ドンドン笑って生きるべきである。笑いは、健康も、福運も呼び込んでくる。深刻な顔は、ボキには似合わない。スーパーボランティア尾畠春夫氏に、学んだことである。マジに。
「笑いは人生を肯定する」のだ。マジにそう思う。尾畠春夫氏の笑顔をテレビで見ていて、まったくそう思った。実に素敵である。あの笑顔で、「朝は必ず来る」と言われたら希望を持ってしまうではないか。
もうすっかり尾畠春夫氏にぞっこんである。オトコの中のオトコである。惚れてしまったのだよん。
大概は、ボキ、オトコが嫌いで近寄りたくもないが(^0^)。
オトコは見栄っ張りで、テメェの仕事のことしかクチにしない。話をしていても時間の無駄である。しょうもねぇことをクッチャベッテいるしかない生きものである。
それに打たれ弱い。攻撃している分は良い。しかし、攻撃されたらオシマイである。
その点は女性の方がたくましい。ただし、しゃべりまくっているのはウルサイ。Gymでも、何時間もクッチャベッテいる女性がたくさんいるが、あれはナンノためにクッチャベッテいるのだろうかと不思議に思うからである。
ま、どうでも良いことだが。
つまり、笑いは人生を肯定するからである。こんなアホなことを打鍵しているボキも、ボキは肯定している。アホだなぁと思うケド、それはそれ。アホなりにしっかり生きているからである。
わははっははははっははっははっはははっははは。
もっと言えば、「受け入れている」のである。これまでの生き方を、失敗を、挫折をである。
友人知人を失ったこともたくさんあった。
ボキは自己嫌悪が激しくて、ホントウにこれまで過去にとらわれて自分のことをアホと思ってきた。さらに自己嫌悪に陥ることが多かった。その結果、自堕落な生活を送っていた。飲酒癖もそうだった。異常に呑んでいた。ゴミ論文が書けなくて、それが理由で呑んでいた。博士になれないからと言って呑んでいたのである。
まったくのアホである。
お笑いぐさである。
今だから笑えるのであるが。
謙虚に生きているつもりというのもアブナイ。
それはマイナス効果しかもたらさない。表面だけ謙虚だからである。心底謙虚に生きているのかとなると、自称謙虚徹底タイプであるボキは真逆である。謙虚なフリをしているからだ。謙虚の奥に、とんでもない心理が潜んでいる。
文句を言われないようにするために、謙虚を装っているだけなのだ。つまりウソである。同じウソなら、明るい話をしていた方がヨロシイ。前向きに生きていることが、オノレの運命を明るくする。
これをである。オレはツイテいない。いつまでも苦しい。あああああああ、しょうもない人生を送っていると言っていると、周囲から友人知人がいなくなってしまう。
さらに、アルバイトのオファーも来ない。マジに。
今日、ボキはあるアルバイトのオファーが来たから、午前中に下相談がある。これが契約まていったら、とうとう5つめの副業になる。
笑って生きていると、ドンドン福運がついてくるようである。ありがたいもんである。
することがなくて、家に閉じこもって鬱になっているよりは良い。働くことである。ドンドン家の外に出て、笑っていることである。
わははっはははっははははっははははっはははっはははあっはは。
オシマイ。