眺めて時々来る私みたいなもんには嘆く権利もないんだろうけどさ。
弟も現状を分析すれどもどうにもならず 私が 「ホントこのタソガレぶりはひどいよね。広島なんて地方都市でもすんごく元気があったよ」って言ったら 「ここより元気のない所はないよ」と完全にあきらめムードである。 困ったもんだ。