萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

secret talk11 建申月act.8―dead of night

2012-11-23 23:59:50 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁14」の後です


空の青、水鏡に



secret talk11 建申月act.8―dead of night

透明な紺碧ひろがらす空に、雲が靡く。

雲を湧きおこす稜線は、夏の陽射しに白銀まばゆく蒼い翳を描きだす。
ゆるやかに草地を吹きぬける風は緑と花の香ひるがえり、岩根に寄りかかる頬を撫でていく。
涼やかな風の掌は優しくて、懐かしい人の俤を見つめながら仰ぐ銀嶺たちへテノールが隣から微笑んだ。

「アイガー、メンヒ、ユングフラウ。オーバーランド三山で、いちばんノッポなのはどれだっけね?」
「ユングフラウ、標高4,158m」

陽気な声の問いかけに答えて、英二は隣に微笑んだ。
笑いかけた先、のんびり紙コップに唇つける笑顔はいつもどおり明るくて、けれど含羞が初々しい。
昨夕までは無かった表情の色彩、その優しい美しさに昨夜の記憶を見つめて、そっと肩を寄せ笑いかけた。

「光一、ほんとに綺麗になったな、」
「うん?俺は元から別嬪だよ、」

からり笑って答えてくれる、飄々としたトーンも前と変わらない。
底抜けに明るい目も前と同じに朗らかで、けれど寄添いあった信頼と艶と、かすかな甘えが寛いだ嫋やかさになっている。
そして香るよう微かに映る哀しみに、今のひと時が稀少なのだと想いだされて胸が軋みだす。
その傷みに左手の時計へ俤を見つめて、そっと隠した声で謝った。

―周太、今は光一を見つめさせてくれる?周太を忘れるなんて出来ないけど、

共に登った北壁の山、それを仰いで過ごす時間の終わりは近い。
その終わりには上司と部下の肩書に分たれる時が姿を見せて、全てが対等でいる今と違っていく。
だから今この瞬間たちは、ふたり笑い合える時間を大切にしていたい。この時への愛惜に英二は綺麗に笑いかけた。

「元から別嬪だけどさ、昨夜からもっと綺麗になったよ。恋人同士のセックスってすごいな?」
「なに?宮田のクセに、お天道サマの下でもエロってんの?真面目堅物くんのクセに、」

ちょっと驚いたよう英二を見、けれど愉快に笑ってくれる。
相変わらずの飄々と軽やかな笑顔が嬉しい、嬉しくて英二は率直に答えた。

「真面目堅物だけどね、恋人にはエロトークもするよ?恥ずかしがってるとこ見るの、好きなんだ、」
「やっぱエスだね、おまえって、」

可笑しくて堪らないと笑って、紙コップを啜りこむ。
白い喉が夏の陽に逸らされ眩しい、雪焼けも殆どしない清やかな肌を見ながら英二は微笑んだ。

「うん、俺ってエスっ気があると思うよ。セックスも自分がする方が好きだし、」

答えながら最近クセになりそうな唯一「されたい」相手を想いだす。
けれど、あれだって実のところは「されるよう仕向けている」のが本当の所だろう。
結局自分は身勝手な性質だから、良い様にされることが嫌いなのだろうな?そんな考え廻らす隣から光一が困ったよう笑ってくれた。

「俺もずっと自分はエスって思ってたけどね、でも意外とそうでもないかもね?」
「昨夜、俺が目覚めさせちゃった?」

言ってくれた想いへと笑いかけながら、そっと瞳を覗きこむ。
見つめた先で困り顔のパートナーは温かに笑んで、優しいテノールが言ってくれた。

「おまえ以外にソンナこと出来るヤツいないね、でも英二も目覚めちゃってない?」
「何に?」

短く尋ねながら紙コップに唇つけて、あまい芳香がアルコールと喉にすべりこむ。
3日前にも楽しんだ酒の味に微笑んだ隣、光一も吐息にワイン香らせて躊躇いがちに笑った。

「おまえ、昨夜から俺にくっつきたがりだよね?前はソンナじゃなかったのに。やっぱ、俺がおまえの女になったって自覚から?」
「そうだな、」

さらり答えた隣、雪白の頬に薄紅が昇りだす。
エロオヤジだけれど本当は初心、そんな素顔は透けるような純真がまばゆい。
綺麗で見惚れながら今、こんなふうに自分たちがなったことが不思議で、けれど自然にも想える。

―憧れで夢だった、ずっと

最高の山ヤの魂を持つと言われる男、最高のクライマーになる素質まばゆい男。
そんな男をずっと憧れて追いかけて、追いつくことが自分の夢を叶えてくれると信じて努力してきた。
その努力はきっと生涯続くのだろうな?そんな想い見つめながら紙袋を開いて、パンにハムとチーズを載せると隣に手渡した。

「はい、光一、」
「ん、ありがとね、」

受けとってくれながら微笑んだ貌に綺麗な幸せほころんでくれる。
いつもの明るい笑顔、けれど昨日よりもずっと距離が近い。この変化の原因は誰にも真相は解からないだろう。
ふたり北壁の登攀記録を共に作った信頼感、そう周囲は思い疑問を持たない。

―でも周太は知ってる、

唯ひとり伴侶と想う、いま遥か東の祖国に待ってくれる人。あの人だけは自分の真実を知っている。
きっと何も言わなくても気がついて、純粋な心のまま幸せを祝福してくれる、そんな勁く清らかな優しい人が恋しい。
どこまでも優しい無垢な心が懐かしい、帰国したら逢いたい、けれど互いの仕事状況から暫く逢うことは難しいだろう。
そんな婚約者を想い、そしてもう1人、真実に気付くだろう人に考え廻らせながら英二は、自分のパンを口に運んだ。

「うん、うまいな、」
「だろ?」

嬉しそうにテノールが笑って、ミニトマトを白い指につまむ。
赤い実を口許に運びながら、光一は愉しげに教えてくれた。

「チーズとハムとパンとさ、組み合わせ次第で色んな味になるんだよね。で、コレが俺の好みだよ。外で食うと余計に旨いよね、」
「うん、こういう場所と合うな、」

答えてまた口にすると、まろやかなチーズとハムの燻した芳香がパンの甘みと合う。
シンプルなオープンサンドだけれど旨い、紙コップの白ワインとも相性良く互いに引き立てる。
吹きぬける草の香と太陽の光に摂る早めの昼食、その座っている時は穏かで昨日の冷厳との違いを想う。
いま見上げるアイガーは青空に明るく佇む、けれど今も北壁は冷たく凍れる蒼い翳に染められる。
ここで座って眺めて、昨日の全てへの想いが唇から呟いた。

「昨日のことが夢みたいに想えるな、」

涼やかな風が透明な池を渡り、緑をふくんで吹いていく。
ふる陽射しに座る草地は花が夏を織りなし、生命の息吹あふれている。
けれど白銀と青の世界は確かに今も存在して、冷厳の死はあの場所に壮麗なまま佇む。
こんなふうに生と死はすぐ間近に存在する、その現実が夢のようにすら想える隣から、透明な声が微笑んだ。

「夢に生きるのが俺たちの現実だね、山に登って世界を見下ろして、雪と氷と風と遊んでもらってさ、」

雪と氷と、風と遊ぶ。
本当にそんなふう光一は雪山を愛し、昨日もそうだった。
あの偉大な北壁を前にしても変わらない山っ子の愛を、アルプスの女王も死の壁も喜んだろう。
そんな想いにリッフェルホルンのフランス語を見つめて、英二は唯ひとりのアンザイレンパートナーに笑いかけた。

「やっぱり光一は山の恋人だな、」

笑いかけて見つめた貌は夏の陽に明るんで、雪白の肌に光が舞う。
艶やかな黒髪を風が梳く、透明な瞳に幸せほころばせて光一は笑ってくれた。

「ありがとね、で、おまえもそうだね?富士山の竜に愛される男だよ、」

笑って頬を小突いてくれる、その指がなめらかに白い。
この指で今朝は約束の曲を弾いてくれた、その旋律と声に愛しさ想い英二はねだった。

「光一、ホテルに戻ったらピアノ弾いてよ?今朝の2曲また聴きたい、」
「いいよ、ピアノが空いてたらね、」

素直に肯って光一は、白い手のオープンサンドを頬張った。
愉しげに動かす口許を見ながら自分も食事を再開し、肚に納める。
食べ終えて、コップのワインを口にしながら英二は、優美な横顔に笑いかけた。

「ピアノの後は部屋でのんびりしような、約束どおり抱え込むよ、」

言葉に、そっと長い睫が伏せられ夏の陽きらめかす。
あざやかな含羞が白い首筋をそめて、シャツの衿元を桜いろに変えていく。
ためらう恥らい初々しい貌は綺麗で見つめてしまう、その想いの真中で山の恋人は微笑んだ。

「その前にね、買物行くよ?約束のシャツ買って、夕飯のパンとかも欲しいね、」
「今夜は、部屋で食うんだ?」

答えながら紙袋と瓶を片づけて、笑いかける。
手際よくまとめ終えると、光一は羞んだよう明るく笑ってくれた。

「ふたりきりのがイイだろ?俺のこと独り占めしたいって、おまえ言ってたから、ね」

昨夜の時間の始まりに、ふたり告げあった言葉たち。
その記憶を呼ぶ恋人の言葉へと英二は、綺麗に笑いかけた。

「うん、独り占めさせて?光一、」

名前を呼んで、掌を雪白の頬よせて唇を近づかす。
そっと重ねた唇のはざま、こぼれる香はあまく清雅に愛おしい。
ふれあわすキス離れて、見つめ合った透明な瞳は微笑んで、あわい水の紗にゆれた。

「ほんと悪い男だね、おまえって。なんか俺、調子狂っちゃうね?…英二、」

漲らせた瞳に英二の顔を映して、名前を呼んでくれる。
眼差しに声に透明な想い、その心へと微笑んで唇はもう一たびと静かに重なった。




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本篇閑話:双壁、三彩の陰翳

2012-11-23 04:58:39 | お知らせ他
色彩と光線、織りなすもの



おはようございます、勤労感謝の日ですね。
そんな訳で昨夜から、第58話「双壁14」を描いていました。おかげで眠いです。

写真は御岳山のワンシーン。
赤と濃い緑に萌黄色、樹葉の三彩を映した秋の光です。
まさに今、御岳コンビの湯原に対する心情を描いていたので載せました。
今回のターンはこんな感じで、ターニングポイント的。こういう宮田で、国村で湯原です。
三人の関係は三つ巴、互いが重なり合いながら人生を織り成していく、それぞれの相互関係にある人達です。

第58話「双壁」という題は「璧」ではなく「壁」、このカベには複数の意味があります。
1つにはマッターホルン北壁とアイガー北壁、この三大北壁の2つにまつわる物語と謂う意味。
2つめは国村光一と宮田英二という、警視庁山岳会の次期ツートップの成長を示しています。
そして3つめは宮田の大切な人を、2人比較で幾つも列挙する物語であることの象徴です。

第58話「双壁」は宮田の様々な愛情の側面を描いています。
まず一番ウェイトを占めるのが「恋愛」湯原と国村への恋愛に対する想いです。
次に「親子愛」父と母への愛情と、父の湯原母・美幸に対する想いへの納得と反発。
3つめは「家族愛」湯原と湯原母・美幸への深い感謝と、馨と晉へのレクイエムのような想い。
4つめに「敬愛」後藤副隊長と警察医吉村医師への感謝と自責の想い、それから国村を上司として見る想い。
そして5つめに「同胞愛」国村の最初のアンザイレンパートナー吉村雅樹への、深く複雑で独特な感情です。

今回の北壁2つを登ることで、宮田は「吉村雅樹」と真向から向きあっています。
まだ8歳だった光一に最高のクライマーになる素質を見出した最初の人は、雅樹です。
そして北壁のタイムアタックや最高峰への夢を最初に光一に示して見せたのも、雅樹でした。
こんなにも山っ子に影響を及ぼすほど、雅樹はクライマーとしての優れた資質を備えた人物です。

そんな雅樹は宮田より15歳年長で、もう過去に亡くなった人物。
それでも今、生きているように宮田にも大きな影響を及ぼしています。
山と医学に夢と人生を懸け、真直ぐ純粋に生きていた美しい山ヤの医学生である雅樹。
この「山と医学」という生き方は、山岳救助専門の警察官である宮田の生き方と似ています。
そうした生き方だけではなく風貌も似ていることから、宮田は雅樹の遺した人望も獲得しやすいです。

この相似に宮田も、国村も雅樹の父・吉村医師も不思議な縁を見つめています。
それは宮田自身にとって支えであり、時に葛藤ともなって人間的成長の糧となっていく。
この点をクローズアップしたのが今回の第58話「双壁」です、そして国村との関係に変化が起きました。
国村の「山と人間への愛」両方でファーストだった雅樹、その雅樹と向きあう宮田ですから、こんな感じです。

この2人の物語と同じ時間並行で、湯原と美代の物語も変化があります。
それは第58話「双璧」にて描いていきます、こちらは「璧」宝玉の意味です。
今回の宮田と国村の関係変化を後押しした湯原の心情、そして湯原が生きる世界の変化が明かされます。
湯原にとっての「双璧」ふたつの宝玉の意味は何なのか?その辺をキーポイントに読まれると面白いかもしれません。





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