結局雑学屋
で、ワンコの散歩から帰ってきて、自分の部屋に入ってベッドのワキに置いてある睡眠導入の書籍を手に取って、ちょっとだけ読み始めた。ベストセラーになったホンであった。枕元には二つ...
結局雑学屋
で、ワンコの散歩から帰ってきて、自分の部屋に入ってベッドのワキに置いてある睡眠導入の書籍を手に取って、ちょっとだけ読み始めた。ベストセラーになったホンであった。枕元には二つ...
ワンコが老いた
昨夜、ワンコが鳴くので散歩に行くしかないからと思って散歩に連れ出した。ちょっとだけだが。なんだか時間の案配もわからなくなってきたワンコである。老年である。愚生と一緒である。かわいそ...
薔薇が書けるか
昨日の塾で、英語と国語の面倒を見ていた。英語はともかく、国語は読解であったから、お手のもんである。中学生といっしょに、漢字のかきとりもしていた。そしてちょっと雑談的に、漢字をど...
誰だって老いるし、死ぬんでっせ
昨日、師匠に駄文を提出して、おおむねの方向性はいいだろうとなって、これから再度チャレンジである。勉強中の領域では無いのだが、民俗学みたいなことをやっているので、これは避けて通ることができないのだ。房総の津波供養のことだから。仕方なし。幸い、火曜日に写真をとったし、材料はふんだんにある。古文書も材料としてはある。不足しているけどねぇ。居住地の図書館に、その不足分が来ているというので、さっきmailで案内をいただいたが、この雨じゃ出かける意欲を失ってしまう。ま、午後からなら行けるか。その時は、ルンルンといきまひょ。
しかしだ。すばらしい師匠に教えていただいているものである。師匠は、芥川龍之介と堀辰雄の高校・東大の後輩でもある。こういう碩学に教えていただいて、ありがたいことかぎりなし。オレのやっていることなんか、研究とはとてもとても云う資格の無いずいぶんつまらないことであるが、大学院で学ぶということは、いい師匠との出会いなのである。それしかないのだ。そして図書館と、自学自習室があるかどうかというだけである。
しかもオレの場合は将来性がまったくない。師匠も、オレの年齢のことは気にしてくださっている。つまり、限定された意味ではるが、オレのことは現状維持でいいということなのである。このまま突っ走るしかない。リタイア組である。唯一活躍の場としては、郷土史の世界がある。あるだけ仕合わせというものだろう。いろいろな人間関係で、郷土史の場を与えていただいたのだから、感謝している。こっちには、定年が無い。だからありがたいのである。
勉強すればするほど、博士論文を書いて、見事に博士になられたトシの若い俺の先輩達というのは、すばらしいもんだったのだとわかってきた。同時に、オレにはそんな資格はないということもわかってきた。厳しい世界である。それがわかっただけでも、良かった。研究者とか学者の世界というのは、考えられないほど厳しい世界である。
オレは、一介の田舎教師で職業人生活を送らせていただいて、良かったと思っているのだ。ほんとうに、教師が天職だったのだ。今になってよくわかるのだ。これでよかったんだ。しかも、定年まで勤務させていただいた。これほどありがたいことはない。途中で消えていった方々も多くいたからである。
もうオレには夢というものは無い。オレの夢は、「いい教師」になることだった。なれたかどうかは神のみぞ知ることだ。そしてその時期は終わった。これからその夢を追求したって、無理である。一生かけて追求してきた夢であった。そして、退職後は生涯学習である。第二の人生とか、資格取得とかまったく無縁の生涯学習である。のんびりと、ゆったりと長い時間をかけて、死の準備をしていくのである。そう、オレは死ぬために生きているのである。最後は誰だって死ぬのだからなぁ。誰だってですよん。そこのあーた、あっちのきーみ!わはははははは。
だから、死ぬことを拒否して、できるだけ考えないようにしているってぇのは所詮無理がある。こういうことを云ったり、書いたりすると、マダマダでしょう?とか、そんなじーさまのようなことを云わないで(オレは見た目もじじいだし)、もっと夢を持って頑張りなさいよという方がいる。事実いる。そういう方は、アンチエイジングで凝り固まっている。老いることがよくないことだと思っている。そうじゃぁないのだ。誰だって老いるのである。誰だって老いるのだ。百パーセント老いる。そして、死ぬのだ。オレは、ワタシは死なないって言っても無駄である。
電車の中で、恋人らしき男女がくっついている風景を見ることがある。ご苦労様なこった。これからいろいろ経験してじじいやばばあになっていくのだ、おめーさんたちだって。そして、死ぬ。ミニスカートなんかはいていたって、トシはとる。老人になっていく。「やだぁ~」って黄色い声を出したって、老いる。それまで生きていられるかどうかもわからねぇのだし。
そういうことを、少しは考えられたほうがよろしい。現世享楽だけを目標にシテ、つまらないメル友とかFacebookのお友達の数だけ気にして、スマホを見たまんま歩いていてクルマに轢かれていたら、しょうがないでしょ?
オレはねぇ・・・こういうことを人生の大疑問として考えるようになって、それが高校時代の3年間で解決出来なかったから、こんなになっちゃったんだ。そういうのを人間学というのだけれども。ちなみに、オレの修士は()の中に、人間学と書いてある。マジに。修士(人間学)ってね。
後悔は無いよ。
そして、まだまだこれからもオレは、十代後半からの人生の大疑問を考え抜いていくつもりなのだ。これには定年が無いからなぁ。
わはははっは。
(^_-)-☆
今日から、在籍校の留学生から中国語講座で、N駅の前にある本学インフォメーション・センターで教えていただくことになっている。社会人講座というもので... blog.goo.ne.jp/tym943/e/c4976…
去年の記事 学割だよーん blog.goo.ne.jp/tym943/e/c2591…
★このあとNスペ「逆境からの再出発 ~高齢者を支える医師たちの挑戦~」★@nhk_n_sp 震災を機に、超高齢化に対応できる医療の再構築が進んでいます。今夜10時00分~nhk.jp/special
時間と空間を限りなく捻ることができる。誇張したり、縮小したり、伸ばしたり、いろんなことができるのが漫画です。でも、アニメーションは現実の世界を描きました、というものだと僕は思っているんです。時間の流れも、それから空間の在りようも。それで映画になるんだと思います。
前の盗み「無職」と偽った女教諭、今回は懲戒免 : 社会 : (読売新聞) yomiuri.co.jp/national/news/…「上尾市立中学校の女性教諭(49)を懲戒免職」。埼玉。「ほかにも万引きをやった。生活に対する不安があった」だって。教員にも生活不安はあるのだな。
私は、あくまでも楽観主義者です。人類がこの地球上でなすべきことを既に終了したとは思いません。何が問題かをまず理解し、知恵を総動員すれば、それは可能だと思います。人類が共同で解決方法を探し、共同でそれを行わなければなりません。 『エンデの文明砂漠』
びっくりしたのが、中国語の先生が、クラスメイトだった!これはこれは。ますます出来が悪いと叱られてしまうですぜ。
しかし、まぁ凄いクラスメイトだよ。語学の天才だよん。中国語、英語、日本語・・・全部できるんだからなぁ。オレは日本語すらおぼつかねぇよぉ。話にならん。
学割を入手した
学割を入手した。12月7日に京都まで行かなくちゃならない。理由が・・・笑った。「課外活動のため」である。当然、どっかの高級官吏みたいな出張ではない。旅費も参加費もど...
らんだ ランダ 乱打 ? 懶惰だ
ホトホト自分の能力の無さに、いやけがさしますなぁ。まったく、まったく。これって生活がかかっていないから、能力もそうだけど、やる気に問題があるんですな。人間は、カネがからむとホンマにやる気が出るっていいますからね。そういう意味では、オレは失格ですよ。師匠に提出した駄文を見直せば、見直すほど、間違いを発見してしまうからです。わはははっははと笑うしかない。まったく困ったもんじゃ。
一回で書けないのかねぇ。訂正につぐ訂正の連続でおますよ。しょうがねぇじじいですな。しかも、記憶力に乏しいとくる。中国語もいっこうに覚えられない。次から次へと忘れてしまう。いろんなヒトに教えてもらうようになったが、これって馬鹿な弟子だということで、今に捨てられますな。できそこないめ、あっち行ってろ!ってな具合に。
なにしろ、来週成田から空を飛んでどっかに行こうというのに、コースを把握していないんだから。昨日、ツマ様(通称配偶者)にこっぴどく叱られてしまったっすよ。なんでもツマ様任せで、もしかしたらどこに行くのかもしらないんじゃぁないの!ってねぇ。わははっはは。(笑っておる場合じゃねぇなぁ)
オレは、同時行処理っていうのができないのだよん。よく言えば集中力がある。集中すると他のことが目に入らない。むかしから、そうだ。一切が、オレの全世界になっちまう。自分勝手とも言うのかなぁ。そうかもな。だから、オレ、ここまでよく生きてきたもんじゃと思うのだよ。生きられたという方が正解か。
周囲の人たちにずいぶんご迷惑をおかけしただろうなぁと思う。<(_ _)>
感謝するしかない。
さて、ここからが本題。(あいかわらず、前書きが長い)
今日から、在籍校の留学生から中国語講座で、N駅の前にある本学インフォメーション・センターで教えていただくことになっている。社会人講座というものである。楽しみなのだ。チョー基本から教えていただく。こういう機会を徹底的に利用するしかない。在籍している間は、なんでも活用することだ。それが、オレの能の活性化につながるのなら、なんでもやる、やろうと思っている。幸い、オレは健康だ。まだ生きるような気がするし。
もうひとつある。
それは出来損ないのアタマを活性化するために、「思い出す力」を付けたいのだ。先日のNHK番組「ためしてガッテン」で記憶力のことをやっていた。人間、記憶力は衰えないのだそうだ。「思い出す力」は確かに衰えるようだが。しかし、NHKにはいいことを教えていただいた。なにか?つまり思い出す方法についてである。場所細胞というのがあるのだそうな。これはこれはいいことをお聞きした。早速実践をするしかない。これで、もう年齢のせいにはできなくなった。じじいだから、忘れてしまったのではなくて、思い出せないのだ。なるほど、なるほど。ずいぶん思い当たる。
それに印象深いヒトのことは、何でも記憶できるしなぁ。誕生日しかり。出身地しかり。なんでもだ。
もっともあまりいないけどね。そういうヒトは。特にじょせー。わははははははは。
では、また!
(^_-)-☆
歌い手や優れた楽師が反省に導かれて演奏しようとするといつでも死んだ演奏になる。同じことは作曲家、画家、のみならず詩人にも当てはまる。つねに芸術にとって概念は不毛である。概念は芸術の技巧の方面で多少の導きとなるかもしれないが、概念の本領は、科学である。
[新着記事]毎日のネット放送で当事者たちと交流を続ける 「清水ひきこもり研究所」の新たな取り組み - 「引きこもり」するオトナたち bit.ly/1a0LdGo
【即興リクエスト朗読会】10月20日(日)栃木県小山市進駸堂書店で開催。沢木耕太郎『流星ひとつ』、宮沢賢治『注文の多い料理店』、柴田トヨ『くじけないで』、3本をYouTubeにアップロードした。どの本も注文に答えていきなり読んでいる。
youtube.com/user/watanabeT…
賢者たちはこう言われた。「『まず、私の聖所から始めよ』と読んではならない。『まず、私を聖なるものとして崇める者たちから始めよ』と読まなければならない、タルムード『シャバト」(安息日)55aの言う通り(…)。」『エゼキエル書』9・6に関するラシの註解
「韓国は半導体産業を再び成長エンジンにするための戦略をまとめた。産業通商資源部は、世界市場でのシェアが1988年の51%から昨年18%まで下がった日本の半導体産業を反面教師にした。」/韓国が半導体戦略 モバイル用CPUコア国産化など japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/…
稽古という語。「古えを稽(かんが)ふる」と訓じられますが、「稽」とは拝稽首の礼。地に頭を付ける、もっとも重い礼。「古」は、それを口で囲めば「固」、不変の真理をいう。不易のなにものかに拝稽首をする。疑義をはさまず、知も通さず、まるごとごっそりからだに取り入れる。それが稽古です。
NEWSポストセブン|護憲で知られる日本共産党 1946年当時は憲法9条に反対した news-postseven.com/archives/20131…
オレのブログに来てくださる方々で、と~ま君じっちゃまは相当おもしろいじじいなんだろうと、メールをくれるヒトがいるが、そんなことはない。まじめを絵に描いたような、上にクソがつくほど、まじめなじじ... goo.gl/7qCjGV
去年の記事 シリがいたい blog.goo.ne.jp/tym943/e/e3aaa…
ことに政治的な案件において、空論化とか理論家とか学者とかいえば、それはペダンテリーの徒という意味であって、物事をたぶん抽象的には知っているが、具体的には知らない人たちのことである。
「主の祈り」は簡潔ですが、とても美しいものです。この祈りは、ほんとうに私にぴったりくるでしょうか?私は、汚れのない開かれた心で、この祈りを唱えることができるでしょうか?この祈りにはすべてがあります。
かたいイスで
毎日固いイスで最低でも5時間は大学の隠棲室で、頑張っています。(^-^)/それで困ったチャンが勃発。おしりの筋肉が衰えてしまったのです。痛いんです。イスに当たる部分が。...
雨、雨、雨・・もっとフレ
今日は、朝から雨が降っている。だから、電車に乗らず、自分の車で居住地にある大図書館に来た。昨日大学で書いていた津波供養塔の原稿を仕上げなくてはならない。明日のゼミまでには提出したい。九月の明海大学を会場とした日本安全教育学会で口演した、「房総の津波と日本古典」を全面改定して、仕上げよと師匠に言われているので。それに、来週は日本にいないから、焦っているのだ。
だったら、こんなブログなんか書いているなよと叱られそうだが、ま、仕方なし。このブログというのは指の運動にもなっているのだから。それに、ブログの原稿というのはあっという間に書いてしまうから気楽なもんだ。そもそも、会話体で書いているからしゃべるようにやっている。だから、実にくだらないことばかり書いている。
オレのブログに来てくださる方々で、と~ま君じっちゃまは相当おもしろいじじいなんだろうと、メールをくれるヒトがいるが、そんなことはない。まじめを絵に描いたような、上にクソがつくほど、まじめなじじいなのだ。誰も信用してくれないがねぇ。中には、勘違いをされる方もあって、一緒に呑みに行ったら相当モテルでしょうなぁ?と聞く方もおられる。あははっははっはっははである。そもそもオレは呑みに行くのが大嫌いであるから。カネもないし、年金生活者に贅沢は禁物である。それに、わけのわからねぇミニスカートなんかはいたねーちゃんと話をする内容もないのだ。話したっておもしろくもなんともねぇから、行かない。カラオケも昔は好きだったが、今じゃぁやりたくねぇのだ。
じゃぁなんの爲に生きているんだい?って言われる方がいる。逆にお聞きしたい。酒飲むだけが生きがいでっか?と。会社員ならわかる。組織に属していたら、そういうおつきあいを拒絶してはならないとオレは思う。それはそれなりに大切にしないと、浮く。浮いた人生しかなくなる。社会性というのは、自分はつまらんと思っていても、仕方なしなのだ。孤高に生きるのもいいだろうが、いい加減でもいいから、飲み会くらいは行った方がよろしい。自分も含めて、人間のあふぉ~らしさが、よくわかるからである。
人間観察ほどおもしろいものはナイからだ。実に勉強になる。世間にはいろいろな人間がいるからである。よくもまぁこれほどいろいろなタイプの人間ができたものである。神の奇跡である。学校の教師を長年させていただいたから、本当にこれは感じていた。ま、オレも変わった人間の変種であるから、なんともなんともヒトのことは・・・だけどねぇ。
人間観察はある意味、民俗学と通じる。民俗学は、人間のたましいを扱う。だからおもしろいのである。それにオレはヒトと会うことがたまらなく好きだ。津波供養塔の調査で、一宮あたりまで出かけていって、場所がよくわからんときに、たまたま通りかかった老人たちに、あるいは子供たちに聞くことがある。もっともその前に、相当の準備をしてから行く。史蹟の位置、住所等々の調べをしてから行くのだ。当たり前である。現地で、住所を調べているようでは、失格である。文献もかなり読む。でないと無理である。ただし、カーナビができたから、相当便利にはなった。これがないともう無理である。現代の科学に感謝である。よくもまぁこんなのを発明してくれたものだ。アタマのいいヒトはいるのものだなぁと感謝である。
だから、オレは話題の狭い、まことにおもしろくもなんともないただの偏屈じじいなのだと自称しているのだ。その方が気楽に生きていけるからなぁ。お後がよろしいようで。
わはははは。
(^_-)-☆
もっとも、自分で自分を美女だと認識しているってぇのは、おおいなる勘違い文化の影響のもとにあるだけで、そんなのはあくまでも「自称」でしかない。
... blog.goo.ne.jp/tym943/e/ceed6…
信仰や崇拝のような個人の心理作用だけで宗教を語ることはできないよ!戒律、儀礼、祈祷、そういう脈々と続く行為の伝統にもきちんと目を向けてね!宗教を考えるうえで、人間の身体、聖なる場や時間を規定し分節する行為が大切だっていう事例はたくさんあるんだよ。
安倍首相が外国資本の土地買い漁りへ歯止めの決意。法整備へ舵を切りました。本日1面。夕刊フジ・アンドロイド版→ow.ly/q2UmU。iPhone/iPad版→ow.ly/q2UmV
一覧表が整理されていて参考になる。→「月1000円以下で受験講座 格安オンライン塾の活用法」。
・受験サプリ
・大学受験まなぞう
・大学受験倶楽部
・GAKUMO
・manavee
nikkei.com/article/DGXDZO…
去年の記事 太平記は現代にも通じる blog.goo.ne.jp/tym943/e/7b8d1…
愛する者の死と真向きになったとき、人は初めてその人への愛の深さに気づきます。「私の命と取り替えてください」と祈る時の、その純粋な愛の高まりこそ、この世で最も尊いものでしょう。
CiNii 論文?-? 豊臣政権の九州国分に関する一考察 : 羽柴秀長の動向を中心に(II 中世社会の展開と近世社会の成立,近世社会の成立と展開,所理喜夫先生退職記念号) ci.nii.ac.jp/naid/110007003… #CiNii
■「命とはなにか。それは、夜の闇にまたたくホタルのきらめき。凍てつく冬の空気にバッファローの吐く白い息。草原を走りまわり日没とともに消えてしまう小さな影。」【インディアンの言葉】
現代の太平記とは
太平記は本当に現代の政治をあらわしている。このことを政治屋さんたちはしるべし。大衆とエリートが離反したらどうすんのかね。そのことの備えなしに、毎日を生きるってことは間違っておると思...
鎌倉後期の女性商人
鎌倉後期の女性商人厳島神社反古経裏文書 年月未詳 鎌倉時代某書状(鎌倉遺文)そのさいふ いまやかへのほさせ給候はす候ハ、この月のひんこのふかつのいちへ、人を給候て、ようとうの□(候...
剛の美、柔の美
昨日、茨城県のひたちなか市にある国営ひたち海浜公園に行ってきた。コキアが見事だということを知ったからである。しかも、今月だけでオシマイだとも聞いたからである。来月には植え替えをするとのことだった。これは見に行かなくちゃならんと思ったのである。自分のクルマで行くしかない。またクルマで強行軍である。ま、好きだからしょうがない。原稿書きはちょっとだけやればいいやと思ったから、事実、原稿には津波供養塔の写真を挿入して、ベースになっている9800字を訂正しながらやればいいと、まずは出かけてしまった。(午後からはやったけどネ)
良かったな。実に美しかった。しかし、コキアは触るとごつごつしているのだ。これは「剛の美」である。触ると痛い。ふむ、美人と一緒だ。美人も、遠くにありて眺めるもの。近寄ったら、危険である。わははっはである。
しかも、あまり見ているとセクハ*だとか云われてしまう。クワバラ、クワバラ。
コキアはそんなことはない。いくら見ても文句は言わない。これはありがたいものだ。美というモノは、こうでなくてはならない。もったいぶって、お高くとまって、周囲を小馬鹿にしていると仕舞には良い人生だったとは云えなくなりますなぁ。? あ、コキアと美人を混同してますな。
「剛の美」と反対側に位置するのが、「柔の美」である。
こいつは世の中にいくらでも見出せる。「柔の美」の方が多いのではなかろうか。見ているとこころが和むというような美。人間には無い美だろうなぁ。花がそうかもしれないと勝手に思っているけれども。「きゃわいい」とかなんとかいう「美」とは違う。秋葉原あたりに行くといるではないか。なんだか勘違いしておるきゃわいい~~~系の自称美女たちが。
もっとも、自分で自分を美女だと認識しているってぇのは、おおいなる勘違い文化の影響のもとにあるだけで、そんなのはあくまでも「自称」でしかない。
さらに怖いのが、一見「柔の美」でありながら、実は心底寒くなっちまうような「剛の美」の方がいるということだ。冷酷で、非人間的な。わははははは。経験上。
どっちにしてもオレとは無縁の方々だ。これから仕合わせな人生を送ってチョーダイと思うだけで、関わりたくもない。違う。言い方を間違えた。関わっていただけないのだ。あたりめーだ。オレのような庶民とは、そもそも違うんだろうからなぁ。
今日は大学に行くつもりだが、朝、リフォームの業者さんが来られて、玄関回りにコンクリートと敷石を配置するので、工事が始まった。進捗状況によっては今日も通学は無理かなぁ。家で原稿書いていればいいのか。そんなもんだろうな。そんなもん。
また、一日が始まった。
充実しているんだか、つまらない一日なんだかよくわからないケド。
↓ 10月13日の東京新聞にコキアのことが紹介されている。以下、引用しよう。
記録的な暑さの中でも、秋の訪れを告げるコキアの紅葉が、名所として知られる国営ひたち海浜公園(ひたちなか市)で始まった。先端が、ほんのり赤く染まったコキアの中で、観光客らが散策を楽しんでいる。
コキアは細かい葉と茎が丸く茂る。束ねてホウキに利用していたことから「ホウキギ」の和名がある。園内の「みはらしの丘」には国内最多の約三万二千本のコキアが植えてある。最大で直径約九十センチの大きさがある。
埼玉県加須市から家族で遊びに来た緑川式子さん(66)は「ネモフィラがきれいだったので、また来てみました。モコモコしていて風に揺れるとかわいい」と喜んでいた。
今年は朝夕の冷え込みがなく、遅れていた紅葉だが、十四日までの三連休中に進み、来週には見ごろを迎えるという。
入園料は十五歳以上四百円、六十五歳以上二百円、小中学生八十円。問い合わせは同園=電029(265)9001=へ。 (林容史)
特に、相手がわけー女性だと始末に負えない。わははははである。まさか、じじいのオレがナンパ?そんなことはねーだろうに。
目の前の先輩ばーさまは、耳が遠いのを除けば、えらく親切だった。これ... goo.gl/DBnWqc
Facebookのアルバム「ひたち那珂でコキアを見る」に写真を7枚アップロードしました fb.me/17Y95KIRo
コキアの精霊に誘われて、茨城県の常陸那珂に行ってきたのだが、ふと気がついたことがある。それは、ブログに学生日記とはタイトルをつけているものの、内容はまったく学生とは遠い世界ばかりだなぁ。わははは。
講義風景とか、クラスメイトとの語らいとか、まったく載っけていないんだもんな。ホントに大学生やってんのか?って言われるしなぁ。偽学生なんじゃないの?って。あのね、オレに写真撮られたくないんだそうですから。我慢してくだされませ。わははは。
「房総の津波と供養塔」の原稿を書き始めた。常陸那珂に行くまでのクルマの中で構想を立てたので、アトは、オレのイメージどおりに書くだけ。写真も原稿に貼り付けたし。けっこうおもしろい内容になりますぜ。オレだけそう思っているんだが。
去年の記事 終わってしまったオレにはモラトリアムは無いケド goo.gl/c7jIMY
去年の記事 オレをスカウトしたいって?そんなこともあったっけなぁ。 blog.goo.ne.jp/tym943/e/91422…
今のオレのカオはなんじゃ?誰だか知らないケド、とてつもなくエライ方で、男は40過ぎたら自分の顔に責任を持てって云われたのは。もう、オレは無理だな。
卑しさと貧相さがにじみ出ているよん。こういうのを老醜と云うのでっせ。なさけねぇなぁと思う。まことになさけねぇ!
オレはネェ、笑われるのだケド、人格円満・腹立たず・いつもニコニコで生きていきたいのですよん。できねぇから、そう思ってイルのだけど。職業がオレのカオをこんなにしちゃったのかな?いや、そんなあふぉ~な。
大洗に行くと、いつも行く海鮮料理の店で、オイしい料理を食べていたんです。ランチタイムでも、並びが出るから、オレとツマは、つまらないカオをしながら、11:30には入店したんです。それが・・食い方がきたねぇからというお叱り。卑しいねぇ。 fb.me/11K3lLuy5