面白がって生きていることだ。人生を活性化させるから。なんでもそうでっせ。
なんでもそうだが、「面白がる」ことが大事なことなのではないのかと思う。
一昨日の5番目のアルバイト決定もそうだ。面白がっているから、試験を受けてみる気になったのである。それに、ボキは普通科高校で授業をやったことがない。二校の農業高校のみで、あとは長い長いギョーセーショク&カンリーショク畑にいた。それで37年間のセンセ生活を終えてしまった。寂しいかぎりであった。柔道部の顧問も二校しかやっていない。柔道を一緒にやって、若い人たちとのふれあいを求めていたのに、出来なかった。
これもシナリオがあらかじめ書かれていたのである。そういう運命だったのだ。
だから、定年後に塾だの、大学の非常勤講師だの、通信制高校の講師だの、今回の私立高校講師だの、交通安全講話専門の講師だのとやっているのである。合計5つやっていると書いているのだ。
多忙だと思われるかもしれない。全然そんなことはない。時間だけ行けば良いのだから、拘束時間は短い。当然、収入も少ない。あたりまえである。時間的拘束が短いからである。
その代わり、充実している。勉強しなきゃこっちも困るからである。特に塾は、あらかじめどんな生徒を持つかわかっていない。ごまかしがきかない。実力勝負である。こいつはアタマの刺激になる。だから、毎日NHKの英語講座を聴いているのだ。しかも二つ。でないとわからないの連発になってしまうではないか。
したがって、スリルが多い。
ドキドキするようなスリルがある。(あまりドキドキするようなこともないけど)
これが面白いのである。
こんな面白いことはない。変人だと言われる由縁である。
わははははっははははっははははっははははっはは。
よく言われることがある。そんなに稼いでどうするんだい?って。誤解の猪八戒である。損得でやっているのではないからである。だいいち稼いでいない。時間数にしたら、まったく稼いでいるというのに値しない。そりゃぁ、毎日8時間稼いでいたら、これだけの種類をやっていたらずいぶん稼ぐことになる。
違うのである。事実上そんなことは不可能でもあるし。
ボキは、損得勘定は巧みな方である。あるが、面白がってやっているから出来るのである。ある意味、ボランティアのようなものである。
年金をいただいているから出来るのである。ありがたいものである。
こんな面白いジジイ生活を送ることができるだけ、シアワセである。
今朝は、いつも徘徊しているウオーキングコースで神社に寄ってきた。
これだけのアルバイトをさせていただいていることを感謝してきた。
神社に行っても、ボキはお願いごとをして来ない。ありがとうございますとお礼を言ってくるだけである。(神社はお願いごとをしてくる所にあらずと思っているので)
こんな風来坊のジジイが、今さら神社でお願いごとをしても、神様は呆れかえっているだろうから。
わははっはははっははははっはははははははっは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ