予定が入っていれば、死ぬことを忘れてしまうではないか。いくつになっても、退屈することはないし。病床に伏していても、やれることはあるのだから。スズメを見ることでも良しである。
伝説的著作権エージェントであるアーヴィング・レイザーは、82歳のときに「もし今日なにもすることがなければ、死んじまったほうがましだ」と言ったという。
大先輩にしてこうなのだ。退屈という煉獄につながれていたんじゃどうしようもない。
たとえ老骨にムチ打っても、ベッドからなかなか抜け出せなくても「なにかにチャレンジする」ことである。それがどんなに小さなことでもいい。ベッドから見える空の青を見ているだけでもいい。スズメが飛んでいるのを見るだけでもいい。
ボキは、今朝3時に目が覚めてしまった。そして、そのまま起きた。4時には身支度をしてソトに出た。ウオーキングシューズを履いて準備した。そして狭い庭に出て、太極拳の八段錦をやりはじめた。それからちょっとだけ東の空が明るくなったから、散歩を始めた。
今朝は曇っていた。だから太陽の直射がない。あったら、たまったものではないからだ。タオルを首にかけて歩き始めた。
キタローの「気」という音楽をスマホに仕組んであるから、それを片耳イヤホンで聞きながらである。片耳なのは事故に遭いたくないからだ。
呼吸に注意しながら、つまりゆっくりと吸って吐いていた。
霧が出ていたから実に神秘的であった。
こういう朝は実にいい。
可能ならば、美女と一緒に歩いてみたいが、そんな方はいるわけもない。
そもそも朝から修行のつもりで歩いているのだから、よこしまな考えで歩いていると交通事故に遭ってしまうではないか。
歩きながら考えていた。
それは、「予定が入っているうちは、人は死なない」ということであった。確かにそうだ。予定があれば、一日だけでも楽しく生きていこうと思うではないか。
アーマンド・ハマーという実業家は、80代後半でも、10年後のPlanを用意していたという。そのPlanが実現するか、したかではない。90歳を過ぎてもなにかにチャレンジしようというのが凄いではないか。
有名な話に、120歳まで生きた日本人の泉重千代翁は、長寿の記録でギネスに載ることになった時に、インタビュアーに「好みの女性は?」と聞かれた。そしてその答えが実にふるっている。
ナント「やっぱり年上のオンナかのう」と言ったのである。
もしかしたら、年上の女性とデートでもしようかと思っていたのかもしれない。つまり、予定が入っていたのである。もしくは、そういうつもりで生きていたのである。実にセクシーである。うらやましい限りである。
だから、もう年を取ってしまったと嘆いてはならない。
いつまでも驚異の若さで生きていきたい。
健康を維持して、どこまでも長寿のジジイでありたい。
それがボキの「予定」でございますよん。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ