15年、今この想いを君に
第58話 双璧act.3―another,side story「陽はまた昇る」
7月の朝は、訪れが早い。
7時半すぎの空はもう青くて、陽光の眩さに目が細くなる。
今日も良い天気なことが嬉しい、きっと奥多摩も晴れだろう。
シフト交換をした英二の今日は勤務日でいる、だから天候が気になってしまう。
…金曜日だとハイカーも多いよね、でもお天気なら遭難の危険も減るよね?
交番前、箒で掃きながら奥多摩の空を想う。
きっと今ごろ英二は青梅署警察医の診察室で、吉村医師の手伝いをしている。
いつものよう朝のセッティングを手伝って、コーヒーを淹れ2人向きあっているだろう。
そこに光一も加わっているかな、藤岡は柔道の朝練で忙しいかな?そんな考え廻らせる意識に、ふと気配が映って顔を上げた。
「おまわりさん、ちょっといいかね?」
気配の相手から声かけられ、周太はすこし目を細めた。
眩しさに細めた視界、ポロシャツ姿の白髪豊かな男が歩いてくる。
歩いてくる相手は自分と同じくらいの目の高さ、けれど逆光になって顔が見え難い。
それでも少し屈んだ影と声のトーンに老人だと解かる。きっと道案内かな?そんな予想と周太は微笑んだ。
「おはようございます、どうされましたか?」
「北新宿公園はどっちかね?」
時おり訊かれる場所を言われて、周太は胸ポケットからメモ帳を出した。
ページを開くと簡単な地図を予め書いてある、これは勤務時間の合間に描き貯めた。
その地図へと赤いペンでルートを書込むと、示しながら老人へと笑いかけた。
「こちらのガードを潜って、小滝橋通りを真直ぐ行きます。そうすると北新宿1の信号を渡って、大久保通りを左へ曲がって下さい。
ここからだと2kmほどなので幾らか歩きます、もし電車で行かれるのなら、次の大久保駅で降りられると500m位で着けますよ?」
地図を指さしながら教えて、老人に微笑みかける。
朝の眩しい陽光に逆光で佇んだ貌は分り難い、それでも真白な髪と眉が見えた。
その白髪にふと気を取られながらも周太は説明を終えて、老人へとメモを差し出した。
「よろしかったら、お持ちください。お散歩ですか?」
「はい、ゲートボールの試合があってね。ちょっと歩いて行ってみようかね、」
老人は道具が入ったらしい袋を示し、周太の手からメモを受けとってくれる。
そのメモを眺め、感心したよう頷いて逆光の影から老人は微笑んだ。
「この地図、解かり易いねえ。ちゃんと準備してあるなんて、おまわりさん優秀なんだね。仕事が好きなんだろうけど感心だね、」
褒められて、けれど言われたことに心で「違います」と答えてしまう。
そんな本音に困りながらも、周太は笑顔で老人に言った。
「ありがとうございます、お気を付けていらして下さい。試合、お天気で良かったですね、」
「はい、ありがとうね、」
シルエットのなか老人は笑って、踵を返すとガード下へと歩いて行った。
あのガード下は自分にとって意味深い、あの場所で14年前に父は「殉職」に斃れたから。
コンクリートと鉄骨で造られた父の逝った場所、そこを自分も昨秋から通り寮と交番を往復してきた。
そんな日々もあと10日ほどで終わる、その想い見つめる視界を老人がガード下へと向かっていく。
「…あれ?」
ふっと声がこぼれ、周太は瞳を細めた。
いま見つめる老人の背中、あの雰囲気に見覚えがある。
どこで見たのだろう?ごく最近の記憶から呼ばれた映像に、背筋を意識が奔った。
「昨日だ、」
昨日、自分はあの老人の背中を見た、術科センター射撃場で。
いま話しかけられても逆光で顔は見え難かった、けれど真白な白髪と眉は同じだった。
なによりも今、立ち去っていく背中の雰囲気が同じだ、スーツとポロシャツの違いはあっても空気は変わらない。
すこし前に屈むよう今は歩いている、昨日は真直ぐ背を伸ばし歩いていた、その違いはあるけれど空気は変えられない。
「…どうして?」
どうして、あの老人が今朝、自分に道を訊くのだろう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6a/015dee80eb91fb6c5df4cacef2d22a57.jpg)
扉を開いて鍵を掛け、ほっと息吐きながら周太は制帽を壁に掛けた。
いま寮の自室で独り、けれどこの場所にどれくらいプライバシーが自分に有るのだろう?
そんな疑問がゆっくり起きあがり、昨日と今朝の出来事に今の自分の現実が、正体を覗かせる。
…見張られている?ずっと、いつも
この新宿署でも、2回も署長に問いかけられた。
あの質問はどう考えても異様で、その疑念に本当は調べたいことがある。
それに署長がこの新宿署で話していた相手のことも、ずっと気になっている。
春4月、父の命日に署長が話していた40代位の闘志型体型の男、あの男は射撃大会で周太を見ていた。
…あの男は多分、SATの隊長か何かだ
なぜ父の命日に、SATの幹部と新宿署長が廊下の片隅、隠れるよう会話していたのだろう?
この疑問を想いポケットから携帯電話を取出して、画像フォルダーの保護ロックを開く。
すぐ画面に2人の会話する姿が映し出される、その次を開くとシルエットの映像が現れた。
ついさっき写したばかりの老人の背中、この姿に記憶が霞めてもどかしい。
…このひとを知っている、きっと
昨日の朝、術科センターの射場でも感じた。
この老人の背中を自分は見覚えがある、けれど思い出せない。
いつ、どこで、どんな会話をして、自分は見覚えたというのだろう?
「…ん?」
今、なにげなく「どんな会話をして」と自分は思った。
あの老人と自分は「会話」をしたと感じているのだろうか?
考え廻らせながらクロゼットを開き着替を出す、その聴覚の記憶に老人の声が蘇える。
―…おまわりさん、ちょっといいかね?…北新宿公園はどっちかね?
はい、ゲートボールの試合があってね。ちょっと歩いて行ってみようかね…この地図、解かり易いねえ
ちゃんと準備してあるなんて、おまわりさん優秀なんだね。仕事が好きなんだろうけど感心だね
気さくに響く声、けれど強さがある。
逆光でも感じられた穏やかな気配の笑顔は、優しかった。
あの話し方のトーンは誰かとも少し似ている、相手を褒めて認めて、心を開かせてしまうような話し方。
…あ、
似ている話し方の記憶に、心で声がこぼれた。
けれど淡々と洗面具と着替えを揃えて廊下に出ると、浴室でシャワーを使い着替えた。
すぐ戻って携帯電話と御守をカーゴパンツのポケットに入れ、左手首のクライマーウォッチを見る。
この時計をくれた人は今ごろ山を歩いているだろうか?そんな想いと部屋の扉を開き、周太は食堂に向かった。
…そう、吉村先生や英二と似てる、相手が信じたくなるような話し方、だね?
この2人に共通するのは山ヤで医療関係者だという点だろう。
吉村医師は警察医として遭難者や自殺者の遺族とも向きあい、留置人や警察官のカウンセリングを施す。
英二の場合は山岳救助隊員として遭難者の動揺を鎮静させ、また吉村医師と同様に遺族とも向きあっている。
この2人は話し方の雰囲気も幾らか似ている、そう思うとあの老人も医療や警察関係者と考えられるだろう。
…話し方からも裏付けられる、それに昨日も今朝もちょうど俺が居た時間に…
あの老人は警察関係者だ。
そう考えた方が辻褄が合いやすい、昨日と今朝が偶然と考えることは異様に思える。
記憶と事実から考え廻らせて、けれど笑顔で先輩たちに挨拶しながら食堂に入りカウンターに並ぶ。
その間もずっと顔見知りと他愛ない話をしながら朝食のトレイを受けとって、いつもの窓際に座った。
「湯原、おはよう、」
朗らかな声が聴こえて見上げると、同期の深堀が笑ってくれた。
今日の深堀は週休だから朝もゆっくりなのだろうな?そう推測しながら周太は微笑んだ。
「おはよう、深堀。今朝はゆっくりだね、」
「昨夜ちょっと寝たの遅くてさ、今日の稽古のプリント作ってたんだよね、」
話しながらトレイを周太の前に置いて、ワイシャツ姿が座ってくれる。
幾らか眠たそうでも充足した笑顔へと、周太は笑いかけた。
「あ、詩吟の?…今日って、外国の人向けの体験学習って言ってたね、」
「そう、英語とフランス語とドイツ語で、3カ国分だから時間懸っちゃって、」
「そんなに色んな国の人が来るんだ、すごいね?…深堀のお祖母さんって国際的なんだね、」
「本人は英語しか話せないけどね、あの年齢で詩吟の世界だとまあ、国際的な方かもね?」
話しながら互いに掌を合わせいただきますをして、箸を動かし始める。
味噌汁に口を付け、ほっと息吐くと人の好い笑顔がほころんだ。
「当番明け、おつかれさま。今日は特練無いんだ?」
「ん、そう。だから今日は、荷物の片づけしようって思って、」
段ボールを取りに行かないとな?
そんなことを考えながら微笑んだ向かい、すこし寂しげに深堀は笑いかけてくれた。
「異動、あと10日なんだね?寂しくなるよ、俺、」
そんなふうに言って貰えるのは、素直に嬉しい。
深堀とは初任科教養から一緒だった、その1年以上の時間に周太は微笑んだ。
「ありがとう、俺も寂しいな。でも七機って調布だから近いよ、また飲みに行くのとか誘って?」
「うん、声かけるよ。忙しいって言われても、誘うの止めないからね?」
気さくに笑って約束してくれる、その言葉が嬉しい。
嬉しくて微笑んで、ふとポケットの震動に気がついて周太は携帯電話を取出した。
赤い受信ランプの色に誰のメールかすぐ分かる、開いてみたくて周太は親しい同期に謝った。
「ごめんね、行儀悪いけど開いても良い?」
「もちろん良いよ、宮田から?」
すぐ言い当てられて首筋に熱が昇りだす。
そんなに自分は顔に出やすいのかな?羞みながらも周太は素直に頷いた。
「ん、そう…ありがとう、」
微笑んで礼を言い、受信ボックスを開いていく。
その画面に添付された写メールに笑って、周太は深堀に画像を示した。
「これね、英二の新しい車なんだ。四駆に替えるって言ってね、昨日が引き取りだったんだ、」
きれいなブロンズカラーの四輪駆動車が青空の下、映っている。
御岳駐在所の駐車場で撮ったという写真が嬉しい、だって今日も晴天だと解かる。
すこしでも山のリスクが減っていることが嬉しくて微笑んだ向かい、人の好い笑顔は携帯電話の画面を見てくれた。
「へえ、新車いいな…って何、BMじゃんこれ?あいつ新車で買ったの?」
驚いたよう画面を見、深堀の手が携帯の画面を指さした。
なにか変なのかな?解からないまま周太は訊いてみた。
「ん、買替って言ってたよ?お父さんの仕事関係で選んだらしいんだけど…なんか変なの?」
「いや、変ってわけじゃないけどさ?湯原、車にあまり興味無いんだ?でも工学部出身だよね、」
驚いたままの顔で訊かれて、周太は首傾げた。
確かに自分は工学部出身だけれどな?考えながら正直に答えた。
「車の構造とかは興味あるよ?でもブランドとかはあまり知らないんだ…この車、走り易そうだよね、」
思ったままを答えた向かい、人の好い顔がひとつ瞬いた。
そして何か納得したよう笑って、深堀は楽しげに言ってくれた。
「なんか湯原らしいね、そういうの。そういう湯原だから宮田、大好きなんだろな、」
そんなこと言われると気恥ずかしいです。
気恥ずかしくて首筋が熱くなってくる、きっとすぐ赤くなるだろう。
困りながら衿元に手をやって、そっとパーカーのフードで首を隠した。
その手元、また携帯が振動して画面を見ると電話の着信が表示されている。
「あ、ごめん深堀、」
着信人名に立ち上がり、周太は食堂の外に出た。
すぐ通話を繋ぎ耳元に当てる、その向こうから透明なテノールが微笑んだ。
「おはよう、周太。急にごめんね、」
「おはよう光一、どうしたの?」
答えながら少し心配になる、いま朝の9時過ぎと言う時間に緊張させられる。
今ごろ英二は巡回の時間だろう、そこで何かがあったのだろうか?
そんな心配をした電話の先、ひとつ吐息こぼれて光一が微笑んだ。
「アクシデントとかじゃないから安心してね?でね、今から周太、外に出れる?ドライブに付きあってよ、」
話してくれる声の向こう、低めたカーステレオと喧騒が微かに聞える。
その音たちに周太は廊下の窓に寄り、尋ねた。
「光一、今、新宿にいるの?」
「うん…」
短く頷いてくれる声が、どこか困惑に哀しそうでいる。
いつも明るい光一、それなのに今の雰囲気はどうしたのだろう?
すこしの途惑いと廻らす考えに、ひとつ思い当たりながら周太は穏やかに笑いかけた。
「光一、10分待っててくれる?すぐ寮から出るね、どこに行けばいい?」
「新宿署の裏で待ってる、ありがとうね、周太、」
さっきより微かに明るい声が言って、そっと電話が切れた。
なぜ光一が逢いに来たのか?考えながら周太は食堂に戻ると急いで食べ始めた。
そんな周太の様子に向かいから、人の好い笑顔が訊いてくれた。
「湯原、出掛けることになった?」
「ん、そう…慌ただしくて、ごめんね」
答え笑いかけながら、膳の献立を3分で周太は食べ終えた。
すぐ席を立ち深堀に「またね」と笑いかけて、下膳を済ませると部屋に戻った。
グレーのGジャンを出し、財布と文庫本をポケットに入れながらデスクに用紙を出して記入する。
そして登山靴に履き替えて廊下に出、施錠してすぐ廊下を急ぎ担当窓口で外出申請書を提出した。
「行先は富士五湖方面ですね、携帯電話の電源は切らないように、」
「はい、」
すぐ手続きを終え、足早に廊下を歩いて行く。
扉を開いて階段を下り通りへと出る、その視界に見慣れた四駆が停まった。
助手席の扉を開き乗込んで、シートベルトを締めながら周太は運転席へと笑いかけた。
「お待たせ、光一、」
「ううん、急にごめんね、ありがとう。」
透明なテノールが微笑んで、白い手がハンドルを捌きだす。
いつものよう四駆は走りだし、高速道路の方へと向かっていく。
やっぱり予想通りかな?そんなふう見た運転席の横顔は、どこか緊張に堅い。
その貌は自分が時おり鏡に見つめる表情と似て、何のために光一が逢いに来たのか解かってしまう。
その目的への覚悟に、そっと深呼吸ひとつで周太は微笑んだ。
…光一、覚悟するんだね?良かったね、
ごく自然に心が「良かった」と微笑んだ。
そんな自分の感情が嬉しい、そういう自分にも良かったと想える。
いつか来ると思っていたこと、そうあってほしいと願っていたこと、それが今から訪れる。
「あのさ…周太。俺がね、ずるいことしても許してくれる?」
躊躇うよう訊いてくれる声が、いつもと違うトーンにすこし沈んでいる。
この「ずるいこと」の意味はきっと予想と同じ、だから光一の想いも解かる。
そんなに緊張しなくても良いのに?微笑んで周太は頷いた。
「ん、いいよ。光一なら許してあげる、」
「うん、ありがとう。じゃ、遠慮なくね、」
雪白の横顔は笑って、白い手はハンドルを捌いていく。
その車窓はグレーの壁に変りだす、そして高速道路を四駆は走り始めた。
いつもなら会話が始まるだろう、けれど今は静かな時を求めているのだと解かる。
その気配に周太は、そっと指を伸ばしてカーステレオの「再生」ボタンを押した。
「光一、音楽聴かせて?それで俺、ちょっと寝ても良い?」
今はまだ静かにしてあげたい、そんな想いに提案と微笑みかける。
その視界に雪白の横顔はすこし振向いて、綺麗な笑顔で頷いてくれた。
「もちろん良いよ、シートすこし倒しなね。当番明けなのに周太、ありがとね」
「ん、ありがとう、」
笑って答えながら周太は、シートをすこし倒した。
持って来たGジャンを掛けて瞳を瞑る、そして旋律がゆっくり廻りだした。
……
満たした水辺に響く 誰かの 呼んでる声
静かな眠りの途中 闇を裂く天の雫
手招く光のらせん その向こうにも 穏やかな未来があるの?
Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light
……
どこか幻想的なトーンの曲に、高く低くヴォーカルは謳う。
きれいで切ない旋律と歌、その雰囲気が今、隣で運転する人と似ているな?
そんな想いと微睡んでいく安らぎに、透明なテノールが低く歌い始めた。
……
こぼれる涙も知らず 鼓動に守られてる
優しい調べの中を このまま泳いでたい
冷たい光の扉 その向こうにも 悲しくない未来があるの?
Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light
……
いま隣から聴こえる声に、心が惹かれて微笑んでいる。
透明な声はステレオのヴォーカルより静かで深い、そのトーンが自分は好きだ。
好きなトーンと声に微睡ながら微笑んだ隣、静謐の声は歌を紡ぐ。
……
Come into the light 遥かな優しさに出会えるの?
Come into the light 喜びに抱かれて眠れるの?
Come into the light 争いの炎は消えたよね?
Come into the light きっと夢のような世界…
……
優しいテノールの声に護られるよう、微睡に安らぎ眠りを漂う。
ゆるやかな時の流れのなか心地良い、眠り、すこし覚め、また眠りに安らぐ。
波のよう繰り返していく意識のたゆたいに揺れ、そうして車の動きが停まりテノールが笑いかけた。
「周太、ちょっと起きて、降りて見ない?」
「…ん、」
呼びかけに瞳を披いて、ひとつ欠伸すると周太はシートを起こした。
その視界へと、大らかな裾野ひく蒼い単独峰が映りこんだ。
「富士山、きれいだね、」
嬉しくて微笑んだ隣、運転席でシートベルトを外している。
同じようベルトを外し扉を開く、緑濃やかな空気が涼しく頬ふれた。
気持のいい空気に深呼吸してみる、その横から透明なテノールが笑いかけてくれた。
「もしかして周太、富士山に来るって解かってた?」
「ん…なんとなく、ね、」
正直に微笑んだ隣、雪白の貌が嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔が嬉しくて笑いかけた時、ふっと透明な瞳が寂しげに微笑んだ。
「周太。俺たち異動するんだ、第七機動隊の山岳レンジャーにね。俺は8月一日で、英二は9月一日だよ、」
告げられた言葉が意外で、驚くまま瞳ひとつ瞬かれた。
その話は初めて聴く、そう見つめた周太へと光一は教えてくれた。
「すこし前に決まったばかりなんだ、で、あいつはね?周太に伝えるタイミングは、結局のトコ俺に丸投げちゃってるんだよね。
あいつ忙しいんだ、俺が異動した後一ヶ月間は俺の代わりと後任者の育成をするからね、その準備もあるのに、北壁の遠征訓練もだろ?
しかも吉村先生の手伝いもある、青免も取らなきゃダメだしでね。英二が周太にちゃんと話せるのは、異動した後になるかもしれないね、」
すでに英二は青梅署で多くの仕事を持っている。
そこに引継ぎとパトカー運転免許の取得も加われば、忙しい。
そして遠征訓練も控えているのに昨日は、周太と逢う時間を作ってくれた。
…内山との約束もあったのに、それでも英二、俺とも逢ってくれたんだ
どんなに忙しくても、ふたり共に過ごせる時間をくれた。
その真心が嬉しい、そして光一がなぜ「今」逢いに来たのかもう解かる。
きっと今だからこそ光一は来た、そんな想い見つめる真中で幼馴染は切なく微笑んだ。
「俺、異動前に…北壁が終わったら抱かれたいんだ、英二に…上司と部下になる前に、対等なうちに抱かれたい、」
言葉に、心が瞬間とまる。
ずっと考えていた瞬間が今、告げられた。
このことを予想しながら光一の四駆に乗った、けれど息は止められる。
…英二はもう俺だけのものじゃなくなるんだ、ね…あの腕も胸も独り占めじゃなくなるね
そっと心に呟く想いに、泣けない涙が心の底に溜りだす。
それでも息は吐かれて微笑は蘇える、静かな想い微笑んで周太は言祝いだ。
「ん、良かった…きっとね、すごく幸せだよ、」
心からの想いが言祝いで、そっと心が温まる。
確かに切ない、けれどそれ以上の温もりに微笑んだ前、雪白の貌が苦しげに微笑んだ。
「周太、どうして…?」
顰めた眉、喘ぐよう息詰まらす薄紅の唇が痛々しい。
そんな貌しなくて良いのに?そう微笑んだ周太に透明な声は問いかけた。
「どうして罵らないんだよ…俺は、君の婚約者を浮気させるって言ってるんだよ?こんなこと言う俺のこと、もっと怒ってよ?
俺、自分が嘘つきになるの嫌で、泣きつきに来たんだ。こんなの卑怯だよ?解かってるだろ、俺は君を、秘密に巻き込もうってしてるね。
君のコト裏切る真似して、面倒な秘密まで押しつけるんだよ?…君の恋人を俺の体で、惑わせて…恋愛をねだろうって…なのに、どうして」
どうして?
そう透明な瞳が無垢に問いかける。
その瞳を見つめ佇んだ周太に、美しい幼馴染は哀しい声で訴えた。
「あいつと俺が恋愛関係になるなんてね、本当は赦されない事だ。これから上司と部下として警察の世界を生きるんだ、俺たちは。
司法の番人ってヤツが役職超えて恋愛沙汰なんざ、今の日本警察じゃ問題沙汰だね、こんな秘密バレたら俺もあいつも終わりだよ?
それに君も巻き込むんだ、君に嘘吐くの嫌だって、君にまで秘密を押しつけて…それでも俺、あいつが好き、で…あいつだけ、で…っぅ、っ」
見つめてくれる透明な瞳に、光あふれ頬を濡らす。
微笑んで見上げる向う、雪白まばゆい貌は静かに泣きだした。
「もう、あいつと離れたくない…でも1ヶ月離れるんだ、そのあとはもう…上司と部下だ、もう全部が対等じゃなくなる、だから…
今度、北壁を2つ俺と一緒に登ったら、俺とあいつは対等になれるよ?だけど…異動する前までだけだ、どこも対等って言えるのは。だから、
あいつが嫌だって言えるうちに知りたい、本気で抱くほど俺を好きなのか知りたい、でも…君を傷付けるんだ…ね、罵ってよ…俺を怒ってよ?
周太が本当に大事で…な、のに…っ、あいつに愛されたいよ、一瞬でもいいから俺だけ見てほしいって想ってる…でも君を泣かせるのは嫌だ」
蒼い最高峰の山を見上げる森、木洩陽に涙きらめいて零れていく。
その哀しい痛みへと掌を伸ばして、そっと白い頬の涙ぬぐうと周太は、心からの感謝に微笑んだ。
「光一は俺のこと、信じて待っていてくれたでしょ?あの森でずっと…それで俺の罪まで肩代わりしてくれて。それに比べたら、ね?」
14年間、光一は周太との再会を待ってくれていた。そして1月の森で周太が犯した威嚇発砲の罪を、光一は肩代わりした。
あのとき事実を上手に光一は隠滅して、それを命令したのは階級が上の光一だと決めてしまった。
ずっと待たせても応えられず罪まで共に背負わせた、それに比べたら秘密が何だと言うのだろう?
この想い素直なまま微笑んで、初恋で恩人への15年の想い籠めて綺麗に笑いかけた。
「秘密を背負わせてくれて、嬉しいよ?俺も一緒に秘密を背負えるんだって信じてもらえて、認めてもらえて本当に嬉しいんだよ?
なによりね、光一が幸せになろうって思ってくれたことが嬉しいよ?大好きな人と幸せな時間を過ごしてくれることが、嬉しいんだ。
しかもね、その相手が俺の大切な人で、光一がその人を幸せにしてくれるんだよ?ふたりがお互い幸せに出来るのなら、俺は幸せだよ」
ふたり、お互いに幸せに出来るのなら大丈夫。そう信じられることが今、嬉しい。
もう自分はどうなるか解からない、それが「今」この現実だと実感に気付いている。
昨日も今朝も現れた老人、あの老人がなぜ現れたのか?その推測が自分の運命を知らす。
…あのひとは多分、射撃の巧い警察官を見に来たんだ
真白な白髪と眉は高齢を示す。
練習日に術科センターに現れるのは、関係者。
仕立ての美しいスーツは権力を知らせ、組織での立場を教える。
そしてポロシャツ姿の擬態から、彼の隠したい意図の存在が垣間見す。
昨日と今日に見た現実への思考を廻らす前、秀麗な顔は眉を顰めて透明な瞳から涙をこぼした。
「周太…俺はね、周太が幸せじゃなかったら嫌なんだ。だから本当のこと言ってよ、俺のこと罵ってもいい…本音を聴かせてよ?
何か周太は覚悟してるよね?それって俺が英二とえっちすることだけじゃない、もっと他にあるね?だからそんなふうに言って…教えてよ、」
ほら、光一は気がついてしまう。
怜悧で明晰な頭脳と細やかな優しさが、こんなふうに核心に迫る。
けれど今、ふたつの北壁を控えている時に余計な事は考えさせたくはない。
その願いのまま周太は真直ぐ幼馴染を見つめて、心から嬉しい気持ちで笑いかけた。
「覚悟なら警察官になるって決めた時してるよ?それよりも光一、俺のお願いをちゃんと聴いて?英二を幸せにする約束をして?」
どうか約束を今、聴かせて?
そう笑いかけた先、透明な瞳は涙の向こうから微笑んだ。
「うん…君のお願いも約束も、聴かないなんて俺には出来ないよ?だって君は、俺の山桜のドリアードなんだ、唯ひとりの、」
「ん、俺は光一のドリアードだね?だから言う事きちんと聴いて、」
大好きな幼馴染に笑いかけて、綺麗な笑顔を見つめている。
そんな今の瞬間にすら現実は追いかけて、心で周太は呟いた。
…なんのために俺の所に現れたのかなんて、もう解かる、だから
昨日、今日、現れた「あの男」に無意識が予告する、この現実にはもう自分の明日は解からない。
だから今こそ願いたい、今こうして目の前にいる誰より頼れる人に祈りたい。
その想い正直に周太は、綺麗に笑いかけた。
「光一はね、どこでも英二と一緒に行けるでしょう?でも、俺には出来ないんだ。俺ね、ちょっと気管支が弱いみたいなの。
だから英二が夢見ている高い山とか雪の深い所は、俺が一緒に行くことは出来ない。そういうの英二は寂しがるところあるでしょ?
だから光一に英二と一緒にいてほしいよ?英二が孤独にならないように、ずっと笑ってくれているように、いつも一緒にいてあげてほしい、」
ずっと愛情を求めて乾き切っていた英二、その想いを自分一人では受け留めきれない。
本当は受けとめていたい、けれど現実に自分だけでは無理だと体質と立場に思い知っている。
だから補ってほしいと願いたい、それが二人の幸せになるのなら嬉しい、自分の事はもう構わない。
この今も約束の「いつか」を信じている、昨日も英二は将来の約束をくれた、けれど自分は明日も解からない。
―…周太が警察を辞めたら入籍しよう?俺の名字になってから大学院に行ってよ、俺の嫁さんとして夢を叶えてほしいんだ
周太、約束して?辞職したらすぐ、俺の嫁さんになって下さい。そして大学院に入って樹医になってください
いつものベンチで重ねた時間と想いと、約束を全て信じている。
どの約束も叶えたい、英二の笑顔を見つめて共に生きていたい、そう願っている。
けれどもう「死線」は自分と背中合わせに立つ、そんな今だから確実な英二の幸せが欲しくて周太は幼馴染に願った。
「お願い、光一。英二を幸せにしてあげて?山でも、それ以外でも、英二が望む通り受けとめて?夜も独りにしないで抱きとめて?
光一も幸せに笑ってほしい。本当に大好きな人と抱きあって体温を感じ合うのはね、すごく幸せなことだよ?だから光一も幸せになって、」
どうか、あなたも幸せでいて?
あなたが自分を信じてくれる以上に、あなたの幸せを祈りたい。
祈りに笑いかけ見上げる真中で、富士の風に黒髪なびかせて光一が問いかけた。
「…周太、それが君のお願いだって信じていいの?」
名前を呼んでくれる透明な声が、木洩陽きらめく涙にとけていく。
ほら、こんなふう泣いてくれる純粋な山っ子、この心を幸せにしていたい。
そんな想い見つめる幼馴染の泣顔は、最高峰の秀麗な姿を映すよう気高く、清らかなままに優しい。
【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「TRUST」】
(to be continued)
blogramランキング参加中!
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1664_1.gif)
にほんブログ村
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d6/225883f6cf8f102e81541274f041ef3f.jpg)
第58話 双璧act.3―another,side story「陽はまた昇る」
7月の朝は、訪れが早い。
7時半すぎの空はもう青くて、陽光の眩さに目が細くなる。
今日も良い天気なことが嬉しい、きっと奥多摩も晴れだろう。
シフト交換をした英二の今日は勤務日でいる、だから天候が気になってしまう。
…金曜日だとハイカーも多いよね、でもお天気なら遭難の危険も減るよね?
交番前、箒で掃きながら奥多摩の空を想う。
きっと今ごろ英二は青梅署警察医の診察室で、吉村医師の手伝いをしている。
いつものよう朝のセッティングを手伝って、コーヒーを淹れ2人向きあっているだろう。
そこに光一も加わっているかな、藤岡は柔道の朝練で忙しいかな?そんな考え廻らせる意識に、ふと気配が映って顔を上げた。
「おまわりさん、ちょっといいかね?」
気配の相手から声かけられ、周太はすこし目を細めた。
眩しさに細めた視界、ポロシャツ姿の白髪豊かな男が歩いてくる。
歩いてくる相手は自分と同じくらいの目の高さ、けれど逆光になって顔が見え難い。
それでも少し屈んだ影と声のトーンに老人だと解かる。きっと道案内かな?そんな予想と周太は微笑んだ。
「おはようございます、どうされましたか?」
「北新宿公園はどっちかね?」
時おり訊かれる場所を言われて、周太は胸ポケットからメモ帳を出した。
ページを開くと簡単な地図を予め書いてある、これは勤務時間の合間に描き貯めた。
その地図へと赤いペンでルートを書込むと、示しながら老人へと笑いかけた。
「こちらのガードを潜って、小滝橋通りを真直ぐ行きます。そうすると北新宿1の信号を渡って、大久保通りを左へ曲がって下さい。
ここからだと2kmほどなので幾らか歩きます、もし電車で行かれるのなら、次の大久保駅で降りられると500m位で着けますよ?」
地図を指さしながら教えて、老人に微笑みかける。
朝の眩しい陽光に逆光で佇んだ貌は分り難い、それでも真白な髪と眉が見えた。
その白髪にふと気を取られながらも周太は説明を終えて、老人へとメモを差し出した。
「よろしかったら、お持ちください。お散歩ですか?」
「はい、ゲートボールの試合があってね。ちょっと歩いて行ってみようかね、」
老人は道具が入ったらしい袋を示し、周太の手からメモを受けとってくれる。
そのメモを眺め、感心したよう頷いて逆光の影から老人は微笑んだ。
「この地図、解かり易いねえ。ちゃんと準備してあるなんて、おまわりさん優秀なんだね。仕事が好きなんだろうけど感心だね、」
褒められて、けれど言われたことに心で「違います」と答えてしまう。
そんな本音に困りながらも、周太は笑顔で老人に言った。
「ありがとうございます、お気を付けていらして下さい。試合、お天気で良かったですね、」
「はい、ありがとうね、」
シルエットのなか老人は笑って、踵を返すとガード下へと歩いて行った。
あのガード下は自分にとって意味深い、あの場所で14年前に父は「殉職」に斃れたから。
コンクリートと鉄骨で造られた父の逝った場所、そこを自分も昨秋から通り寮と交番を往復してきた。
そんな日々もあと10日ほどで終わる、その想い見つめる視界を老人がガード下へと向かっていく。
「…あれ?」
ふっと声がこぼれ、周太は瞳を細めた。
いま見つめる老人の背中、あの雰囲気に見覚えがある。
どこで見たのだろう?ごく最近の記憶から呼ばれた映像に、背筋を意識が奔った。
「昨日だ、」
昨日、自分はあの老人の背中を見た、術科センター射撃場で。
いま話しかけられても逆光で顔は見え難かった、けれど真白な白髪と眉は同じだった。
なによりも今、立ち去っていく背中の雰囲気が同じだ、スーツとポロシャツの違いはあっても空気は変わらない。
すこし前に屈むよう今は歩いている、昨日は真直ぐ背を伸ばし歩いていた、その違いはあるけれど空気は変えられない。
「…どうして?」
どうして、あの老人が今朝、自分に道を訊くのだろう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6a/015dee80eb91fb6c5df4cacef2d22a57.jpg)
扉を開いて鍵を掛け、ほっと息吐きながら周太は制帽を壁に掛けた。
いま寮の自室で独り、けれどこの場所にどれくらいプライバシーが自分に有るのだろう?
そんな疑問がゆっくり起きあがり、昨日と今朝の出来事に今の自分の現実が、正体を覗かせる。
…見張られている?ずっと、いつも
この新宿署でも、2回も署長に問いかけられた。
あの質問はどう考えても異様で、その疑念に本当は調べたいことがある。
それに署長がこの新宿署で話していた相手のことも、ずっと気になっている。
春4月、父の命日に署長が話していた40代位の闘志型体型の男、あの男は射撃大会で周太を見ていた。
…あの男は多分、SATの隊長か何かだ
なぜ父の命日に、SATの幹部と新宿署長が廊下の片隅、隠れるよう会話していたのだろう?
この疑問を想いポケットから携帯電話を取出して、画像フォルダーの保護ロックを開く。
すぐ画面に2人の会話する姿が映し出される、その次を開くとシルエットの映像が現れた。
ついさっき写したばかりの老人の背中、この姿に記憶が霞めてもどかしい。
…このひとを知っている、きっと
昨日の朝、術科センターの射場でも感じた。
この老人の背中を自分は見覚えがある、けれど思い出せない。
いつ、どこで、どんな会話をして、自分は見覚えたというのだろう?
「…ん?」
今、なにげなく「どんな会話をして」と自分は思った。
あの老人と自分は「会話」をしたと感じているのだろうか?
考え廻らせながらクロゼットを開き着替を出す、その聴覚の記憶に老人の声が蘇える。
―…おまわりさん、ちょっといいかね?…北新宿公園はどっちかね?
はい、ゲートボールの試合があってね。ちょっと歩いて行ってみようかね…この地図、解かり易いねえ
ちゃんと準備してあるなんて、おまわりさん優秀なんだね。仕事が好きなんだろうけど感心だね
気さくに響く声、けれど強さがある。
逆光でも感じられた穏やかな気配の笑顔は、優しかった。
あの話し方のトーンは誰かとも少し似ている、相手を褒めて認めて、心を開かせてしまうような話し方。
…あ、
似ている話し方の記憶に、心で声がこぼれた。
けれど淡々と洗面具と着替えを揃えて廊下に出ると、浴室でシャワーを使い着替えた。
すぐ戻って携帯電話と御守をカーゴパンツのポケットに入れ、左手首のクライマーウォッチを見る。
この時計をくれた人は今ごろ山を歩いているだろうか?そんな想いと部屋の扉を開き、周太は食堂に向かった。
…そう、吉村先生や英二と似てる、相手が信じたくなるような話し方、だね?
この2人に共通するのは山ヤで医療関係者だという点だろう。
吉村医師は警察医として遭難者や自殺者の遺族とも向きあい、留置人や警察官のカウンセリングを施す。
英二の場合は山岳救助隊員として遭難者の動揺を鎮静させ、また吉村医師と同様に遺族とも向きあっている。
この2人は話し方の雰囲気も幾らか似ている、そう思うとあの老人も医療や警察関係者と考えられるだろう。
…話し方からも裏付けられる、それに昨日も今朝もちょうど俺が居た時間に…
あの老人は警察関係者だ。
そう考えた方が辻褄が合いやすい、昨日と今朝が偶然と考えることは異様に思える。
記憶と事実から考え廻らせて、けれど笑顔で先輩たちに挨拶しながら食堂に入りカウンターに並ぶ。
その間もずっと顔見知りと他愛ない話をしながら朝食のトレイを受けとって、いつもの窓際に座った。
「湯原、おはよう、」
朗らかな声が聴こえて見上げると、同期の深堀が笑ってくれた。
今日の深堀は週休だから朝もゆっくりなのだろうな?そう推測しながら周太は微笑んだ。
「おはよう、深堀。今朝はゆっくりだね、」
「昨夜ちょっと寝たの遅くてさ、今日の稽古のプリント作ってたんだよね、」
話しながらトレイを周太の前に置いて、ワイシャツ姿が座ってくれる。
幾らか眠たそうでも充足した笑顔へと、周太は笑いかけた。
「あ、詩吟の?…今日って、外国の人向けの体験学習って言ってたね、」
「そう、英語とフランス語とドイツ語で、3カ国分だから時間懸っちゃって、」
「そんなに色んな国の人が来るんだ、すごいね?…深堀のお祖母さんって国際的なんだね、」
「本人は英語しか話せないけどね、あの年齢で詩吟の世界だとまあ、国際的な方かもね?」
話しながら互いに掌を合わせいただきますをして、箸を動かし始める。
味噌汁に口を付け、ほっと息吐くと人の好い笑顔がほころんだ。
「当番明け、おつかれさま。今日は特練無いんだ?」
「ん、そう。だから今日は、荷物の片づけしようって思って、」
段ボールを取りに行かないとな?
そんなことを考えながら微笑んだ向かい、すこし寂しげに深堀は笑いかけてくれた。
「異動、あと10日なんだね?寂しくなるよ、俺、」
そんなふうに言って貰えるのは、素直に嬉しい。
深堀とは初任科教養から一緒だった、その1年以上の時間に周太は微笑んだ。
「ありがとう、俺も寂しいな。でも七機って調布だから近いよ、また飲みに行くのとか誘って?」
「うん、声かけるよ。忙しいって言われても、誘うの止めないからね?」
気さくに笑って約束してくれる、その言葉が嬉しい。
嬉しくて微笑んで、ふとポケットの震動に気がついて周太は携帯電話を取出した。
赤い受信ランプの色に誰のメールかすぐ分かる、開いてみたくて周太は親しい同期に謝った。
「ごめんね、行儀悪いけど開いても良い?」
「もちろん良いよ、宮田から?」
すぐ言い当てられて首筋に熱が昇りだす。
そんなに自分は顔に出やすいのかな?羞みながらも周太は素直に頷いた。
「ん、そう…ありがとう、」
微笑んで礼を言い、受信ボックスを開いていく。
その画面に添付された写メールに笑って、周太は深堀に画像を示した。
「これね、英二の新しい車なんだ。四駆に替えるって言ってね、昨日が引き取りだったんだ、」
きれいなブロンズカラーの四輪駆動車が青空の下、映っている。
御岳駐在所の駐車場で撮ったという写真が嬉しい、だって今日も晴天だと解かる。
すこしでも山のリスクが減っていることが嬉しくて微笑んだ向かい、人の好い笑顔は携帯電話の画面を見てくれた。
「へえ、新車いいな…って何、BMじゃんこれ?あいつ新車で買ったの?」
驚いたよう画面を見、深堀の手が携帯の画面を指さした。
なにか変なのかな?解からないまま周太は訊いてみた。
「ん、買替って言ってたよ?お父さんの仕事関係で選んだらしいんだけど…なんか変なの?」
「いや、変ってわけじゃないけどさ?湯原、車にあまり興味無いんだ?でも工学部出身だよね、」
驚いたままの顔で訊かれて、周太は首傾げた。
確かに自分は工学部出身だけれどな?考えながら正直に答えた。
「車の構造とかは興味あるよ?でもブランドとかはあまり知らないんだ…この車、走り易そうだよね、」
思ったままを答えた向かい、人の好い顔がひとつ瞬いた。
そして何か納得したよう笑って、深堀は楽しげに言ってくれた。
「なんか湯原らしいね、そういうの。そういう湯原だから宮田、大好きなんだろな、」
そんなこと言われると気恥ずかしいです。
気恥ずかしくて首筋が熱くなってくる、きっとすぐ赤くなるだろう。
困りながら衿元に手をやって、そっとパーカーのフードで首を隠した。
その手元、また携帯が振動して画面を見ると電話の着信が表示されている。
「あ、ごめん深堀、」
着信人名に立ち上がり、周太は食堂の外に出た。
すぐ通話を繋ぎ耳元に当てる、その向こうから透明なテノールが微笑んだ。
「おはよう、周太。急にごめんね、」
「おはよう光一、どうしたの?」
答えながら少し心配になる、いま朝の9時過ぎと言う時間に緊張させられる。
今ごろ英二は巡回の時間だろう、そこで何かがあったのだろうか?
そんな心配をした電話の先、ひとつ吐息こぼれて光一が微笑んだ。
「アクシデントとかじゃないから安心してね?でね、今から周太、外に出れる?ドライブに付きあってよ、」
話してくれる声の向こう、低めたカーステレオと喧騒が微かに聞える。
その音たちに周太は廊下の窓に寄り、尋ねた。
「光一、今、新宿にいるの?」
「うん…」
短く頷いてくれる声が、どこか困惑に哀しそうでいる。
いつも明るい光一、それなのに今の雰囲気はどうしたのだろう?
すこしの途惑いと廻らす考えに、ひとつ思い当たりながら周太は穏やかに笑いかけた。
「光一、10分待っててくれる?すぐ寮から出るね、どこに行けばいい?」
「新宿署の裏で待ってる、ありがとうね、周太、」
さっきより微かに明るい声が言って、そっと電話が切れた。
なぜ光一が逢いに来たのか?考えながら周太は食堂に戻ると急いで食べ始めた。
そんな周太の様子に向かいから、人の好い笑顔が訊いてくれた。
「湯原、出掛けることになった?」
「ん、そう…慌ただしくて、ごめんね」
答え笑いかけながら、膳の献立を3分で周太は食べ終えた。
すぐ席を立ち深堀に「またね」と笑いかけて、下膳を済ませると部屋に戻った。
グレーのGジャンを出し、財布と文庫本をポケットに入れながらデスクに用紙を出して記入する。
そして登山靴に履き替えて廊下に出、施錠してすぐ廊下を急ぎ担当窓口で外出申請書を提出した。
「行先は富士五湖方面ですね、携帯電話の電源は切らないように、」
「はい、」
すぐ手続きを終え、足早に廊下を歩いて行く。
扉を開いて階段を下り通りへと出る、その視界に見慣れた四駆が停まった。
助手席の扉を開き乗込んで、シートベルトを締めながら周太は運転席へと笑いかけた。
「お待たせ、光一、」
「ううん、急にごめんね、ありがとう。」
透明なテノールが微笑んで、白い手がハンドルを捌きだす。
いつものよう四駆は走りだし、高速道路の方へと向かっていく。
やっぱり予想通りかな?そんなふう見た運転席の横顔は、どこか緊張に堅い。
その貌は自分が時おり鏡に見つめる表情と似て、何のために光一が逢いに来たのか解かってしまう。
その目的への覚悟に、そっと深呼吸ひとつで周太は微笑んだ。
…光一、覚悟するんだね?良かったね、
ごく自然に心が「良かった」と微笑んだ。
そんな自分の感情が嬉しい、そういう自分にも良かったと想える。
いつか来ると思っていたこと、そうあってほしいと願っていたこと、それが今から訪れる。
「あのさ…周太。俺がね、ずるいことしても許してくれる?」
躊躇うよう訊いてくれる声が、いつもと違うトーンにすこし沈んでいる。
この「ずるいこと」の意味はきっと予想と同じ、だから光一の想いも解かる。
そんなに緊張しなくても良いのに?微笑んで周太は頷いた。
「ん、いいよ。光一なら許してあげる、」
「うん、ありがとう。じゃ、遠慮なくね、」
雪白の横顔は笑って、白い手はハンドルを捌いていく。
その車窓はグレーの壁に変りだす、そして高速道路を四駆は走り始めた。
いつもなら会話が始まるだろう、けれど今は静かな時を求めているのだと解かる。
その気配に周太は、そっと指を伸ばしてカーステレオの「再生」ボタンを押した。
「光一、音楽聴かせて?それで俺、ちょっと寝ても良い?」
今はまだ静かにしてあげたい、そんな想いに提案と微笑みかける。
その視界に雪白の横顔はすこし振向いて、綺麗な笑顔で頷いてくれた。
「もちろん良いよ、シートすこし倒しなね。当番明けなのに周太、ありがとね」
「ん、ありがとう、」
笑って答えながら周太は、シートをすこし倒した。
持って来たGジャンを掛けて瞳を瞑る、そして旋律がゆっくり廻りだした。
……
満たした水辺に響く 誰かの 呼んでる声
静かな眠りの途中 闇を裂く天の雫
手招く光のらせん その向こうにも 穏やかな未来があるの?
Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light
……
どこか幻想的なトーンの曲に、高く低くヴォーカルは謳う。
きれいで切ない旋律と歌、その雰囲気が今、隣で運転する人と似ているな?
そんな想いと微睡んでいく安らぎに、透明なテノールが低く歌い始めた。
……
こぼれる涙も知らず 鼓動に守られてる
優しい調べの中を このまま泳いでたい
冷たい光の扉 その向こうにも 悲しくない未来があるの?
Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light
……
いま隣から聴こえる声に、心が惹かれて微笑んでいる。
透明な声はステレオのヴォーカルより静かで深い、そのトーンが自分は好きだ。
好きなトーンと声に微睡ながら微笑んだ隣、静謐の声は歌を紡ぐ。
……
Come into the light 遥かな優しさに出会えるの?
Come into the light 喜びに抱かれて眠れるの?
Come into the light 争いの炎は消えたよね?
Come into the light きっと夢のような世界…
……
優しいテノールの声に護られるよう、微睡に安らぎ眠りを漂う。
ゆるやかな時の流れのなか心地良い、眠り、すこし覚め、また眠りに安らぐ。
波のよう繰り返していく意識のたゆたいに揺れ、そうして車の動きが停まりテノールが笑いかけた。
「周太、ちょっと起きて、降りて見ない?」
「…ん、」
呼びかけに瞳を披いて、ひとつ欠伸すると周太はシートを起こした。
その視界へと、大らかな裾野ひく蒼い単独峰が映りこんだ。
「富士山、きれいだね、」
嬉しくて微笑んだ隣、運転席でシートベルトを外している。
同じようベルトを外し扉を開く、緑濃やかな空気が涼しく頬ふれた。
気持のいい空気に深呼吸してみる、その横から透明なテノールが笑いかけてくれた。
「もしかして周太、富士山に来るって解かってた?」
「ん…なんとなく、ね、」
正直に微笑んだ隣、雪白の貌が嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔が嬉しくて笑いかけた時、ふっと透明な瞳が寂しげに微笑んだ。
「周太。俺たち異動するんだ、第七機動隊の山岳レンジャーにね。俺は8月一日で、英二は9月一日だよ、」
告げられた言葉が意外で、驚くまま瞳ひとつ瞬かれた。
その話は初めて聴く、そう見つめた周太へと光一は教えてくれた。
「すこし前に決まったばかりなんだ、で、あいつはね?周太に伝えるタイミングは、結局のトコ俺に丸投げちゃってるんだよね。
あいつ忙しいんだ、俺が異動した後一ヶ月間は俺の代わりと後任者の育成をするからね、その準備もあるのに、北壁の遠征訓練もだろ?
しかも吉村先生の手伝いもある、青免も取らなきゃダメだしでね。英二が周太にちゃんと話せるのは、異動した後になるかもしれないね、」
すでに英二は青梅署で多くの仕事を持っている。
そこに引継ぎとパトカー運転免許の取得も加われば、忙しい。
そして遠征訓練も控えているのに昨日は、周太と逢う時間を作ってくれた。
…内山との約束もあったのに、それでも英二、俺とも逢ってくれたんだ
どんなに忙しくても、ふたり共に過ごせる時間をくれた。
その真心が嬉しい、そして光一がなぜ「今」逢いに来たのかもう解かる。
きっと今だからこそ光一は来た、そんな想い見つめる真中で幼馴染は切なく微笑んだ。
「俺、異動前に…北壁が終わったら抱かれたいんだ、英二に…上司と部下になる前に、対等なうちに抱かれたい、」
言葉に、心が瞬間とまる。
ずっと考えていた瞬間が今、告げられた。
このことを予想しながら光一の四駆に乗った、けれど息は止められる。
…英二はもう俺だけのものじゃなくなるんだ、ね…あの腕も胸も独り占めじゃなくなるね
そっと心に呟く想いに、泣けない涙が心の底に溜りだす。
それでも息は吐かれて微笑は蘇える、静かな想い微笑んで周太は言祝いだ。
「ん、良かった…きっとね、すごく幸せだよ、」
心からの想いが言祝いで、そっと心が温まる。
確かに切ない、けれどそれ以上の温もりに微笑んだ前、雪白の貌が苦しげに微笑んだ。
「周太、どうして…?」
顰めた眉、喘ぐよう息詰まらす薄紅の唇が痛々しい。
そんな貌しなくて良いのに?そう微笑んだ周太に透明な声は問いかけた。
「どうして罵らないんだよ…俺は、君の婚約者を浮気させるって言ってるんだよ?こんなこと言う俺のこと、もっと怒ってよ?
俺、自分が嘘つきになるの嫌で、泣きつきに来たんだ。こんなの卑怯だよ?解かってるだろ、俺は君を、秘密に巻き込もうってしてるね。
君のコト裏切る真似して、面倒な秘密まで押しつけるんだよ?…君の恋人を俺の体で、惑わせて…恋愛をねだろうって…なのに、どうして」
どうして?
そう透明な瞳が無垢に問いかける。
その瞳を見つめ佇んだ周太に、美しい幼馴染は哀しい声で訴えた。
「あいつと俺が恋愛関係になるなんてね、本当は赦されない事だ。これから上司と部下として警察の世界を生きるんだ、俺たちは。
司法の番人ってヤツが役職超えて恋愛沙汰なんざ、今の日本警察じゃ問題沙汰だね、こんな秘密バレたら俺もあいつも終わりだよ?
それに君も巻き込むんだ、君に嘘吐くの嫌だって、君にまで秘密を押しつけて…それでも俺、あいつが好き、で…あいつだけ、で…っぅ、っ」
見つめてくれる透明な瞳に、光あふれ頬を濡らす。
微笑んで見上げる向う、雪白まばゆい貌は静かに泣きだした。
「もう、あいつと離れたくない…でも1ヶ月離れるんだ、そのあとはもう…上司と部下だ、もう全部が対等じゃなくなる、だから…
今度、北壁を2つ俺と一緒に登ったら、俺とあいつは対等になれるよ?だけど…異動する前までだけだ、どこも対等って言えるのは。だから、
あいつが嫌だって言えるうちに知りたい、本気で抱くほど俺を好きなのか知りたい、でも…君を傷付けるんだ…ね、罵ってよ…俺を怒ってよ?
周太が本当に大事で…な、のに…っ、あいつに愛されたいよ、一瞬でもいいから俺だけ見てほしいって想ってる…でも君を泣かせるのは嫌だ」
蒼い最高峰の山を見上げる森、木洩陽に涙きらめいて零れていく。
その哀しい痛みへと掌を伸ばして、そっと白い頬の涙ぬぐうと周太は、心からの感謝に微笑んだ。
「光一は俺のこと、信じて待っていてくれたでしょ?あの森でずっと…それで俺の罪まで肩代わりしてくれて。それに比べたら、ね?」
14年間、光一は周太との再会を待ってくれていた。そして1月の森で周太が犯した威嚇発砲の罪を、光一は肩代わりした。
あのとき事実を上手に光一は隠滅して、それを命令したのは階級が上の光一だと決めてしまった。
ずっと待たせても応えられず罪まで共に背負わせた、それに比べたら秘密が何だと言うのだろう?
この想い素直なまま微笑んで、初恋で恩人への15年の想い籠めて綺麗に笑いかけた。
「秘密を背負わせてくれて、嬉しいよ?俺も一緒に秘密を背負えるんだって信じてもらえて、認めてもらえて本当に嬉しいんだよ?
なによりね、光一が幸せになろうって思ってくれたことが嬉しいよ?大好きな人と幸せな時間を過ごしてくれることが、嬉しいんだ。
しかもね、その相手が俺の大切な人で、光一がその人を幸せにしてくれるんだよ?ふたりがお互い幸せに出来るのなら、俺は幸せだよ」
ふたり、お互いに幸せに出来るのなら大丈夫。そう信じられることが今、嬉しい。
もう自分はどうなるか解からない、それが「今」この現実だと実感に気付いている。
昨日も今朝も現れた老人、あの老人がなぜ現れたのか?その推測が自分の運命を知らす。
…あのひとは多分、射撃の巧い警察官を見に来たんだ
真白な白髪と眉は高齢を示す。
練習日に術科センターに現れるのは、関係者。
仕立ての美しいスーツは権力を知らせ、組織での立場を教える。
そしてポロシャツ姿の擬態から、彼の隠したい意図の存在が垣間見す。
昨日と今日に見た現実への思考を廻らす前、秀麗な顔は眉を顰めて透明な瞳から涙をこぼした。
「周太…俺はね、周太が幸せじゃなかったら嫌なんだ。だから本当のこと言ってよ、俺のこと罵ってもいい…本音を聴かせてよ?
何か周太は覚悟してるよね?それって俺が英二とえっちすることだけじゃない、もっと他にあるね?だからそんなふうに言って…教えてよ、」
ほら、光一は気がついてしまう。
怜悧で明晰な頭脳と細やかな優しさが、こんなふうに核心に迫る。
けれど今、ふたつの北壁を控えている時に余計な事は考えさせたくはない。
その願いのまま周太は真直ぐ幼馴染を見つめて、心から嬉しい気持ちで笑いかけた。
「覚悟なら警察官になるって決めた時してるよ?それよりも光一、俺のお願いをちゃんと聴いて?英二を幸せにする約束をして?」
どうか約束を今、聴かせて?
そう笑いかけた先、透明な瞳は涙の向こうから微笑んだ。
「うん…君のお願いも約束も、聴かないなんて俺には出来ないよ?だって君は、俺の山桜のドリアードなんだ、唯ひとりの、」
「ん、俺は光一のドリアードだね?だから言う事きちんと聴いて、」
大好きな幼馴染に笑いかけて、綺麗な笑顔を見つめている。
そんな今の瞬間にすら現実は追いかけて、心で周太は呟いた。
…なんのために俺の所に現れたのかなんて、もう解かる、だから
昨日、今日、現れた「あの男」に無意識が予告する、この現実にはもう自分の明日は解からない。
だから今こそ願いたい、今こうして目の前にいる誰より頼れる人に祈りたい。
その想い正直に周太は、綺麗に笑いかけた。
「光一はね、どこでも英二と一緒に行けるでしょう?でも、俺には出来ないんだ。俺ね、ちょっと気管支が弱いみたいなの。
だから英二が夢見ている高い山とか雪の深い所は、俺が一緒に行くことは出来ない。そういうの英二は寂しがるところあるでしょ?
だから光一に英二と一緒にいてほしいよ?英二が孤独にならないように、ずっと笑ってくれているように、いつも一緒にいてあげてほしい、」
ずっと愛情を求めて乾き切っていた英二、その想いを自分一人では受け留めきれない。
本当は受けとめていたい、けれど現実に自分だけでは無理だと体質と立場に思い知っている。
だから補ってほしいと願いたい、それが二人の幸せになるのなら嬉しい、自分の事はもう構わない。
この今も約束の「いつか」を信じている、昨日も英二は将来の約束をくれた、けれど自分は明日も解からない。
―…周太が警察を辞めたら入籍しよう?俺の名字になってから大学院に行ってよ、俺の嫁さんとして夢を叶えてほしいんだ
周太、約束して?辞職したらすぐ、俺の嫁さんになって下さい。そして大学院に入って樹医になってください
いつものベンチで重ねた時間と想いと、約束を全て信じている。
どの約束も叶えたい、英二の笑顔を見つめて共に生きていたい、そう願っている。
けれどもう「死線」は自分と背中合わせに立つ、そんな今だから確実な英二の幸せが欲しくて周太は幼馴染に願った。
「お願い、光一。英二を幸せにしてあげて?山でも、それ以外でも、英二が望む通り受けとめて?夜も独りにしないで抱きとめて?
光一も幸せに笑ってほしい。本当に大好きな人と抱きあって体温を感じ合うのはね、すごく幸せなことだよ?だから光一も幸せになって、」
どうか、あなたも幸せでいて?
あなたが自分を信じてくれる以上に、あなたの幸せを祈りたい。
祈りに笑いかけ見上げる真中で、富士の風に黒髪なびかせて光一が問いかけた。
「…周太、それが君のお願いだって信じていいの?」
名前を呼んでくれる透明な声が、木洩陽きらめく涙にとけていく。
ほら、こんなふう泣いてくれる純粋な山っ子、この心を幸せにしていたい。
そんな想い見つめる幼馴染の泣顔は、最高峰の秀麗な姿を映すよう気高く、清らかなままに優しい。
【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「TRUST」】
(to be continued)
blogramランキング参加中!
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1664_1.gif)
![にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ](http://novel.blogmura.com/novel_literary/img/novel_literary88_31.gif)