燕三条から村上へ。新潟県をひた走ります。城下町、村上は、古くから鮭で名を成しています。村上の塩引き鮭といえば、東の文化において、年の瀬のお使い物の最上級であると言えば、伝わるでしょうか。(微笑)
村上の千年鮭と呼ぶ、吉川(きっかわ)を訪れました。
古い街の一角に、鮭の文字が美しい。同じ町屋の隣には、酒玉が。鮭と酒?(笑)と眺めて、店にすすみました。
おぅ、町屋らしい入り口に、風に揺れる鮭。
『塩引鮭』と表障子に書かれているけれど、下がっているのは、木彫りのように美しい乾物に見えました。不思議な風景です。
店内に踏み入ると、昔ながらの商家。土間にショウケースが並びます。見せてくださいね、と声かけして、ワクワクと選ぼうとする私に、お店の方が、
『お時間許せば、店の奥と庭を見てやってください』と声をかけてくれました。
店の奥から一歩踏み込むと、金屏風の表座敷が目に飛び込んできました。ですが、最初に感じるのは、乾いた魚の匂い?何故?
店から2歩目、体は90度、座敷に向かい合わせた土間の暗がりに、息をのみました。
座敷の前に下がるのは、大量の鮭!鮭の林が、私たちの前に広がっています。
奥に更に、店は続いていて、これは飾りではない、ことに圧倒されました。
使い込まれた木桶、銅の輪がまかれ、全てが仕事の続きを始められるように見える。
表座敷に正対する一群の鮭。
この街が鮭の街である意味に瞑目します。
お店の方が、とつとつと、話してくれました。
この座敷は、今も暮らしの場であり、仕事の場であること。
鮭の漁期には、千程の鮭が並ぶこと。
塩引き鮭は、塩を一月半あてて、出すけれど、こちらの『酒びたし』は一年、干して作ること。
風干しした鮭を、隣の店にある酒で洗って、さらに干して、作ること。
長い時間、鮭と共に、暮らすこと。
村上は、お城下なので。
鮭の頭を上にして干せば、首括りに見えるからしないのです。
はらわたを取り出すために割くと、切腹に見えるから、しないで。中にはらわたの一部を残す形で干していきます。
あぁ、凄いな。暮らしの中から生まれた鮭の姿。誠に尊い。
自然と手が合わさる。
鮭にも人にも、命があって、養う気持ちが有り難い。
■千年鮭 吉川、新潟県村上市大町1-20
…長くなったので、記事を次に繋ぎます。