萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

設定閑話:御岳、山に里

2012-11-25 21:34:01 | 解説:背景設定
現実と虚構の狭間



設定閑話:御岳、山に里

東京都青梅市御岳、「side story」主人公・宮田の勤務地です。

エリアはJR青梅線御嶽駅を基点に、大塚山・御岳山・日の出山・鍋割山界隈。
多摩川流域の渓谷を挟んで走る青梅街道と吉野街道、この吉野側に御岳は広がります。
地形は渓谷から山へ上がっていく狭隘地で、斜面を段々に切り開いている為に水田は少ないです。
なので、ドラマ最終話での御岳駐在所は水田に立地していましたが、実際は近辺に田園はありません。
そして現実の御岳は隣家との間隔は狭いです、作中の国村家と小嶌家に見られるご近所の立地とは異なります。
その点はぶっちゃけますと、自分の田舎で見られる風景をモデルにした部分です。

小説ではドラマ設定にも準拠して、敢えて御岳駐在所の風景は田園と森林にしました。
そのために御岳の風景描写はリアルに加味して、近隣の柚木町と関東の山里をモデルに描いています。
実際に行ってみると御岳を始め奥多摩では、豪農らしい立派な田舎屋敷が現在も居宅として見られます。
地域差もありますが一般的に、農作業場にする広い庭と養蚕場所になる屋根裏が旧家にある特徴です。
田舎では現在も「家格」村落社会の席次があり、それは家と墓所の構えと立地にも現れます。
こうした辺り、国村家の描写に反映している点です。



また国村と美代は御岳の剣道会に所属していますが、御岳剣道会は実在します。
武蔵御嶽神社に会員募集のポスターもあり、沢井の体育館で週3回の稽古があるそうです。
この剣道会に宮田も国村&美代の強引な?勧誘で第45話「藤翠」から所属しています。
そのうち宮田が稽古に参加する風景も、近々登場する予定です。



御岳山は武蔵御嶽神社の神域になり、門前町と登山道が混在するのが特徴です。
この登山道全般を御岳駐在所属の山岳救助隊員として、作中でも宮田は巡回しています。
あの巡回ルートに出てくる風景は実在の登山道を描いており、実際に歩くと途中かなりキツイ場所も多いです。
足場が悪い所も少なくありません、もし行ってみようと思われるなら、登山靴は確りしたものを選んでくださいね。



標高は1,000mに満たず道標も整備されていますが、ちょっと気を抜いたら滑落してしまうポイントもあります。
特に長尾平から七代の滝を経由し天狗岩までの道は、岩場・木の根道・狭い急斜面・鉄梯子などバリエーション豊富なルートです。
沢を渡る木橋や滝周辺も滑りやすく、子連れの方なら長尾平から綾広の滝へ直接行くルートをお勧めします。

自分が好きなポイントは長尾平からの展望です。
ここを朝、霧がイイ感じの時に訪れると深山特有の情景に出会います。
嶺を覆う樹木から生まれた水蒸気たちは霧になり、山霧は稜線を辿りながら雲に変わり、天へ昇っていく。
そんな水墨画の情景が一望できる場所です、でも昼食ポイントでもあるので正午頃は賑やかです。



この山には「天空の里」と呼ばれる門前町があり、診療所と御岳駐在の駐屯場所もあります。
作中にも時おり登場する民宿や宿坊がある風景はリアルと同じで、急斜の道沿いに軒を連ねます。
立派な門構えの建物も多く、けれど道の斜度はキツイ部分もあるので雪の日は滑りやすいでしょうね。



舗装道路でもこういう状態なので、御嶽社脇の登山道から先はアイゼン無しでの歩行は本当に危険です。
ツキノワグマの生息地でもあり、今秋は週一くらい山道にも登場しています。ので、熊鈴は携行したほうが無難です。
ケーブルカーの滝本駅と山上の駅に併設の土産物店にも熊鈴は売っています、それくらい熊遭遇率が高いってことでしょうね。



産業については「設定閑話:奥多摩の懐」で書いたように、柚子・梅・蕎麦・黍・山葵に林業などです。
御岳の氏神、武蔵御嶽神社に行く途中には名産の柚子と蕎麦に因んだ商品が特に多く見られます。
柚子唐辛子や黍餅大福が土産物に並び、ちょっと変わり種なら一本丸ごとの干芋が珍しいです。
御嶽神社参道の茶店も看板メニューは蕎麦がメインで、中には胡桃蕎麦を出す店もあります。
でも自分がちょっと面白いと思ったのは、立ち食い蕎麦屋です。

御嶽神社に登るケーブルカー滝本駅に併設して、その立食い蕎麦屋はあります。
地元出身のご主人が1人で天ぷらを揚げ、蕎麦を出してくれるのですがコダワリが楽しい。
この店の名物は「舞茸天ぷら」200円で、蕎麦のサイドメニューとしてのみ注文が可能です。
目の前で揚げてくれて、わさび塩を「かけすぎって位にどっさりかけて」と言われます。
その通りにしてみると旨いです、で、他のメニューは「かけ」か「ざる」だったかな?
この蕎麦の薬味のバリエーションが面白くて、いちど寄ってみる価値は充分です。
入れ放題の薬味には名産の柚子もあり、香の高さに驚かされます。

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secret talk11 建申月act.10―dead of night

2012-11-25 02:10:49 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁14」の後です

後朝、告白に今を綴じこめて



secret talk11 建申月act.10―dead of night

氷河の風ゆるやかなベランダ、グラスの泡は金いろ揺れる。
風は黒髪を梳いて額を露わせ、夏の陽に雪白の肌理を晒しだす。
その肌に昨夜の熱を見つめながら、透明な眼差しへと綺麗に笑いかけた。

「光一?昨夜は本当に俺、幸せだったよ。憧れた山の麓で憧れの人を抱けて、夢みたいだった。だから朝、夢か現実か解らなくなった、」

笑いかけた言葉に、透明な瞳が見つめてくれる。
いつものよう明るい無垢を湛えた瞳、けれど一夜で深まった艶が優しい。
その瞳に自分の貌が映るのを見つめて、唯ひとりのアンザイレンパートナーに微笑んだ。

「光一がいなくて俺、幸せな夢を見たのかと想った。でもシャワーを浴びても香が肌に残っていた、それに俺のシャツが無かった。
それで夢じゃなかったって解かったけど、光一はいないだろ?だから俺、光一に嫌われたのかと想った。昨夜を夢にしたいのかなって、」

朝、シーツは乱れても真白なまま、血の跡は無かった。
けれど痛みが無かったとは言えない、体も心も傷つけなかったと断言なんて出来ない。

―だって俺はもう、何度も周太を傷付けてる。体も心も、

初めての夜、お互いに幸せだと信じこんで周太を抱いて、けれど傷つけた。
あのときは互いに初めてで無知で、それなのに夢中になり過ぎた所為だと解かっている。
その後も自分は幾度、周太の意思を理解せず抱いてしまったのか解からない、そんな自責が本当はある。
男を愛するなら女を抱くのとは違う心と体の想いがある、そう幾度も思い知ってきた現実に英二は正直なまま告白した。

「光一は男として山ヤとして、誇りが強いよな?いちばんが好きで、山でも必ずトップを取りたい。負けず嫌いなのが光一だ。
本当は自分が主導権を獲れない事は、大嫌いだろ?それなのに俺に抱かれてくれたんだ、だから今朝いなくなっていた時に想ったよ?
実際にセックスしてみて、後悔したのかなって想った。朝になって冷静になったら嫌になって、全て無かった事にするのかなって想ったよ、」

男同士で愛し合うことは、今の日本では不道徳だと言われ易い。
差別もある、汚らわしいと言われることもある、そんな現実を潔癖な光一が嫌っても仕方ない。
そんな諦めと哀しみが痛かった、そんな今朝の記憶に微笑んだ英二に、透明な瞳が困ったよう笑ってくれた。

「嫌いになんてなるわけないね。ソンナ生半可な気持ちじゃ出来ない、俺は初心で臆病なんだからね?うんと覚悟して決めたんだ、」

初心で臆病、その言葉はきっと誰もが意外だろう。
老練なほど緻密のテクニックで豪胆なハイスピードの登攀をする、そんな光一には似合わない言葉。
そう誰もが想うだろう、けれど無垢な山っ子にとって「人間の恋愛」は初心、そして臆病になる理由も今なら解かる。
その理解と見つめる想いの真中で、透明なテノールは言葉を続けた。

「おまえと一緒にマッターホルンとアイガーの北壁をヤれたら、おまえの実績は認められて俺のセカンドって誰もが納得するよね?
そうしたら本当に生涯ずっと傍にいてくれるって想って、だからソレが決ってからにしたくてね…俺のほうこそ自信、無いんだから、」

自信が無い、そう告げて薄紅の唇はグラスをふくんだ。
傾けるグラスに金色の泡は昇り、華やいだアルコールが花と香る。
そっと唇からグラスを離し、ことんとテラステーブルに置くと光一は、静かなトーンで話してくれた。

「おまえは周太のこと、溺愛しちゃってるよね?それって納得できるよ、あのひとは優しくて強くて、本当に綺麗で可愛いから。
ソンナ恋愛している英二には、俺の気持ちは邪魔になるって想う瞬間があるよ?だから俺を抱きたいって言うのも、本当は無理してる?
そう思っちゃうと勇気が出ない、俺のこと邪魔に想われるの嫌で、抱かれたら重荷になるだけって想えて、自信なんか無い…少しも、ね」

最後の言葉にテノールは震えて、ひとつ溜息を吐いた。
こぼれた吐息は高雅に香こぼし、素直にテノールの声が想い紡いだ。

「昨夜…おまえの肩越しにね、空と山が見えたよ。夕焼けに染まる赤い山を背負って、おまえ綺麗だった。怖いくらい綺麗でね、
山が英二になって俺を抱いてる、そんなふうにも想えて、幸せで、ほんとうに惚れてるって…おまえに抱かれてるの幸せだったよ。
で、ゆうべ俺、気絶したんだよね?…それで気がついたら部屋は静かで、英二は眠ってた。俺のこと抱きしめたまんまでね…嬉しかった、」

ふっと微笑んだ透明な瞳が見つめてくれる。
見つめて、けれど微かに長い睫を伏せて透明な声の吐息こぼした。

「でも怖くなった…昨夜は何度もえっちしてくれたけど、アイガーの後で興奮してたからかも?だから…目が醒めたら後悔されるって。
おまえには周太がいるんだ…それなのに俺なんか抱いて裏切るみたいだろ?そういうの後悔しても仕方ない、だから朝は逃げたんだ、怖くて…」

途切れた声のまま白い指を伸ばし、皿の果実をつまんでくれる。
そっと白い果実を薄紅の唇にふくませ、光一は甘い香を噛みだした。
かすかな果実の砕かれる音に言葉は封じられる、その横顔に暁の言葉が蘇える。

―…良かった、俺のこと朝になっても好きなんだね?

夜明、モルゲンロート輝く窓辺でピアノに向かい、微笑んでくれた言葉。
ようやく伝わりだす深意が今、言われた言葉たちに切なく傷んで、愛おしい。
愛しい想い見つめる横顔の白い実ふくんだ唇、あまやかな香ごと飲みこむと静かに微笑んだ。

「おまえの寝顔、幸せそうで綺麗でね…本当はずっと見ていたかった。でも怖かったんだ、目が覚めたとき誰の名前を呼ぶのか。
俺じゃなくて周太って呼ぶかもしれない、周太の夢を見て幸せな寝顔なのかもしれない、そう想ったら怖くてベッドから逃げたんだ。
シャワーで頭から湯を被って、だけど英二の香が残ってね…それが嬉しかった、だから俺、おまえのシャツを着たんだ、香だけでも欲しくて」

話してくれながら、そっと白いシャツの衿元を直す。
まだ光一は英二のシャツを着たままでいる、その想いにテノールの声は微笑んだ。

「おまえのシャツ着たら、いつもの匂いが嬉しかった。いつも夜、おまえんトコ邪魔して寝るのってね、森みたいな匂いが好きなんだ。
うれしくて、もう脱ぎたくなくって、だから部屋から出て行ったんだ。すこしでも長くシャツを取り上げられたくないから、逃げたね。
きっと探すなら下に行くだろうって思って俺、上に行ってさ。そうしたらピアノがあってね、気がついたら鍵盤の上に俺の指が踊ってた、」

白い指を軽く組みあわす、その爪が桜色に艶めき優しい。
しなやかに長い指を組む華奢な手に、透明な瞳は今朝の記憶に微笑んだ。

「前に話したよね?俺のおふくろは山ヤだけどピアニストだったって。だからかね、俺、おふくろが死んでからよく弾くんだよ。
誰にも聴かれないようにして、独りで思いつく曲を好きなだけ弾いて、歌ってね…すっきりする、そうするとなんか楽になってね。
今朝もね、気がついたらピアノを弾いて歌ってた…思いつく曲は全部おまえと聴いたのばっかりでさ、でも片っ端から弾いて歌ってた、ね」

告げてくれる言葉の向こう、黒髪なびかせ透明な瞳は見つめて微笑む。
その笑顔は透けるよう明るく清らかで、思いの真実が艶やかに佇んで愛しい。
今朝、透明な声と旋律を静かに響かせた横顔は、穏やかな痛切と幸福が目映く輝いていた。
暁と同じに愛しいまま惹かれ見つめて、静かに英二は立ちあがるとワインバケットを持って部屋に入った。

「…英二?」

ブルーシャツの背中に透明な声が呼んで、肩越しふりむき笑いかける。
そのまま冷蔵庫を開きボトルごと仕舞うと、窓の向こう太陽の下に戻って綺麗に微笑んだ。

「光一、今すぐ光一のこと抱えこませてよ?もしYesならグラスを空けて、部屋に戻って?」

告げた言葉に透明な瞳は微笑んで、薄紅の唇グラスにくちづける。
グラスへと陽は明るく輝いて、きらめき揺らす金色の酒は飲まれていく。
グラス傾け白い顎をあげ、最後ひとしずく飲みほすと白いシャツ姿は立ち上がり微笑んだ。

「残りの梨は、後で食べてもイイ?まだシャンパンも残ってるから、」
「うん、」

頷いて笑いかけ、テラステーブルの皿とグラスを手にとった。
ベランダ越しのアイガーは雲をまとい靡かせ、狭間に蒼い壁をのぞかせ佇む。
美しい冷厳と雄渾の山、その姿に昨日も見た青い背中への想いは今、この体から残り香とあざやかになる。
肌昇らす香への想いと窓の内へ戻ると、夏の花たちは部屋あふれて清楚匂いやかに瑞々しい。
花に微笑んでグラスたちをデスクに置き、窓の鍵を掛けると英二は恋人に向きあった。

「光一、また夢を見させてくれる?光一を抱いて幸せな夢を見たい、昨夜の続きがほしい、」

笑いかけ見つめて問う許しに、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
同じ高さの眼差しは真直ぐ見つめて、すこし羞みながら綺麗に微笑んだ。

「俺も夢を見たいね、目を開けてても幸せなまんまで、」
「俺もだよ、」

笑いかけた唇を重ね、ふれるキスに微笑が温かい。
やわらかな熱と花の香むせるキス、抱きしめベッドへと抱え上げて、唇そっと離して笑いかけた。

「光一、体の調子は?痛いとか本当のこと言ってくれ、そうしないと傷つけることになるから、」
「すこし怠いのと、腰がちょっとキてるね。でも…ね、」

答えて途切れる言葉に本音が伝わって、真昼のベッドでキスを交わす。
甘い香ふれて離れて見つめ合う、その透明な瞳が恥らいに艶を華やがせる。
あわく紅潮のぼりだす衿元、白いシャツのボタンに英二は長い指を掛け、外した。

「…あ、」

吐息のようテノールがこぼれて、透明な瞳は途惑い見つめてくれる。
ひとつ、外れたボタンに白い肌は鎖骨を透かし馥郁と香らす、その香りに接吻ける。
ふれた雪白の肌から唇にふるえる鼓動伝わり、しなやかな掌が両肩にそっと置かれて問いかけた。

「あの、さ、風呂入んないの?…このままする気?俺、汗かいてると思う、し…それに、まだ…」

言葉に顔をあげて見つめた恋人は、雪白の頬に紅潮ためらい染めていく。
不安と困惑と、けれど幸福な悦びへの期待と信頼が、透明な瞳から見つめてくれる。
そっと見つめ返して眼差しからめ、無垢な瞳への想い笑いかけて英二は答えと微笑んだ。

「途中までしたら風呂、連れて行くよ。ちゃんと支度するから心配しないで、安心して?光一、」
「…うん、」

素直に頷いてくれる紅ふくんだ首筋が艶やかで、惹かれるまま唇ふれる。
うすい肌理なめらかに唇へ甘くて、高雅な香に酔わされるままキスの刻印を付けた。




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secret talk11 建申月act.9―dead of night

2012-11-24 05:22:48 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁14」の後です

瞳に映して、瞬間を留めて



secret talk11 建申月act.9―dead of night

グリンデルワルトの窓辺も、花あふれている。

赤に薄紅、赤紫に黄色、白、青、紫、あざやかに咲く夏が瑞々しい。
ツェルマットのよう山小屋風の建物ならぶ街は、歩きながらもアイガーを臨む。
雄渾そびえる岩壁には時おり雲がよぎっていく、その姿に英二はパートナーへと微笑んだ。

「光一の天気予報どおりだな。朝からずっと雲が横切っていく、風が速いな」
「うん、俺の観天望気はアルプスでも利くみたいだね、」

からり笑った顔は愉しげに空を見上げ、黒髪と白い衿を風に靡かせる。
雲や風など自然現象や動物の行動から天候を予想する、観天望気が光一は強い。
この予想と天気図から予測して、昨日は無風と光一は読取りアイガー北壁のアタックを選んだ。
そして今日の岩壁は荒天だと予測している、その通りに朝から風は蒼い壁を取巻いて凍てつかす。
いま北壁には凍死の危険が吹き晒していく、この現実を見つめながら英二は賞賛の溜息に微笑んだ。

「すごいな、光一は。もっと俺も、正確に天候を読めるようになりたい、」
「そりゃ是非、そうなるべきだね。でも、おまえは時間を読むの上手いよね、いま何時?」

訊きながら底抜けに明るい目は笑って、英二の左手首を白いシャツの手が握りこむ。
クライマーウォッチの文字盤を隠されて、けれど意識の感覚と太陽の高度に英二は微笑んだ。

「正午より前だな、11時前くらい?」

答えに白い手は開かれて文字盤が現れる。
そこには短針と長針が11を指して時間を示す、この提示に透明な瞳は愉しげに笑った。

「ほら、キッチリ正解だね?コッチのが珍しい能力かもよ、」
「そうかな、普通だって思ってたけど、」

話しながら紙袋を抱えて、ホテルのエントランスを入っていく。
コンシェルジュの前を通りながら英語とフランス語で挨拶をし、ロビーを抜けて階段を上がる。
木目と絨毯を踏んで階段から廊下に出、部屋の扉を開錠して室内に入ると光一が立ち止った。

「すごい、ね…なんで、」

透明な声が呟いたのを背中で訊きながら、英二は扉に施錠した。
なにが凄いのだろう?考えながら振り向き室内を見、瞬きひとつと英二は笑った。

「確かにすごいな、何のサービス?」

笑って紙袋をデスクに置いて、見直した部屋は花に充ちていた。
ベッドサイド、デスク、ローチェストの上、テーブルと花は飾られる。
白を基調に束ねた夏の花が彩る部屋、そのテーブルに置かれた果物とカードに英二は気がついた。
銀縁のカードを手にとり目を通してみる、すぐに笑って英二は英文の綴りをパートナーに示した。

「アイガー北壁を登った勇者へ祝福を、冷蔵庫のシャンパンはお祝いのプレゼントです、って書いてあるよ、」
「へえ、嬉しいね、」

カードを一読すると笑って、光一は冷蔵庫を覗きこんだ。
すぐワインバケットごとボトルを出すと、嬉しそうに笑いかけてくれた。

「シャンパーニュの本物だね、イイ祝福だよ。呑もう、」

愉しげにワインバケットを抱え光一は、2つのグラスも手にベランダの窓を開いた。
テラステーブルに据えてグラスを並べてくれる、そしてポケットからアーミーナイフを出すと栓を切った。
器用な白い手はコルクを飛ばさず抜いていく、その愉しげな横顔が嬉しい。

―光一、体調は大丈夫そうだな、

想い見つめる昨夜のことに、恋人の体が気になってしまう。
光一は生まれて初めて体を開き受け容れてくれた、その負担が気に懸る。
痛いとは一言も光一は言わない、けれど抱かれながら長い睫は涙に濡れていた。
それなのに目覚めた時はもうベッドから姿を消して、独りホールでピアノを弾いていた。

目覚めたベッド、シーツは乱れても純白のままだった。
たぶん光一の体に傷は付けていない、けれど初めての行為は疲れさせただろう。
それでも笑って光一は散歩と買物に行こうと誘ってくれた、その想いが切なく愛しい。

―俺に気を遣ってくれたんだ、疲れを見せたら俺が気にするって思って、

光一は本気で想ってくれている、それが今朝の行動から解かってしまう。
そんな恋人が愛しくて、すこしでも多く幸せにしたくて英二はテーブルの洋梨をとった。
添えられた果物ナイフを手にカットしていく手元、すぐに皮は剥けて白い果実があらわになる。
瑞々しい実を4つに切って、載せた皿を手にベランダへ出ると、光一は嬉しそうに笑ってくれた。

「梨を切ってくれたんだね?俺、好きなんだ。ありがとね、」
「シャンパンには合うかなって思ってさ、好きなら良かったよ、」

答えて笑いかけた先、白い手がグラスに金の酒を注いでくれる。
真直ぐ昇らす細やかな泡が光きらめく、ゆれる陽射しがガラスに閉じこめられる。
きれいで、見惚れながら微笑んだ前グラスは置かれて、透明なテノールが朗らかに笑った。

「じゃ、いろいろに乾杯ね、」

グラスを掲げて、かすかに縁ふれあわすと口を付ける。
こまやかな金の粒子が喉をくだり、華やかな香が吐息こもらす。
久しぶりに飲む味に微笑んで、機嫌いい隣へと英二は尋ねた。

「いろいろ、って何?」

訊かれて透明な瞳がこちらを見、羞んだよう笑んでくれる。
その眼差しの艶に気がついて、英二は想ったまま笑いかけた。

「アイガー北壁の記録と、昨夜のこと?」
「…うん、だね、」

微笑んで頷いてくれる、その首筋が微かに赤らんで初々しい。
なにか恥らうよう赤い透明な肌に、英二は感じたままに尋ねた。

「光一、なにを恥ずかしがってる?」

問いかけに透明な瞳はただ微笑んで、グラスに口つける。
薄紅の唇を金の酒に濡らさせて、伏せた長い睫へと陽光きらめかす。
どこか陰翳ふくんだよう艶あざやいだ貌に惹かれ、見つめた想いへと光一は微笑んだ。

「花、飾ってあるけどね、アレって新婚さんへの祝福にスイスではよくやるらしくってさ。だから俺、ちょっと驚いたね、」

新婚への祝福と似た、花の祝福。
それが今日のタイミングなのは、確かに驚かされる。
そして光一が「すごいね」と言った想いに気付かされて、英二は綺麗に笑いかけた。

「アイガーから山っ子に贈る、初夜の祝福かもな、」

笑いかけた先、透明な瞳に英二の貌が映りこむ。
真直ぐに見つめてくれる瞳は無垢まばゆくて、けれど一夜に変った。
生来の美貌に「心」が灯った、そんなふうに雪白の肌から光透けるよう美しい。
あざやかな変化をもたらした一夜、夢の時間だった「初夜」に英二の本音が微笑んだ。

「光一の初めてが俺だってこと、本当に幸せだよ?でも今、不安なのも俺の本音なんだ、」

昨夜一夜の感覚と想い、その全てを留めた瞳へと正直なまま今、告白に口は開かれる。




(to be continued)


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secret talk11 建申月act.8―dead of night

2012-11-23 23:59:50 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁14」の後です


空の青、水鏡に



secret talk11 建申月act.8―dead of night

透明な紺碧ひろがらす空に、雲が靡く。

雲を湧きおこす稜線は、夏の陽射しに白銀まばゆく蒼い翳を描きだす。
ゆるやかに草地を吹きぬける風は緑と花の香ひるがえり、岩根に寄りかかる頬を撫でていく。
涼やかな風の掌は優しくて、懐かしい人の俤を見つめながら仰ぐ銀嶺たちへテノールが隣から微笑んだ。

「アイガー、メンヒ、ユングフラウ。オーバーランド三山で、いちばんノッポなのはどれだっけね?」
「ユングフラウ、標高4,158m」

陽気な声の問いかけに答えて、英二は隣に微笑んだ。
笑いかけた先、のんびり紙コップに唇つける笑顔はいつもどおり明るくて、けれど含羞が初々しい。
昨夕までは無かった表情の色彩、その優しい美しさに昨夜の記憶を見つめて、そっと肩を寄せ笑いかけた。

「光一、ほんとに綺麗になったな、」
「うん?俺は元から別嬪だよ、」

からり笑って答えてくれる、飄々としたトーンも前と変わらない。
底抜けに明るい目も前と同じに朗らかで、けれど寄添いあった信頼と艶と、かすかな甘えが寛いだ嫋やかさになっている。
そして香るよう微かに映る哀しみに、今のひと時が稀少なのだと想いだされて胸が軋みだす。
その傷みに左手の時計へ俤を見つめて、そっと隠した声で謝った。

―周太、今は光一を見つめさせてくれる?周太を忘れるなんて出来ないけど、

共に登った北壁の山、それを仰いで過ごす時間の終わりは近い。
その終わりには上司と部下の肩書に分たれる時が姿を見せて、全てが対等でいる今と違っていく。
だから今この瞬間たちは、ふたり笑い合える時間を大切にしていたい。この時への愛惜に英二は綺麗に笑いかけた。

「元から別嬪だけどさ、昨夜からもっと綺麗になったよ。恋人同士のセックスってすごいな?」
「なに?宮田のクセに、お天道サマの下でもエロってんの?真面目堅物くんのクセに、」

ちょっと驚いたよう英二を見、けれど愉快に笑ってくれる。
相変わらずの飄々と軽やかな笑顔が嬉しい、嬉しくて英二は率直に答えた。

「真面目堅物だけどね、恋人にはエロトークもするよ?恥ずかしがってるとこ見るの、好きなんだ、」
「やっぱエスだね、おまえって、」

可笑しくて堪らないと笑って、紙コップを啜りこむ。
白い喉が夏の陽に逸らされ眩しい、雪焼けも殆どしない清やかな肌を見ながら英二は微笑んだ。

「うん、俺ってエスっ気があると思うよ。セックスも自分がする方が好きだし、」

答えながら最近クセになりそうな唯一「されたい」相手を想いだす。
けれど、あれだって実のところは「されるよう仕向けている」のが本当の所だろう。
結局自分は身勝手な性質だから、良い様にされることが嫌いなのだろうな?そんな考え廻らす隣から光一が困ったよう笑ってくれた。

「俺もずっと自分はエスって思ってたけどね、でも意外とそうでもないかもね?」
「昨夜、俺が目覚めさせちゃった?」

言ってくれた想いへと笑いかけながら、そっと瞳を覗きこむ。
見つめた先で困り顔のパートナーは温かに笑んで、優しいテノールが言ってくれた。

「おまえ以外にソンナこと出来るヤツいないね、でも英二も目覚めちゃってない?」
「何に?」

短く尋ねながら紙コップに唇つけて、あまい芳香がアルコールと喉にすべりこむ。
3日前にも楽しんだ酒の味に微笑んだ隣、光一も吐息にワイン香らせて躊躇いがちに笑った。

「おまえ、昨夜から俺にくっつきたがりだよね?前はソンナじゃなかったのに。やっぱ、俺がおまえの女になったって自覚から?」
「そうだな、」

さらり答えた隣、雪白の頬に薄紅が昇りだす。
エロオヤジだけれど本当は初心、そんな素顔は透けるような純真がまばゆい。
綺麗で見惚れながら今、こんなふうに自分たちがなったことが不思議で、けれど自然にも想える。

―憧れで夢だった、ずっと

最高の山ヤの魂を持つと言われる男、最高のクライマーになる素質まばゆい男。
そんな男をずっと憧れて追いかけて、追いつくことが自分の夢を叶えてくれると信じて努力してきた。
その努力はきっと生涯続くのだろうな?そんな想い見つめながら紙袋を開いて、パンにハムとチーズを載せると隣に手渡した。

「はい、光一、」
「ん、ありがとね、」

受けとってくれながら微笑んだ貌に綺麗な幸せほころんでくれる。
いつもの明るい笑顔、けれど昨日よりもずっと距離が近い。この変化の原因は誰にも真相は解からないだろう。
ふたり北壁の登攀記録を共に作った信頼感、そう周囲は思い疑問を持たない。

―でも周太は知ってる、

唯ひとり伴侶と想う、いま遥か東の祖国に待ってくれる人。あの人だけは自分の真実を知っている。
きっと何も言わなくても気がついて、純粋な心のまま幸せを祝福してくれる、そんな勁く清らかな優しい人が恋しい。
どこまでも優しい無垢な心が懐かしい、帰国したら逢いたい、けれど互いの仕事状況から暫く逢うことは難しいだろう。
そんな婚約者を想い、そしてもう1人、真実に気付くだろう人に考え廻らせながら英二は、自分のパンを口に運んだ。

「うん、うまいな、」
「だろ?」

嬉しそうにテノールが笑って、ミニトマトを白い指につまむ。
赤い実を口許に運びながら、光一は愉しげに教えてくれた。

「チーズとハムとパンとさ、組み合わせ次第で色んな味になるんだよね。で、コレが俺の好みだよ。外で食うと余計に旨いよね、」
「うん、こういう場所と合うな、」

答えてまた口にすると、まろやかなチーズとハムの燻した芳香がパンの甘みと合う。
シンプルなオープンサンドだけれど旨い、紙コップの白ワインとも相性良く互いに引き立てる。
吹きぬける草の香と太陽の光に摂る早めの昼食、その座っている時は穏かで昨日の冷厳との違いを想う。
いま見上げるアイガーは青空に明るく佇む、けれど今も北壁は冷たく凍れる蒼い翳に染められる。
ここで座って眺めて、昨日の全てへの想いが唇から呟いた。

「昨日のことが夢みたいに想えるな、」

涼やかな風が透明な池を渡り、緑をふくんで吹いていく。
ふる陽射しに座る草地は花が夏を織りなし、生命の息吹あふれている。
けれど白銀と青の世界は確かに今も存在して、冷厳の死はあの場所に壮麗なまま佇む。
こんなふうに生と死はすぐ間近に存在する、その現実が夢のようにすら想える隣から、透明な声が微笑んだ。

「夢に生きるのが俺たちの現実だね、山に登って世界を見下ろして、雪と氷と風と遊んでもらってさ、」

雪と氷と、風と遊ぶ。
本当にそんなふう光一は雪山を愛し、昨日もそうだった。
あの偉大な北壁を前にしても変わらない山っ子の愛を、アルプスの女王も死の壁も喜んだろう。
そんな想いにリッフェルホルンのフランス語を見つめて、英二は唯ひとりのアンザイレンパートナーに笑いかけた。

「やっぱり光一は山の恋人だな、」

笑いかけて見つめた貌は夏の陽に明るんで、雪白の肌に光が舞う。
艶やかな黒髪を風が梳く、透明な瞳に幸せほころばせて光一は笑ってくれた。

「ありがとね、で、おまえもそうだね?富士山の竜に愛される男だよ、」

笑って頬を小突いてくれる、その指がなめらかに白い。
この指で今朝は約束の曲を弾いてくれた、その旋律と声に愛しさ想い英二はねだった。

「光一、ホテルに戻ったらピアノ弾いてよ?今朝の2曲また聴きたい、」
「いいよ、ピアノが空いてたらね、」

素直に肯って光一は、白い手のオープンサンドを頬張った。
愉しげに動かす口許を見ながら自分も食事を再開し、肚に納める。
食べ終えて、コップのワインを口にしながら英二は、優美な横顔に笑いかけた。

「ピアノの後は部屋でのんびりしような、約束どおり抱え込むよ、」

言葉に、そっと長い睫が伏せられ夏の陽きらめかす。
あざやかな含羞が白い首筋をそめて、シャツの衿元を桜いろに変えていく。
ためらう恥らい初々しい貌は綺麗で見つめてしまう、その想いの真中で山の恋人は微笑んだ。

「その前にね、買物行くよ?約束のシャツ買って、夕飯のパンとかも欲しいね、」
「今夜は、部屋で食うんだ?」

答えながら紙袋と瓶を片づけて、笑いかける。
手際よくまとめ終えると、光一は羞んだよう明るく笑ってくれた。

「ふたりきりのがイイだろ?俺のこと独り占めしたいって、おまえ言ってたから、ね」

昨夜の時間の始まりに、ふたり告げあった言葉たち。
その記憶を呼ぶ恋人の言葉へと英二は、綺麗に笑いかけた。

「うん、独り占めさせて?光一、」

名前を呼んで、掌を雪白の頬よせて唇を近づかす。
そっと重ねた唇のはざま、こぼれる香はあまく清雅に愛おしい。
ふれあわすキス離れて、見つめ合った透明な瞳は微笑んで、あわい水の紗にゆれた。

「ほんと悪い男だね、おまえって。なんか俺、調子狂っちゃうね?…英二、」

漲らせた瞳に英二の顔を映して、名前を呼んでくれる。
眼差しに声に透明な想い、その心へと微笑んで唇はもう一たびと静かに重なった。




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本篇閑話:双壁、三彩の陰翳

2012-11-23 04:58:39 | お知らせ他
色彩と光線、織りなすもの



おはようございます、勤労感謝の日ですね。
そんな訳で昨夜から、第58話「双壁14」を描いていました。おかげで眠いです。

写真は御岳山のワンシーン。
赤と濃い緑に萌黄色、樹葉の三彩を映した秋の光です。
まさに今、御岳コンビの湯原に対する心情を描いていたので載せました。
今回のターンはこんな感じで、ターニングポイント的。こういう宮田で、国村で湯原です。
三人の関係は三つ巴、互いが重なり合いながら人生を織り成していく、それぞれの相互関係にある人達です。

第58話「双壁」という題は「璧」ではなく「壁」、このカベには複数の意味があります。
1つにはマッターホルン北壁とアイガー北壁、この三大北壁の2つにまつわる物語と謂う意味。
2つめは国村光一と宮田英二という、警視庁山岳会の次期ツートップの成長を示しています。
そして3つめは宮田の大切な人を、2人比較で幾つも列挙する物語であることの象徴です。

第58話「双壁」は宮田の様々な愛情の側面を描いています。
まず一番ウェイトを占めるのが「恋愛」湯原と国村への恋愛に対する想いです。
次に「親子愛」父と母への愛情と、父の湯原母・美幸に対する想いへの納得と反発。
3つめは「家族愛」湯原と湯原母・美幸への深い感謝と、馨と晉へのレクイエムのような想い。
4つめに「敬愛」後藤副隊長と警察医吉村医師への感謝と自責の想い、それから国村を上司として見る想い。
そして5つめに「同胞愛」国村の最初のアンザイレンパートナー吉村雅樹への、深く複雑で独特な感情です。

今回の北壁2つを登ることで、宮田は「吉村雅樹」と真向から向きあっています。
まだ8歳だった光一に最高のクライマーになる素質を見出した最初の人は、雅樹です。
そして北壁のタイムアタックや最高峰への夢を最初に光一に示して見せたのも、雅樹でした。
こんなにも山っ子に影響を及ぼすほど、雅樹はクライマーとしての優れた資質を備えた人物です。

そんな雅樹は宮田より15歳年長で、もう過去に亡くなった人物。
それでも今、生きているように宮田にも大きな影響を及ぼしています。
山と医学に夢と人生を懸け、真直ぐ純粋に生きていた美しい山ヤの医学生である雅樹。
この「山と医学」という生き方は、山岳救助専門の警察官である宮田の生き方と似ています。
そうした生き方だけではなく風貌も似ていることから、宮田は雅樹の遺した人望も獲得しやすいです。

この相似に宮田も、国村も雅樹の父・吉村医師も不思議な縁を見つめています。
それは宮田自身にとって支えであり、時に葛藤ともなって人間的成長の糧となっていく。
この点をクローズアップしたのが今回の第58話「双壁」です、そして国村との関係に変化が起きました。
国村の「山と人間への愛」両方でファーストだった雅樹、その雅樹と向きあう宮田ですから、こんな感じです。

この2人の物語と同じ時間並行で、湯原と美代の物語も変化があります。
それは第58話「双璧」にて描いていきます、こちらは「璧」宝玉の意味です。
今回の宮田と国村の関係変化を後押しした湯原の心情、そして湯原が生きる世界の変化が明かされます。
湯原にとっての「双璧」ふたつの宝玉の意味は何なのか?その辺をキーポイントに読まれると面白いかもしれません。





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第58話 双壁act.14―side story「陽はまた昇る」

2012-11-22 23:49:45 | 陽はまた昇るside story
※2/4~3/4念のためR18(露骨な表現はありません)


双壁、暁に扉を開けて



第58話 双壁act.14―side story「陽はまた昇る」

眠りにつく太陽の光芒が、窓あふれて部屋を照らしだす。
ガラスの向こうに見上げる蒼い壁、その最高点は今日最後の光やどらせ黄金の紅に輝いていく。
あの場所に今朝、自分は死と生と夢を見た。その瞬間へ綺麗に笑いかけて英二は、静かにカーテンを閉じた。

「カーテン、閉めないでよ?夕焼け見ていたい、」

透明なテノールが笑って、英二は振向いた。
視線の先で白いバスローブに包まれて、ベッドの上から美しい笑顔が見つめてくれる。
湯に上気したまま桜色まばゆい頬に見惚れながら、英二は山の恋人に笑いかけた。

「開けっ放しだとセックスしてるとこ、見られるかもしれないよ?」
「じゃあ半分だけ開けといてよ、椅子とかある方なら平気だろ?山と空が何も見えないなんて、俺は落着かないね、」

底抜けに明るい目が笑って、ねだってくれる。
山と空を見ていたい、そんな願いは山っ子らしくて嬉しい。
笑って英二はカーテンを片方だけ開き、閉じたカーテン側のランプを灯した。
黄昏の光とランプのオレンジが融けあい、温かな光が部屋を充たしゆく。その光のなか英二はベッドに上がった。

…ぎしっ、

かすかな軋みが鳴って、雪白の貌に緊張が途惑う。
その途惑いに微笑んで肩ふれあわす、ふわり高雅な香が湯の熱とふれて濃やかに甘い。
いつもより華やぐ香を感じながら黒髪に指を伸ばし、からめた濡れ髪から微かな震えが伝わってしまう。
震えてしまう無垢ごと艶めく髪を掻き上げながら、透明な瞳を見つめて英二は笑いかけた。

「光一、気分は大丈夫?風呂のとき、緊張してたけど、」

さっき風呂で支度をほどこす間、光一の体は強張っていた。
誰かに体を触られることに馴れていない、そんな途惑う肢体が痛々しく愛しかった。
けれど緊張していると男同士の場合は体を傷つけかねない、そんな心配と見つめた真中で羞むよう笑ってくれた。

「そりゃね、緊張するよね?するの6年ぶり位なんだし、されるのって初めてなんだからね。お初でバージンなんだから、ね」

言っている内容は可愛いのに、言い方が軽妙でなんだか可笑しい。
その透明な声も美しいテノールなのに、言葉の選択が笑いを誘ってしまう。
こんな話し方には誘惑すら乱されがちで、可笑しくてつい英二は笑ってしまった。

「そうだな、緊張するの仕方ないな?ちゃんとリラックスさせられるよう、俺が頑張るよ。だから光一、あんまり変なこと言うなよ?」
「変なことって何さ?俺は単に喋ってるだけだね、」

不思議そうに首傾げて、言ってくれる。
この口の利き方では途中で笑いそうだな?そんな心配が周太と違い過ぎて、なんだか安心する。
いまバスローブ1枚だけまとった美貌の山っ子に、英二は綺麗に笑いかけた。

「光一、今から光一を抱くよ?これからの時間は俺は、光一だけを見てる。光一のことだけ考えて、想って、夢中になるよ。
光一を抱いている俺は、光一だけの俺だ。だから光一も俺のことだけ見つめて、考えてよ?お互いに唯ひとりになって、繋がりたいんだ」

率直な想いを告げて、無垢の瞳が幸せに微笑んだ。
透けるよう明るい清雅な眼差し見つめて、透明なテノールは言ってくれた。

「俺にとったら英二は、いつも唯ひとりだ。ツェルマットの原っぱでも言ったよね、俺は英二がいなかったら独りぼっちだ。
俺にとって山に登ることは生きることだ、そんな俺と一緒に山に登れるのは英二だけだね。だから俺には、英二が世界の全てだよ、」

光一には英二が世界の全て、これは英二がツェルマットの草地で告げた想いへの返事。
この返事が嬉しくて、素直に笑って英二は分身のような恋人に笑いかけた。

「ありがとう、光一。俺にも光一は世界の全てだ、生涯のアンザイレンパートナーで『血の契』で、俺の夢で、山の恋人だよ。
俺たちはもう血を交わして繋がってるけど、今から体ごと繋がるよ?すこしでも痛かったら言ってくれな、明日は散歩に行くんだろ?」

朝は散歩に行きたいと、さっき光一は言っていた。
その願いも叶えてあげたいな?そう見つめた真中で雪白の貌は幸せにほころんだ。

「うん、散歩は行きたいね。おまえに色んなとこ案内したいんだ、きれいな池とかいっぱいあるしさ。だから英二こそ、無理しないでね、」

無理しないでね?なんて何だか可笑しい。
ついまた笑ってしまいながら、英二は陽気な恋人に謝った。

「俺ってセックスはかなり強いよ?変態痴漢って前に光一にも言われたけど、その通りなんだ。もし疲れさせたら、ごめんな?」
「やっぱ、おまえって絶倫タイプなんだ?」

透明な瞳をひとつ瞬いて、秀麗な貌が首傾げる。
そのまま困ったよう溜息を吐いて、素直に思ったままを光一は言いだした。

「デカいもんね、おまえって。いつも風呂で見るたびに思ってたんだよね、アレ入れられたらキツイだろ、よく周太は平気だなって。
俺のこと壊さないでよね?俺、今日がほんと初めてで、バージンで臆病なんだからね?これは山に登る大事な体なんだ、労わってよね?」

デカいだのキツイだの、なんだかすごい言われようだな?
これからすることへのムードも何も関係ない言い方が可笑しくて、けれど言っている貌は艶めいて惹きこむ。
困ったよう伏せた長い睫はランプの光に瑞々しく、やわらかな陰翳には清楚な艶がたたずんでいる。
艶めく黒髪と雪白の肌はコントラストに映えて、なめらかな頬の桜いろが香らす馥郁に初々しい。
上品な面差しも優美で美女と言う方が似合う、そんな風情に見惚れながら英二は微笑んだ。

―ほんと美人なのに、言ってることがこれだもんな?

容貌と言っている言葉のアンバランスが可笑しい、こういう所が自分は好きだ。
そして愛しいと素直に想いながら英二は綺麗に笑いかけた。

「大切にするよ、俺にとっても光一の体は大事なんだ。俺を夢の場所に連れて行くのは光一だけだ、だから信じて、俺に任せてよ?」

任せてほしい、この自分に今、一夜を。
そんな願いと笑いかけた先、見つめる透明な瞳は笑ってくれた。

「信じてなきゃ俺、こんなカッコは晒さないよ。英二、大切に俺を気持ち良くしてね?」

またストレートな物言いに笑いたくなる。
こんなに陽気なベッドの始まりは初めてだ?なんだか嬉しくて英二は綺麗に笑った。

「うん、気持良くするよ。信じて全部、俺に任せて委ねていて?光一、」

名前を呼んで、唇を重ねあわす。
ふれあうキスの温もり確かめながら抱き寄せて、バスローブの紐を解いていく。
かすかな衣擦れと抜きとり床へ落としながら、そっとシーツの上に恋人を沈めこんだ。
唇をキスで披かせ深めていく、絡めあわす熱に花の香あまやかに濃くなっていく。

「…光一、花の香がする、」

そっと囁いて、あわい桜いろの耳元に唇ふれる。
ふれた肌かすかにふるえて、ゆっくり紅潮昇らせるのを見つめながら英二は、白い衿に指を掛けた。
あわい紅いろ艶めきだす首筋にキスを辿らせ、手を掛けた衿くつろがせ白い肩が露になる。
なめらかな雪白の肌に黄昏は輝いて、きらめく艶に英二は笑いかけた。

「きれいだ…光一の肌、太陽が映ってる、」

笑いかけ視線をあげて、見つめた透明な瞳がこちら見つめてくれる。
途惑いゆれる瞳が泣きそうで痛々しい、初めて見る貌に微笑んで目許にキスをした。

「光一、そんなに怯えないでよ?ふざけている時は、えっちしよって散々絡んできたくせに?」
「…本番と、遊んでるのは違うね…お、怯えてもゆるしてよ…」

途惑うまま見つめてくれる眼差しが、無垢の子供のまま困っている。
こんなに初心だなんて意外で、けれど納得しながら英二は白い額にキスをした。

「どんな光一も好きだよ、だから正直なままの貌して、感じていて?…光一、」

呼びかけた唇かさねて、あまやかな熱の香に酔わされる。
いつも光一をくるむ高雅な香は今、こまやかに熱く香たって肌からふれていく。
紅潮に昇りだす香ごと抱きしめて速い鼓動ふれる、雪白に艶めく胸元に唇ふれてバスローブを腕から抜き取った。
脱がされていく感触に細い肢体ふるえて瞳は怯える、けれど絡め獲った衣を床に落として英二はベッドに身を起こした。

「…ほんとに綺麗だ、光一、」

見おろした雪白まばゆい肌に、見惚れて笑いかける。
あわく桜いろ艶めく肌は黄昏に映えて、黒髪こぼす貌の瞳は透明に潤んでいる。
いまにも泣きそうで儚げな貌、見たことのない表情に彩られた美貌の色香に惑わされていく。
燻らされる花の香あまやかに沈むなか、英二は腰の紐を解いて肩からローブをすべらせ落とした。

「光一、俺の体温を感じてよ?…肌と肌でふれあって、感じて、」

囁いて抱きしめる、その腕に胸に熱はかすかに震えている。
どうして良いか解からない、そんな緊張すら艶めく貌に魅せられてしまう。
重ね合わせた素肌はやわらかに添い心地いい、うすい皮膚を透して速い鼓動がふれる。
重ねた胸に鼓動を聴きながら薄紅の唇キスして、端正な胸に唇よせて白いしなやかな腰を抱きしめる。
どこか光籠らせた肌ふれる唇、そのまま脚の付根にふれさせ淡い繁みへ触れて、桜いろの花芯を含んだ。

「…あっ、」

透明な声が細く啼いて、黄昏まばゆい腰がゆらめく。
逃げそうになる白い腰、けれど腕に抱きしめ捕えて含んだ熱を感覚に絡めとった。

「や、…っぁ、ぁ…え、いじ、」

呼んでくれる名前、とぎれそうで、けれど艶あざやかになる。
初めて聴く声が紡がれるテノール、その声をもっと聴きたくて熱深く絡まらす。
唇ふくんだ膨らみ硬くなるまま喘ぎはこぼれ、がくんと腰がふるえた。

「あっ、ぁ…ぁぁ…っ、」

艶めく叫びに花芯は脈うち、あまい潮が花の香と口に広がらす。
そのまま飲み下し舐めとっていく、舌の動きに白い腰がふるえて身悶える。
ひとつの動きにも敏感に応えてしまう肌と声に、酔わされるまま英二は笑いかけた。

「ごちそうさま、光一の甘くて旨かったよ、」
「…あ、いまの、飲んじゃっ、た、わけ?…」

あがった呼吸に途切れながら訊いてくれる、その瞳が潤んで涙ひとすじ零れだす。
初心だと言う言葉の通りに途惑い、けれど素直に反応してくれるのが愛しくなる。

「可愛いな、光一、」

想うままを笑いかけて、サイドテーブルのペットボトルに口付ける。
冷たいレモン水をひとくち飲み下して口を清め、微熱うかされたような恋人の貌を見つめた。

「光一は感じやすいな、いっぱい気持ちよくしてあげるよ…光一、」

笑いかけ唇を重ねさせ、うなじにキスをなぞらせて背中へと赤い花ひとつ刻む。
そんな愛撫にも雪白の肌はふるえて、切ないテノールが静かな部屋にこぼれていく。
もっと快楽を教えてあげたい、そんな願いのまま肌たどらせキスした腰をそっと抱き上げる。
腰の下、やわらかな白い肌の深くに秘める窄まりに唇つけて、そっとキスで解きだすと花の香あふれて透明な声が悶えた。

「あ、そ、んなこと…っ、ぁぁ、」

艶めく透明な声と、あまく清々しい香に魅せられるまま蕾に口づける。
ふれる襞をなぞり舐めとるごと強張りが解け、やわらいだ窄みに舌を挿しこんだ。

「っ、…え、じ…?ぁ、」

驚いたよう呼ばれた名前が、吐息に途切れる。
その声の続きを聴きたくて、石鹸と花の香らす蕾をゆっくり愛撫した。

「ぁ…っぅ、ん、ぁ、ぁ…」

響きだす切ない声、その愛しさにあわい繁みふれて花芯を掌に包みこむ。
ゆるやかに震わすよう動かせる、その掌ふくらかに硬くなるまま熱を蘇らせる。
熱くなるごと喘ぎの艶は深くなる、唇ふれる蕾ほどけだして雪白の肌も強ばりが緩まっていく。

「ぅ…ん、あ…き、もちい、い…えいじ…ぁ、」

あまくなっていく声、やわらかくなる肌と撓んでいく体。
力とけていく肢体は委ねられ息づきは甘い、その吐息に微笑んで英二は唇を離し、サイドテーブルに腕を伸ばした。
ペットボトルに唇つけて水を飲みこむ、そして箱からプラスチックの包みをとり口に咥えて封切らす。
取出した薄い膜を自分にまとわせながら、見つめた雪白の貌は微熱うるむよう微笑んでくれる。
与えられた感覚に眼差しは艶めいて、無垢なまま熱っぽい瞳へと英二は微笑んだ。

「色っぽくてどきどきするな、光一の目、」
「…おまえこそ、だね…変な気持になる、ね」

吐息まじり答える声が、含羞ごと艶やかに微笑んでいる。
その声が告げる意味を聴きたくて、ボトルをとりながら英二は笑いかけた。

「変な気持って、どんな?」

問いかけに、潤んだ瞳が困ったよう羞んでしまう。
桜いろ上気する肌をシーツに横たえたまま、透明な声は微笑んだ。

「…色々されたくなるね…もっと俺の体に触ってほしくなる、こんなの変だね…?」
「変じゃない、光一、」

言われた言葉に嬉しく笑って、見下ろす薄紅の唇にキス重ねた。
熱くなる香に唇ふれあいながら片腕に抱き寄せて、ボトルの液体を自分の芯に絡ませていく。
終えてボトルを戻し、濡らせた液体の絡んだ指をそっと恋人の蕾に挿しこんだ。

「…っ、」

キスのはざま吐息こぼれて、蕾の熱に指が絡まれる。
そのまま動かせ解き指をまた1つ挿しこんでいく、その度ごとキスから吐息が落ちる。
腕のなか細身の肢体は撓んで、遠慮がちな腕が背中に回されて、香と体温が触れていく。
指を動かすごと背の腕は縋りついて、添わせられる肌のなめらかさに幸せが熱い。

―愛しい、

心つぶやく本音に唇のキスは深く熱く花の香に噎せかえる、受け留める薄紅の唇からも熱は絡まりだす。
求めてキスに応えてくれるごと、やわらかに蕾ほどけだし緩まる緊張に指をそっと抜き取った。
その緩まりに尖端をあてがい腰を抱き寄せて、ほころびだす蕾に楔を挿しこんだ。

「…っあ、」

キスから透明な声が叫んで、白い顎が仰け反らす。
叫びに香あまく堕ちて吐息ふれる頬に熱い、悶えに眉が顰められ背中の掌が縋りつく。
濃く華やいでいく香のキスを解いて、薄紅のぼらす耳元に唇ふれて囁きを恋人に贈った。

「光一、いま少し繋がったよ…ゆっくり入れるから、痛かったら言って、」
「…ぁ、え、いじ…うれし、っ…」

応えてくれる声と、眼差しをこちらに向けてくれる。
泣きそうな瞳それでも熱に潤んで、顰めた眉は堪える貌に艶めいて紅潮があまい。
吐息こぼす唇は呼吸が浅い、瞳に涙にじみだす、それでも「痛い」とは言わない想いが愛しい。

―きっと痛いのに、初めてなら

風呂で温まらせながら、充分に解してはある。
それでも深く入れていくのは痛いはず、そう想うほど静かに慎重に挿し入れる。
深めるごと、なめらかな肌の奥で筋肉は強張らせ、暫くの後ゆるまっていく。
挿し入れ、止めてキスを交わし瞳を見つめ、耳を首筋を唇で愛し寛がす。

「光一のなか、温かいよ…すごく気持ちいい、」
「ほ、んと?…ね、俺ってイイ…っ?、」
「ほんとに気持いいよ…光一は気持ちいい?痛くない?」
「…ぅ、へ、いき…なんか変なかんじ、だね、…ぞくっ、ってな、て、」

途切れながら応えてくれる、あまい声。
いつもの明朗なトーンとも、飄々と笑う声とも違う、艶深い声はあまい。
この声をもっと悦ばせたい、もっと幸せな感覚に熱に攫ってしまいたい、その願いと体を深めていく。
深めるごと絡まりだす肌の熱に惹きこまれる、まだ初めての初々しい感触が犯したい欲になる。
けれど傷つけることだけはしたくなくて、そっと唇のキスふれあいながら繋がっていく。

「光一、痛くない?もう半分以上、入ってるよ…っ、気持いい、よ」
「いたくない、ね…ぁ、な、んか変だ、よ…ぁ、」

応えてくれる声に熱うかれだして、雪白の肌から緊張が溶けだし消えていく。
ゆっくりと馴染みだす二つの肌と熱、そのはざま薄い汗の雫と甘美な感覚が薄紅の唇こぼれだした。

「ぁ…な、に?…なんか気持い、ぁ、えいじ…っ、」
「そのまま感じて、光一?もうすぐ全部、繋がるから…っ、ぁ、」

囁いて体を熱へと沈め、感覚が背を奔りだす。
この感覚を追いたくて恋人を見る、その貌から眉の顰はあわくなっていく。
すこし披いた唇は濡れて、吐息は甘く深く色を変えて、ゆっくり英二の体を受入れだす。

「ん、っ…熱くて気持いい、え、いじ…もっと、入れてよね、つながりあいたい…ぁ、ぁっ…」
「光一、可愛いね…入れるよ、」

言葉に応えて深める熱に、長い脚が自然と開かれ受容れてくれる。
やわらかに花ひらく様な桜いろの肢体、その艶めかしい美貌と華やぎだす香に惹きこまれ、また深くする。
そうして真芯の全ては今、しなやかに艶めく肌の奥深くに受容れられ深く繋ぎあわされた。

「光一?いま、全部が入ったよ…」
「ほ、んと?…ぁ、ぁぁ…」

そっと揺らした腰に、透明な吐息こぼれだす。
ゆっくり揺らがす体のままに、応えて白い裸身はランプの光に艶めいた。

「ぁ、えいじ…っ、しあわせ…ぁぁ、…ぅ、っ、」

あまい声は透けるよう零れて、桜いろの頬に涙こぼれだす。
初めて魅せてくれる貌に見惚れて涙くちづけ、薄紅の唇かさねてキスに互いを繋ぐ。
抱きしめる体を深く添わせあい、長い脚を絡ませ右の掌をとり繋ぎあい、熱を交わし合う。
いつもザイルを繰りピッケルを握る掌、山を登っていくための手を互いに繋いで、深く想いごと融け合っていく。

「光一、好きだ…愛してる、俺を見て?…俺をかんじて?」
「…ぁ、お、れも…えいじ、」

呼びかけに、長い睫を披いて見つめてくれる。
熱に潤んだ瞳は無垢のまま艶めいて、英二の顔を映して幸せに微笑んだ。

「愛してる、英二…俺のアンザイレンパートナー、ずっと…、っ…」

涙ひとつ零し見つめて、そっと回した腕で抱きしめてくれる。
快楽に眉顰めながら顔を近寄せ、唇を重ねてキスをして、花の香の熱ふれあう。
そのキスの香と想いに微笑んで、唯ひとりのアイザイレンパートナーを英二は深く抱きしめた。

「ずっと愛してる…光一、唯ひとりの俺のアイザイレンパートナー、ずっと護って支えるよ…光一、」

呼びかけた名前に薄紅の唇が微笑んでくれる、その微笑をキスで繋ぎとめる。
交わす接吻けに見つめあう眼差し愛しいままに、視線に絡めて惹きとめ、結びあう。
ずっと憧れていた背中を抱きしめ、この手を山に導く掌を繋いで、夢を共に想う心を重ね合わす。

―ずっと隣で夢を駈けたい、抱きしめて支えて…最高峰へ生きていたい

想う本音が体を結ばせ、温もりごと自分のものだと抱きしめる。
その本音のままに見つめ合い、快楽を交わし合いながら心ごと、夢への契は山の夜に結ばれる。



あわい光ふれて、瞳が開かれていく。
眠りの残滓にゆれる意識、その視界に蒼い山影が映る。
ガラス窓を透かせる黎明の光、まだ昇らない太陽に佇んだアイガーは蒼い。

「…きれいだな、」

そっと微笑んで意識が目覚める、そして気づいた空気に英二は振向いた。
見つめた隣には高雅な香だけ遺されて、恋人はいない。

「光一?」

呼んだ名前に、応える声は無い。
ふれたシーツの波には香があまく、微かな温もりが掌にふれてくる。
起きあがり見渡す部屋に気配も見えない、その様子にベッドから降り浴室の扉を開く。
開かれた扉から、かすかな湯気とあまい香は頬を撫でて、けれど雪白しなやかな体は無かった。

「…どこに?」

呟いて、そのまま英二はシャワーの栓を開いた。
頭から冷水を被り肌を水滴が弾く、流れる冷たさに肌から意識がクリアになる。
ほっと息吐いて栓を閉めて浴室を出ると、タオルに水滴を拭いながらチェストの前に立ち、ふと英二は首を傾げた。

「…昨日のシャツが無い、」

昨日、下山して汗を流してから着替えた、白いシャツが無い。
光一と浴室に入るまで着ていたシャツは畳んでチェストの上に置いた、それが無い。
その代わりに光一が来ていたストライプのシャツは残され、けれど細みのパンツは無い。
どういうことだろう?考えながら手早くブルーシャツとカーゴパンツを着、合鍵を首にかけクライマーウォッチを左手に嵌める。
デスクから財布と携帯電話をポケットに入れ部屋の鍵を手にとったとき、もう1つの鍵が無いことに気がついた。

「どこまで?」

呟いてデスクを見直すと、光一の携帯電話も財布も置いたままになっている。
それも携えパーカーを掴んで、静かに扉を開き廊下へ出ると鍵を掛けた。

…かたん、

ちいさな音に施錠され、静かな廊下を見渡す。
まだ眠りの深い時間、誰もいない廊下を音も無く歩く衿元ふっと香が昇る。
いつも馴れてきた花と似た香、それが今朝は自分の肌深くから残り香らす。

―昨夜は現実の夢なんだ、

そっと香に夜の夢を想いながら、階段に着き下りへ足を踏み出す。
その吹きぬけを、ほのかに響いてくる音に足が止められた。

―ピアノだ、

まだ眠りの早朝、けれどピアノが聴こえてくる。
高く低く歌う音、そのトーンに懐かしさを見て踵を返し、階段を昇り始めた。
昇っていく階段の向こう、歩を進めるごとピアノは静かに響いて、旋律が近くなる。
その旋律に微かな声が和しだす、その透明なテノールが謳いあげる言葉が、途切れながら聞えだす。

……

君を想う…

奏であう言葉……君が傍に居るだけでいい 
微笑んだ瞳を失くさないため…見えない夜も……君を包む

それは僕の強く変わらぬ誓い……愛する…
明日へ向かう喜びは 真実だから

The love to you is alive in me …… for love.
You are aside of me … every day

……

日本語と英語まじりの歌詞は、聴き馴染んでいる。
それ以上に謳う声を知っている、その声を辿って足音も無いまま階を昇っていく。
そして辿り着いた最上階、ホールいっぱいの窓にモルゲンロートは輝き、グランドピアノの木肌を艶めかせた。
いま夜が拓かれていく光、この暁の静謐に透っていく声は囁くよう優しく、きらめく光のなかを謳う。

……

残された哀しい記憶さえ そっと 君はやわらげてくれるよ
はしゃぐように懐いた やわらかな風に吹かれて 靡く、
あざやかな君が 僕を奪う

季節は色を変えて、幾度廻ろうとも この気持ちは枯れない花のように
夢なら夢のままでかまわない 愛する輝きにあふれ胸を染める
いつまでも君を想い…

……

グランドピアノの向こうから透明なテノールが静かに歌う。
アイガーの曙光に黒髪はゆれ、艶やかな髪のした雪白の横顔が謳っている。
その白いシャツ姿に微笑んで、静かに歩み寄ると恋人を背中から抱きしめた。

「この歌、好きだよ…ピアノも歌も、光一のこと本当に大好きだ、」

囁くように想いを告げて抱きしめる腕に、そっと白い手を添えてくれる。
さらり黒髪ゆれて雪白の貌が見上げ、透明な瞳が幸せに微笑んだ。

「良かった、俺のこと朝になっても好きなんだね?」
「好きに決まってるだろ、」

即答して抱きしめたまま、白い頬にキスして唇にくちづける。
ふれる花の香があまく優しい、その温もりと香にほっとして英二は恋人に笑いかけた。

「好きじゃなかったら、昨夜みたいなことは出来ないだろ?どうして光一、そんなこと言う?」

どうして言うのだろう?
そう目で訊いた先で、まばゆい笑顔ほころばせ答えてくれた。

「昨夜のコト、ほんと幸せだったからね。夢を見たのかなって思ったんだ、でも、現実だったんだね?」
「現実だよ、全部。ほら、」

答えて英二は、自分の衿に指をひっかけ少し寛げた。
覗かせた首筋と肩口に薄紅の痕がある、その花びらと似た痣に光一は笑ってくれた。

「それって俺のキスマークだね?肩のとこは記憶あるけど、首のとこって寝惚けたかね、」

可笑しそうに幸せな笑顔を咲かせてくれる。
その笑顔を暁が照らしだして、うかびあがった貌に英二は息を呑んだ。

―きれいだ、本当に

透明に艶やかな肌は澄みわたり、無垢の瞳きらめいて笑う。
前と同じよう底抜けに明るい目、そこに深い艶と幸福まばゆく輝いている。
生来の美貌に今、内から光を照らすよう明るんで眩しいほど、光一は美しくなった。
こんなふうに一夜で変った姿に驚きながら素直に嬉しくて、幸せで、そして誇らしい。

「光一、すごく別嬪だよ?いつもの倍以上にさ、」

想い素直に笑って、薄紅の唇にキスをする。
ふれるだけで離れるキス、けれど幸せに笑って透明な声は言ってくれた。

「ありがとね、だったら英二のお蔭だよ?昨夜が幸せだったから、ね、」

綺麗な笑顔みせて、白い手を伸ばし唇ふれてくれる。
花の香にキス交わして微笑むと、しなやかな指は白と黒の鍵盤と遊ぶよう奏でだす。
そして透明なテノールは静かに響き、流暢な英語で旋律を歌い始めた。

……

I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need.  I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful 
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever

Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure and the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever

Oh, can you see it baby? You don't have to close your eyes 
'Cause it's standing right here before you All that you need will surely come

I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever

……

美しい音と声の響きあいに、記憶が幾つも目覚めだす。
周太と聴いたIpodの記憶たち、光一と四駆で聴きながら結んだ約束。
あのときピアノコピーを自分はねだった、その約束の通りに光一は今ピアノと歌ってくれた。

「ありがとう、光一。リクエストに応えてくれて、」

嬉しくて笑いかけた先、雪白の貌は幸せに微笑んだ。
鍵盤にフェルトのカバーをかけて蓋を閉じる、そして立ち上がると愉しげに笑ってくれた。

「じゃ、今度は俺のリクエストに応えてよね?朝飯を食ったら朝の散歩して、酒屋に行くよ?それから、」

言いかけて、けれど恥ずかしげに微笑んだ唇は閉じられる。
それでも言いたいことは伝わった、その伝心に英二は綺麗に笑いかけた。

「一日中、酒を呑みながら光一のこと抱え込むよ、」

答えに雪白の貌が笑ってくれる、その幸せそうな瞳が明るんで優しい。
この笑顔を今日は見ていたい、そんな想いと英二は訊きたかったことに微笑んだ。

「光一、どうして俺のシャツを着たんだ?」

問いかけに透明な瞳はそっと睫を伏せて、頬にあわく赤色がさす。
綺麗な含羞を魅せながら、ためらいがちに薄紅の唇が披かれた。

「おまえの気配、感じたくて、ね。勝手に着て、嫌だった?」
「なんか嬉しいよ、そういうの、」

想ったままを口にして、英二は綺麗に笑いかけた。
その笑顔に微笑んで、そのまま遠慮がちに光一はねだってくれた。

「あのさ、嫌じゃなかったらこのシャツ、もらっちゃダメ?…代わりに好きなの、弁償するからさ、」

自分が着ていた物を欲しがってくれる、その想いに帰国後の現実が起きあがる。
昨夜が初めてだった光一の心と体の願いが切ない、そして愛しさに英二は頷いた。

「いいよ、あげる。そこの服屋で選んでもいい?」
「うん、いいよ。ありがとね、」

ほっとしたよう笑って、そっと白い手が衿元を直した。
そんな様子も言ってくれた言葉も無垢がまばゆい、綺麗で見惚れながら英二は笑いかけた。

「この窓ってテラスに出れるんだろ、出てみようよ?」
「うん、イイね。アイガーでかく見えるし、」

笑って踵を返し並んで歩いてくれる、その肩に英二は持ってきたパーカーを羽織らせた。
たぶん初めての夜に不慣れな体は疲れただろう、そんな時に冷えさせたくはない。
そんな想いの英二へと、底抜けに明るい瞳は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとね、英二。俺の体、大切にしてくれて。昨夜も今も、ね」
「約束は守るよ?」

笑って答えながら窓へと歩く隣、並んで歩きながら楽しげに笑う。
こうして共に歩いて外へ行く、それがいつの間にか「普通」に自分たちはなった。
けれどこの普通すら、少なくとも1ヶ月間は離れてしまうことになる。その現実が今、殊更に寂しい。

―抱き合ったからだ、昨夜…ひとつに結ばれたから離れるのが辛くなる

近づいて、融け合った記憶は幸せが甘く温かい。
けれど幸せすぎる記憶は引き離されるとき、その温もりの分だけ傷みは鋭い。
この傷みごと自分は覚悟して昨夜を選んだ、だから傷みの強さだけ誇りも心も、きっと強くなる。
この幸せを愛しいと想う分だけ傷む、その傷みは愛しい分だけ苦しくて、愛しさの分だけ護りたくて強く力を培っていく。

―そうやって護れば良い、光一のことも周太のことも

ふたりは自分の大切な「唯ひとり」たち。
それは比べることなど難しい、似ているけれど正反対の想いに愛しているから。
そんな2人と離れてしまう日が迫る、明日の帰国を迎えたら8月一日はすぐ訪れてしまう。
そうなれば自分と光一の間には「部下と上司」という肩書が挟まって、隔たりは生涯ずっと続いていく。
けれど、自分たちは「山」に行ける、それは生涯変ること無いアンザイレンパートナーに誓える。

人間の範疇を遠く離れた蒼穹の点、冷厳が支配する生死の境でお互いを見つめ合える。
アイガー北壁の頂上と同じに援けあって、マッターホルンの天辺のよう笑ってキスを交わせばいい。
それは自分にとって幸せだ、そんな想いに山の恋人へ微笑んで窓を開きテラスへ出ると、風が靡いた。
ふっと吹きこむ氷河の風がシャツを透かし冷たく触れて、衿元から高雅な残り香を昇らす。
そして見上げたアイガーは曙光を映し、頂上雪田は輝いた。

「あの場所が、光ってるね、」

ため息吐くようテノールが言って、そっと白い手が腕を掴んでくれる。
いまモルゲンロート輝く頂上雪田で昨日、北壁が捕えた風に自分は斃され滑落しかけた。
あの瞬間の選択と記憶に微笑んで、英二は腕を掴んでくれる手に掌を重ねながら綺麗に笑いかけた。

「きれいだな、あの場所も、」

告げた言葉に無垢な瞳が見上げてくれる。
透けるような眼差しは泣きそうで、けれどテノールの声は笑ってくれた。

「おまえもタフだね、危なかった場所をそう言えるなんてさ?そういうトコほんと好きだよ、」

笑いながらも言ってくれる声に、光一の不安が解かる。
その不安を拭ってあげたい、そんな想いと見つめた雪白の貌にモルゲンロートの薔薇色が映えていく。
いま山と太陽の光を映していく頬に、そっとキスをして英二は綺麗に笑った。

「光一、俺は生きて約束を守るよ?約束は全部、絶対に叶える。光一との約束も周太との約束も、全部だ。だから当分死ねないよ、」
「うん、守ってね」

短く頷いて笑ってくれる、その無垢がまぶしく愛おしい。
この笑顔をずっと見ていたい、そして遥かな東で待ってくれる笑顔も護りたい。
そんな願いにまた1つ覚悟を見つめながら、今、暁に目覚めていく偉大な壁へと英二は微笑んだ。







【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「叙情詩」savage garden「Truly, madly, deeply」】



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言葉説明:アルパインクライミングact.1

2012-11-22 04:03:29 | 解説:用語知識
山の言葉たちと技術



言葉説明:アルパインクライミングact.1

アルパインクライミングの和訳は山岳登攀、天然の岩壁や氷壁を登ることです。
読んで字の如く山の岩壁を攀じ登る登山方法で、氷壁の場合はアイスクライミング=氷壁登攀とも言います。
これには様々な技術と道具を使いますが、第58話「双壁」に多く登場した用語を補記します。

【アイゼン】
正式にはシュタイクアイゼンと言い、クランポン、かなかんじきとも言います。
固い雪や氷の斜面を登降する際に登山靴に装着する、鋼鉄の爪「ツァッケ」がついた滑り止めの金具です。
ツァッケの材質はクロムモリブデン鋼やチタンなどが使われ、10本爪または12本爪が標準になります。
12本爪アイゼンには爪先部分に2本or4本の蹴爪「フロントポイント」があります。
4本爪の「軽アイゼン」は夏の雪渓などで使います。
アイゼンの裏に雪がつくことを「団子になる」と言って、これを防ぐ板を「スノーシャット」と言います。

 


【ハーケン】
ロッククライミングで確保支点を作るために、岩の割れ目に打ち込む金属製の楔です。
ハーケンが岩にしっかり撃たれ効いていると、打撃音が「キンキン」と甲高い音に変化します。これを「ハーケンが歌う」と言います。
シャフトがネジ式で回転し捻じ込むタイプは「パイプスクリュー」「アイススクリュー」です。

【カラビナ】
ドイツ語「カラビナハーケン(Karabinerhaken)」の省略形で、バネ式の開閉部がある金属製の輪っかのことです。
プロテクション=確保点になるハーケン等とザイルを繋ぐ、ハーネス=安全ベルトを繋ぐなど、様々な登攀器具を接続する器具です。
開閉部は「ゲート」といって、ゲートを固定できるタイプは「安全環付きカラビナ」と呼ばれます。

【ハンマー】
ハーケンを岩の割れ目に打ち込んだり、回収したりする手鎚です。

【ピッケル】
氷雪地帯を登攀する道具で所謂「つるはし」のことで滑落停止、足場切り、確保支点など多様に遣われます。
ピッケルの柄の部分を「シャフト」、金属頭部は尖った方が「ピック」平たい方が「ブレード」です。
差シャフトの先端になる「石突」を「スパイク」「スピッツェ」とも言います。
ピッケルと手首や体をつなぐベルトは「ピッケルバンド」です。



【コンティニュアス】
ザイルで結びあった複数の者が同時に移動する登り方です。
2人組ならトップはランニングビレーをとりながら、セカンドは回収しながら登攀します。
トップで登攀をリードする人が「リード」、ラストで登攀するザイル他を回収する確保者が「ビレイヤー」です。
国村と宮田は基本この方法で、国村がトップ=リード&宮田がセカンド=ビレイヤーを務めています。

【ランニングビレー】
メインザイルをハーケンにセットすることで、リードで登っているときにとるプロテクション=確保点のことです。
中間支点とも言い登攀者(トップ=リード)と確保者(セカンド=ビレイヤー)の間に取る支点を言います。

【アンザイレン】
ザイルでお互いを繋ぎあい、万が一の滑落などに備えることです。
アンザイレンパートナーの力量や体格差が大きいと、実際に滑落や墜落があった時に支えきれず、共倒れになる危険があります。
そのため素人でのアンザイレンが原因で、集団滑落や墜落といった遭難事故の実例も少なくありません。
第58話「双壁8」冒頭に書いたE・ウィンパーの仲間4人が滑落死したのも、この実例です。

【予備日】
山行にかかる予定日数に、アクシデント等で遅れる事を予想してプラスした日。
特に遠方や難易度の高い山である場合には設けて、焦って事故を起こさないように備えるものです。

【ルート】
登山する道筋のことです、この道を見つけることを「ルートファインディング」と言います。
この能力が国村は秀でている為、「バリエーションルート」と呼ばれる道標無しの登攀ルートも得意です。
バリエーションルートで作中なら槍ヶ岳北鎌尾根、マッターホルン北壁シュミッドルート、アイガー北壁ヘックマイヤールートなど。
一般的な登山道は「クラシックルート」や「ノーマルルート」、マッターホルンならヘンリル稜、アイガーはミッテルレギ稜などです。

【行動食】
登山の時に疲労防止に栄養補給する食べ物で、高カロリーかつ吸収が速いものが好まれます。
飴やチョコレートなど甘いものからサラミなど、個人の好み次第です。
宮田は蜂蜜オレンジのど飴、国村はアーモンドチョコレートを好んでいます。






【引用資料:高知鷲尾山岳会HP・登山用語集】

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第58話 双壁act.13―side story「陽はまた昇る」

2012-11-21 23:49:42 | 陽はまた昇るside story
叶い、潰え、そして明日に見る夢



第58話 双壁act.13―side story「陽はまた昇る」

標高3,970mに黄昏が輝きだす。
遥かな1,800mからアイガーの光はガラスを透かし、絨毯に窓枠模様を描く。
ゆっくり薄暮の訪れる部屋、太陽の光芒に雪白の頬をさらして光一が問いかけた。

「おやじさんが周太のおふくろさんを、か。会ったのは3月の時だけだろ?」
「ああ、川崎に姉ちゃんと挨拶に来てくれた、あのときだけだ、」

春3月、雪崩に遭った直後の静養をする川崎に、父は姉と訪れた。
あのとき父は初めて周太と美幸に会い、2時間ほどの訪問で親しんだ。
あの日と先日に見た父の表情を記憶に見つめて、英二は噤んできた口を開いた。

「3月の時、父さんはお母さんに言ったんだ。素敵な人だ、あなたも家も周太くんも心から居心地が良い、同じ男として息子が羨ましい。
居心地のいい愛する伴侶と居場所を自分で選び手に入れる、これは男の幸せです。そう言ってくれて、あのときは俺、単純に嬉しかった。
でも、このあいだ久しぶりに実家に寄ったとき、別れ際に父さんは言ったんだ…俺がお母さんに花を贈るって話した時、言われたんだよ、」

夏の木洩陽ゆれる実家の庭で見た、沁みるよう優しい父の表情。
あんな貌を父がすることを知らなかった、あの瞬間の想いに英二は静かに微笑んだ。

「あの方を大切にしているんだな、おまえも。そう父さんは言ったんだよ、おまえも、って…あんな優しい貌の父さん、初めて見たんだ」

静かに告げる言葉の頬を、微笑と涙が過ぎっていく。
いま軟膏を塗ってもらった頬も濡らしながら、溜めていた言葉を声に変えた。

「俺にも、姉ちゃんにも、あんな貌はしたことない。いつも父さんは優しいけれど、いつも微笑んでるけど、でもそういう笑顔じゃない。
周太が俺を見てくれる目と雰囲気が似てたんだ、恋してるって、憧れてるって、そういう目だったんだ…それで俺、すぐに解かったんだよ。
父さんは周太のお母さんに、美幸さんに恋してる。たった一度しか会っていなくても恋したんだ、俺が周太に一目惚れしたのと、同じだ」

笑った頬を涙は伝い、顎から膝へと落ちていく。
なぜ父が長男を手離すことに肯えたのか?その理由のひとつが恋ゆえだと解かってしまう。
この恋は父にとって家族より愛おしい?姉が知ったら、母が知ったら、どうなってしまうのだろう?
すでに分籍して捨てると覚悟した実家、去って悔いなど欠片も無い家、それでも涙こぼれていく。
いまスラックスに広がる濡れた温もりに英二は、静かな声のまま続けた。

「俺と父さんは性格が似てる、だから父さんの考えは解かるんだ、父さんは決めたら何があっても変えない、一目惚れでも本気なんだよ。
たぶん父さん、初めてまともに恋したんだ…ずっと法律ばっかりの仕事人間で、遊びも本を読むしかない堅物で真面目だけど、本当は情熱的だ。
そういうとこ俺と似てるんだ、いっぺん本気になったら動かない、恋愛もくそ真面目になって想い通す…だからもう無理だ、上っ面だけだ、」

もう無理だ、そう自分で言って抉られる。
抉った傷が広がるのを見つめながら英二は、この6年間抱いていた想いを吐きだした。

「両親は見合い結婚でさ、それでも父さんが良いって言って結婚したんだ。でも心が通った事なんて無い、恋愛なんて欠片も無い。
そういう父さんが寂しくて母さん、俺を縛りつけたんだよ?俺さ、本当は京都大学に行きたかったんだ、でも母さんは俺が家から離れるの嫌で。
それで勝手に内部進学決めてさ…きっと、父さんに言えば受験出来たよ?でも母さんの無理強いがばれたら、余計に父さんの気持ち離れるだろ?
だから俺、黙ってその大学行ったんだよ、俺が我慢したら両親が仲良くなる可能性は残る、そう思ってさ…でも結局は無駄だった、俺は馬鹿だよ、」

あのとき踏み躙られた信頼と誇り、ふたつ共が今ようやく泣ける。
この6年間の傷み零れだす涙、その頬を拭うことなく英二は綺麗に笑って、泣いた。

「俺の祖父母って仲良い夫婦でさ、そんなふうに両親にもなって欲しかったんだ、それで本当の我儘を自由に言わせて欲しかった。
でも、もう無理だ。父さんのことだから美幸さんへの恋は隠し続けるよ、でも止めない…だからもう、母さんには恋してくれないんだ。
母さんは確かに自分勝手で酷い、正直憎んでもいる、でも俺を生んだ母親は世界で1人なんだ、だから幸せになって欲しいけど、もう無理だ、」

もう願いは叶わない、ずっと自分が想っていたことは。
ふたつの岩壁を登り、また次の夢への想い充たされる幸福感。
それを掴んだ今日、明日から駈ける夢と引き換えのよう英二は、大切だった夢の終わりに微笑んだ。

「父さんと母さんに恋愛してほしかった、それで俺は想いたかったんだ、両親の愛情の結晶として自分は必要とされてるって。
こんなの子供っぽいけどさ、俺はそういうの憧れてたんだ。だから周太のお母さん、美幸さんは俺の理想の母親なんだ。俺の夢の人だよ?
そういう人を父さんが好きになっても仕方ないって想う、だって俺と父さんは似てるから。もう両親が恋愛しないって、納得するしかない、」

終った、子どもとして見つめた夢は。

もう父と母の恋愛は目覚めない、自分の意志と進路を枉げても望んだ夢は、もう叶わない。
ほろ苦い想いが胸を抉らせ傷は痛みだす、こんな想いを誰にも言えなくて今日まで抱いていた。
本当なら周太に話して泣いて、抱きしめてほしい。けれど、どうして周太にこの話を出来るのだろう?
そうして抱え込んできた想いに涙と微笑んで、唯ひとりのアンザイレンパートナーに英二は願った。

「光一、このこと誰にも言わないでくれ、周太にも言わないでほしい、絶対に…きっと周太、また自分を責めて俺と逢ったことも哀しむ、」
「言うわけないね、」

短く答えて、静かに透明な瞳が笑いかけてくれる。
静かに温かな笑顔で白い掌を頬ふれさせ、そっと撫で涙を拭っていく。
その掌に自分の掌を重ねて、信頼するパートナーへと英二は綺麗に笑いかけた。

「ずっと俺は想ってたんだ、誰かに必要とされたい、愛されたいって。無理しないでも、ありのままの俺を必要とされて、愛されたかった。
だから夜遊びに嵌ったんだ、セックスすると愛されてるって錯覚出来るだろ?錯覚でも嘘でも良い、一瞬でも愛されてるって想いたかった。
でもそういうの虚しくて、するだけ苦しくて余計に母親を恨むようになった。そういうの全部、周太と美幸さんが受けとめてくれたんだ。
ただ隣に居てくれるだけで楽になる、言葉が無くても解かってくれる、このまんま俺を受容れてくれる、それが嬉しくて恋したよ。だから、」

だから、そう言いかけて涙ひとつ零れだす。
重ねたふたつの掌に涙ふり絡め落ちていく、その温もりに英二は泣いた。

「俺を救ってくれたのが周太と、美幸さんなんだ。ふたりは俺にとって救いで、天使みたいだよ?そういう2人を馨さんから俺、預ってる。
なのに俺の父さんが美幸さんのこと、恋してさ?そういうの馨さんに悪いだろ?美幸さんと馨さんの恋愛を邪魔するみたいで、嫌なんだよ、」

どうして父が美幸に恋するのか?
そんなこと本当は解かりきっている、自分と父は性格が似ているから。
だから父の気持ちは十分すぎるほど理解できる、それでも悔しい気持ちは込みあげてしまう。
このままだと父すら恨みそうになる自分がいる、苦しくて吐かれた溜息へと優しい瞳が明るく笑ってくれた。

「湯原のおやじさんからしたら、光栄なんじゃない?」

言われた意外に英二は目をひとつ瞬いた。
どういう意味だろう?そう見つめた先、テノールは朗らかに言ってくれた。

「自分の恋人が今もモテるくらい魅力的ってコトは、嬉しいよね?おやじさん達ってハトコ同士だし、好みが被るのもあるんじゃない?」

確かに父と馨は母親同士が従姉妹だから、はとこの血縁関係がある。
だから似ている部分があっても不思議はないだろう、実際に目許は馨と自分たち親子は似ている。
けれど馨に申し訳ない気持ちも強くて、そんな想い正直に英二は光一へと問いかけた。

「そうかもしれない、でも考えるんだよ。俺と周太が籍を入れたら、父さんと美幸さんは親戚になる。そうしたら会う機会も増えるだろ?
会えば気持って強くなるだろ、そうしたら母さんも美幸さんも傷つくことになる。きっと周太が一番に傷つくよ、それが怖くて…解からなくなる」

そんなことになったら、どうして良いのか解らない。
自分が周太に恋をして愛した、それが両親と美幸をこんな形に変えていくなんて?
結局、自分は周太を泣かせるのだろうか?この迷い抱え込んで沈みかける、そんな額を白い指が弾いた。

ばちん、

勢いよく音がして、じわり額に熱の傷みが広がらす。
滲んでいく痛覚に顔しかめた向かいから、底抜けに明るい目が呆れたよう笑ってくれた。

「ほんと馬鹿だね、おまえはさ?恋愛なんざ結局のトコ、本人同士が解決するモンだね。それも相手は立派な大人のひと達だろうが?
色ボケ変態のおまえなんかよりね、おやじさん達の方がキッチリ考えて動けるはずだよ?そこらへんは信用してやんなよ、子供としてさ。
で、万が一に間違えそうになった時に止めてやればイイ。そん時に考えれば良いのにね、余計なコトで悩んで頭使ってんじゃないよ、」

笑って光一は立ち上がると、長い腕を英二の肩に回してくれる。
そのまま懐に抱きよせて、やわらかなテノールが微笑んだ。

「ほら、胸を貸してやるよ。好きなだけ泣きな、そんで元気になってよね。朝になったら散歩に行くからさ、笑って歩きたいだろ?
だから今夜のうちに泣いて、スッキリしちまいな。言いたいコト全部わめきながら泣けばイイ、俺が抱きしめてるから安心して泣きな、」

言ってくれる言葉もシャツを透かす胸も温かい。
その温もりに頬よせた英二へと、透明な声は笑いかけてくれた。

「それからね、えっちで愛を錯覚するとか嘘でも良いとか、もう二度と言うんじゃないよ?おまえには周太がいるんだからね、」
「うん、ありがと…、も、言わないよ」

素直に答えた声に、ずっと溜まりこんだ想いは解けて静かに涙と流れだす。
ただ黙って涙あふれて、頬ふれるシャツへと浸みこんで想いごと受け留められていく。
やさしい頼もしい懐に頬よせるまま腕をシャツの背中に回す、細身の強靭な肢体が掌ふれる。
いつもの清々しい甘い花の香が体温ごとくるんでくれる、その温もりから透明なテノールが、そっと微笑んだ。

「俺だっているんだよ、英二?おまえと愛し合いたいのは周太だけじゃない…ね、」

告げられた言葉に、英二は顔を上げた。
見上げた先で雪白の貌は微笑んで、透明な瞳が見つめてくれる。
その眼差しに問いかけたくて、引き寄せて膝に光一を座らせると、静かに瞳を覗きこんだ。

「光一、ストレートに聴くけどセックスの経験って、どのくらいある?」

ちゃんと訊いてみたいと思っていた。
悪ふざけの頃は光一から英二に触ってきた、けれど今は違う。
その違いに思っていたことを確かめたい、そんな想いと見つめた無垢な瞳はすこし羞んだ。

「うん…女との初体験はね、好奇心もあって遊びで済ませたよ。でもその女とは、キスはしていない、」
「なぜ?」

どうしてキスはしなかったのだろう?
そう目でも訊いた英二に、光一は正直に答えてくれた。

「雅樹さんとのキスを大切にしたかったんだ。だからキスは、本当に恋した相手とだけしようって決めてた、」

本当に恋した相手とだけ。
その相手が誰なのか解かる、それを英二は率直に口にした。

「周太とはキス、何回した?」

質問に、透明な瞳がすこし大きくなる。
かすかな強張り、けれど光一は素直に微笑んだ。

「唇は一度だけだよ、あれが最初で最後だ。だからね、吉村先生の病院でおまえにキスしたのが、俺の3回目だよ、」

告げてくれる瞳は羞んでも真直ぐで、何も隠さない。
どこまでも信じ応えてくれる、その想い見つめて英二は最後の質問をした。

「光一はセックス、何回したことある?」

問いかけた言葉を光一が見つめる、なめらかな頬が微かに赤らみだす。
困ったよう微笑んで、端正な薄紅の唇は静かに答えてくれた。

「一度だけだよ、初体験で一回して、そのあとご無沙汰しちゃってるね、」

やっぱりそうだった。
思っていた疑問の答えに微笑んで、けれど英二は確認した。

「その割には光一、キスが巧いよな?1月のとき強姦のフリで触られた時も巧かったしさ、経験豊富に思えるけど?」
「でも本当に俺、一回しか現場の経験は無いんだよね、」

すこしだけ拗ねたような困り顔になって、光一は見つめてくれる。
その裏付けをするようにテノールの声は、明確に教えてくれた。

「高校の時は山と畑と射撃部でさ、そのあとは山と畑と警察だ。ずっと忙しいから暇も無いしね、何より、ヤるなら好きな人がいい。
周りは俺を遊び人って思ってるけどね、しょっちゅう山でビバークして朝帰りしてたのと、寄合でエロオヤジになった所為なんだよね、」

山のビバークで朝帰りは光一らしい、そんな「らしさ」が楽しくなる。
けれど知らない単語の登場に、英二は素直に訊いてみた。

「よりあい、って何?」
「町の人で話し合う集会みたいなのだね、月一くらいで田舎だとあるんだよ。俺のとこは町のと青年団のとある、」

明瞭な説明に教えてくれる内容は、よく光一が出る会合のことだろう。
それが「エロオヤジ」になる経緯を明朗な声は教えてくれた。

「でさ、オヤジが亡くなった時から俺は、青年団のに出てるんだよ。町のにも祖父さんの代わりに出る時もあるから、月二回とかある。
で、話し合いが終わると宴会なんだけどね、酒が入ればオッサンたち、話題はエロが豊富になっちゃうだろ?それで俺は耳年増になったね、」

教えられたことに、今までの全てに納得が出来る。
これで光一の態度への疑問が解けた、理解に英二は恋人へと笑いかけた。

「良かったよ、光一が経験豊富じゃなくってさ。エロオヤジでも初心な光一が好きだよ?」
「なに、経験豊富ならダメだったワケ?」

気恥ずかしげに赤らめた貌で、けれど明るく笑ってくれる。
いつもの底抜けに明るい目が嬉しくて、英二は綺麗に笑いかけた。

「俺は嫉妬深いからさ、光一の相手を全員嫉妬するよ?でも、雅樹さんと周太は仕方ないって思うけど、」

言った言葉に透明な瞳がすこし大きくなって、英二の目を見つめてくれる。
その眼差しに微笑みかけた先、雪白の貌が和んで透明なテノールが言ってくれた。

「ソンナに俺を独占したいって、想ってくれるんならね?ちゃんと大切にしてよ、俺、ほんと初心みたいで…されるのは勇気がいる、」

率直な言葉と綺麗な笑顔が、真直ぐ英二を見つめてくれる。
その貌が綺麗で見惚れてしまう、そんな想いの真中で微笑んだ唇がそっと披かれた。

「おまえが負荷試験受けに新宿行った次の日、俺も新宿に行ったんだ。周太に異動のコト話してきた、」

その日は英二の週休と光一の通常勤務を交換している。
あのとき周太に逢いに行ったんだ?そう目で訊くと静かな笑顔は話してくれた。

「8月に異動したら英二とは上司と部下の関係になる、その前に抱かれたいって言った。秘密にするべきなのにね、狡いけど泣きついてきた。
秘密を背負わせるの嫌だって思ったけど、隠してバレるより先に聴きたかった、許してくれるのか。あのひとは俺にとって『山』と同じだから、ね」

『山への恋と、人間への恋ってコト。周太は俺にとって、山と同じだよ』

一昨日の夜、マッターホルン北壁を終えた光一が話してくれた想い。
山へ抱く敬愛と想いのまま光一は、ただ正直に周太の許を尋ねたのだろう。
そういう光一を周太は真直ぐ受けとめている、そんな信頼に英二は山の恋人へ笑いかけた。

「周太、一緒に秘密を背負う方が良いって、許すって言ったろ?」
「うん、喜んでくれた。幸せだよって、」

微笑んで小さな溜息こぼし、静かな笑顔で頷いてくれる。
そして英二の瞳を真直ぐ見つめて、光一は話してくれた。

「本当に大好きな人と愛し合うのは、幸せだよ。だから光一も英二と愛し合って、幸せになってほしい。そう言ってくれた。
英二には何も言わなくて良いっても言われたよ、だけど俺、いま言ってるね。おまえにも隠したくなくて…ごめんね、俺は我儘なんだ、」

どこまでも無垢で真直ぐな眼差し見つめて、穏やかな貌が微笑んでくれる。
いま黄昏の光きらめく貌は静かな勇気に気高い、その表情に伴侶の俤が重なってしまう。
もう10ヶ月前に見つめた「初めての夜」切なくても幸せだった瞬間の、周太の涙と笑顔が懐かしい。
そして一昨日に架けてくれた電話の声が、そっと記憶から微笑んだ。

―…光一の気持ちを素直に受けとめて、心も体も全部…俺に何も言わなくて良いからね?ふたりが幸せだったら、それで良いから
  本当の気持ちで向きあって、ふたりで夢を追いかけて?そう約束して英二、俺のお願いを聴いて?

あの電話の言葉たちは、光一が話してくれた「ゆるし」のことを言っていた。
そんな理解から尚更に恋い慕う想いは熱をあげて、いますぐ逢いたいと心が泣きだしかけていく。
あの初めての夜から今も、周太への想いは色褪せることなく深まってただ愛しい、そして跪いている。

―周太、どうしてそんなに優しい?そんなに純粋に人を愛せる?ただ幸せを心から祈って、

どうして周太はいつも、そうなのだろう?
いつも相手のことを結局は想って、それを本当に幸せだと喜んでしまえる。
そういう周太だから自分も光一も慕って、互いに見つめ合っても周太への許しを乞うてしまう。
いま遠く故郷で待ってくれる伴侶を想いながら、目の前に抱きしめている最高峰の恋人に英二は微笑んだ。

「言ってくれて嬉しいよ、ありがとう、」

笑いかけキスをする、その唇に高雅な香あまやかで蕩かされる。
見つめる静謐の貌は透けるよう佇んで微かな緊張に座りこむ、その緊張を恥らうようテノールの声が笑った。

「周太、今日は土曜で大学の公開講座だよね?下山したときメールしてたけどさ、返事って来た?」
「昼飯の前にメールくれたよ、光一が風呂入ってるとき、」

笑いかけて応えた先、透明な瞳が笑ってくれる。
いま周太を話題にした光一の想いを見つめながら、英二はメールの内容を口にした。

「おめでとうと、ご飯ちゃんと食べてねって心配してくれてた。あと大学の友達と先生と、美代さんと呑みに行くって書いてあったよ、」

数時間前に送られた文面を想い、微笑んでしまう。
周太には友達が出来た、その友達は英二と無関係の世界で出会っている。
そのことが何だか寂しくて、けれど嬉しくて笑った英二に光一も笑ってくれた。

「その友達、手塚ってヤツじゃない?美代が言ってたよ、長野の木曽で林業やってる家の子で、真面目だけど明るい良いヤツってさ。
メアドとか周太とも交換してたって言うし、今日の講義でノート借りるって言ってたんだよね。そいつと先生と4人で呑んでるんじゃない?」

たぶん光一の言う通り、彼の事だろう。
スイスに発つ前に逢ったとき、いつものベンチで周太は彼の事を楽しそうに話してくれた。
周太が本当に好きな世界を共に夢みる友人、それも美代と違って英二を通さず周太が独力で出会った友人。
どうか大切な良い友人になってほしい、そんな庇護者の願いに微笑んで英二は頷いた。

「うん、手塚くんだって書いてあった。学部の3年生で青木先生のゼミ生らしい、でも周太と美代さんを年下って思ってるかもな?」
「だね、美代もソレ言ってたよ。高卒で社会人2年目って勘違いされてるっぽいって笑ってた、ふたりとも童顔だしね、」

愉しげに答えてくれる笑顔、けれど緊張が羞んでいる。
たぶん光一は今夜をずっと覚悟して考えていた、それが周太に逢いに行ったことからも解かる。
それでも初心な心に体もすこし強張っている、この緊張すら愛しくて、ずっと憧れていた存在に英二は笑かけた。

「光一、もし周太に俺とセックスするの嫌だって言われたら、どうするつもりだった?」
「うん…諦めるつもりだったね、あのときは、」

告げて、透明な瞳が英二の目を視線に結ぶ。
ただ見つめ合ったまま、透明なテノールは想いを言葉に伝えてくれた。

「だけど今日、頂上雪田で英二が風に攫われかけたとき。本当に怖かった、失うのが怖くて嫌で、一瞬で冷静になってザイルを操ってた。
それで英二の顔みた瞬間、気付いたんだ。諦める事なんて本当は出来ないって…周太に嫌だって言われても、もう諦められない。だから、」

透明な瞳に黄昏が映りこみ、そっと頬へと零れていく。
きらめき流れていく想いの軌跡が白い頬を濡らす、その想いが愛しく見つめてしまう。
初めて写真に見た青い背中に憧れて、ずっと追いかけて今この膝に抱きあげている山の恋人は、真直ぐ綺麗に笑ってくれた。

「夕飯のミーティングでさ、俺のこと明日は一日じゅう抱え込むしかない、って言ったよね?そうしてよ、今から…明日は休みだし、ね」

言ってくれる言葉の意味が、透明な瞳に伝わらす。
ミーティングで言った「抱え込む」とは違う意味、そう告げてくれる唇にキスをして英二は微笑んだ。

「今夜は最後までしないよ、光一。初めて受身をするとき負担が大きいから、体を馴らさないとダメなんだ。それに準備もしてないだろ?
周太との初めての時、俺は準備も無いのに無理して周太を傷つけたんだ。あんな想いは光一にまでさせられない、もう後悔したくないんだ」

あの翌朝に見た、シーツの白に散らされた血痕の花。
暁の光に見つめた赤い色の悔恨は、ずっと心で泣き続けている。
大切なひとの体を愛することで傷つけた、そんな過ちを繰り返したくない。
そんな想いに見つめた光一は、そっと英二の膝から降りるとクロゼットへと歩み寄った。
その扉を開き光一のトランクを引き出し蓋を開く、そこから取り出した物を、ポンと英二へ投げ渡した。

「これ、どうして?光一、」

受けとったボトルを見て、驚いていまう。
いつも周太とのベッドで使う潤滑剤、それと同じものが今この掌にある。
これを一体どうして光一が持っているのだろう?問いかけて見た先で、困ったよう光一は微笑んだ。

「逢いに行ったときにね、周太が教えてくれたんだよ、薬局に連れて行ってくれて。これも、ね」

答えながらベッドのサイドテーブルに、白い手は箱を置く。
ことん、と鳴った箱も見慣れている。それを見とめて英二は椅子から立ち上がった。
デスクの前で止まり、首に提げた革紐を手繰り合鍵を外す。そして左手首からクライマーウォッチを外し、見つめた。

―周太、言ってくれた言葉を信じるよ?

そっと心つぶやいて、デスクに合鍵とクライマーウォッチを置く。
馨が遣っていた家の鍵と周太が贈ってくれた腕時計、この2つの宝物に微笑んで踵を返した。
そのまま光一の隣に行き箱の隣にボトルを置く、そして同じ高さの眼差しへと英二は綺麗に笑いかけた。

「こんなふうに気を遣って周太、本当に光一を大切にしてるんだな?光一が幸せになるようにって、本気で想ってるよ、」

どうして君は、こんなに優しくて勁い?
そう心で遥か遠い東へと呼びかけて、切なく温かい。
その温もりは、隣に佇んだ無垢の瞳から涙に変って、白い頬を伝いおちた。

「うん、だね?…俺って幸せだよね、あのひとにこんなにされて俺、ね…」
「幸せだよ、光一は、」

綺麗に笑いかけてキスをした、その唇のはざま涙は甘く温かい。
ふれる花の香と温もりに、北壁の上に見た冷厳支配する壮麗な青と白が蘇える。
あの場所に共に立って交わしたキスの温度が今、この瞬間ゆっくり熱く全身へと廻りだす。
ふれあわす唇から交わされる熱に抱き寄せて、そっとキス離れると英二は恋人へ綺麗に笑いかけた。

「おいで、光一、」

名前を呼んで抱き上げて、踵を返すとバスルームの前に英二は立った。
そして、その扉を開いた。






(to be continued)

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secret talk11 建申月act.7―dead of night

2012-11-21 06:42:07 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁」10と11の幕間、短編「secret talk11建申月6」の後です

山行、その想い出まつわる



secret talk11 建申月act.7―dead of night

見上げる巨大な壁の向こう、紺碧の空に星は降る。
銀いろの光は一面を輝かせ、澄みわたる夜の静謐に煌めいている。
紺碧と銀の覆う天穹のもと漆黒の闇は大きな腕を拡げ、右の際へ最後の太陽は沈んでゆく。
透明な朱赤の落日、たなびく金色の雲と中天から降る紺碧の夜。この瞬間に天空と山の織りなす一日の終わり。
その大らかな光の色彩たちへ、馴染んだ詩の一節が映りこんだ。

The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

  沈みゆく陽をかこむ雲達に、謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
  時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
  生きるにおける、人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
  慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる

nordwand北壁、そして一字違いでmordwand殺人岩壁
いま見上げる蒼黒に沈む闇の壁は、人を死すべき運命に惹きこんでいく。
数多の才能あるクライマーたちの生命を抱きこんだ岩壁、そんな場所を自分は数時間後に登っている。

「That hath kept watch o’er man’s mortality…」

人の死すべき運命、そう独り言こぼれた言葉にクライマーの因果を想う。
普通に考えたのなら生命の危険を冒すことは、愚かだろう。
それでも登りたいと願う自分がいる。

―あの壁を登ったら、世界はどんなふうに見えるだろう

わずかな気象変化にも豪風を呼び、己に這い上る者を落していくアイガー北壁。
それは許された者だけを登頂させる意志を感じさす、その意志に自分が叶うのだろうか?
自分より遥かに長く深い経験を持つクライマーでも「失敗」という名の死に捕まった、そんな場所に自分は登れる?

「英二、なに考えてる?」

テノールに笑いかけられて、英二は隣を振向いた。
振向いた先で雪白の貌は機嫌よくカップに口付け、熱い湯気を啜りこむ。
その無垢で底抜けに明るい瞳へと、英二は正直に想いを吐露した。

「ここってさ、有名なクライマーが沢山登ってるだろ?みんな俺よりずっと経験も才能もあって、でも中止したり亡くなったりしてる。
そういう場所に俺が登っても良いのかな?って考えてた。まだ1年も山の経験が無い、そういう俺が登るのは烏滸がましい気がしてさ、」

自分がまともに山に登ったのは、警察学校の山岳訓練が初めてだった。
あのとき初めて山の警察官という存在を周太に教えられ、それが周太を救う可能性に繋がる道と気がついた。
そうして外泊日の日曜午前中はクライミング施設があるジムに通い、登攀の基礎だけは何とか身につけて教本も読んだ。
けれど本チャンと呼ばれる山でのアルパインクライミングは、卒業配置された青梅署山岳救助隊の訓練が初めてだった。
まだ1年どころか10ヶ月、そんな短期の経験しかない自分ではアイガー北壁に挑むなど「愚か」と言われて仕方ない。
それでも後藤副隊長と蒔田地域部長は、英二の能力を信じて実績を積ませようと参加を決定してくれた。
その期待に自分は応えられるのか?そんなプレッシャーにも正直に英二はザイルパートナーへと笑いかけた。

「本当はさ、今回の訓練に俺が参加することは、反対意見の方が多かったんだろ?青梅署以外では。それでも副隊長たちは信じてくれた。
それは俺にとって本当に嬉しいんだ、だから余計に今、ちょっとプレッシャーって言うのかな?失敗できないって肩に力が入ってるんだ、」

期待とその反対意見、信頼と不安の眼差し、自分に必要とされる実績は容易ではない現実。
様々な利害と意図が自分を取巻いている今の現実を、去年の今ごろは想像も出来なかった。
その全ての始まりになる人は、底抜けに明るい目で英二に笑いかけた。

「そりゃ無理ないかもね?どれ、」

気軽にテノールが笑い、白い顎をあげてカップを飲み干した。
黄昏の闇にも映える白い手が草地にカップを置く、そして長身は立ち上がると英二の背後に回った。

「ほら、カップこぼさないように気を付けてね、いくよ、」
「え?」

なんだろう?そう見上げた紺碧の空に、雪白の貌は大らかに明るい。
その白い手を英二の両肩に置くと、なめらかな指がゆっくり揉み解しはじめた。

「うん?ちょっと凝っちゃってるね、下山の後と昨夜と、ちゃんとマッサージした?」
「したけど巧くないんだろな?ありがとな、」

笑って前を向いたまま礼を言うと、背後で微笑んだ気配が温かい。
その温もりのまま透明なテノールは、楽しげに言ってくれた。

「前にも俺は言ったよね?確かに山は卒配からで10ヶ月だ、でも毎日この俺がヤる訓練に付きあえるの、おまえくらいだね。
正直に言うとさ、おまえが付いて来れるなんて最初は思っちゃいなかったよ。でも、おまえは一度も弱音を吐かずに付いてきた。
いっつも笑って、山でも寮でも俺のペースに合わせてくれる。それで昨日も予定時間通りに登ってくれた、英二にしか出来ないね、」

話しながら揉み解される肩が心地いい、素人にしては随分と巧い方だろう。
ほぐれだす寛ぎと言ってくれる言葉に英二は、素直に笑いかけた。

「ありがとう、俺のこと信じてくれて、」
「だよ?ホント俺には、おまえしか居ないんだからね。自信持ちな、絶対に明日も完登出来ちゃうね、」

朗らかに笑いながら丁寧に白い手は揉んでくれる、その手つきが慣れている。
いつも光一は高難度の登山後には自分でマッサージをする、それを誰かにすることは見たことが無い。
それでも何人かにはしてきたのだろうな?そんな予想に英二は前を向いたまま微笑んだ。

「光一、お祖父さんとお祖母さんにマッサージするんだ?」
「まあね、二人共ぼちぼちイイ歳だしさ。おやじとおふくろにもしてたね、」

気軽に教えてくれながら、肩から首筋、背中と揉んでくれる。
解されるにつれて心も寛いでいく、安らぐまま英二は穏かに訊いてみた。

「あと田中さんと、雅樹さんもだろ?」
「うん、山の時はよくしてたね、」

素直に答えてくれながら左腕をほぐし、今度は右腕を揉んでくれる。
丁寧で程よい力の解し方がありがたい、させてばかりで悪いなと英二はザイルパートナーに笑いかけた。

「光一、終ったら交替しよう?そんなに俺は巧くないかもしれないけど、ちょっとでもお返しさせて?」

笑いかけた先、透明な瞳が英二を見つめた。
雪白の貌の向こう今日最後の陽光がきらめき眠りにつく、その光の欠片が山っ子の瞳に宿り微笑んだ。

「なに、おまえ?雅樹さんと同じ言い方して、」
「あ、そうなんだ?」

雅樹の性格なら、してもらうばかりでは気が引けるだろうな?
そんな納得に笑いかけた右隣、底抜けに明るい目は幸せに笑んで、そのまま英二に抱きついた。

「そうだよ?ホントおまえって、不思議なヤツだね…なんでいつも、」

ふわり高雅な花の香を昇らせ、白い頬がよせられる。
肩から腕を首に回し、洗練された細身の肢体はそっと英二に凭れこむ。
ただ無邪気に抱きついてくれる温もりは、なんだか幼い子のようで英二は大切に抱きしめた。
そうして見上げるアイガー北壁は、紺碧ふる静謐に穏やかな貌をして眠りについていく。




【引用詩文:William Wordsworth『ワーズワス詩集』「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」XI】



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第58話 双壁act.12―side story「陽はまた昇る」

2012-11-20 23:51:14 | 陽はまた昇るside story
頂点に立つこと、そして想いは



第58話 双壁act.12―side story「陽はまた昇る」

山頂は、白銀と蒼穹の世界だった。

ゆるやかにナイフエッジの風は吹き、まばゆい夏の太陽は標高3,970mを輝かす。
いま眼下に落ちる垂直は平均斜度60度、通常は2日間かけて登る高度差1,800mの壁。
それを3時間弱で登頂して見渡すアイガーの稜線は、方角により山容を変えることが納得できる。

「東西と南は稜線があるけれど、北だけが切れ落ちてるんだな。断面図みたいだ、」

登ってきた岩壁を頂上から見おろしながら、この山への畏敬を想う。
山を抉り取った半分が遺された、そんな山容に北壁は山の内部を晒したようでいる。
寛げた山の懐へ深く抱かれ、そこから自分たちは登ってきたのかな?そんな想いに微笑んだ隣からシャッター音が響いた。

「イイ貌だね、おまえって山だと絶世の別嬪になってる瞬間が多いよ。でも、ここ、」

明るいテノールは笑いながらカメラをOFFにし、その指で英二の頬をそっと小突く。
指先ふれて微かな痛みが奔る、その指先を離して光一は訊いてくれた。

「ちょっと赤くなってるね、雪を滑ったときに打ったか擦ったのかね?」
「うん、たぶんな。でも大丈夫だよ、メンヒヨッホの小屋で診てみるな、」

気軽に答え笑いかけると、透明な目が安心したよう笑ってくれる。
そしてカメラを仕舞い、左手首の『MANASUL』をチェックすると光一は南を指さした。

「さ、下山するよ?ミッテルレギ稜チームより先に、グリンデルワルトへ帰ろう、」
「それもタイムアタックなんだ?」

登りだけじゃなくて下りもなんだ?
可笑しくて笑った英二に、底抜けに明るい目は愉しげに微笑んだ。

「だよ?俺はね、なんでも1番が好きなんだ。せっかく登りも一番なんだからね、下りも一番で行こ?」

愉快に歌うよう言って踵返すと、光一は南稜ルートへと踏み出した。
白銀と黒い岩、蒼い翳が織りなす世界は遥かに連なり涯へと青空を広がらす。
冷厳の永遠、そのモノクロと青の世界は人間の範疇から遠い。そこに自分は今、息をしている。

「英二、体調は平気?」
「うん、高度障害は出てない、」
「よかったよ、おまえも俺と同じタイプで、」

前後なって話しながら雪を下り、懸垂下降と登攀を繰り返し高度を下げていく。
細く狭まる稜線の銀いろ輝く連なりは刃のようで、ナイフエッジと言うにふさわしい。
その行く手に穂高連峰のジャンダルムと似た稜線を見て、英二は微笑んだ。

―雅樹さん、似ていますね?ここは、

光一と雅樹の想い出深い、穂高連峰。
母国の中心部を奔らす稜線を今、遥か遠い異国の山に見つめてしまう。
あの場所は自分にとっても大切な想い出がある、この記憶の相手は今、自分の前を歩き白銀と青の世界できらめく。
前を行く青いウェアの背中は軽やかで、山の難所も楽しいと心から笑って「山」の時を歩いている。

―いつか俺も、あんなふうに山を歩けるかな、

この今だって山を登ることに単純な「好き」は勿論ある、けれど「目的」のために今は登っている。
それを山ヤとして不純だと言われたら反論など出来ない、だから頂上雪田で風に捕まった時もどこか納得していた。
こんな自分でもいつか純粋に「山」を楽しみ敬愛する、そんな無垢を抱いて生きられるだろうか?
いつか「50年の束縛」を全て壊す瞬間を迎えたら、そのとき自分は何を想う?

―すべてが終わったら、単純に山ヤで男として生きたい。大切なひとを守りながら、普通の日常に帰りながら、

いつか訪れる「普通の日常」が毎日待ってくれる日々。
いつも周太が帰りを待ってくれる家、そこに帰ることが毎日の日常になる日々は訪れる?
毎日の夜と朝を同じ瞬間を見つめて「いってらっしゃい」と送られ山に向かい、帰れば「お帰りなさい」と笑顔が迎えてくれる。
そんな日々が飽きるほどに続く時の始まり、その瞬間を願いながら永久凍土のアイガーを後にする。
この祈り見つめる横顔に、ナイフエッジの風はゆるやかに吹いていく。



グリンデルワルトのホテルで着いた夕食は、遠征訓練チームの全員が揃った。
ミッテルレギ稜を登った6人も予定通りに下山が出来ている、この互いの無事に光一は微笑んだ。

「全員無事に帰還ですね、後藤副隊長も喜んでいました。予備日の明日は休暇扱いですし、羽を伸ばせと伝言です、」
「連絡ありがとうございます、それと記録おめでとうございます。3時間切るなんて後藤さん、喜んだでしょう?」

第七機動隊の加藤が率直に祝辞を言うと、他の皆も祝福の言葉を掛けてくれる。
ひとめぐり祝いの言葉を聴き終えて、光一はグラスを持って莞爾と笑った。

「はい、よくやったって泣いていました。まずは無事に乾杯しましょう?で、食いながら話しましょう、」

気さくな物言いと後藤らしい人柄のエピソードに、空気が和やかになる。
そうして食事と談笑は始まって、七機の村木が光一に尋ねた。

「後藤副隊長、記録の事とか他に何か仰っていましたか?」
「よくやったな、羽を伸ばせと伝言しろ、の次はね?宮田に替れって言われちゃったんです、あの方は宮田を大好きなんでね、」

からり笑った光一の言葉に、愉しげな笑い声が起きる。
けれど言われた方は面映ゆくて困る、すこし困りながら微笑んだ英二に高尾署の三枝が笑いかけてくれた。

「後藤さんが宮田さんを好きなのって、解かります。前に講習会でお会いした時、帰りの電車で嬉しそうに話してくれましたよ。
山のセンスもあって努力家で真面目、息子ならいいのにって仰ってました。その通りだなって今回、一緒のチームになって思いますね、」

そんなふうに後藤が話してくれた事が、素直に嬉しい。
そして想ってしまう、もし後藤が父親だったら自分はもっと早く山に出逢えていた。
それに後藤の護る家庭ならば温かい両親の愛情がある、それを後藤の亡妻と娘への想いに知っている。

―きっと幸せだったろうな、いつも山の話をして、両親が仲良いところ見て、

本当に後藤が父親なら良いのにと、自分の方こそ思ってしまう。
こんな仮定のなかに、求めて得られなかった幸せを垣間見ながら英二は綺麗に微笑んだ。

「褒めて下さって、ありがとうございます。でも、恐縮で困りそうです、」
「そんな困らないで下さい、それで電話では何て話したんですか?」

笑って三枝が訊いてくれる質問に、すこし記憶を辿らせる。
すぐ幾つかの台詞を想いだし、そのままを英二は口にした。

「どこも怪我は無いか、体調はどうだ、って最初に訊かれました。あと風呂でしっかりマッサージして、明日はきちんと休むんだぞ。
気持ちは元気でも体は疲れている、そこらの山を登ったりするな、国村が言いだしたらブレーキかけてくれ。そんなふうに釘刺されました」

後藤には行動を読まれているな?
そんな感想に自分で可笑しい、つい笑った英二に皆も笑いだした。
いつも周到な後藤らしいと皆が思っている、そんな笑顔のなか加藤は隣の国村へと訊いてくれた。

「国村さん?もしかして明日の予備日は宮田さんと、メンヒかユングフラウに登るつもりでした?」
「あれ、ばれちゃいました?」

底抜けに明るい目が愉快に笑って、グラスに口付ける。
悪戯っ子が仕掛けをバレてしまった、そんな雰囲気に高尾署の松山が愉しげに尋ねた。

「本当にタフですね、明日は登るんですか?だったら全員で箝口令しますよ、」
「宮田にお目付け役が言い渡されちゃいましたからね、もうダメです。宮田は真面目で堅物なんですよ、ね?」

おまえには敵わないよ?そんなふう明るい目が英二を見、笑いかけてくれる。
こういう親近と信頼が嬉しい、英二は綺麗に微笑んで答えた。

「はい、堅物です。だから明日は、副隊長の言葉に従ってくださいね?俺に実力行使はさせないで下さい、」
「はいはい、明日はノンビリ昼寝と散歩にしますよ、」

仕方ないなあ?そんな目で光一は笑ってくれる。
けれど油断は出来ないな?そんな覚悟した向かいから五日市署の佐久間が訊いてきた。

「宮田さんの実力行使って、どんなですか?」

訊かれて、ひと呼吸を英二は考えた。
そして浮んだ答えに綺麗に笑って、口を開いた。

「たぶん、登山靴を隠しても脱出するでしょうしね?酒を呑ませながら一日中、抱え込むしかないでしょうね、」

きっと光一は登ろうと思ったら、スリッパでも街に出て登山靴を買ってしまうだろう。
そこから気を逸らせるには好きな酒を呑ますのが一番良い、そんな考え微笑んだ英二に加藤が感心したよう訊いた。

「国村さんって酒、相当強いですよね?宮田さんは互角に呑めるんですか、」
「互角かは解かりません、でも愉しい酒は好きですよ。国村と呑むのは愉しいので、」

そう答える隣から、透明な瞳が見つめている事に気がついた。
その眼差しが何か気恥ずかしげで、いつに無い貌に気が留められる。
どうしたのかな?そう不思議に思う向うから、村木が光一に質問をした。

「国村さん、マッターホルン北壁を速く登るには、注意する点はなんですか?」
「うん?ああ、マッターホルンですか?」

すこし上の空に返事して、光一は軽く頭を振った。
グラスに口付け酒をひとくち飲みこむと、いつもどおりテノールは明快に話しだした。

「最初に氷河がありましたよね、あそこを前もって見ると良いです。クレパスやプラトーの位置を把握すれば早朝の昏さで迷わない。
あと下部の三分の一を覆ってる氷壁がありますけど、必ず夜明け前には通過することです、太陽の光で溶けだすと落石が増えます。
大氷壁の取付点にも注意してください。右側のツムット寄りに登ると傾斜がきつく、落石の直撃を受ける位置となるので危険です。
あと早めに左側を登ってしまえば氷壁の上の方で、危なっかしいトラバースを右へしなくてはいけないポイントが出てきます、」

もう16年間ずっと光一は、マッターホルン北壁を研究し尽くしてきた。
その初登は高校1年の夏休みだから8年前、そのときも8年間の成果を積んで登ったのだろう。
おそらく高校生の光一も今回と同じよう、雅樹が遺した山図と自分が調べたデータを照合している。

―8年前の時は光一、何を想ったのだろう?

8年前のタイムは今回より遅い、けれど当時の光一は準備の為に登ったのだろう。
いつか雅樹に代るアンザイレンパートナーと出会い、雅樹と約束した「2時間」を叶える。
その準備として高校1年生の光一は、後藤副隊長と共にマッターホルン北壁を登攀した。
そんな光一の想いに考え廻らすうちに食事は終わり、席を立った英二は五日市署の橋本に呼び止められた。

「宮田さん、一昨日はありがとうございました、」
「え、」

なんのお礼だろう?
そう見た英二に橋本は、率直な笑顔で言ってくれた。

「マッターホルン、高尾署が予定より遅れた下山になりましたよね、無線も壊して。その所為で予定が変更になるかもしれませんでした。
それは国村さんと宮田さんにとって、北壁へのアタックをダメにする可能性だったと思います。でも、それを一言も責めませんでした、」

言ってくれる言葉に、自分への呼び方が変わっている事に気がつかされる。
一昨日のミーティングまで誰もが「宮田くん」と英二を呼んでいる、けれど今夜は「さん」になっていた。
こういうのは何だか面映ゆい、すこし困りながら英二は橋本へと笑いかけた。

「当たり前のことです、責める資格なんて私にはありません、」

鋸尾根の遭難事故、あの経験が自分にもある。
あの事故を知る人は誰もが不可抗力だと言う、それは昨日の高尾署も同じ状況だった。
なにより自分は実質1年も山の経験が無い、警視庁山岳会で最も後輩の自分が何を言えるのだろう?
そんな想い素直に笑った英二に、橋本は敬愛の眼差しで笑ってくれた。

「宮田さんって噂通りですね、能力があるのに謙虚で優しくて。名前で国村さんと呼びあうの、納得です」

やっぱりその件だったんだ?
そんな予想通りに心で笑いながら視線を廻らすと、光一は加藤と明後日の帰国について話している。
今なら注意は逸れて聴いていないだろうな?そう考えながら英二は橋本に謝った。

「本当は良くないですよね?4年も年次が違って階級も2つ上なのに、すみません」

警察の縦社会では、年次と階級が尊重される。
だから光一と英二が名前で呼び合うことは、容認され難いのが当然だろう。
この理解に素直に謝った英二に、橋本は軽く手を振りながら笑ってくれた。

「謝ること無いですよ。同じ齢だから呼び捨てにしようって、国村さんが命令したって聴きました。それくらい信頼があるのは納得です、
あんな記録を作れるパートナーなんですから。それに宮田さん、一昨日のミーティング前に国村さんのブレーキかけてくれましたよね?」

光一のブレーキ、そんな英二の役割は青梅署では有名でいる。
さっきの食事の席でも後藤の話でそれは出た、けれど橋本の言い方は前から知っているふうでいる。
どこで聴いたのかな?そんな疑問にただ微笑んだ英二に、橋本は教えてくれた。

「国村さん、K2の遠征にも行ってるでしょう?あのとき富山県警から行った男が、俺の大学時代からの友達なんです。
最初は登頂隊に入っていたんですけど、体調を崩して登れなくなって。そのときに友達は、国村さんから怒られたんですよ。
あのとき国村さん、まだ卒配期間で19歳だったけれど威厳っていうのかな?そういうのがあって、凄く怖かったって言ってました」

なぜ光一が怒ったのか?その理由は訊かなくても解かる気がする。
きっと本人とチームと、光一自身の誇りの為に怒ったのだろうな?
そう廻らせた考えの前から、橋本は率直に言ってくれた。

「だから今回の高尾署についても国村さん、凄く怒るんじゃないかって思っていたんです。でも笑って、労ってくれました。
食事しながら気さくに話して、下山に時間が掛かった原因をきちんと聴いてましたよね?それを解決する方法も話してくれて。
責めずに言うべき事を伝えて、ミスの解決に導いてました。そういう国村さんを見て、若いけど良い上司になる人だなって思ったんです。
そういう国村さんになったのは、宮田さんが傍にいるからかな?そんなふうに感じたんですよ、だから今、声かけさせて貰いました、」

皆が光一を次期リーダーに相応しいのか視ている、そう感じてはいた。
それを今、こうして話してくれる内容が嬉しい。うれしくて英二は綺麗に笑った。

「国村をそう言って下さって、ありがとうございます。パートナーを褒めるのは恥ずかしいですけど、私も良い上司だと思います、」

笑いかけて、英二は端正に礼をした。
そんな英二に橋本は温かに笑んで、嬉しそうに言ってくれた。

「やっぱり宮田さん、国村さんのパートナーに相応しい人ですね。マッターホルンの北壁でも見ていて皆、驚いたんですよ?
あの国村さんのスピードを止めることなく付いて登って、ハーケンも全部回収しましたよね?普通なら1年の経験では出来ない。
きっと本当に才能と努力があるんだろうなって、昨夜もミッテルレギヒュッテで話していたんです。セカンドに相応しいなってね、」

こんなふうに自分も認めてもらえた、それが素直に今、嬉しい。
嬉しいまま英二はもう一度、端正に礼をした。

「ありがとうございます、」
「いや、こちらこそ。俺も負けないようトレーニングします、」

楽しそうに笑って橋本は、またと手を上げて加藤たちの方へ歩いて行った。
それと入れ替わりに光一がこちらに来ると、底抜けに明るい目で微笑んだ。

「いま俺のこと喋ってたね?で、おまえも褒められていただろ?」
「あ、聴いてた?」

打合せしながらも、よく聴いていたな?
感心して微笑んだ英二に、山っ子は愉快に笑ってくれた。

「俺の聴覚は、風の音だって聴き分けるよ?しかも自分とおまえの話なら聞えちゃうね、」

謳うよう言って廊下を歩き、階段を上がっていく。
いつもの軽やかな挙措に疲労の影は見えない、細身でも強靭な体躯に見惚れながら英二は微笑んだ。

「光一って細いけど、ほんとタフだよな?疲れることってあるの?」
「そりゃあるよね、格式ばっちゃってるトコとかさ?でも山のことなら疲れは少ないね、」

からり笑って階段を昇っていく、その横顔は愉しげでいる。
そんな笑顔に嬉しさと快い山の疲労感を思いながら、階段を昇りきって部屋に入った。
窓からの空はまだ青い、夏7月のスイスは夕暮れが21時とゆっくり星空は訪れる。
この明るい夜空も明日が見納めだな、微笑んだ頬を白い指がそっと突いた。

「おまえ、やっぱりちょっと頬、赤いね?大丈夫?」
「風呂出てからも薬、塗ったんだけど。また塗った方が良いかな、」

答えながらザックから救命救急ケースを出し、ファスナーを開く。
納められている消炎剤を取出す指先、器具カバーが触れてその中身に意識が留まった。
救命救急に使うシュリンジや聴診器、ピンセットにハサミ、人工呼吸器、こうした金属製の器具たち。
そのカバーで2組あるものは、片方の中には救命器具など入っていない。

『WALTHER P38』

そう呼ばれる拳銃が分解されて入っている。
ドイツのC・ワルサー社が製造した、酷寒など過酷な状況下で荒い使用に耐える量産式の戦闘用拳銃。
これを晉は第二次世界大戦中に遣い、そして50年前に放った一発が畸形連鎖を惹き起すトリガーになった。
いま人命を救う器具のカバーに包まれた殺人道具、その姿を見つめて英二は穏やかに微笑んだ。

「今日登ったルートの『ヘックマイアー』って初登頂したドイツの人だけど、これが造られた頃の人なんだよな、」

ドイツ製の拳銃を背負って自分は、ドイツ人が開拓したルートを登攀した。
自分が拳銃を個人所有して背負い、山を登るだなんて思ったこと無かったのに?
そんな想い微笑んだ向かいからテノールが少し笑った。

「ソレ、普通なら空港で通れなかったろね?警察のレスキューって肩書と、お墨付きのお蔭だな」
「うん、」

頷いて英二はケースのポケットからカードを取出した。
吉村医師の直筆サインが記された医療行為者である証明のカード、これが荷物検査で役立っている。
普通なら金属性の器具を機内に持ち込むことは拒否される、けれど医師など医療関係者が医療目的で持ちこむ場合は許可される。
その配慮に吉村医師は英二の証明カードを作ってくれた、この感謝と自責が切ないままを英二は口にした。

「レスキューが主務の警察官で警察医の助手。そういう俺を信用して先生、救命具を肌身離さず持てるようにって書いてくれたんだ。
それを利用して俺は、これを持ち歩くために利用している。本当のことを先生が知ったら、俺のこと呆れても仕方ないよな。雅樹さんも、」

晉の拳銃を保管する場所は、今は自分には無い。
そして発見されたら晉の銃刀法違反が公になる、けれど警察官の自分が所持する分には幾らでも理由を作れる。
そう考えて今回もスイスまで分解したまま持って来た、そんな自分の行動と軍用銃に英二は自嘲気味に微笑んだ。

「これって量産式だからタフなんだろ?量産タイプが酷寒地で使えるなんて、ありふれた上っ面の家庭に育って雪山好きの俺みたいだ、」

『上っ面』

この言葉に父と母への本音が吐かれて、自分で痛くて、自分で可笑しい。
確かに父も祖父も法曹のエリートで物質的には恵まれた家庭だろう、けれど周太や光一のような両親たちの愛は無い。
いくらか裕福で両親は不仲、そんな今時ありふれた家庭事情に生まれ育った自分は、現代社会に量産されるタイプだろう。
そんな自覚に父と周太の母への感情が綯い混ざり笑顔が歪む、そんな英二の手元に白い指が伸ばされ消炎剤を取った。

「そこ座んな、手当してやる、」

透明な声が微笑んで、窓に近い椅子を指さしてくれる。
向けてくれる笑顔の温もりが優しい、その静けさに自分の未熟を気づかされてしまう。
詮無いことを自分は言った、そう反省に深い溜息を吐いて椅子に座ると、穏やかな笑顔へ素直に謝った。

「ごめん、変なこと言って。アイガーも終わって気が緩んでるな、俺、」
「謝るな。俺に気を遣うんじゃない、」

さらりテノールの声は微笑んで、白い指に軟膏をとってくれる。
そして白い手を英二の頬に添え、そっと白い指が頬をなぞっていく。
冷たい軟膏の感触ふれてすぐ温もりに変り、なめらかな指先が優しく頬を労わってくれる。

―なんか、ほっとするな

ふれてくれる指の温もりが、ささくれ掛けた心を撫でつけていく。
そんな想いに解かれながら手当は終わり、片づけて手を洗うと光一は前に座ってくれた。

「おまえ、この間は川崎の家でも溜息が多かったね?それと同じ溜息を今もしてたよ、本当は吐き出したいコトあるんだろ?」

本庁での山岳講習を担当した時、川崎の家に光一と帰って留守番をした。
あのとき晉の拳銃を掘りだしている、そんな合間には美幸の気配への傷みがあった。
そのことを光一は気づいてあの晩も訊いてくれた、けれど話すことを拒絶してしまった。
美幸の、周太の、そして馨の気配が温かい家。その家で話すことが罪に想えて躊躇われて、言えなかった。
その躊躇いのまま今も唇は披かれない、そんな沈黙に佇んだ英二へと無垢な瞳は温かに微笑んだ。

「おまえさ、実家に車ひき取りに行ってから葉山に周太と行ったろ?あれから帰った後、たまに張りつめた貌してるね。
だから俺はね、おまえが今回の北壁を集中できるか心配だったんだ。でも、ちゃんと集中しておまえは遣り遂げたよ。
だからもう、話したいコトここで吐いていい。おまえ言ったよね、俺はおまえの世界の全てで、俺はおまえと同じなんだって、」

ツェルマットの草原で、マッターホルンを見上げ告げた想い。
自分にとって光一は山への夢そのもので憧れ、だから光一が世界の全て。
そう告白した想いは今も同じ、その想いに今、そっと優しいテノールが笑いかけてくれた。

「俺に話すことはね、英二の独り言と同じだろ?だったら俺の前で愚痴っても泣いても、ノーカウントだね。だから遠慮は要らない。
もうマッターホルンもアイガーも終わったね、緊張も緩ませて大丈夫だ。今、日本からも遠くで俺とだけ向きあってる、誰にも知られない。
想ってること何でも好きに言えばいい、泣いていい、英二が溜め込んでること言って良いんだ。ちゃんと俺が受けとめるから、吐いちまいな?」

ゆっくり太陽が傾いていく窓の光に、雪白の貌が優しい。
大らかな温もりに明るい瞳が見つめてくれる、その眼差しに全て打ち明けたい。
いま家族と故郷から遥か遠い異郷にいる、この場所でなら話しても許されるだろうか?
そんな想い溜息ひとつ吐いて、かすかな笑みと一緒に英二は口を開いた。

「俺の父さんは恋してる、周太のお母さんに…俺の母さんのことはもう想ってくれない」

告げた言葉に、涙ひとすじ頬を伝った。






(to be continued)

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