幸福は不幸の後にくるから、人生はナンノ心配もないってことです。
今朝のウオーキングはラクだった。
秋風のようだった。涼しいというのではない。暑いときは、つらかった。帰ってきて汗びっしょりになったからである。
と思っていたら、今日も汗びっしょりになってしまった。NHKのラジオ講座を6:30から二つ聞いているからその前に帰ってきて準備している。ところが、やはり着替える必要が出てきた。
それからさっぱりして聞き始める。
むろんジジイだし、実力はついていない。海外に行っても英会話ができないからだ。無意識に出てくるようなレベルではない。
だから勉強しているのだよん。ヒマだし。やることもないから。
わははははははははははっははははははははははははは。
そして思う。
こんな生活をやっているが、ボキの前半生は不幸だった、と。今は、年金暮らしで余力は無い。ゼニもなければ、カミの毛もないが、それなりにシアワセである。家庭も崩壊しなかった。子どもたちもミンナそれぞれ家庭を持ってくれている。孫もいる。
感謝しているのである。
つまり、幸福とはその段階のまえに不幸があるのではないのかということである。
辛く・哀しい時間があってから、幸福になった方がヨロシイ。その方が幸福な現在がありがたいと感じるからである。比較して言っているのでは無い。今のことである。ただいまこの瞬間である。
この瞬間を感謝できないと、どっかでしくじる。
むろん、ボキの未来がずっと変化しないというわけではない。
どっかで変化する可能性はある。
それでも受け入れるしかない。そうなったらそうなったで、受け入れるしかない。
最終的には、死ぬのだからずっとこのままであるわけもない。
過去のことにこだわらないことである。
嫌な奴とは会わないことである。
過去のあるときにいじめられたら、そのことは放っておいてそんな奴とは会わないことである。親類だから無理だと思わないことである。会いたくなければ仮病を使ってでも会わないのだ。大人なんだから、それくらいできる。そのうち気がついてくれるだろうから。
この時にタメグチをきかないことである。言葉は丁寧にやって、遠ざけるのである。いんぎん無礼で結構である。結構毛だらけネコ・・・・である(^0^)。
せっかく、過去のある時期において、嫌な体験をさせてくれたのである。つまり、不幸な体験をさせてくれたから、会わなくても良しという判断をさせてくれたのであるからだ。そういう意味で、今の幸福は過去の不幸にあると言うのである。
逆に感謝してやれば良いのだ。
嫌いな奴からは、気持ち悪いとなって、逆に遠ざけられるだろう。
それを自分が望んだのだから、それで良しとしなくちゃアカンですなぁ。
過去の不幸も、明日の幸福のためになる資金源としていけば良いだけである。
今日はこれから千葉市に出かける。五番目のアルバイトの面接試験がある。午後1時からである。楽しみである。これもアレですな。過去の不幸体験があるから、オファーがあるのですなぁ。
笑ってばかりいるだけのジジイでありますけど。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ