と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

歴博映像祭Ⅱ

2018年08月21日 16時31分16秒 | とーま君の流儀2018

これ・・・・凄い!

行ってみたい。

 

 

歴博映像祭Ⅱ

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マダマダ尾畠春夫氏に学ぶことがたくさんあるではないか。笑顔然りである。文句ばかり言っているんだったら、笑ってみるこっちゃ。

2018年08月21日 08時14分26秒 | とーま君の流儀2018

不平不満、グチ、泣き言、ワルクチ、文句なんかを言っているから、世の中つらくなるのだ。尾畠春夫氏の笑顔からそういうものを学んだような気がするのだ。

 

 

何事も実践しなければ意味がない。

この星は行動の星である。地球は自分でも自転しているし、公転もしている。時々、火山となって噴火もする。台風も来る。災害ももたらす。だからである。だから行動の星なのである。

その上で暮らしているボキ等も行動をしていかなくちゃアカンのである。死ぬまでは行動である。ま、睡眠もとるけど。睡眠も、行動のために事前に休んでいるのだと思えばやはり行動の星である。

水泳も、いくら教科書でその方法を教わったとしても、実際にプールに行って飛び込んでみなくちゃ泳げない。柔道もそう。太極拳もそう。やり方を教わっても、実際やってみなくちゃオノレのレベルもわからない。

ただし、太極拳は教本がない。師匠の方針で映像もとってはいけないことになっている。だから、未だに動きの名称が覚えられない。仕方がないから、別の流派の映像(youtubeにある)でもって自学自習しているけど(^0^)。

で、今回ハタと気がついたことがある。

周防大島で2歳児を救出した尾畠春夫氏である。彼の姿こそ実践の鏡ではないかということである。

かつて、老人大学でボランティア体験を教えていただいたが、あれもまた畳の上の水練と一緒であったと(_ _ )/ハンセイしているからである。老人が老人ホームに行って慰問をしてくるのだ。慰問される方が慰問しているのだ。もっともあれか、将来老人ホームに入所する候補生だしなぁ、ボキ等は。笑えない冗談であっったし。

実践が伴っていなかった。さらには、ボランティアされる方が、ボランティアやってナンになるのだ?と嘯いていたのだから話にならない。

そういう意味で、尾畠春夫氏に徹底的に教えられたのである。

なんでも斜に構えて、世の中を批判的に見て、さも自分はエライというような観点から文句を言っていたのである。情けない。

尾畠春夫氏から見たら、アホである。なにを言っているのだ。そう言われてしまうではないか。

実践がまったくないのに、文句や嫌味や批判的言動をとって得意になっていたのだ。これをアホと言わずしてナント言うのだろうか。(_ _ )/ハンセイするしかない。まるで大手新聞A・M・T社のようなもんである。文句ばかり言っているからだ。こんな新聞を読んでいたら、世の中真っ暗闇になっちまうではないか。生きていることが面白くなくなってしまうではないか。

不平不満、グチ、泣き言、ワルクチ、文句なんかを言っているから、世の中つらくなるのだ。

尾畠春夫氏の顔を見ていると、ボキはそういうものと一切関わらないようにしたいと思ったのだ。

ありがたいことである。

尾畠春夫氏は。ボキにとっては神様のような方だなぁ~~~って思うから。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月20日(月)のつぶやき

2018年08月21日 06時13分26秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/