萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第58話 双璧act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-28 23:34:20 | 陽はまた昇るanother,side story
遺された想い、勇気を



第58話 双璧act.2―another,side story「陽はまた昇る」

今は夏、外は暑かった。
それでも温かい湯気が心地いいのは、隣とカウンター越しの人のお蔭。
そんな想い微笑んで見る視界、綺麗な低い声が楽しげに笑ってくれる。

「スイスってね、富士山より高い山ばっかりなんですよ。だから俺、日本の誰より高いところに行くんです、」
「そりゃあ豪気だねえ、さぞかし良い気分でしょうね?」

英二の言葉に、ラーメン屋の店主は楽しげに微笑んだ。
笑って話しながらも手許は動かしていく、その手捌きに見惚れる隣から大好きな声が笑った。

「そうですね、寒いですけど気持いいと思いますよ、」
「あ、そうだね、寒いよなあ?ちゃんと無事に帰ってきて、また話を聴かせに来て下さいよ?」
「はい、また来ます。きっと帰国したらね、おやじさんのラーメン食いたくなりますから、」
「お、嬉しいコト言うねえ?ぜひ来てくださいよ、その相棒の人にもサービスしますからね、」

笑ってくれる主人の声も貌も朗らかで、優しい温もりに充ちている。
こんな彼の姿を父も心から喜んでいるだろうな?そんな想いに見つめる彼の手は節くれ、火傷の痕がある。
ずっと懸命に働いてきた人の温かい掌、そんな手にはもう14年前に犯した罪は俤を消して、ただ優しく強く温かい。

…ね、お父さん、いま笑っているんでしょ?…あったかいご飯作って、英二と山の話してるの見て喜んでるね?

そっと心に問いかける俤は、涼やかな切長い目で笑ってくれる。
懐かしい眼差しに穏かなテノールの声が笑う、そんな想い見つめる視界にそっと丼が置かれた。

「はい、お待ちどうさま。いつものです、熱いうちにどうぞ?」

節くれた大きな手が丼を据え、どうぞと勧めてくれる。
その手の持主をカウンター越しに見上げ、周太は綺麗に微笑んだ。

「ありがとうございます、いただきます、」
「はい、どうぞ。熱いからね、気を付けてくださいよ?」

温かな笑顔で勧めながら、大きな手は皿を1つカウンターに置いてくれる。
こざっぱりした皿の上、彩豊かな野菜の炒め物は熱い湯気から香ばしい。
いつもの光景が嬉しい、けれど困りながら周太は中年男に微笑んだ。

「あの、いつも申し訳ないです、今日はお代を受けとって下さい、」
「なに言ってんだい?俺の勝手でやってることですよ、ちゃんと食べてくれたら嬉しいんですから、ねえ?」

いつものよう気さくに笑い、英二にも微笑んで主人は流し台へと行ってしまった。
またサービスを貰ってしまったな?困ったのと嬉しいのとで微笑んだ周太に、隣から婚約者は笑ってくれた。

「周太、喜んで食べたら良いと思うよ?きっとな、おやじさんにとって楽しみなんだから、」
「ん、…楽しみ、なの?」

素直に頷きながら割箸をとり、隣へ訊いてみる。
その視線の真中で、綺麗な笑顔は優しく目を細めて言ってくれた。

「おやじさん、家族が無いだろ?きっと周太のこと、息子みたいに可愛いんだと思うよ、」

あの主人が自分を息子のように?
そんな言葉に少し途惑う、あの主人と自分の本当の関係を思ってしまう。
あの主人は14年前に自分の父を殺害した、その罪に服役した後も償う意志に彼は生きている。

…殺害犯と被害者の息子、それが現実の関係なのにそう言うの?

このことを英二も当然知っている、それなのに?
そんな途惑いと、そして現在の英二の立場を想うと心がそっと痛くなる。
もう英二は分籍をして法律上は親族も無い、このことが店主の孤独を尚更に気遣わすだろう。
そんな切なさに端正な貌は穏やかに笑いかけ、率直なまま教えてくれた。

「後藤さんも俺のこと、息子みたいって言ってくれるんだ。でな、マンツーマンで訓練する時の目と似てるんだよ、おやじさん、」
「…そうなの、」

そっと答えて流し台の方を見る、その視線の先で主人の背中は広く温かい。
流し台に水音を立てて野菜を洗っていく、その肩も腕も働く人の逞しさが頼もしい。
父とは全く雰囲気が違う背中、けれど優しい大らかな温もりはどこか似ていて懐かしい。

…不思議だ、こんなのは…でも、

不思議だけれど、でも納得も出来る。
父が最期に見つめた願いは、この男が生きて償い幸せになる道だった。
その願いを真直ぐ受けとめるよう生きている、そんな店主なら父の願いを抱くまま似るのかもしれない。

…この願いも、この背中も、きちんと記憶したい。そして支えにしよう、

そっと心裡に見つめる覚悟に微笑んで、周太は野菜炒めに箸をつけた。
口に運ぶと程よい塩気と野菜の甘みが優しい、温かい味に微笑んで背中を見つめる。
あの背中が語ってくれる14年間は、父が命と誇りを懸けて守った「生命の尊厳」にまばゆい。
この輝きに肚の底から滲むよう想える、きっと父は「殉職」を自殺だけの手段にはしていない、そう信じられる。

父は、SATの狙撃手として生きていた。
その時間の中で父は「裁かれない罪」を幾度か犯している。
そのことを父の死後14年間に調べてきた新聞記事や、警察組織の事情が裏付けてしまう。
こんな現実に父は苦しみ、悩んだ涯に自責のまま「殉職」を選んでしまった、けれどその死には「誇り」もある。
そのことが今こうして見つめる働き者の背中に、明瞭に映し出されて心が温まっていく。

…お父さん、信じてるよ?お父さんは自殺の為だけに死んだんじゃない、そうでしょう?

噛みしめる野菜炒めの優しい味に、逝った父の俤と記憶が微笑んでくれる。
幼い日に父も休日の朝、こんな野菜炒めを朝食に作ってくれた。その幸せな記憶が今、味覚にふれていく。
こんなふうに幸福を辿らせる料理を作る掌は、きっともう14年の贖罪から清められている。

…ね、お父さん?これを信じたんだよね、赦されるってことを、

たとえ罪を犯しても償うことが赦される、そして生き直す希望がある。
そのことが今、噛みしめる味と温もりから実感のままに、優しく自分の現実にふれていく。
もうすぐ異動して、その先に自分は「裁かれない罪」を犯すことを科される場所に行くだろう。
それでも自分は父の息子として、父と同じ過ちは繰り返すことはしない。

そんな希望と覚悟には、目の前に姿を現しだす現実の扉すら怖いだけでは見つめない。
だから自分は強く想える、きっと自分は死なない、父のように殉職することはしない。
必ず生き抜いて、何があっても最後まで与えらえた命を全うすることを決して諦めない。
そうして「いつか」必ず約束を叶えて、自分の夢も叶えることを信じて、諦めない。

…お父さん、俺は向きあうよ?

そっと微笑んで隣を振り向く、その視線に切長い目が笑ってくれる。
あざやかに濃い睫の目は華やかで、けれど父の俤を映すよう切ない優しさが温かい。
この眼差しとの約束も叶えて幸せにしたい、そんな願いに周太は最愛の婚約者に笑いかけた。

「英二、これ美味しいよ?一緒に食べて、」
「ありがとう、周太。俺のも食べてよ、」

綺麗な低い声が笑って、長い指が皿を差し出してくれる。
その手には、メニューにはない五目あんかけ丼が熱い湯気を昇らせていた。
この湯気に嬉しくなって、嬉しいまま周太は恋人に微笑んだ。

「ん、これ英二の好きなのだね?メニューには無いけど…」
「うん、また俺用に作ってくれたんだ、旨いよ?」

笑いかけながら勧めてくれる丼から、レンゲでひとくち掬い口運ぶ。
醤油の香ばしい湯気と甘みが美味しい、嬉しく微笑んだ前に主人が戻ってきた。

「はい、これは兄さんのチャレンジに応援だよ?ささやかで悪いがね、」

笑って店主の大きな手は、皿を2人の前に置いてくれた。
そこに盛られたトマトの涼しい水滴に、綺麗に英二は微笑んだ。

「ありがとうございます、俺、トマト好きなんです。でも一番旨いのは、うちのひとが作ったトマトですけどね、」

うちのひと、そう言って英二は周太に微笑んだ。
そんなふうに呼ばれるのは気恥ずかしい、すこし困りながら見上げた先で主は楽しげに笑ってくれた。

「ご自分で畑、作ってるんですね?いいねえ、そういうのって幸せです、」

何げない返事、けれど言葉のひとつずつが温かい。
こんな何げない言葉たち、それでも、この男の口から聴けることが嬉しい。
そんな想いと見上げた男の貌は温かくて、ただ人の幸せを喜ぶ明るさは貴く、眩しい。



緑陰が、昨日よりも濃い。
公園を歩く道、深い森の翳は木洩陽と揺れて光に明滅する。
ふたり一緒に歩くのはいつ以来だろう?そう考えながら自販機の前に周太は立った。

「周太、今日はスポーツドリンクにしてくれる?」

綺麗な低い声に言われて、その通りに選んでボタンを押す。
冷たいペットボトルを取出し自分の分も買うと、青いボトルを英二に手渡した。

「これでいい?」
「うん、ありがとう、」

切長い目を微笑ませ受けとって、また小道を一緒に歩いていく。
肩ふれそうに寄りそい歩きながら、英二は今日の用事を教えてくれた。

「この後な、そこの医科大の病院で心肺運動負荷試験っていう検査をするんだ。それでカフェインとアルコールは駄目なんだよ。
2時間位の検査なんだけどな、終ったらディーラーに車を引き取りに行って、そのあと内山と飯食ってから青梅に戻るつもりなんだ、」

今日はそんなに忙しいんだ?
そう気がついて英二の多忙と想いに周太は、素直に微笑んだ。

「今日は忙しいね、なのに時間、作ってくれてありがとう…嬉しいよ?」
「周太こそ忙しいだろ?」

穏やかな笑顔が微笑んで、そっと指先に指がふれる。
平日の静かな公園、もう小道には誰もいない。そんな静けさに長い指は周太の手を繋いで、綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「朝は特練で、このあと当番勤務だよな。異動の引越し準備もあるのに、ありがとう周太、」
「ん…だって逢いたいから」

素直な想い言葉になって、首筋から熱が昇りだす。
こんなストレートに言うことは気恥ずかしい、羞んで視線を落しながら周太はベンチに座りこんだ。
いつもの木蔭でペットボトルの蓋を開く、ふっと昇らすオレンジの香に微笑んで口つけると、ひとくち飲んで息を吐いた。

「ん、おいし…内山とご飯、ふたりで?」

質問する声にも冷たい柑橘の香は爽やかで、あまい香がほっとする。
その隣に長身は腰を下し、スラックスの長い脚を組みながら少しネクタイを緩めた。

「うん、なんか話があるって誘ってくれてさ、」
「あ…このあいだ新宿に送ってくれる時、電話で関根と話してたね?」

少し前の記憶を思い出し、周太は微笑んだ。
葉山に行った翌日、実家から車で送ってくれる途中カフェに立ち寄った。
あのとき、内山と飲んでいる関根からメールが来て、それを読んだ英二は電話を架け話している。

…あの会話だと内山、なにか悩んでいるみたいだったな?

その話をするのかな?
そんなふう首傾げた周太に、綺麗な低い声が教えてくれた。

「内山、いろいろ話したいみたいでさ。昇進試験のこととか、」

話してくれる衿元、あわい紫のストライプが綺麗なワイシャツは大人びて、濃いグレーに紫と白のネクタイも落着いている。
社会人らしい服装は端正な容姿と体格に映えて、大人の男だと雰囲気から伝わらす。
そんな婚約者に心裡、そっと嘆声が微笑んだ。

…やっぱり英二ってかっこいいな?

すっかり大人びた容子に、自分と同じ齢だと思うと不思議になる。
こういう格好をしても自分はどこか子供っぽい、だから高校生にも間違われてしまう。
ついさっきメールをくれた大学の友達だって、周太を高卒の社会人で二十歳前だと思っているらしい。
あの誤解はいつ解決するのかな?そんな考え少し可笑しくて、微笑んだ周太に英二は笑いかけてくれた。

「周太、この間のフィールドワークは楽しかったんだろ?」
「ん、すごく楽しかったよ、」

楽しかった記憶に即答して笑いかける、その先で綺麗な笑顔ほころんだ。
嬉しいままに周太は大好きな婚約者へと、先週末の時間を話しだした。

「あのね、ブナの純林に行ったんだよ?純林って一種類の木だけの林なんだけど、丹沢にはブナの純林は珍しいんだ。
堂平ってところにブナの純林があるんだけど、実生…種から生えたばかりの芽も多い林床だから、普通は入れないところなんだ。
でも今回は、青木先生の研究記録に立ち会わせて頂いたから、それで俺たちも一緒に入ることが出来て…すごく綺麗な森だったよ、」

翡翠色の木洩陽あわい、黒と白の斑な幹が描く森。
あの場所で見つめた夢と、その仲間との会話を想いながら周太は言葉を続けた。

「それでブナの森はね、その土地の気候によって樹皮の色とか違うんだよ?ブナの皮って本当は白っぽい灰色をしているんだ。
でも温かい地域では地衣類とかコケが繁殖し易いでしょう?だから丹沢のブナはコケ類が繁殖してて、黒っぽい斑模様なんだよ。
それでね、奥多摩のブナよりも丹沢の方が、肌が黒っぽくって…やっぱり標高とか寒さが違うんだねって、美代さんと言ってたんだ、」

この間のフィールドワークは、美代と存分に植物学の話を楽しめた。
そして同じよう植物学を見つめる友達も出来ている、その楽しい記憶に微笑んだ周太に、綺麗な笑顔は訊いてくれた。

「奥多摩の方が寒いから、白っぽいんだ?」
「ん、そうだよ。長野出身のひともね、地元の方が白いって言ってた…木曽の出身で、雪とか多いって教えてくれたよ」

あのとき手塚が教えてくれた記憶に、嬉しくなる。
来週の土曜日は手塚とノートの約束をした、その予定に微笑んだ周太に大人びた綺麗な笑顔は笑いかけてくれた。

「周太、友達が出来たんだ?」
「ん、そうなる、かな…?」

なんだか気恥ずかしいな?けれど嬉しくて素直に笑って答える。
どんな友達だろう?そう訊いてくれる切長い目に、周太は素直なまま口を開いた。

「手塚って言うんだ、学部の3年生で青木先生のゼミ生…土曜日の講座にも出ているらしくて、俺と美代さんのこと知ってたの。
俺のノート見て褒めてくれてね、奥多摩との比較が面白いから、手塚も木曽との比較をまとめてみるって…今度、ノート借りるんだ、」

同じ夢に懸ける友達が出来る、その予兆が温かい。
この予兆と見つめたブナ林の夢を聴いてほしくて、周太は穏やかに婚約者へと告げた。

「あのね、英二。俺、想いだしたんだ…朝のブナ林を散歩していた時、俺の夢のこと、」

14年前の自分が大切にしていた夢、その記憶をブナ林が取り戻してくれた。
こんな自分でも幼い日から見つめる夢があった、その喜び微笑んだ周太に大好きな人は訊いてくれた。

「どんな夢?」

期待と不安、ふたつながら見つめるよう訊いてくれる。
こんなふうにも英二は心を向けて大切にしてくれる、その感謝へと周太は幸せに微笑んだ。

「俺ね、樹医になりたかったんだ…お父さんと、お母さんと、新聞で樹医のこと読んだときに決めたんだ…樹医になろうって。
いつも俺、大きな木を見ると触るでしょ?あれをすると俺ね、いつも元気でるんだ…だから木に恩返ししたいって想ったんだ。
木が元気に生きるお手伝いが、樹医なら出来るでしょ?そうして俺が手伝った木が、他の誰かを元気にしてくれるかもしれない、」

父と約束をした「忘れても思い出す」ことが、きちんと出来た。
この想い嬉しいまま笑った周太に、英二は綺麗に笑いかけてくれた。

「周太らしい、良い夢だな。じゃあ周太は今、その夢を叶える為の努力が出来てるんだ、」
「そうかな?…英二、そう想う?」

本当にそう思ってくれる?そんな想いに切長い目を真直ぐ見つめた。
そんな周太に祈るような優しい眼差し向けて、英二は綺麗な笑顔で約束してくれた。

「そう想うよ。周太は今、植物学の勉強をしているだろ?大学で樹医の先生の講義も受けて、自分でも本を読んだりして。
いつも大学のこと話す時とか、本を読んでいる時の周太って幸せそうでさ。きっと周太の向いている道なんだろうって俺は思うよ?
お父さんのことが終ったら、周太は大学院に入ったら良いって俺は考えてる。学費とか俺が出すから、周太、考えてみたらどうかな?」

…俺が、大学院に?

心に反芻する言葉に、驚きと光が同時に湧きあがる。
周太には学者になってほしい、それは両親が願ってくれることだと知っている。
それを同じように英二も心から願ってくれるのだと、今告げられた言葉たちに伝わらす。

…本当に嬉しい、今だからこそ夢を見つめていたいから、尚更に

もうじき始まる狙撃手としての世界は「死線」、当然のよう辛い瞬間が多くなるだろう
そんな時間にはきっと、夢への希望は強靭な支えになってくれる。それを英二は理解して今、言ってくれた。
この深い信頼が嬉しい、そう素直に心温めた隣から婚約者は、約束で綺麗に笑ってくれた。

「周太、周太が警察を辞めたら、入籍しよう?俺の名字になってから大学院に行ってよ、俺の嫁さんとして夢を叶えてほしいんだ、」

…入籍、

ただ2文字の言葉、けれど大切な言葉が今、告げられた。
結婚する「いつか」のために婚約はしている、けれど結婚の時期を具体的に言われたのは初めてのこと。
この今の瞬間に呼吸を忘れて見つめてしまう、そんな思いの隣から綺麗な笑顔は幸せにほころんだ。

「周太、約束して?辞職したらすぐ、俺の嫁さんになって下さい。そして大学院に入って樹医になってください、」

この約束に頷いてほしい、素直に約束して笑ってほしい。
そんなふう願い見つめてくれる切長い目に、約束をしたいと願ってしまう。

…でも、本当にそんな日は来るのかなんて解からない、でも

自分が辞職する日、それを無事に迎えられるのか?
そんなこと何も解らない、それでも約束がお互いの支えになるだろう。
これから異動すれば離ればなれの時間を過ごす、その寂しさに約束はきっと温かい。
その温もりを積んでいきたくて、ゆっくり1つ瞬いて周太は約束に微笑んだ。

「はい、…約束するね?」
「ありがとう、周太、」

約束の承諾に笑った唇に、端正な唇ふれてキスをくれる。
心からの想いと祈りをこめたキス、この唇を記憶に真直ぐ刻みたい。

…どうか願いを叶えられますように、英二を幸せにするために、お父さんの約束のために

祈りを唇に残し合って、そっと離れて見つめ合う。
やさしい木洩陽ふる光のなか、白皙の端正な貌は穏やかに微笑んでくれる。
綺麗な笑顔で見つめてくれる恋人が愛しくて、気恥ずかしさに羞みながら周太は笑いかけた。

「ありがとう、英二…いますごくうれしい、」
「周太が嬉しいなら、俺もすごく嬉しいよ?」

嬉しくて笑いかけた先、幸せに英二が笑ってくれる。
ゆるやかな風の涼しい木蔭、端正な笑顔は穏やかに美しくて、そっと想い募らす。
この笑顔をずっと見ていたい、そんな言えない願いごとペットボトルを傾けて飲みこむと、周太は明るく微笑んだ。

「ん…おいし。冷たいものが今日はおいしいね、」
「うん、今日はすこし蒸し暑いからな、」

笑いかけてくれながらワイシャツの袖を捲り直す、その腕が少し太くなったよう見えた。
なめらかな白皙の肌を透かす筋肉のライン、端正な隆線に英二の努力が伺えてしまう。
この腕を鍛え上げた強靭な意志、それが英二を無事に帰らせてくれる。
そんな信頼を想う隣から、綺麗な低い声が笑いかけた。

「周太、その痣を出してくれるんだ?恥ずかしがらないの?」
「ん、…」

言われて、半袖の腕を自分で見つめる。
そこに刻まれた赤い花のような痣、この痣に想い刻んだ人へと周太は微笑んだ。

「ちょっとはずかしいけど、でもいいんだ、…だってこの痣、俺が英二のだってしるしなんでしょ?…いつもみえるとなんか安心だし」

いつも英二がキスで刻んだ、赤い痣。
去年の秋の始まり、卒業式の夜からいつも逢うごと刻んだ、キスの痣。
この痣への想いに首筋から頬へと熱は昇っていく、この含羞に微笑んだ肩に、そっと森の香がふれた。

「周太、」

呼ばれた名前に見上げて、切長い瞳と見つめ合う。
懐かしい眼差しと似て違う瞳、誰より見つめていたい目を記憶に刻みながら、そっと唇が重ねられた。
ふれあう唇の温もりと優しい感触、ほろ苦く甘い唇のキス。いつか逢える時まで忘れないように、そんな願いに恋人は微笑んだ。

「周太のキス、甘いな」

笑って離れた唇、もういちどキスふれて抱きしめられる。
いつもなら真昼のこの場所で、こんなことはしない、けれど今日この瞬間しかないかもしれない。
この今のベンチの時間が終わったら、もう再会の約束すら出来ないまま英二は、遠い遥かな高峰へ行ってしまう。
そうして英二が帰って来る頃に自分は異動する、その先はまだ何も予定が出来ない。

―逢える約束なんか何も出来ない、待っているとも本当は言えない…だから将来の約束が嬉しい、

さっき贈ってくれた約束が、今、こんなに心で温かい。
英二は約束を必ず守ってくれる、だから「いつか」を信じて時を待てる。
そんな想い微笑んだ唇はゆっくり離れて、切長い目が切なく笑って願いを告げた。

「周太、こんどは周太からキスして?」

言うこと聴いてほしいな?そう見つめてくれる切長い目に、自分こそ願いを告げたい。
この祈りに1つ瞬いて、大切な婚約者へと綺麗に笑いかけた。

「ん…あのね、英二が無事に帰ってくるって約束してくれるならきすしてあげます…マッターホルンからもアイガーからも、ね?」

マッターホルン、アイガー、どちらも三大北壁と讃えられるクライマーの夢。
この夢を記した2冊の小説を父は持っていた、それを自分はどちらも読んだ。
そうして知った「夢」の現実は、壮麗な輝きと危険に充ちた冷厳の美だった。

…本当に一歩、間違えたら死んでしまう世界なんだ

この夢に囚われた男たちは、もう幾人が山の死に斃れ逝っただろう?
その無数の死が眠る場所を超えに、英二と光一は共に海を越えて行ってしまう。
そんな現実が不安じゃないなんて言えない、怖くないなんて言えない、それでもひき止めない。

…だって、夢が大切だってもう、俺には解る。

もう自分も今、夢を抱いている。
植物学に見つめる幼い日からの夢、この蘇えった情熱は手離せない。
だから英二の想いも光一の意志も、誰よりも理解し受けとめ、支えていたい。
そんな願いに見つめて祈る向こう側、大好きな笑顔は綺麗に咲いた。

「うん、絶対の約束だよ、周太?どんな時でも、どんな場所からも俺は必ず周太の隣に帰る。約束する、だからキスして?」

必ず周太の隣に帰る、この約束を幾度ふたり交わしてくれたのだろう?
この約束を生涯ずっと交わし続けたい、もっと何十年もふたり見つめ合って約束したい。
その想いに瞳の奥が熱くなる、この願いが自分たちには本当は、難しい現実があると解かっているから。

…それでも約束してくれる、俺を求めてくれる

男同士で、しかも自分の家には何か事情がある。
その事情の全てをまだ自分も知らない、けれど英二は何かを知っている。
それを周太に教えてくれないのは多分、あまりに重たい現実があるからなのだろう。
その現実を背負ってでも変ることなく望んで、周太の隣に帰ろうとする。そんな優しい勁いひとは綺麗に笑ってくれた。

「周太、絶対の約束のキスして?」

ほら、また絶対の約束を贈ってくれる。
この約束をくれる美しい笑顔に幸せの全て見つめて、微笑んでそっと唇にキスをした。
ふれる森の香は懐かしく慕わしい、この香も心の底に深く綴じこめるよう感じて、そっと離れた唇は笑ってくれた。

「周太、必ず俺は、周太の隣に帰ってくるよ?」

どうか帰ってきて?

そう言いたいけれど言えない、それでも無事を待っている。
そのとき自分はどこに居るのか?その約束すら何も出来ないけれど、待っている。
このあと始まる「死線」の日々、その向こう側には穏やかな日があると信じて、歩きながら待っている。

どうか帰ってきて?あなたの隣でしかもう、自分の幸せは輝かないから。






(to be continued)

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秋日日記:晩秋の雨

2012-11-28 12:31:38 | 雑談
ひと雨、霜を呼び



こんにちは、曇りの寒空な神奈川です。
写真は御岳山にて。夜明けの雨が上がった朝、撮影しました、
蘇芳、深紅、朱、黄、緑青と全ての色彩をふくんだ一葉です。

いま第58話「双璧1」加筆校正が終わりました、当初の3倍くらいになっています。
北壁登頂に向かう宮田と国村を送る想いと、自分の夢を見つめ始めた湯原です。
この続編を今夜22時ごろまでにUPを予定しています。

あとsecret talk11「建申月」10と11も加筆校正が終わっています。

今朝は朝一UPが出来ず。
楽しみにして下さっている方いらしたら、ごめんなさい。

ちなみにですね、閲覧者数が10万超えました。
もう数日前だったのですが、遅ればせながら感謝のお礼を。

いつも読んで下さる方、通りすがりでも覗いて下さる方、ありがとうございます。
何かプラスになるものを、文章から感じて下さっていますか?それなら本当に嬉しいです。
いま連載中の小説は純文学で描いていますが、内容は多岐に亘っているかと思います。

警察小説、推理小説、恋愛小説、家族小説、そして山岳小説と学究小説。
そんな複層構造を、視点も主人公の宮田+相手の湯原と二方向から描いています。
この2人は性質も能力も真逆です、その対称形な観点から世界を見たとき、違う世界がそこにあります。
この2人のどちらに立って読むのか?で全く違う感覚があるかなあと思いますが、いかがでしょう?

こんなふうに、多岐のジャンルと二つの視点で物語は進んでいます。
どれでも好きなジャンルとして&好きな視点で楽しんで頂けたら、してやったりです。笑

どの部分+人物の視点が好きですか?






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