過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

食物が選べる美しさ3

2014-09-29 08:29:02 | 旅日記
丁寧に摘まれたベビィリーフ達に、食を慈しむ気持ちを感じました。
メルカート(魚市場)や野菜市場は、日曜を除く毎日、午前中の営業でした。
夜討ち朝駆けの私では、この街で暮らせないけれど(苦笑)、その日に食す物を選ぶ暮らし方を、いつかはできるようにしようと、思いました。
足るを知る…汝、貪ることなかれ…ちょうど必要な分を選べる賢さは、いつの時代にも戒めだったと思い返しました。
普段の暮らしに戻れば、冷蔵庫を満たして、常備歳を整えて暮らすでしょう。それが24時間を使う暮らし方を支える食です。良し悪しで判断されることでは無く、それぞれの暮らしの中で、丁寧に慈しんで暮らすことだと思いました。


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食物が選べる美しさ2

2014-09-28 17:22:45 | 旅日記
■ハーブの瑞々しさ!
籠ごと買って帰りたいとまで思った、香味野菜の美しさ。香り高さ。
土があって、塩を含まない水をまかなくては育たない「緑色」に、特別な感慨を覚えます。
あるのが当たり前だと思っていた野菜達が、とても愛しく思った瞬間でした。


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食物が選べる美しさ1

2014-09-28 17:20:09 | 旅日記
■運河を巡った後、市場を観る眼は変わる
ゴンドラで水面からの眼を得た後に、市場をみる自分の眼に飛び込んでくるのは、やはり艶やかな食材の色たちでした。
どれを選んでもいい、そういう暮らしの有難さ。
命を育む食物の美しさ。
白い壁とテラコッタの屋根の茶色が織りなす街で、市場の輝く野菜や果物の色の美しさに、心を惹かれます。
この色をもたらしているのも、また人なのです。
緑の、艶やかな紫の混じる不思議な色も、どちらもインゲン豆の一種です。イタリアの南から届くレモンが並ぶ。この色を育てるのも人間、それを壊していくのも人間です。



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水面からの眼13:地球号の未来を思う場所

2014-09-28 17:15:51 | 旅日記
■何の陰りも感じない美しい街ベネチア
かくしてゴンドラは、リカルド橋のたもと、船着き場に戻りました。
複数のゴンドリエが相互に入れ替えながら、手をかしてくれて、陸に戻してくれました。
あまりに沢山学べたことに感謝して、チップを重ねて料金を支払う私たちに、ゴンドリエは「約束だよ、二月以外にまた来てください」と言います。

鳥の眼と、水面からの眼を得たからこそ、体感できた喜びと、大きな不安。
私たちの地球を未来につなぐ時間はまだあるだろうか?
何か本当に始めなくちゃいけない。少なくとも、忘れてはいけない、と決心した時間でした。

そしてまた豊かなベネチアの時に、仕事のある空間に戻っていく自分でした。
旅をすることは、非日常であっても、それは必ずリアルワールドの課題として、自分たちに却って来る。
忘れないでいなくてはならない。そして、知ってもらえる機会になればと願って、blog記事に残します。
まだ間に合うのか? 間に合わせなくてはならないのです。
皆さん、ベネチアの水害は他人事ではないのです。日本で、世界で広がる自然災害の輪に対して、私たちは無関心でいてはならないと思います。



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水面からの眼12:眩しい場所に

2014-09-28 17:07:32 | 旅日記
そんな切ない話をしている間に、ゴンドラは静かに船着き場にこぎ寄せられていきました。
明るい陽射しに輝く街並み、ゴンドラが静かに揺れている運河、にぎやかに写真を取り合う観光客、窓から見下ろす街の住人。
この眩しい場所の中に、陰りは見られない。
ベネチアは人が作り、暮らしてきた島。水の(海の)恵み故の繁栄を重ね、そして、水に侵されて消えていくかもしれない場所。
人間の業の深さ、人の想いの重さ、人の暮らしの儚さを感じました。

日本でも台風が来るたびに、被害が大きくなった。竜巻が不通に起きて、ゲリラ豪雨に用心しないと暮らせない場所になった。異常気象を生み出す原因の一つに、私たちみんなの暮らしがある。
どうしたら、地球号を未来に引き継いでいけるのか、この眩しい輝きを次の100年に渡してやれるのか、まだ間に合ううちに考えなくてはなりません。


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水面からの眼11:最も低い場所

2014-09-28 17:01:00 | 旅日記
■リカルド橋のたもと、メルカート方面につながる道は、潮の高い時間でもないのに、すでに街路が冠水していました。
リカルド橋からサンマルコ広場にかけてが、ベネチア本島で、現在、最も低い場所となっており、少量の雨でも排水ができない状況が見られると、ゴンドリエが教えてくれました。
運河の水が、いつもすでに、静かに街を覆っていこうとしていることに、哀しみを覚えました。

シニョーラ、この街が好きになったなら、1月や2月にこの街にきてはいけない...アクア・アルタ(=ハイ・タイド、英語では高潮)の時期だから。アフリカ生まれのシロッコが大雨を降らせる。そして運河の水も汚水も、すべて水面から地上に噴き出す。サンマルコ広場は、汚水に覆われて、街全体に腐臭がする。そんな姿を見てはいけない。今日のベネチアを覚えておいて、また良い季節に戻ってきてほしい...。
ゴンドリエはとつとつと話してくれて。
この街に住むのは苦しくないのか?と、私は尋ねました。ゴンドリエは「この街以外に住む場所はない。私たちは運河と共に生きて、やがて死ぬ。死んだら、運河をたどって島にいく。そうしてきたんだ、ずっと。」

日本なら、きっと運河を埋めようとするでしょう。あるいはコンクリートの巨大な水門と堤防を作ろうとするかもしれない。地面を持ち上げる工法をとろうとするかもしれない。
ベネチアでも世界遺産保護プロジェクトによって、沖合に堤防を作る試みや、地下水のくみ上げ禁止措置や、地盤を保護する試みは進められているようです。されど、この島に住む人の視線は、沈みゆく島と知っても運河と共に生きると決めている人の目であるように、感じました。


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水面からの眼10:カナル・グランデに戻る

2014-09-28 16:48:13 | 旅日記
■リカルド橋上は商店が並ぶモール
ゴンドラはリドから、カナル・グランデに戻ってきました。
その広がりの大きさに、ダイナミックな水上交通の設計の妙を感じました。

ランドマークのひとつであるリカルド橋。その橋上の白い箱状の建物は、実は橋梁の中心部を通路とした商店群として、今は使われていました。
橋の上に重量物を常在させるなんて、木を組み合わせた橋のある国で育った自分には、やはり不思議な光景でした(ニッコリ)。
リドとカナル・グランデの間に水面高の違いがないために、実に滑らかにゴンドラは漕ぎ出せます。
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水面からの眼9:マルコ・ポーロと交錯する

2014-09-28 16:43:48 | 旅日記
■八百年前、マルコ・ポーロが住んだ部屋
多くの観光客が訪れていたのは、リドに面する窓を見上げる場所でした。
800年前に、マルコ・ポーロが住んでいた部屋、と聞かされて、驚きました。
そうだった!
マルコ・ポーロは中国から戻ってきたベネチアで、日本では後に「東方見聞録」として知られる書物のもととなる口述(1295-99年)をしたのでした。
黄金の国ジパング、江戸を東洋のベニスと呼んだ人、と、うろ覚えしていたのでした(苦笑)。

彼が中国を訪れていたといわれるのは1270-1295年の間。1275年にフビライに謁見したと記録があります。鎌倉時代の日本で、江戸の運河に関する話ができたはずがないと、この旅の間に気づいたのでした(苦笑)。
東洋のベニスと呼んだ人たちは、戦国時代から江戸時代の始まり、後の宣教師たちの時代まで待たねばならなかったはずです。
マルコ・ポーロの時代なら、水上交通がなされていたのは中国の蘇州です。蘇州ならばベニスといえただろうか?と遠くをみて、考えていました。帰国してから調べてみたところ、中国に関する記述は乏しく、その記載はありませんでした。

驚くべきことは、800年前にマルコ・ポーロが住んでいたと記憶があり、その家に今も人が住んでいることでした(ニッコリ)。
石造りの家の高層階であるからこそ、可能であった話と思います。
その時代に、どんなに日本は遠かったことか!
彼の視線と自分たちの時代は、交錯する...そして彼の憧れた黄金の国を夢見て、旅して日本についた人は何を見つけたのだろうか?と、感慨にふける瞬間でした。



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水面からの眼8:ゴンドラも人も集う

2014-09-28 16:21:52 | 旅日記
■リドの中にも観光地?(笑)
橋の上にも、小運河(リド)にもたくさんのゴンドラが集う場所がありました。
何かあるのかしら?
かならず航路を確保して、相互に位置取りをする、マナーがきちんと徹底していることにも興味を惹かれます。
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水面からの眼7:マイ・ボートの連なるリド

2014-09-28 12:57:41 | 旅日記
■路地にマイ・カーの代わりにリドにマイ・ボート
網目のように拡がるリドには、マイ・ボートが係留されています。
それらに触れることなく、ゴンドラやボートは行きかいます。
感動する光景です。
リドが生活の基盤なのです。確かに車椅子で暮らすのは難しい場所だとはわかる。この運河を失くしたらベネチアではないのだというゴンドリエの言葉を噛み締めました。


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