仕事の進捗に応じて、自由時間を調整してもらっていました。この場にいるなら、是非に!と思ったことがありました。
ホテルのレセプションで初めて知りました。水曜日 10時に法王様がサンピエトロ広場で祝福をなさる、ということ。そのために、ホテルの朝食は常より30分早めて開始する、とのこと。
その話をイタリアのメンバーにすれば「了解、それを選ぶ人で安心した」と快諾してくれました(ニッコリ)。
広場に入場するためのチケットのアレンジは、ホテルのレセプションにお願いしてありました。火曜日の午後遅くに、アレンジすると言っていて。
火曜日、戻った私に、笑顔で手渡してくれました。「これは広場への入場券であって、席を保証しません。貴方の判断で、時間を選び、セキュリティチェックをうけて、席を得てください。」
無料で、笑顔で手渡されるチケット。このホテル Residenza Paulo VI は、バチカン市国を訪ねる人を、巡礼者としてもてなしているのか、と思いました。
毎朝……というか、午前2時前に、一枚の紙が音もなく部屋に滑り込みます。その日の祈りのための、聖書の一節が、在室者の言語(6カ国はあるらしい、我が室は英語)にて、届けられているのです。
書類書きから、ふと、心は自省にむかいます。自分を静かに観る毎日でした。
さて、水曜日。5:45amに、ざわめきを感じて目覚めました。
窓をあければ……うわっ! もう人が並びはじめている。
10時だから8時には並ぼうと考えていた、準備のいい日本人の私(笑)を上回る、世界中から来るキリスト者たち!
朝食の開始列の先頭にたつ頃(笑)には、列はホテルの横を過ぎました。チャリティのためのテントもたちはじめました。まだ7時前です。
(その時にみたテレビ画像が、前記事です、笑。)
広場から退出するにも時間が掛かると教わっていたので、朝食はパンを二個、サンドにして食しました(笑)。
7:30amにホテルをでて、列に並びます。ホテルの脇の列は、広場の左翼前方にあるセキュリティ・チェックに繋がっていました。
ワクワクと上気した笑顔で、話し合っているグループ。そこにお土産の旗やロザリオ、トランプに、日除けの帽子を売り付けようとする物売りが群がっていました(笑)。
セキュリティ・チェックを終えた後、人々は自分の思う場所へ散っていきます。サンピエトロ広場に一杯の椅子は、左右に二列、大聖堂に近い部分から三列、およそ六つのゾーンに分かれていました。そのゾーンを通路が包む形です。
どこがいいか?なんて、解りません(笑)。
私達は、左翼の一番前のゾーン、前から15列あたり、中心通路から四番目に、席をとりました。
正面の白い段に、法王様が座られるだろうからと、決めました。
人々は、グループごとに纏まって座ります。団体を示す、お揃いのキャップやTシャツ、旗、証の十字架が並びます。
尼僧さんにキャップ!(ニッコリ) こちらはミネソタの教区の有志でいらしたそうです。
何故、わかったか? それぞれに、どちらから、と聞いて、握手を交わす、からです(ニッコリ)。
遅れてくるグループの方を呼び寄せる携帯電話の声も一段落した頃。9時近くには、特長ある音楽に合わせて、壇上に、椅子席の最前列に、一群の人々が入場してきます。(生オーケストラが壇上後方に控えていました。)
その後、壇上に枢機卿はじめ参列者群が着席されると、セレモニーが始まりました。
写真中央の白い屋根の下、右手に、黒い法服の司祭がお立ちです。
イタリア語から始まりました。どの教区から、何という名の教団が、ここに集っているかを読み上げていきます。
名を呼ばれた方達が、アピールの声をあげます(ニッコリ)。
言語が代わるごとに、司祭が変わられていきます。
イタリアから円周状に欧州の言語を読み上げていくようで、その言語に登録されている教団(と国名)が、順に大陸別に読み上げられていきます。
16ほどの言語があげられました。
ちなみに英語に読み上げられた教団のあった国は、英国、カナダ、アメリカ、韓国、中国でした。おそらく日本も、ここに入るのでしょう。
それらが済んだ後にファンファーレ。明るい音楽が奏で始められると、広場の後方から、わあぁぁっと轟音が響きます。
法王様はオープンカーのようなものにお立ちになって、広場の通路を回りはじめられたのです。
そうか! そのために外周に沿って席をとる人々があったのか!(ニッコリ)
人々は一斉に立ちあがり、カメラや携帯をかまえ、旗をうちふります。
笑顔でこたえる法王様が一瞬、巨大スクリーンにうつされ、その後、人々の差し出す手や笑顔が続きます。様々な人種がみてとれる…世界の縮図をみるようでした。
法王様の背後が写るスクリーンと、その行方をおう人々の眼差し、手にはスマートフォン(笑)。これが現代です(ニッコリ)。
かくいう私も(笑)。演壇中央に白い法服の法王様の笑顔を拝しました(ニッコリ)。
ここから法王様は壇に上り、待つ人々に挨拶されながら、すすまれます。人々の熱狂はやみません。
白い台座に法王様がたたれ、皆の声に応えられる。カメラの列は続きますが、さすがにセルフィは無かった(爆)。一応の礼儀はあるようでした。
法王様が着座され、最初の祈りが捧げられます。
その後、先程と同じく、それぞれの言語の司祭が、壇上右手にたち、左にお座りの法王様に、祈りの言葉を捧げます。
それに答えて、法王様が祝福の言葉をくださいます。それを黒服の司祭が、その言葉に翻訳して、広場に伝えます。
法王様の話される時には、巨大スクリーンに写ります。祈りを捧げる人、写真をとる人、様々でした(笑)。
捧げる言葉の内容は、違うのですから、法王様の祝福の言葉も、少しづつ違っていました。笑顔、ドイツ語、フランス語は、少なくとも違っていました。
広場の人々の反応も様々でした。シーンと聞き入って、最後に拍手と歓声でこたえる群。旗をふり、一文ごとに歓声を挙げる群。
スペイン語の時には、祝福の言葉がいくつかに別れました。
フランシスコ法王様の生まれた国、アルゼンチン。法王様の祝福に一分、スペイン語の音が含まれました。スペイン語(エスパニョール)の他に、カステジャーノも話されたのでしょう。壇上でも、広場でも、アルゼンチンの旗が大きくうちふられました。
「はじめに言葉ありき」
聖書に書かれている言葉は、神と人との関係を現す言葉です。
ですが、この広場で、私は違うことを考えていました。
それぞれの言葉を通して、人は理解し、祈るのだと、気づきました。言葉ごとに、その振る舞いも違うのだと。
同じ宗教の場、同じ聖書に向かっていても、どんな言語で考えるかで、現される行動は、まったく違う…。
言葉……言語って、こんなに重いものだったのだと、ため息をつきました。
私達が教わってきた国語の授業って、こんな大切なことを教えてこなかった。母国語がアイデンティティの根底を創ることを、だから大切にすべきことを、教えなかった。そう思えば、母国語もできないうちに、第二外国語を教えることは、意味をもたないことがわかるだろうに…。
そして、もうひとつ、思い出すことがありました。「バビロンの塔」
昔、人々は同じ言葉を話していた。神の高みを目ざし、協力して高い塔を作りはじめた。神は言葉を分かたれた。人々はお互いを理解できなくなり、争いが生じ、塔は見捨てられた。
広場で様々な言葉の祝福が続く時に、大半の時間は知らない言葉の時間になるのです(ニッコリ)。
スマートフォンでひたすらデータを送る人、広場を映すカメラに映ろうとアピールする人、電話する人、集団で写真をとる人。
誰かにとっては、かけがえのない大事な時間でも、解らない言葉に対して尊重が現されないことも、事実でした。
私達の日々にも、同じことがおきていないか?
無関心、だけでなく、無礼に至る危険を、私達はしているかもしれません。
言葉が違う、宗教が違うってことは、誰かの大事なことを、無礼に扱ってしまって気づかないことになっているかもしれない…。
いまの世界に、バビロンの塔は、あちこちにあるのかもしれない。テロはそこに根差すかもしれない。
言葉の重さ、大切さ。
広場で私は、そんなことを考えながら、人々をみてきました。母国語を理解して、笑顔に弾む人の嬉しい顔を、覚えておこうと思いました。
9:45amにはじまった祝福は一時間ばかりで終わりました。
人波をやり過ごしてから、ホテルに戻ろうとした私は、やはり舞い上がっていたのでしょう。
広場の外、スイス・ガードのたつ境界部分で写真を撮ってもらおうとして、ガードの方角へ駆け出しました。
ガードが「ホワイト・ラインを越すな」っと大声をだしました。
そう、どんなに平和と許しに満ちていても、ここには境があるのです。
常に注意している自分であっても、それを忘れてしまうほど、得難い時間を過ごしたのでした。ちゃんちゃん。
ホテルに戻れば、別料金であっても、希望者には、お昼をとるチャンスが用意されていました。朝食をとらずに、真っ暗い時間に並んだ者があるだろうことを、おもんばかった、優しい配慮でした。
選ぶことができるって、最高のもてなしだと、改めて、思いました(ニッコリ)。
長い長い記事でした。バチカン市国の話はこれで終わり(笑)。後は、ローマの食記事をふたつ、書きます。
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