と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

淡々として生きる。これが正岡子規や尾畠春夫氏に教えていただいたことである。感謝である。

2018年08月23日 08時19分16秒 | 精神のありかた

淡々として生きることは、死ぬことよりも難しいのではないのか。いろんなしがらみがあるし。もっとも死ぬのも嫌だけどねぇ。めでたくポッと逝くのが理想だけど。

 

 

淡々として生きる。

これである、これ。ボキの目標。

今までが、なにしろ邪気に満ちた前半生であったからだ。まったく恥の多いジジイである。とてもじゃないが、よく生きていられるもんだと思う。それほど邪気に満ち満ちていた。

だからである。だから淡々として生きていくことを目標にしたいのである。

正岡子規の「病牀六尺」にある。岩波文庫ワイド版である。ボキの愛読書である。

最初に、病気の苦しいことが書かれる。

引用してみる。

 

>○病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪むさぼる果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。

 

たった六尺の布団が、広すぎるくらいであるとまで書いている。引き込まれる。脊椎カリエスという死病を患いながら、あれだけの俳句世界を構築した正岡子規である。どんなに辛かったであろうか。それを思うと、ボキもため息しかでない。

しかしである。

しかし、正岡子規はこんなことも書いているのだ。

 

>○余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

 

これである。

禅者の恐山菩提寺の住職代理を務める南直哉氏も、なんかのテレビ番組でこの正岡子規の文章に触れていた。悟りという部分である。

平気で死ぬことではない。むしろ平気で生きていることこそが、悟りであると正岡子規は言っているのである。

これは、ある意味大いなるカルチャーショックであった。

つまり、平気で生きるためには、「過去も未来も現在も」「平気で受け入れる」ということなのである。

このことは、時として激しい自己嫌悪に陥ることが今でもあるボキには、宝であった。特に、定年後に入学した某大学大学院を中退せざるを得なくなったときに、この部分が迫ってきたのである。この文庫本は、東洋一の巨大病院でベッドに寝かせられていたときも読んでいたからである。寝ながら、よ~~~~く考えていた。もしかして、学位を取りたいというのはオノレの執着だけではなかったのか、と。その結果中退したのだった。

 

さらにある。

それは周防大島で2歳児を救出した尾畠春夫氏である。この方の無私の精神に打たれた。

世の中の浮沈や、地位名誉なんてまるっきり関係ないのである。そんなもんとは無関係に、平気のヘイザで行動をなさっている。この方のように無私の精神で行動をしているのだろうかと思った。

いろいろと考えさせられることが多い夏である。

 

明日は、5番目の副業をやりたいので二次試験に行ってくる。一次試験は通ったからである。千葉市である。合格できたら、デスクトップパソコンを買いたい。一番高い奴を。

わはっははははっははっはははっはははっはははっはははは。

 

淡々として「行動」あるのみ。

ボキはそれしか出来ないからだよ~~~~ん。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月22日(水)のつぶやき

2018年08月23日 06時25分14秒 | とーま君の流儀2018
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カナノーの活躍ぶりには、ジジイの胸にも血踊らせ、生きるチカラを与えてくれたです。

2018年08月22日 12時06分08秒 | とーま君の流儀2018

(*_*) マイッタなぁ。実に(*_*) マイッタ。金足農業高校にである。ボキのようなものにも、活力を与えてくれたからである。

 

 

そろそろ尾畠春夫氏のことを書くのもここらへんにしよう。いつまでも大ファンのようにおっかけていたら、それこそストーカーであるからだ(^0^)。ストーカーということは社会通念上罪悪とされているからである。それにボキも彼も同じジジイである。なんのおもしろみもない。

おもしろみというと、昨日まで甲子園を沸かせていた秋田県立金足農業高校の大活躍ブリには(*_*) マイッタ。

こんな高校野球は久しぶりに見た。昭和野球の復権である。バントの多用、全員秋田県出身であった。エリート軍団を中心としている私立高校とはまったく違った肌触りであった。

なぜ農業高校に関心があったかというと、ボキは高校のセンセ時代に農業高校にいたからである。しかも、二つ。そして、それしか在職していなかったのである。二つ目の農業高校を転任してから長い長い行政職の時間を過ごしたからそれっきりだったのだ。つまり、本来授業をやるべき仕事なのに、カンリショクという名のもと生徒とのふれあいができなくなってしまったのである。教頭になってからも、校長の目を盗んでは柔道場に通ったけど(^0^)。

ま、そんなことはどうでも良い。

だから、農業高校に関心があったのである。

教育内容についても熟知していたから、よくぞ農場実習もやりながら甲子園に行ったものであると感じていた。農場実習は朝も放課後も行われるから、本来セミプロのような高校野球強豪校とは立ち位置が違っている。だから、大変な野球練習をやってきたのだろうなぁと思った。

たいしたもんである。これは内部にいたものでないと分からないことであろう。

ともかく嬉しかったのである。農業復権の狼煙であるとまで思ったからだ。農業は国際化の中で厳しい状況にある。農業を大事にせんとアカン。食糧自給率を小馬鹿にしていると日本は滅びますぜ。

農業が嫌いだからサラリーマンになるってぇのも分かるけど、サラリーマンがそんなにラクで良い仕事でっか?と思う。自己満足してたら話にならん。それで喰っていくしかないんだったら分かる。しかし、農業を忌避しての結果だったら、ボキは?だ。

人には定められた人生のシナリオがあるのだ。先祖代々継承してきた仕事もそうだ。運命なのである。受け入れるしかないのだ。過去も、未来も、現在もである。全部まるごと受け入れてやっていくしかない時もあるのだ。

尾畠春夫氏も魚屋さんだった。

食糧関係の仕事だったのだ。

これが重要なのである。

人間は喰うための仕事を大事にせなアカンのである。

それから趣味とかスポーツとかが始まる。あくまで二の次なんだよ、趣味とかスポーツとかは。

もっとも、高校野球だって本来の高校での勉強が主体であって、なにも野球だけが義務なのではない。

そこんところを勘違いしていると人生を間違ってしまう。所詮、趣味は趣味である。趣味でやっている分には、大きな間違いはない。それをである。大きな勘違いをして、それでもって他人に指導しようとか思わない方がいい。

所詮趣味なのである。

肩肘はらず、チカラを抜いて淡々と生きる。尾畠春夫氏もそうなのではないのか。

もっとも、ボキは生まれついての脱力派だけどねぇ。

 

わははっははははっははっははっはははっははははは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月21日(火)のつぶやき

2018年08月22日 06時18分34秒 | とーま君の流儀2018
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歴博映像祭Ⅱ

2018年08月21日 16時31分16秒 | とーま君の流儀2018

これ・・・・凄い!

行ってみたい。

 

 

歴博映像祭Ⅱ

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マダマダ尾畠春夫氏に学ぶことがたくさんあるではないか。笑顔然りである。文句ばかり言っているんだったら、笑ってみるこっちゃ。

2018年08月21日 08時14分26秒 | とーま君の流儀2018

不平不満、グチ、泣き言、ワルクチ、文句なんかを言っているから、世の中つらくなるのだ。尾畠春夫氏の笑顔からそういうものを学んだような気がするのだ。

 

 

何事も実践しなければ意味がない。

この星は行動の星である。地球は自分でも自転しているし、公転もしている。時々、火山となって噴火もする。台風も来る。災害ももたらす。だからである。だから行動の星なのである。

その上で暮らしているボキ等も行動をしていかなくちゃアカンのである。死ぬまでは行動である。ま、睡眠もとるけど。睡眠も、行動のために事前に休んでいるのだと思えばやはり行動の星である。

水泳も、いくら教科書でその方法を教わったとしても、実際にプールに行って飛び込んでみなくちゃ泳げない。柔道もそう。太極拳もそう。やり方を教わっても、実際やってみなくちゃオノレのレベルもわからない。

ただし、太極拳は教本がない。師匠の方針で映像もとってはいけないことになっている。だから、未だに動きの名称が覚えられない。仕方がないから、別の流派の映像(youtubeにある)でもって自学自習しているけど(^0^)。

で、今回ハタと気がついたことがある。

周防大島で2歳児を救出した尾畠春夫氏である。彼の姿こそ実践の鏡ではないかということである。

かつて、老人大学でボランティア体験を教えていただいたが、あれもまた畳の上の水練と一緒であったと(_ _ )/ハンセイしているからである。老人が老人ホームに行って慰問をしてくるのだ。慰問される方が慰問しているのだ。もっともあれか、将来老人ホームに入所する候補生だしなぁ、ボキ等は。笑えない冗談であっったし。

実践が伴っていなかった。さらには、ボランティアされる方が、ボランティアやってナンになるのだ?と嘯いていたのだから話にならない。

そういう意味で、尾畠春夫氏に徹底的に教えられたのである。

なんでも斜に構えて、世の中を批判的に見て、さも自分はエライというような観点から文句を言っていたのである。情けない。

尾畠春夫氏から見たら、アホである。なにを言っているのだ。そう言われてしまうではないか。

実践がまったくないのに、文句や嫌味や批判的言動をとって得意になっていたのだ。これをアホと言わずしてナント言うのだろうか。(_ _ )/ハンセイするしかない。まるで大手新聞A・M・T社のようなもんである。文句ばかり言っているからだ。こんな新聞を読んでいたら、世の中真っ暗闇になっちまうではないか。生きていることが面白くなくなってしまうではないか。

不平不満、グチ、泣き言、ワルクチ、文句なんかを言っているから、世の中つらくなるのだ。

尾畠春夫氏の顔を見ていると、ボキはそういうものと一切関わらないようにしたいと思ったのだ。

ありがたいことである。

尾畠春夫氏は。ボキにとっては神様のような方だなぁ~~~って思うから。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月20日(月)のつぶやき

2018年08月21日 06時13分26秒 | とーま君の流儀2018
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笑いは人生を好転させる。尾畠春夫氏に学んだことである。もっともボキは、総入れ歯ではないが。

2018年08月20日 07時26分59秒 | とーま君の流儀2018

ドンドン笑って生きるべきである。笑いは、健康も、福運も呼び込んでくる。深刻な顔は、ボキには似合わない。スーパーボランティア尾畠春夫氏に、学んだことである。マジに。

 

 

「笑いは人生を肯定する」のだ。マジにそう思う。尾畠春夫氏の笑顔をテレビで見ていて、まったくそう思った。実に素敵である。あの笑顔で、「朝は必ず来る」と言われたら希望を持ってしまうではないか。

もうすっかり尾畠春夫氏にぞっこんである。オトコの中のオトコである。惚れてしまったのだよん。

大概は、ボキ、オトコが嫌いで近寄りたくもないが(^0^)。

オトコは見栄っ張りで、テメェの仕事のことしかクチにしない。話をしていても時間の無駄である。しょうもねぇことをクッチャベッテいるしかない生きものである。

それに打たれ弱い。攻撃している分は良い。しかし、攻撃されたらオシマイである。

その点は女性の方がたくましい。ただし、しゃべりまくっているのはウルサイ。Gymでも、何時間もクッチャベッテいる女性がたくさんいるが、あれはナンノためにクッチャベッテいるのだろうかと不思議に思うからである。

ま、どうでも良いことだが。

つまり、笑いは人生を肯定するからである。こんなアホなことを打鍵しているボキも、ボキは肯定している。アホだなぁと思うケド、それはそれ。アホなりにしっかり生きているからである。

わははっははははっははっははっはははっははは。

もっと言えば、「受け入れている」のである。これまでの生き方を、失敗を、挫折をである。

友人知人を失ったこともたくさんあった。

ボキは自己嫌悪が激しくて、ホントウにこれまで過去にとらわれて自分のことをアホと思ってきた。さらに自己嫌悪に陥ることが多かった。その結果、自堕落な生活を送っていた。飲酒癖もそうだった。異常に呑んでいた。ゴミ論文が書けなくて、それが理由で呑んでいた。博士になれないからと言って呑んでいたのである。

まったくのアホである。

お笑いぐさである。

今だから笑えるのであるが。

 

謙虚に生きているつもりというのもアブナイ。

それはマイナス効果しかもたらさない。表面だけ謙虚だからである。心底謙虚に生きているのかとなると、自称謙虚徹底タイプであるボキは真逆である。謙虚なフリをしているからだ。謙虚の奥に、とんでもない心理が潜んでいる。

文句を言われないようにするために、謙虚を装っているだけなのだ。つまりウソである。同じウソなら、明るい話をしていた方がヨロシイ。前向きに生きていることが、オノレの運命を明るくする。

これをである。オレはツイテいない。いつまでも苦しい。あああああああ、しょうもない人生を送っていると言っていると、周囲から友人知人がいなくなってしまう。

さらに、アルバイトのオファーも来ない。マジに。

今日、ボキはあるアルバイトのオファーが来たから、午前中に下相談がある。これが契約まていったら、とうとう5つめの副業になる。

笑って生きていると、ドンドン福運がついてくるようである。ありがたいもんである。

することがなくて、家に閉じこもって鬱になっているよりは良い。働くことである。ドンドン家の外に出て、笑っていることである。

 

わははっはははっははははっははははっはははっはははあっはは。

 

オシマイ。

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8月19日(日)のつぶやき

2018年08月20日 06時17分28秒 | とーま君の流儀2018
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尾畠春夫氏カルチャーショック症候群になっちまったようである。楽しい御仁である。山伏のような雰囲気もあるし。

2018年08月19日 07時02分09秒 | とーま君の流儀2018

カルチャーショックである。毎日、この方のことを考えては楽しんでいるから良い意味で言っている。凄い御仁が現れたもんだと。

 

 

尾畠春夫氏症候群にかかってしまったようである。

なぜこの方が、ボキのような愚か者を導いてくださるのかとふと考えた。

それは、一筋であるからだ。恩返し。今まで生きてきたこの世に、社会にである。あるいは、生かされてきたことにである。それに、完全に無償行為である。ボランティアと気軽に呼べないような質の高いものがある。崇高ですらある。

他人からの評価を求めていない。あくまで、自分の世界でのことである。

さらにある。尾畠春夫氏曰わく、氏の奥様が5年前に用事で出かけて、まだ帰ってこないのだそうだが、さもありなんとも思った。

尾畠春夫氏の言い方から想像しているだけのだが、奥様にとっては夫の生き方はたまったものではないだろう。家庭を顧みず、国民年金だけの収入でこれだけのことをなされているのだ。他になにか別の収入があるのか、まったく知らない。知らないが、実に大したものであると思う。思うと同時に奥様は苦労されているのではないのかとも感じたのである。

ボキのような凡人にはできない。そもそも、凡人であるからと言い訳をしてあらゆる困難から逃避しているようなボキである。

だからこそ、尾畠春夫氏にはかなわないと思うのである。

 

それと尾畠春夫氏の風貌である。どっかで見たような気がしていた。むろん会っているわけもない。大分県には一回しか行ったことがない。

いろいろ考えていたら、あっと思った。

それは東北の山伏である。

ボキの生まれた山形県には、出羽三山がある。月山、鳥海山、湯殿山等々である。そこに昔から山伏がおられた。ボキの生まれた県南地域、つまり置賜地方にも時々山伏がこられた。町でも見かけた。

畏怖していた。おっかねぇ方々だとマジに思っていた。

亡父から、さらわれるぞ!と脅かされていたこともあって、近づくこともままならなかった。

だいいちあの山伏装束が異様であった。

体力もかなりありそうだったし。

喧嘩したら(あり得ない話だが)、ぜったいたたきのめされてしまうと思っていた。悪さを専門にやっていた悪ガキ専門のグループに所属していたから、ホントウに怖かったのである。

そういう山伏の姿に重ねあわせて見てしまったのである。尾畠春夫氏をである。

ヘアスタイルも実に好ましい。なぜって言えば、ボキと一緒であるからだ。ジジイになったら、短髪が一番ヨロシイ。ジジイになっても、オナゴにモテようとしているアホがいっぺぇいるが、もうボキ等は関係ナイのである。相手にしてたら閻魔様に叱られますぜ。もういい加減に卒業した方がヨロシイですぜ。自称ドンファンの方々は。

いつまでも拘っていたら、それこそアホである。尾畠春夫氏に笑われてしまう。

邪気を捨てるこったなぁって。あの素敵な笑顔で。

 

尾畠春夫氏カルチャーショックである。

どっかの出版社から、伝記でも出してくれないだろうか。

まっさきに買いたい。

これからのボキのジジイ生活を改めるためにも。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月18日(土)のつぶやき

2018年08月19日 06時20分43秒 | とーま君の流儀2018
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小僧っ子。そうなんだよ、ボキはまだまだ小僧っ子なんだよん。

2018年08月18日 07時52分40秒 | とーま君の流儀2018

もうこの年になって・・・という台詞は言っちゃならねぇのだ(^0^)。ボキなんか、まだまだ小僧っ子だというのが口癖でもあるから。

 

 

この星は行動の星だなぁとしみじみ思う。この星とは地球のことである。地球自体が自転しているではないか。さらに太陽の回りを回っている。

この地球の上でナンダカンダと、つまらないことで生きているのがボキたちである。?・・たちと言ったら失礼か。ボキだけかもしれないから。

なんでそんなことを思ったかというと、尾畠春夫氏の快挙を知ったからである。周防大島の2歳児を救った方である。快男子である。

なぜそう思ったかというと実践の人、行動の人だからである。

78歳というけど、尾畠氏は「まだまだ」と思っておられるのではないのか。

よくいるではないか。もうオレは**歳で年取ったなぁとか、この年になって・・・トホホとか。そしてよく聞いたらボキとたいして変わらない年齢だったりするのだから、笑ってしまう。そんなこたぁ言っちゃならねぇのだよん。まだまだ未完成だと思っていくことだ。その方が面白いではないか。

ボキもその危険性はあった。大学院在学中のことである。定年退職して入学したのだが、あまりにも拘っていた。学位にである。欲しくて欲しくてたまらなかった。そして、この年になって・・・とも思っていた。定年退職したのだから、くたびれて当然だとか思っていた。自己嫌悪も昔から激しかったから、逆に努力した。努力がすべてを解決してくれると思っていた。

しかし、そういう過去を受け入れた。

さらに追い打ちをかけられたのが、尾畠春夫氏である。この方は、少年のような輝きがある。笑顔が実に素敵である。歯は総入れ歯だとテレビで言われたそうだが。ま、そんなことは関係ない。今をどうやって生きているかである。どう行動しているかである。グチや、他人のワルクチを言っている暇を惜しむことだ。そんな暇はねぇのだ。修行こそイノチである。

尾畠春夫氏は、まさに菩薩である。修行した結果、こうなられたのだ。

そして、周防大島を故郷としている宮本常一先生を思った。この2歳児の救出劇の舞台となった島である。民俗学者の宮本常一先生は、この島で生まれて大阪の師範学校を卒業された。生涯、125ccのバイクに乗られて、フィールドワークをされた。東洋大学から博士号も貰っている。文学博士である。つまり、行動の民俗学者なのである。ボキの大好きな先生である。

尾畠春夫氏が重なった。行動の人であるということが両者に共通している。

さらに宮本常一先生の「忘れられた日本人」(未来社 宮本常一著作集10巻)という著書がある。そこに「子どもをさがす」という短編がある。昨日、それを思い出して読んでみた。(pp.74~77)

まさに今回の救出劇と同じ事が書いてあった。びっくりした。しかも同じ周防大島が舞台である。宮本常一先生が自ら書いておられるのだ。

テレビを買ってくれという小学校の一年生が、買ってくれない親に反抗していなくなってしまうのである。このあたりはちょっと今回のこととは違っているが、問題は村の人たちの熱心な探し方よりも、どこか他のところからやってきた方々であった。普段は、つきあっているような雰囲気を持っているのだが、ワルクチを言ったのである。捜索にも参加しなかった。評論家なのだった。

この少年、どこにいたのかというとちょっと困らせてやろうとある場所に隠れていたのであるが、その場所はここには書かない。知りたい方は読んでいただければと思う。

ううううううううううううううううううううううむ。

なんだか今回の事件を予見していたようで、怖かったですな。

マジに。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月17日(金)のつぶやき

2018年08月18日 06時18分07秒 | とーま君の流儀2018
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わずか20分で発見・・・ボランティア男性の場数踏んだ勘(18/08/15)

2018年08月17日 19時23分46秒 | とーま君の流儀2018

わずか20分で発見・・・ボランティア男性の場数踏んだ勘(18/08/15)

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山口県2歳児発見の男性 発見時の様子を涙浮かべ会見 2018年8月15日(水)

2018年08月17日 19時22分34秒 | とーま君の流儀2018

山口県2歳児発見の男性 発見時の様子を涙浮かべ会見 2018年8月15日(水)

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/