萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第58話 双璧act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-30 23:43:24 | 陽はまた昇るanother,side story
明日へ、最高峰に約束を 



第58話 双璧act.4―another,side story「陽はまた昇る」

夏の陽ふる梢の向こう、蒼い富士が聳え立つ。
その山を肩にのぞかせて、雪白の貌は涙ひとつと微笑んだ。

「周太、聴かせてよ?俺が英二とえっちすること、本気で君は喜んでくれるってコト?…それが君の幸せになるって、本気で言えるの?」
「ん、幸せだよ?」

真直ぐ見上げて微笑んで、白い頬から涙を指で拭ってあげる。
そっと指へと絡まる温かな雫、その温もり微笑んだとき白い指が掌をくるんだ。

「ほんとうに君は綺麗だね?強くて眩しい…なにも変わってないんだね、初めて逢ったときから君は…本当にドリアードなんだね…」

涙とこぼれるテノールの声、微笑んだ唇が掌ふれてキスをくれる。
白い指にくるまれ薄紅のキスふれていく掌、その温もりと輝く涙に周太は微笑んだ。

「ん、そうだね…きっと光一の山桜のドリアードだよ?だから言うこと聴いて、俺のこと大切だったら言うこと聴いて?」
「何でも聴く、君と山と、あいつから離れること以外なら何でも…だから言って、ドリアード?」

ドリアード、そう「山の秘密」にくれた名前で呼んで、光一は泣いている。
その涙に15年の時を見つめて周太は、素直な祝福に微笑んだ。

「お願い、光一。英二との夜は、ずっと幸せでいて?大好きな人に抱きしめてもらう幸せを、一瞬でも無駄にしないで幸せでいて?」

どうか幸せでいて?
もし幸せでいてくれるなら、自分の今も泣けない涙は無駄にならない。
その想いごと真直ぐに透明な瞳と涙を見つめて、周太は綺麗に笑いかけた。

「最初の時はね、確かに怖くて不安で、痛いかもしれない…それでも幸せだけを見つめて?痛くても大好きな人を見て、信じて?
大好きな人に体ごと愛してもらう幸せ、少しも逃さないように、ずっと見つめて感じてほしい…お願い、光一。その夜はずっと幸せでいて?」

もし夜を幸せに過ごしてくれるなら、自分の傷みも意味があると想える。だから幸せに過ごしてほしい。
本当は今もう心は痛くて、英二に愛されるのは自分だけじゃなくなる現実が哀しい、独り占めが終わる瞬間が切ない。
そんな我儘な痛みがある。けれどもし2人が幸せで笑ってくれるなら、我儘も痛みも納得ができる、これで良かったと心から笑える。
どうかお願い、この祈りを叶えて?そう笑いかけ見上げた先で、秀麗な泣顔は頷いてくれた。

「うん、ありがとう周太…ごめんね、ゆるしてとか言えない、でも俺、どうしても英二が良い…ごめん、ね…っ、周太」

透明な言葉が泣いて、微笑んでくれる。
白い手に包んだ掌にキスをして、薄紅の唇は想いを言ってくれた。

「惚れた相手と見つめ合って、ふれあって、この体と心だけで繋がりたい…そういうこと本気で想えたの、あいつが初めてなんだ。
肩書も立場も無い、性別だって関係ない、生きた人間同士ってだけで愛し合ってみたい。ただお互いの体温を知りたい、融け合いたい。
本当はされるのって怖い、体のこと不安で…だけど英二が北壁で実績つけたら、そしたら俺の体すこし壊れても大丈夫って想って…だから、ね」

男同士で愛し合う事は、受身の方のリスクが大きい。
この身体的リスクはトップクライマーを嘱望される光一にとって、決して容易くないハードルだろう。
それを超えても光一は英二に愛されたいと望んでいる、その覚悟と切なさに周太は穏やかに微笑んだ。

「大丈夫、光一の体は壊れたりしない。英二は優しいよ、ちゃんと体も大切にしてくれるから、怖がらないで、ね?」
「うん…わかった、不安にならないようにする。それでね周太、…聴いて?…っ、」

言って、涙こぼれて声がつまる。
その涙と声に周太は歩み寄って、長身の幼馴染を抱きしめた。

「ん、聴くよ?ちゃんと全部聴くから、安心して話して?」
「うん…ね、信じて、ね…ぅっ、」

涙こぼし透明な瞳が笑ってくれる。
ひとつ息吐いて花の香こぼれだす、そして光一は15年の想いを告げた。

「初めて逢ったときからずっと、君を愛してる、今もだよ…ずっと君を待ってた、だから俺、えっちだって本当は一回しかしてない、
その一回はね、初めて同士じゃ君を傷付けるって思って、それで初体験を済ませただけなんだ…俺、君と結婚したかったんだ、本気で。
でも君は女の子じゃない、それでも君への想いは変わらない。だけど、男の君とは結婚できない、悔しいけど俺にはそれが赦されない。
だから、君の相手が英二で良かった、本当にそう心から想ってる…でも君が女だったら俺は、何をしたって君のこと取り戻してた、絶対、」

真直ぐに見つめてくれる瞳から、ゆっくり涙は止まずふる。
旧家の一人っ子長男に生まれて、早くに両親を亡くし祖父母に育てられた光一は「家」を捨てられない。
その責任感と痛みに光一は「男とは結婚できない」と隠さず告げてくれる、その誠実な真摯が愛しくなる。
愛しさに見上げる頬に涙ふる、その涙に濡れるまま見つめる周太へと、無垢の瞳は微笑んで真実を語りだした。

「君の山桜はね、雅樹さんが見つけて俺に教えてくれたんだ…小さい頃に雅樹さん、あの森で迷ってね。そのとき君に出逢ったんだ。
雅樹さん、あの山桜はドリアードが住んでるって本気で信じてたよ。その話をしながら赤ん坊の頃から俺を、一緒に連れて行ってくれた。
あの場所は俺と雅樹さんの秘密の場所なんだ。君の山桜を雅樹さんは本当に愛してた、あの木に逢う為にいつも奥多摩に来てたんだ。
だからね、雅樹さんが死んで、哀しくて逢いたくて、あの森に毎日通ってたんだ…あそこに行けば雅樹さん、来てくれるって想ったから」

告げられた真実に、そっと心が頷いて納得する。
なぜ光一が山桜に逢いたいのか、その二重の想いが伝わる。

…雅樹さんが、あの山桜を見つけて愛してた。だから光一は、あの木が大切で大好きで、護りたいんだね

光一が初めてアンザイレンパートナーに選んだ、美しい山ヤの医学生。
彼を光一は心から慕って、ずっと想い続けている。その想いは恋愛という言葉だけでは尽せない。
もう亡くなって16年、それでも尽きせぬ深い想いのなか、透明な声は懐かしむよう切ない幸せに笑いかけた。

「雅樹さんに逢えなくても、雅樹さんが恋した山桜のドリアードに逢えるかも?そう思って俺、毎日いつも山桜に逢いに行ってたんだ。
下草を刈ったり、幹の蔓を外したりしてね、山桜を手入れして可愛がって。そうしたらドリアードが俺に逢ってくれるって信じてたよ?
そして1年が過ぎて冬が来て、山桜に花芽がついた時だった、君があの山桜の下にいたのは。雅樹さんが教えてくれた通りの姿で、ね」

緑に輝く短い髪、あわい水色の服、小柄で華奢な少女の姿。
それが樹木の精霊ドリアードだと言われている、そしてあの時、自分は水色のウェアを着ていた。
あの頃の自分は女の子と間違われていた、その懐旧にすこし微笑んだ周太に光一は笑いかけた。

「俺ね、雅樹さんが亡くなって哀しくて苦しくて、もう人間のこと好きになり過ぎないって決めてたんだ。だから君に逢えて嬉しかった。
山桜の精霊なら、山の神さまなら、雅樹さんみたいに死んでいなくならない。たとえ普段は見えなくても生きてる、いつか逢ってくれる、
そう信じられるから俺は、君に恋したんだ。君は生身の人間だって解ってる、でも本当は山桜のドリアードだ、死んで離れることは無い。
だから離れている14年間も信じられたんだ、山桜が元気に花を咲かせるたびに君は生きてるって、いつか逢いに来るって信じられた、」

まだ9歳だった、自分も光一も。
まだ9歳の子供が14年を待ち続け大人になった、それは決して短い時間じゃない。
いま24歳を迎える自分たちにとって、14年と言う歳月は人生の半分以上を占めている。
その長い時を独り待ち続けていた光一の「雅樹」にまつわる想い、その一途な恋慕が周太のことも救おうとしてくれる。
生きて会ったことのない人、けれど自分を護ってくれる。そんな不思議な縁に微笑んで、周太は山っ子に問いかけた。

「雅樹さんのお蔭で俺は、光一と逢えたんだね?」
「だね…だからね、俺にとって君は救いなんだ、」

問いかけに、透明な声は応えて微笑む。
大らかな優しい笑顔で光一は、真直ぐ瞳を見つめて言ってくれた。

「出逢った日も君は、本当に楽しそうに俺の話を聴いてくれた。あの綺麗な笑顔が嬉しかった、純粋で温かで本気で好きになった。
見つめてくれる目が優しくて、寛げて。短い時間だったけど俺は救われたんだよ…だから俺、本当に精霊で神さまだって信じてる、今も。
君は山桜の化身ってヤツだ、ドリアードだけど人間の姿で今は生きている。いつか人間の命を終えても君は、あの山桜に還るだけ。そうだよね?」

真直ぐな言葉と見つめてくれる、この笑顔こそ美しく優しい。
そう見上げてしまう真中で、涙ゆっくり伝わせながら光一は困ったよう笑ってくれた。

「だから俺、英二が周太のこと愛しちゃってるの、納得なんだよね?だって英二はね、雅樹さんと全然違うくせに同じなんだよ。
英二って根暗だけど、雅樹さんは物静かでも明るかったんだ。でもね、真面目で思慮深くって優しくて、絶世の別嬪ってとこ同じでさ。
ふたりとも山を愛して、人の命を援けることに誇りを懸けてさ?同じように俺のこと支えて傍にいて、きれいな貌で笑ってくれるんだ。
そういう英二だからね、雅樹さんが恋した山桜のドリアードに恋して、惚れぬいちゃうの当然なんだ。相思相愛なのも当たり前だね、」

英二と雅樹、ふたりは似ていると誰もが言う。
いつも吉村医師のデスクで雅樹の写真を見る、そのたび自分もそれは感じる。
だから光一の言うことは頷けてしまう、そんな素直な肯定に微笑んだ周太に透明なテノールは告げた。

「雅樹さんのファーストキスは俺だよ、寝てる雅樹さんに俺が勝手にしちゃたんだ。でね、雅樹さん山の神さまとキスした夢見たんだよ?
それが俺にとって初めてのキスだ、その次は君だよ?今年の1月、あのときなんだ。初体験は済ませてもキスはとっておいたんだよ。
それくらい俺、本気で君を待ってたんだ。でも、もう終わらせるよ?…それでも、ずっと君を好きで、ずっと君を護ることは変わらない、」

想いを告げながら長い腕を伸ばし、そっと周太の背中に回してくれる。
ふわり高雅な花の香が頬撫でて、透明な瞳は無垢なまま綺麗に笑った。

「だから信じてよ?俺は英二に抱かれても、ずっと君を想い続ける。山の神と同じに山桜のドリアードを愛して、護り続けるよ?
人間としての恋愛は俺にとって英二だ、でも君は特別だよ。俺にとって君は救いで、いちばん綺麗で、いちばん護りたい大切な存在だ、」

そんなふうに自分を言ってくれる、そのことが素直に嬉しい。
けれど1つ確かめたくて、静かに見つめて周太は問いかけた。

「ありがとう、光一。俺にとっても光一は大切だよ、だから英二を任せたいって想えるんだ…でも、1つ訊かせて?」
「なに、周太?」

素直に笑いかけてくれる眼差しが綺麗、そう見つめながら周太は白い頬に掌を伸ばした。
ゆっくり伝う涙を拭いながら、微笑んでくれる透明な瞳へと周太は穏やかに笑いかけた。

「光一にとって、英二と雅樹さんは、同じ存在なの?」

ふたりは似ている、そう光一は言う。
だから確かめておきたい、英二は雅樹の「身代わり」なのだろうか?
それとも違う別箇の存在として、光一の心にあるのだろうか?それを聴きたい、そう見つめた先で透明な瞳は綺麗に笑った。

「全然違うね。雅樹さんは俺の最初のアンザイレンパートナーだ。そして英二は、俺の最愛で最後のアンザイレンパートナーだよ、」

ふたりは全く別だよ?
そう告げて底抜けに明るい目が笑い、光一は教えてくれた。

「雅樹さんは俺に山の夢を最初にくれた人なんだ。先生で、保護者でもあってね?憧れで大好きで、誰よりも尊敬して愛してるよ。
だけど英二は逆だね、俺があいつの先生だ。同じ世界に生きて、援けあっていく共犯者で…体ひとつで愛し合いたい、唯ひとりだ」

体ひとつで愛し合いたい、そう告げてくれる。
その願いが大切な伴侶のために嬉しくて、そっと周太は幼馴染を抱きしめた。

「ありがとう、光一。それならきっと大丈夫、英二と幸せになれるよ?…でね、ちょっと教えてくれる?」

嬉しくて、けれど気掛りなことがある。
そう見上げた先で明るい目が「なに?」と訊いてくれる、その素直な眼差しへ周太は率直に尋ねた。

「あのね、光一は男同士でするのに何が必要とか、ちゃんと解かってる?買ったりして揃えてあるの?」
「え、ないけど、ね?」

短く言って、雪白の貌が困ったよう首傾げこむ。
やっぱり準備はしていないらしい、微笑んで周太は幼馴染を四駆へと引っ張った。

「光一、お願い。薬局に連れて行って?ちょっと大きいお店の方が良いと思う、行こう?」

笑いかけ車に乗せて、カーナビで検索をしていく。
その隣、運転席で途惑った顔のまま光一は、ハンドルを捌き始めた。

「あのさ?薬局って…もしかしてえっち用品を買いに行くワケ?」

幾らか途惑った声で訊いてくれる、そんな様子がすこし意外で可愛い。
いつも大人の話で周太を転がして光一は愉しんでいる、それなのに初心な素顔が今、隠せない。
それが不思議にも想えて、気恥ずかしさと答えながら周太は訊いてみた。

「だって光一だけで行っても、英二の好みとか解からないでしょ?…ね、光一ってえっちな話が好きだけどえっちじゃないんだね?」
「ばれちゃったね、俺は耳年増なダケだよ?体は綺麗なモンだ、」

質問に、雪白の横顔が困ったよう笑って白状した。
やっぱり図星かな?そう見ながらカーナビのセッティングを終えると光一は口を開いた。

「山と畑で暇も無いしね?さっきも言った通り、俺は君にえっちすること楽しみにしてたけど、他は興味無かったんだ。
今だから言っちゃうけどね、君が男でも本当はえっちしたかったよ?周太だったらタチもネコもしたいなって、思ってたんだからね、
だから俺、一応は男同士でもナニするって解ってるし、前も言ったけど自分の指でちょっとしてみたしさ。周太のだったら平気だと思うよ、」

いま、すごいことを言われてるんじゃないのかな?

そう雰囲気で解かるけれど、単語の意味が途中よく解らない。
よく解からないままにも恥ずかしくて首筋は熱くなる、困りながらも周太はこの際、思い切って訊いてみた。

「そんなに想ってくれてありがとね?…でも、だったらなんで英二とするのは、そんなに考え込んでたの?」
「そりゃ決ってるよね、あいつがデカいからだね、」

さらっと答えてくれたトーンが、いつもの軽妙なトーンになる。
その楽しげな空気にすこし困らされそう?そっとパーカーのフードで衿元を隠した隣、綺麗なテノールは正直に訊いてきた。

「いつも風呂で見るだろ、でね、あんなデカいの入れられたらキツイだろって思ってさ。周太よく平気だなって思ってたんだよね。
あんなの入れるコツってある?あったら教えてよ、ほんと俺ちょっと自信なくって怖いんだよね。あのサイズでヤられるのは想定外だしさ、」

言われる言葉に頬までもう熱い、きっと耳も熱くなるだろう。
そんな自分に困りながら、幼馴染の元気になった横顔へと周太はすこし拗ねた。

「あのね、光一?ほんとうに訊きたいのもあるっておもうけど、半分以上は俺のこと転がして面白がってない?」
「違うね、真剣が2/3で悪ふざけが1/3ってトコだよね、」

しれっと訂正して、底抜けに明るい目が周太を見た。
その瞳の明るさに隠れた涙がある、そう感じとって周太は素直なまま笑いかけた。

「今はふざけて良いよ?でもね、英二と抱きあう時は100%真剣になって?英二を大好きって想って、いっぱい幸せを感じたら大丈夫、
英二のこと信じて、愛されたいって想えたら自然と体が緊張しなくなるから、ちゃんと英二のこと受容れられるよ?それがコツだと想う、」

告げた言葉に、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
綺麗な笑顔だな?そう見惚れた雪白の頬にひとつ涙こぼれて、透明なテノールが微笑んだ。

「いっぱい幸せを感じるね、俺。周太、やっぱり君のこと大好きだよ?俺のドリアード、」

そっと頬伝う涙に、フロントガラスを透かして夏の陽がきらめいていく。
その輝きに微笑んで、周太は綺麗に笑いかけた。

「ん、俺も光一のこと大好きだよ?見て、富士山すごく綺麗だね。あれより高い所に行くんでしょ?気を付けてね、」

言葉と一緒に見上げた秀峰は、蒼穹に白雲を靡かせて優雅に佇む。
フロントガラス拡がらす雄渾な蒼い山、その姿へと山っ子は綺麗に笑ってくれた。

「うん、気を付けて登るよ。心配しないでね、俺が英二のこと絶対に無事に登らせて、連れて帰ってくるから。信じて待っててね、」

ほら、英二の無事を約束してくれる。
この約束を光一は何があっても護るだろう、英二への深い想いのままに。
そうやって2人助けあって夢を叶えてくれたら、それが自分にとって希望の明りになる。

…俺の明日は解からない、でも2人が輝いてくれるなら、幸せに笑ってくれるなら本当に嬉しい、

大切な幼馴染で恩人の光一、そのひとが英二を支えてくれる。
もう大切なひとの幸せは約束された、それが自分を励まして温かいと今、素直に嬉しい。
この信頼と安らぎがあるから今、明日に怯えず微笑める。この勇気ひとつ嬉しいまま周太は、最高峰へと微笑んだ。



夜21時、やさしい旋律が流れだす。
赤い着信ランプの光に微笑んで携帯電話を開く、すぐ繋がる通話に大好きな声が微笑んだ。

「こんばんは、周太。今日は何してた?」

綺麗な低い声が問いかける、そのトーンはいつものよう優しい。
穏やかな深い声に微笑んで、秘密をふたつ隠しながら周太は答えた。

「こんばんは、英二…今日はね、買物に行って、荷物の片づけしてたよ?英二は今日は、どんなことあったの?」

今はまだ逢いに来たことは内緒にして欲しい、そう光一と約束をした。
今の英二は北壁の登攀を控えている、そこへ集中させてあげたいから言わない。
アルパインクライミングで最も必要なのは集中、だから今、余計なことを英二には話さない方が良い。
そう光一と決めて、むしろ話さなくて良いとも言ってある。なるべく英二の邪魔になりたくないと、愛情と意地が秘密を望むから。

…だから昨日と今朝のことも言わないでおこう、今は

昨日と今朝、現れた「あの男」のことも、今は言わない方が良い。
この話こそ最も英二の集中を散らしてしまうだろう、きっと心配をかける。
だから光一にも何も言わなかった、この秘匿の向こうから綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「今日は遭難事故も無くて、静かだったよ。久しぶりに岩崎さんと自主トレしたんだ、光一が用事でいなかったからさ。
あとな、秀介が夏休みの宿題を持って来たよ?周太に会いたいって、って伝言を預ったんだ。自由研究のこと聴きたいらしいよ、」

聴かせてくれる言葉から、懐かしい奥多摩の風景が見えてくる。
きらめく水の流れと静かな森、青い空と紺青色の星空、温かい笑顔。
どれにも会いたい、それに吉村医師に訊きたいこともある、そんな想いに周太は微笑んだ。

「俺も会いたいって伝えてね、休暇の予定が出たら行きたい…ね、英二は訓練の支度は出来た?」
「うん、さっき終わったとこだよ。あと携帯電話、スイスでもメールと電話と両方使えるから。ただ料金が高いんだ、」
「ん、下山の連絡は貰えたら嬉しいな、短い文で良いからね?…あとは帰国してからで、ね?」

これからの話をする電話の向こう、きっと心はアルプスの山を見ているだろう。
そんな想いと話す手許には、2冊の古い本と1冊の新しい本がデスクに置かれている。

Edward Whymper『アルプス登攀記』
Heinrich Harrer『白い蜘蛛』

この2冊は家の書斎から借りてきた、読み古された父の本。
この2冊には、これから英二と光一が向かう山を登頂した記録が綴られている。
ふたりが岩壁を登っていく時、この記録を読んで自分も心を重ねていたい。そんな願いに持ち帰ってきた。

…無事に夢の場所へ立って笑ってね、どうか幸せでいて…ふたり助けあって想いあって、

そっと心に祈りながら話す繋がれた電話の向こうへと、どうか「幸運」を贈りたい。






(to be continued)

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soliloquy 建申月act.1 Serment―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-30 05:30:05 | 陽はまた昇るside story
第58話「双璧2」幕間です

約束の場所で、



soliloquy 建申月act.1 Serment―another,side story「陽はまた昇る」

木洩陽ふる光は、昨日より眩しい。
ずいぶんと太陽が強くなった、もう梅雨も明け夏は暑さを増していく。
それでも木蔭ふく風は涼やかで心地いい、気持良さに目を細め、また膝の本へと視線をおとす。
英語で綴られた文章は遠い国の森を描いていく、その深い水の森を心に描きながら読んでいく肩に、綺麗な低い声が微笑んだ。

「周太、これは新しい本?書斎のにしては紙が新しいな、」
「ん、自分で買ったんだ…青木先生が奨めてくれて、」

答えと笑いかけた隣、切長い目が興味深そうにアルファベットを追いかける。
その視線の動きに気がついて見つめたとき、華やかな睫はあげられ笑ってくれた。

「これ、スイスの森のことだよな?俺が行く時に奨められたなんて、面白いな、」
「ん、でしょ?」

素直に頷いて微笑みかける、その心が少し切ない。
あと数日で英二は、スイスに岩壁登攀の遠征訓練に出掛けてしまう。
その危険な世界を自分は知っている、その心配と不安も当然あって哀しくなる。
それ以上に、単なる「距離が離れる」事への寂しさがどうしてもある。

…いつもだって奥多摩と新宿とで離れて、逢えないのに

離れているのは何時ものこと、それでも寂しい。
大切な人が海を隔て遠くへ行くこと、この海を超える感覚が自分にとって無い。
だから余計に不安にもなるのだろうな?ほっと小さなため息吐いた隣から、こつんと肩に頭を載せてくれた。

「周太、膝枕して?」
「え?」

言われたことに訊き返す、だってちょっと気恥ずかしい。
いま何て言ったの?そんなふう肩口を見ると、綺麗な笑顔ほころんだ。

「周太の膝で、ちょっと昼寝させてよ?木洩陽が気持いいし、ね、周太?」

綺麗な笑顔で笑いかけながら、周太の膝から文庫本を長い指が取り上げた。
ふわり、ダークブラウン艶やかな髪がキャメルブラウンのパンツの膝に広がらす。
そして膝の上、切長い目は周太を見上げ、白皙の貌は幸せに笑ってくれた。

「うん、いいな、こういうの。周太と木と空が、同時に見えるよ?」

嬉しそうに綺麗な笑顔ほころんで、長い指の手が文庫本を広げてくれる。
その文章を見ようとした頬に長い指がふれ、そっと引寄せられ唇にキスがふれた。

…あ、

温もりに唇あまく、ほろ苦い。
すぐに離れて見つめ合うままに、綺麗な低い声が微笑んだ。

「周太、また膝枕してね?家のベンチでもしてほしいな、」

実家の庭には、大きな山茶花の下にベンチがある。
頑丈で美しい木製のベンチは父が作ってくれた、その山茶花も父が植えてくれた。
あの白い花を想い、花木を植えた父の愛情へと周太は綺麗に微笑んだ。

「ん、してあげたい…あの花が真白に咲いた時とか、きっと気持いいよ?」

山茶花の名前は「雪山」11月の誕生日には咲き始める。
あの常緑樹を父が植えたのは、息子である自分の誕生花として。
あの木を植えながら、花言葉に息子への想いを父は籠めてくれている。
そんな想い佇んだ膝の上、大切な婚約者は幸せに笑って提案してくれた。

「周太、この本、俺が朗読しようか?」
「ん、いいね…お願い、」

素直に笑いかけた膝の上、微笑んで英二は文庫本を読み始めた。
綺麗な低い声が綴る英文は、明瞭な発音の美しい言葉で読まれていく。
静かな公園の午後、誰もいない森でふたりベンチに寛ぐ時間は優しい。
安らかな静謐の時、ふと誕生花の言葉が心に映りこんだ。

…山茶花の言葉は、運命に克つだったね?

父の祈りを想いながら今、夏の光のなか常緑の梢の下、幸せの瞬間は紡がれる。






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