落ち込んでいるヒマもないのじゃ。ボキは、勝負することだけが人生ではないとマジに思っているからだ。
ホントウに他人と比較しないで生きていくことができるか。唯我独尊。我が道を行く。オノレはオノレ。
これができれば、怖いものなしである。
勝負だけが人生ではない。勝ったり負けたりすることは、人生にはいくらでもあるからだ。
だから、負けたら落ち込む必要もない。落後者になっても、生きていられるのだ。
ボキが良い例である。ボキは落ち込んだりしない。それだけが唯一の長所である。マジに。
落ち込んでいたら、苦学なんてできなかった。新聞店に住み込んで小説ばかり読んでいた。幸い、文学部の国文学科に入ったから実に良かった。金持ちの坊ちゃん、お嬢ちゃんばかりの大学クラスメイトには読書量でひけをとらなかった。
そりゃぁ、金持ちのクラスメイトに関してはうらやましかった。
でもナイモノはない。カネがないのだから、それはそれで受け入れるしかない。新聞販売店で働かないとメシも喰えなかったからだ。学費は、新聞社から借りていたからそれも心配はなかった。
これが、ボキを鍛えてくれたのである。
修行だったと思う。
今でも感謝している。
なかなかできない経験をさせてもらった。
こういう経験をさせてくれるために亡父と亡母がいたのである。亡父は、ボキがそうやって親にまったく迷惑をかけなかったことを喜んでいた。しかし、亡母はさすがであった。亡父に、そういうケチな考えだとボキはもう二度と故郷に帰ってこないと云ったのである。
当たっていた。
ボキは、故郷を捨てたからである。
ついに九十九里の塵芥となって、墓に入ることになる。見ず知らずの土地であった。教員採用試験にやっと合格して、やってきた初任の地である。そこで、定年まで勤め上げた。最後は、家人の母校の管理職で終わった。
ありがたいことである。
さらにある。
それは、4つの副業もさせていただいていることである。某大学非常勤講師、通信制高校の非常勤講師、学習塾講師、交通安全講話専門の講師である。それとボランティアで歴史の会でも事務局その他諸々をやっている。
家に閉じこもって、鬱になっているヒマもない。
ささやかだが、小遣いも入ってくる。そのほとんど全部をAmazonに入れあげている。本を買うためである。
商売道具である。山となって積み上げられているボキの書庫にある。これがあったから、サラリーを貰っているのだ。しかも、定年後にもオファーをいただいている。
楽しいこと限りなし。
だから、落ち込んでいる時間がないのだ。
それに、ボキは「アワナイ奴とは、会わない」主義でもある。会っていて、不快になる奴(オトコとは限らない)とは会わない。仮病を使ってでも会わない。言葉でもってキタナイことを言ってくるアホとも会わない。
そんな時間がもったいないからだ。
充実した後半生を送りたいからだ。
だから落ち込んでいるヒマもないのである。
わはははっははっははははっはははっはははっははは。
オシマイ。