淡々として生きることは、死ぬことよりも難しいのではないのか。いろんなしがらみがあるし。もっとも死ぬのも嫌だけどねぇ。めでたくポッと逝くのが理想だけど。
淡々として生きる。
これである、これ。ボキの目標。
今までが、なにしろ邪気に満ちた前半生であったからだ。まったく恥の多いジジイである。とてもじゃないが、よく生きていられるもんだと思う。それほど邪気に満ち満ちていた。
だからである。だから淡々として生きていくことを目標にしたいのである。
正岡子規の「病牀六尺」にある。岩波文庫ワイド版である。ボキの愛読書である。
最初に、病気の苦しいことが書かれる。
引用してみる。
>○病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪むさぼる果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。
たった六尺の布団が、広すぎるくらいであるとまで書いている。引き込まれる。脊椎カリエスという死病を患いながら、あれだけの俳句世界を構築した正岡子規である。どんなに辛かったであろうか。それを思うと、ボキもため息しかでない。
しかしである。
しかし、正岡子規はこんなことも書いているのだ。
>○余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
これである。
禅者の恐山菩提寺の住職代理を務める南直哉氏も、なんかのテレビ番組でこの正岡子規の文章に触れていた。悟りという部分である。
平気で死ぬことではない。むしろ平気で生きていることこそが、悟りであると正岡子規は言っているのである。
これは、ある意味大いなるカルチャーショックであった。
つまり、平気で生きるためには、「過去も未来も現在も」「平気で受け入れる」ということなのである。
このことは、時として激しい自己嫌悪に陥ることが今でもあるボキには、宝であった。特に、定年後に入学した某大学大学院を中退せざるを得なくなったときに、この部分が迫ってきたのである。この文庫本は、東洋一の巨大病院でベッドに寝かせられていたときも読んでいたからである。寝ながら、よ~~~~く考えていた。もしかして、学位を取りたいというのはオノレの執着だけではなかったのか、と。その結果中退したのだった。
さらにある。
それは周防大島で2歳児を救出した尾畠春夫氏である。この方の無私の精神に打たれた。
世の中の浮沈や、地位名誉なんてまるっきり関係ないのである。そんなもんとは無関係に、平気のヘイザで行動をなさっている。この方のように無私の精神で行動をしているのだろうかと思った。
いろいろと考えさせられることが多い夏である。
明日は、5番目の副業をやりたいので二次試験に行ってくる。一次試験は通ったからである。千葉市である。合格できたら、デスクトップパソコンを買いたい。一番高い奴を。
わはっははははっははっはははっはははっはははっはははは。
淡々として「行動」あるのみ。
ボキはそれしか出来ないからだよ~~~~ん。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ