一度は格闘を断念したのだったが吐水口での水量が水域の干上がりとなって現れるのを見てしまって考えを改めたのである。郷里、豪雪地帯で80代の兄夫婦は4mの積雪と格闘していて寒波ご訪問中は日に三度の御出迎えの為に自宅前の通りの雪掻きをしているのだ。それを思えば日に1回でしかない砂礫掘りに凹んでもおれない。まあ、良くても悪くても朝令暮改、二枚舌の類いであるがまあ、これは下々、民草として「上に倣え!」なのであってお手本がお粗末ではどう仕様も無いのだ。
さて論語の子罕第九の19にある「子曰く、譬えば山を為るが如し。未だ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり」の一文は往々にして思い出さざるを得ない姥捨て山での喝である。また「子曰、孤爺欲訥於言、而敏於行」とあれば応えざるをえないだろう。だもんで節々がブツブツ言うのを湿布とカイロと発熱衣料で黙らせながら黙々粛々と災の河原の砂礫掘りを開始したのであった。この日も氷点下の最低気温だが気温は上がらずとも日差しは春の陽光感が出て来た。けれど沢の中なので日差しが届くのはほんの一時で、残りは日陰で足元は流れの中である。
だが長靴のどこか不明な水が侵入する場所があり水流に入ればすぐに靴下が濡れて来る。まだ水が溜まる程度にはならないので交換時期と思いつつも店舗までは行けずにいる。自宅で靴下を脱げば指先は真っ赤と言うより赤黒くなっていて明らかに霜焼けの症状を呈している。豪雪地帯で生まれ育った孤爺なのに無雪地帯で霜焼けなんて情けなくて県民に顔向け出来んわい。それはともかくこの日は掘る場所に砂礫が流れて埋められない様に丸太で段差を設えてみたものの、底抜けしてしまいあまり役に立ちそうも無かった。やはり杭列が一番効果があるのだが、費用も高価だ・・・。