【②埴生護国八幡宮とその周辺】
②埴生護国八幡宮とその周辺 ③ふるさと歩道(義仲進軍の道) ④いにしえの街道(歴史国道)① ⑤いにしえの街道(歴史国道)② ⑥いにしえの街道(歴史国道)③ ⑦源平ライン
⑧倶利伽羅古道とその周辺 ⑨猿ヶ馬場とその周辺 ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺 ⑪弓の清水・般若野古戦場 ⑫越後より砺波山へ ⑬葵塚・巴塚古墳群 ⑭巴御前終焉の地
◎2024年10月15日編集 富山県にて 写真31枚
埴生護国八幡宮、鳩清水、源義仲騎馬像、各務支考の句碑、聲の口(こえのくち)、将軍塚、茶臼山木曽義仲本陣跡、医王院、若宮古墳、石動駅南口
★護国八幡宮(埴生八幡宮)・・・国指定 重要文化財社殿
木曾義仲が戦勝を祈願したことで知られる古社です。義仲が奉納した戦勝祈願文も残されている。本殿は素木造りで、安土桃山時代の特徴を現し、約1,300年の歴史があります。
護国八幡宮・鳥居
護国八幡宮・拝殿
左から 本殿・釣殿・幣殿・拝殿
2羽の白鳩が上空を舞っています。
護国八幡宮・二ノ鳥居
石段・・・百三段(もとは百八段あり、108の煩悩を踏み消して神様に近づくとか)の石段は蓮沼城主 游佐慶親の寄進にかかるもの。
「みだん(三段の石段)」跡地
石段と鳩清水の案内板
★鳩清水・・・義仲が八幡宮祈願の際、白鳩の飛来があり、その案内で義仲軍が清水を得たと伝わります。・・・「とやまの名水」に指定されています。
★各務支考の句碑・・・「白鳩の 木末に涼し 神の御意」 松尾芭蕉の弟子の十哲の一人と言われた各務支考が詠んだ句碑です。
★源義仲騎馬像・・・馬上の人物像として日本最大級の銅像です。昭和58年(1983)に「源平倶利伽羅合戦800年記念」として建立され、像の重量だけでも5トンほどあります。
埴生八幡宮の周辺の見所
★聲の口碑(こえのくち)・・・義仲軍が太鼓・法螺貝を用いて一斉に鬨の声(ときのこえ)をあげました。
★将軍塚・・・倶利伽羅峠の戦いの際、義仲が鎧兜を埋めて戦勝を祈願したと伝えられています。
★茶臼山木曽義仲本陣跡・・・寿永二年倶利伽羅源平合戦の前に三万余騎がこの茶臼山に宿営しました。
★若宮山医王院・・・本尊は薬師如来と阿弥陀如来。本尊の薬師如来に関しては行基の真作とみられ、病気の回復にご利益があるとされる。他、閻魔大王が、境内にある閻魔堂の本尊として祀られている。
一番右側が笏谷石で制作された「阿弥陀如来坐像」です。
六地蔵尊
倶利伽羅三十三観音の内11体がここに安置されています。
★若宮古墳・・・若宮古墳は6世紀初頭に築造された前方後円墳です。全長約50m、後円部直径28m、前方部19m、くぶれ部幅11m、全体は盛土で築造され周囲には円筒埴輪が並んでいたとされます。
石動駅南口にある火牛の像
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