勝負事は人生を間違う可能性があるかもしれない。ホントウにそう思う。
競争しない、争わない、他と比較しないなんてぇことを言ったら、申し訳ない。高校野球がまっさかりであるからだ。高校野球は、まさに競争しているのであり、争っているのであり、他校との比較の上で成り立っている。
これを全面的に否定したら、競技そのものが成り立たない。
ボキは高校野球が大好きである。テレビでも見るが、実際野球場へ見に行ったこともある。何度もである。
ボキ自身、中学のセンセをやっていた頃、軟式野球部の監督もしていたのだ。マジである。柔道はその後高校のセンセになってからである。
だから大好きなのである。
もうノックもできないけどねぇ。
身体を壊してしまったし。
で、柔道の方である。
考えてみたら、もう50年以上やっている。? そうじゃないですな。最近の7年間は完全に引退してしまった。もう乱取りなんかできやしない。
指導者としてもだめだったなぁ。
ま、それはそれで良し。
問題は、野球も柔道も争う、競うものであるということなのである。
比較の上で成り立っている競技なのだ。
そんなことはあたりまえだろうといわれるかもしれない。
わかっちゃいるけど、イザワルを得ない。
競技だからこそ無明に迷う
地位やメダル、名誉も欲しいとなるからである。
しかし、これって学者や研究者も含まれるのではないのか。地位や名誉も関わってくるからである。ボキもそういうものが欲しかった。だから無明に迷っていたのだよん。
まったくどうしようもなかった。どうしようもないのは、現在進行形でもあるけどねぇ。
しかし、あるときからあっというまに変わった。
3秒で変わった。
競争しない、争わない、他と比較しないということを実践したからである。
そして現在のオノレを受け入れたからである。過去のオノレも受け入れた。これからやってくる未来も受け入れた。これから死んじゃうからである。いくら拒否しても死は確実にやってくるからだ。
時として激しい自己嫌悪に陥ることが今でもあるが、ともかく受け入れるしかなかった。でないと、生きていられなくなる。
生きるためには、競争しない、争わない、他と比較しないである。
某大学大学院で学んだことでもある。
いくらでも優秀な方々はいたからである。
ボキ如きが、ドクターを目指したということが世界の七不思議であった。笑ってしまうけど。
太極拳も指導者なんか目指してはならない。間違ってもそういうことをやっちゃいけない。一介の趣味人として生きるしかない。
ああああああああああ、今朝は清々しい。昨日のような不安定な天気ではなさそうだから。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ