おかんのネタ帳

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宇治ウトロへ

2023-08-20 13:54:07 | 演劇・舞台
近畿演劇鑑賞連盟の8月例会は、文学座の「五十四の瞳」。
瀬戸内海に浮かぶ兵庫県姫路市の家島諸島に戦後、朝鮮学校があった。
専門家によると、全国で唯一、在日コリアンと日本人が一緒に学んだ学校だったとか。

その歴史をもとに、姫路出身の劇作家、鄭義信(チョンウィシン)さんが描いた物語。
文学座の松本裕子さんが演出するその作品を楽しむために、7月、京都府宇治市にあるウトロを訪ねました。
京都労演の会員であるkoukiさんの案内で、Twitter仲間(あ、X仲間っていうのかな??)を中心に、近畿の会員16名が集まりました。

ウトロは、数年前に火災があって新聞記事にもなりましたが、京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。
地名の宇土口(うどぐち)がウトロと呼ばれるようになったとか。

ここは、1940年から日本政府が推進した「京都飛行場建設」に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡の集落。
やがて日本の敗戦により工事が中断されると、その場に使い捨てのように放置されたのです。

多くの朝鮮人労働者は帰国を希望しましたが、様々な障壁があって、多くは日本にとどまりました。



一昨年、ここに建設されたウトロ平和祈念会館。



ウトロの歴史、戦後の在日朝鮮人の人たちの軌跡など資料や写真などが展示してあります。



当時、人々が暮らしていた家も復元されていました。



屋上から南の方を見ると自衛隊の大久保駐屯地。



西の方は宇治川方面。

(HPより、抜粋)
戦後もウトロ地区に多くの朝鮮人たちが流入します。
差別を受ける朝鮮人にとって、ウトロ地区は劣悪な生活環境でもあっても、同胞たちが助け合いながら生活できる場所でした。

行政からも取り残されたウトロ地区は、上下水道などの生活インフラが整備されず大雨が降ると深刻な水害に悩まされ、また生活用水も地下水をくみ上げる劣悪な衛生環境でした。

1986年、これを知った地元市民たちが、「深刻な人権問題」としてウトロの人々と協働し、この地区の生活改善を求める運動が始まりました。
ほおっておくのは宇治市の恥ではないか、っていうた人もいたようです。

1988年に上水道が敷設されました。
でも、喜んでいたのも束の間、ウトロの人々が知らない間にウトロの土地が売りに出ていたのです。
戦中の国策会社を引き継ぎ土地の所有者となっていたのは日産車体。
そこから土地を買い受けた不動産会社が、強制撤去を求めます。
住民たちは必死に抵抗しましたが、訴訟へと発展し、植民地支配と戦争に起因するウトロ問題の本質は考慮されないまま、住民たちは敗訴。
日本の司法によって「不法占拠者」にさせられました。

そんな中でも、水道問題以降、地域住民の日本人が彼らに寄り添い、支援します。
海外にも発信し、やがて、韓国政府も支援を表明。
2007年9月にウトロの土地の一部を買い取る合意書が締結され、ウトロの人々は強制退去の危機から脱出しました。

日本政府と自治体も韓国の動きを受けて、2007年末に「ウトロ改善協議会」を発足させ、ウトロ地区における新たなまちづくりが現実として動き出しました。

祈念館のすぐ隣にある集合住宅も、最近建った建物です。50戸あまりあるのかな。
道路は行政が整備したとか。
キレイに整備される中にも、昔のバラックが今も残ります。

知っていてもなかなか行けないところ。
今回、行けて良かったなと思います。

百聞は一見にしかず。
近くて遠いお隣の国のことだけでなく、在日の人々のことを知れて良かった。

まだまだ知らないことがあるな~

これも、演劇の力やなと思う。