寛永寺は慶応4年(1868年)の上野戦争で殆どの建物を焼失していますが焼け残った本坊の表門が両大師輪王殿の前に移築され残っています(重要文化財)医薬門とよばれる形状で本柱が門の中心線上から前方にずれているのが特徴。門扉には上野戦争時の弾痕が沢山残されていて中には扉板を貫通している穴もあり戦争の激しさが伺えます。
上野公園内、五條天神社境内の大寒桜ソメイヨシノよりもやや濃いピンク色が早咲きの特徴