と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

小僧っ子。そうなんだよ、ボキはまだまだ小僧っ子なんだよん。

2018年08月18日 07時52分40秒 | とーま君の流儀2018

もうこの年になって・・・という台詞は言っちゃならねぇのだ(^0^)。ボキなんか、まだまだ小僧っ子だというのが口癖でもあるから。

 

 

この星は行動の星だなぁとしみじみ思う。この星とは地球のことである。地球自体が自転しているではないか。さらに太陽の回りを回っている。

この地球の上でナンダカンダと、つまらないことで生きているのがボキたちである。?・・たちと言ったら失礼か。ボキだけかもしれないから。

なんでそんなことを思ったかというと、尾畠春夫氏の快挙を知ったからである。周防大島の2歳児を救った方である。快男子である。

なぜそう思ったかというと実践の人、行動の人だからである。

78歳というけど、尾畠氏は「まだまだ」と思っておられるのではないのか。

よくいるではないか。もうオレは**歳で年取ったなぁとか、この年になって・・・トホホとか。そしてよく聞いたらボキとたいして変わらない年齢だったりするのだから、笑ってしまう。そんなこたぁ言っちゃならねぇのだよん。まだまだ未完成だと思っていくことだ。その方が面白いではないか。

ボキもその危険性はあった。大学院在学中のことである。定年退職して入学したのだが、あまりにも拘っていた。学位にである。欲しくて欲しくてたまらなかった。そして、この年になって・・・とも思っていた。定年退職したのだから、くたびれて当然だとか思っていた。自己嫌悪も昔から激しかったから、逆に努力した。努力がすべてを解決してくれると思っていた。

しかし、そういう過去を受け入れた。

さらに追い打ちをかけられたのが、尾畠春夫氏である。この方は、少年のような輝きがある。笑顔が実に素敵である。歯は総入れ歯だとテレビで言われたそうだが。ま、そんなことは関係ない。今をどうやって生きているかである。どう行動しているかである。グチや、他人のワルクチを言っている暇を惜しむことだ。そんな暇はねぇのだ。修行こそイノチである。

尾畠春夫氏は、まさに菩薩である。修行した結果、こうなられたのだ。

そして、周防大島を故郷としている宮本常一先生を思った。この2歳児の救出劇の舞台となった島である。民俗学者の宮本常一先生は、この島で生まれて大阪の師範学校を卒業された。生涯、125ccのバイクに乗られて、フィールドワークをされた。東洋大学から博士号も貰っている。文学博士である。つまり、行動の民俗学者なのである。ボキの大好きな先生である。

尾畠春夫氏が重なった。行動の人であるということが両者に共通している。

さらに宮本常一先生の「忘れられた日本人」(未来社 宮本常一著作集10巻)という著書がある。そこに「子どもをさがす」という短編がある。昨日、それを思い出して読んでみた。(pp.74~77)

まさに今回の救出劇と同じ事が書いてあった。びっくりした。しかも同じ周防大島が舞台である。宮本常一先生が自ら書いておられるのだ。

テレビを買ってくれという小学校の一年生が、買ってくれない親に反抗していなくなってしまうのである。このあたりはちょっと今回のこととは違っているが、問題は村の人たちの熱心な探し方よりも、どこか他のところからやってきた方々であった。普段は、つきあっているような雰囲気を持っているのだが、ワルクチを言ったのである。捜索にも参加しなかった。評論家なのだった。

この少年、どこにいたのかというとちょっと困らせてやろうとある場所に隠れていたのであるが、その場所はここには書かない。知りたい方は読んでいただければと思う。

ううううううううううううううううううううううむ。

なんだか今回の事件を予見していたようで、怖かったですな。

マジに。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月17日(金)のつぶやき

2018年08月18日 06時18分07秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

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高齢\(^_^)/