過去を、現在を、未来を受け入れることが一番大事なことなのだと思う。
みっともない過去を全部捨ててしまいたいと思うことがたくさんある。時々慚愧の思いにかられるからだ。
べろべろに酔っ払って他の方々にご迷惑をおかけしたこと。新聞店で店主のS氏に喰ってかかったこと。苦学していたことの恨み辛みで亡父・亡母にグチを言ったこと。
少年時代には、いろんな虫のイノチを奪ってしまった。里山の中である。
長じてからは、仕事の世界でトラブルばかり抱えていた。そういうトラブルの処理係までやらされた。主義主張の異なる同僚たちに迷惑をおかけした。
慚愧の思いである。
現在は、ただの年金生活者である。しかし、相変わらずである。家人をはじめ、独立していった子どもたちに迷惑をかけている。孫もこんなジジイをうざったいと思っているだけかもしれない。いろんなアルバイトをやっているが、これもまた迷惑をおかけしているのだろう。いろんな意味で。
未来はどうなるのだろう。寝込んで死んじゃうだけなのかも知れない。
そういう過去も、現在も、未来も全部まるごと受け入れることだと気がついた。今朝起きたらそう思った。
過去は特にそうだ。現在もそうだ。未来もなにが起きるかわからないのだから受け入れることだ。
本当にそう思った。
台風一過の後に登場してきたお日様を見ながら、そう感じたのだ。
お日様は、過去も、現在も、未来も関係なし。繰り返し登場してくださるのだ。無制限に永遠ではないだろうけど。
実にありがたいことではないか。
こんなボキでもお日様はあたたかく照ってくださる。ましてや、イノチまで活性化してくださる。
孫が帰省しているから、朝のウオーキングは中止しているけど、まったくそう思う。いつもだと、4時には起きて歩きに出かけてしまうから。要するに起きられないのだが(^0^)。
こういう感覚は一回限りではない。なんども押し寄せてくる。つまり、「受け入れること」である。しかも、すべてをである。全部丸ごと受け入れて生きていくことである。一回だけそう思ったって、続かない。
何度も何度もそういう感覚になってくる。だから普段からのオノレに対する言い聞かせなのだ。毎日、毎朝自分に言い聞かせるのである。「すべてを受け入れよ」と。
これが出来なければ、いつまでも執着してしまう。
失恋した時だってそうではないか。いつまでもこだわっていたら、タダのアホである。しかもつきまとっていたらストーカーである。犯罪になる。
だから起こったことは、受け入れるしかないのだ。断られたら、ああそうですかと引き下がるしかないのである。
わははっははっはははっははははっはははっははは。
今日は、孫と一緒に九十九里浜の隣にある東庄町に出かける。相撲の出羽の海部屋が合宿をしているからだ。御嶽海の部屋である。むろん彼はスターだから、この合宿にはこない。こないけど、孫たちに相撲の稽古を見せてやりたい。オトコの生き方を学んで欲しいと思っているからである。むろん、相撲好きのジジイも一緒に見てみたいからである。
さ、今日はこれくらいにしましょう。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ