【歴史の道《小原道(越)》①】
小矢部市浅地から、名畑・末友を経て県境の松根城跡のある峠を越え、金沢市吉原町に至る歴史の道。
小原道(小原越、小原街道と表記される場合もある。)とは、富山と石川を結んだ古道で、旧北陸道の脇街道(わきみち)(裏街道)的な役目を持っていた。
旧北陸道(歴史国道)の倶利伽藍峠を越えるのとは違い尾根道を主に上るため勾配も緩く、金沢に近いということもあり、物資の輸送は小原道を使うことが多くなった。
しかし、藩は宿駅を保護するため金沢への届米は竹橋・津幡宿場の馬で運ぶよう達しを出した。しかしながら小原越は加越の住民にとって生活に密着した重要で愛着のある道であり続けた。
★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)
★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)
★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠
★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町
★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他
◎2024年12月1日編集 富山県にて 写真27枚
①小原越起点(浅地追分)・・・藩政の末頃までは、津沢に小矢部川を渡る橋はなく、砺波地方の人々は浅瀬を渡って浅地へ出るのが普通で、そこから堤防沿いの道を北へ進み、浅地追分へ出て、西へと小原道を蟹谷へ向かい、小原越をしたと伝えられています。
川除け地蔵・・・ここを起点として北の方へ行くと今石動の宿、また浅地から渋江川を渡って倶利伽羅峠に出て北陸街道を金沢へ、さらに浅地神社から南へ高木、蓑輪を経て安居寺へ向かう四方に分かれる昔の要所でした。
歴史の道《小原道(越)》①シリーズでは小原越起点(浅地追分)~今寺・一軒家までのコースです。
②浅地神社・・・2022/03/26に焼失。この地の比枝社、諏訪社、熊野社の三社合祀でこの地の村名に因み浅地神社と称しています。
浅地神社入口横の地蔵尊
盤持ち石(力石)と小原道の道標
小原道の道標
③安養寺神明社
④藤森神社(経塚)
神社の左奥にある「経塚」
⑤平桜広田(廣田)神社
⑥安養寺御坊跡・・・安養寺城(あんようじじょう)、または安養寺御坊(あんようじごぼう)は、日本の城および勝興寺旧伽藍跡。城跡としては史跡未指定だが、一向衆の拠点「勝興寺安養寺御坊跡」として小矢部市指定史跡となっている。
⑦末友八幡宮・・・末友八幡宮は1928(昭和3)年、山間地から現在の場所に移された。春と秋の祭りでは獅子舞が奉納され、境内には公民館もあることから住民の心のよりどころとなっています。
⑧西教寺・・・小矢部市に雅楽が伝えられたのは、天保元年(西暦1830年)です。末友村の西教寺住職・木場深泰(きばしんたい)が郷里に持ち帰り、埴生(はにゅう)・松沢・水島各集落の同士を募り指導したことにより始まったといわれています。
⑨今寺(一軒家)・・・渋江川を渡り一軒家の横に道が続き、家を超えたあたりから急に登り道になり末沢新村へ続いていました。(右側の一軒家)
右側に渋江川が流れています。
画像の左端の最初の電柱、竹の茂った山の横が旧小原越の入口です。真ん中の白い建物の所が小矢部フロンティアパークへの入口です。
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