第58話「双壁14」の後です
瞳に映して、瞬間を留めて

secret talk11 建申月act.9―dead of night
グリンデルワルトの窓辺も、花あふれている。
赤に薄紅、赤紫に黄色、白、青、紫、あざやかに咲く夏が瑞々しい。
ツェルマットのよう山小屋風の建物ならぶ街は、歩きながらもアイガーを臨む。
雄渾そびえる岩壁には時おり雲がよぎっていく、その姿に英二はパートナーへと微笑んだ。
「光一の天気予報どおりだな。朝からずっと雲が横切っていく、風が速いな」
「うん、俺の観天望気はアルプスでも利くみたいだね、」
からり笑った顔は愉しげに空を見上げ、黒髪と白い衿を風に靡かせる。
雲や風など自然現象や動物の行動から天候を予想する、観天望気が光一は強い。
この予想と天気図から予測して、昨日は無風と光一は読取りアイガー北壁のアタックを選んだ。
そして今日の岩壁は荒天だと予測している、その通りに朝から風は蒼い壁を取巻いて凍てつかす。
いま北壁には凍死の危険が吹き晒していく、この現実を見つめながら英二は賞賛の溜息に微笑んだ。
「すごいな、光一は。もっと俺も、正確に天候を読めるようになりたい、」
「そりゃ是非、そうなるべきだね。でも、おまえは時間を読むの上手いよね、いま何時?」
訊きながら底抜けに明るい目は笑って、英二の左手首を白いシャツの手が握りこむ。
クライマーウォッチの文字盤を隠されて、けれど意識の感覚と太陽の高度に英二は微笑んだ。
「正午より前だな、11時前くらい?」
答えに白い手は開かれて文字盤が現れる。
そこには短針と長針が11を指して時間を示す、この提示に透明な瞳は愉しげに笑った。
「ほら、キッチリ正解だね?コッチのが珍しい能力かもよ、」
「そうかな、普通だって思ってたけど、」
話しながら紙袋を抱えて、ホテルのエントランスを入っていく。
コンシェルジュの前を通りながら英語とフランス語で挨拶をし、ロビーを抜けて階段を上がる。
木目と絨毯を踏んで階段から廊下に出、部屋の扉を開錠して室内に入ると光一が立ち止った。
「すごい、ね…なんで、」
透明な声が呟いたのを背中で訊きながら、英二は扉に施錠した。
なにが凄いのだろう?考えながら振り向き室内を見、瞬きひとつと英二は笑った。
「確かにすごいな、何のサービス?」
笑って紙袋をデスクに置いて、見直した部屋は花に充ちていた。
ベッドサイド、デスク、ローチェストの上、テーブルと花は飾られる。
白を基調に束ねた夏の花が彩る部屋、そのテーブルに置かれた果物とカードに英二は気がついた。
銀縁のカードを手にとり目を通してみる、すぐに笑って英二は英文の綴りをパートナーに示した。
「アイガー北壁を登った勇者へ祝福を、冷蔵庫のシャンパンはお祝いのプレゼントです、って書いてあるよ、」
「へえ、嬉しいね、」
カードを一読すると笑って、光一は冷蔵庫を覗きこんだ。
すぐワインバケットごとボトルを出すと、嬉しそうに笑いかけてくれた。
「シャンパーニュの本物だね、イイ祝福だよ。呑もう、」
愉しげにワインバケットを抱え光一は、2つのグラスも手にベランダの窓を開いた。
テラステーブルに据えてグラスを並べてくれる、そしてポケットからアーミーナイフを出すと栓を切った。
器用な白い手はコルクを飛ばさず抜いていく、その愉しげな横顔が嬉しい。
―光一、体調は大丈夫そうだな、
想い見つめる昨夜のことに、恋人の体が気になってしまう。
光一は生まれて初めて体を開き受け容れてくれた、その負担が気に懸る。
痛いとは一言も光一は言わない、けれど抱かれながら長い睫は涙に濡れていた。
それなのに目覚めた時はもうベッドから姿を消して、独りホールでピアノを弾いていた。
目覚めたベッド、シーツは乱れても純白のままだった。
たぶん光一の体に傷は付けていない、けれど初めての行為は疲れさせただろう。
それでも笑って光一は散歩と買物に行こうと誘ってくれた、その想いが切なく愛しい。
―俺に気を遣ってくれたんだ、疲れを見せたら俺が気にするって思って、
光一は本気で想ってくれている、それが今朝の行動から解かってしまう。
そんな恋人が愛しくて、すこしでも多く幸せにしたくて英二はテーブルの洋梨をとった。
添えられた果物ナイフを手にカットしていく手元、すぐに皮は剥けて白い果実があらわになる。
瑞々しい実を4つに切って、載せた皿を手にベランダへ出ると、光一は嬉しそうに笑ってくれた。
「梨を切ってくれたんだね?俺、好きなんだ。ありがとね、」
「シャンパンには合うかなって思ってさ、好きなら良かったよ、」
答えて笑いかけた先、白い手がグラスに金の酒を注いでくれる。
真直ぐ昇らす細やかな泡が光きらめく、ゆれる陽射しがガラスに閉じこめられる。
きれいで、見惚れながら微笑んだ前グラスは置かれて、透明なテノールが朗らかに笑った。
「じゃ、いろいろに乾杯ね、」
グラスを掲げて、かすかに縁ふれあわすと口を付ける。
こまやかな金の粒子が喉をくだり、華やかな香が吐息こもらす。
久しぶりに飲む味に微笑んで、機嫌いい隣へと英二は尋ねた。
「いろいろ、って何?」
訊かれて透明な瞳がこちらを見、羞んだよう笑んでくれる。
その眼差しの艶に気がついて、英二は想ったまま笑いかけた。
「アイガー北壁の記録と、昨夜のこと?」
「…うん、だね、」
微笑んで頷いてくれる、その首筋が微かに赤らんで初々しい。
なにか恥らうよう赤い透明な肌に、英二は感じたままに尋ねた。
「光一、なにを恥ずかしがってる?」
問いかけに透明な瞳はただ微笑んで、グラスに口つける。
薄紅の唇を金の酒に濡らさせて、伏せた長い睫へと陽光きらめかす。
どこか陰翳ふくんだよう艶あざやいだ貌に惹かれ、見つめた想いへと光一は微笑んだ。
「花、飾ってあるけどね、アレって新婚さんへの祝福にスイスではよくやるらしくってさ。だから俺、ちょっと驚いたね、」
新婚への祝福と似た、花の祝福。
それが今日のタイミングなのは、確かに驚かされる。
そして光一が「すごいね」と言った想いに気付かされて、英二は綺麗に笑いかけた。
「アイガーから山っ子に贈る、初夜の祝福かもな、」
笑いかけた先、透明な瞳に英二の貌が映りこむ。
真直ぐに見つめてくれる瞳は無垢まばゆくて、けれど一夜に変った。
生来の美貌に「心」が灯った、そんなふうに雪白の肌から光透けるよう美しい。
あざやかな変化をもたらした一夜、夢の時間だった「初夜」に英二の本音が微笑んだ。
「光一の初めてが俺だってこと、本当に幸せだよ?でも今、不安なのも俺の本音なんだ、」
昨夜一夜の感覚と想い、その全てを留めた瞳へと正直なまま今、告白に口は開かれる。
(to be continued)
blogramランキング参加中!

