アッシュケナージ
2007年8月21日(火)
ピアニストで指揮者のウラディーミル・アッシュケナージの演奏を2回聞いたことがある。
1回目は、1970年頃で、2回目は、1998年5月18日(私が50歳)である。
私は、演奏会に行くことが多い方だとは思うが、楽屋に奏者を訪ねるということまではしたことがなかった。
しかし、2回目のときは、アッシュケナージに会って話をしてみたい、と強く思った。それは、1回目のとき、印象深いことがあったからである。
アンコールが終わり、アッシュケナージを待つのは、楽屋ではなくロビーであった。多くのファンと一緒に並び、ドキドキしながら、自分の番が来るのを待った。
いよいよ私の番になった。まず、「マエストロ」と切り出した。後は英語でどのように言ったかは、恥ずかしくて、ここでは書けないので、日本語で要訳する。
あなたは、1970年頃、広島で演奏をしたことがある。
広島公会堂という所でだ。
外山雄三との共演だった。
アッシュケナージは、ファンのために次から次と忙しくサインをし続けていたが、「トヤマ」という言葉に、少し顔を上げ反応を示した。私は続けた。
休憩時間に、ある女性がステージのところまで来て、そして、ピアノを見て驚いた。
そのピアノはヤマハだったのだ。彼女はシュタインウェイだと思ったのではないかと思う。
あなたが、ヤマハをシュタインウェイのように美しく弾いたからなのだ。
すると、アッシュケナージは、「シュタインウェイでしたよ」と言った。
私は、とっさに頭が混乱して、言葉を続けることが出来なくなった。
それでなくても、多くのファンが並んでおり、私がアッシュケナージを独り占めすることはできない。「サンキュウ」と言って、やむなくその場を去った。
注 1970年のピアノは「ヤマハ」で、「シュタインウェイ」のように弾いた。
1998年のピアノは「シュタインウェイ」。
後から考えて、アッシュケナージは1970年の時のピアノのことではなく、今日のピアノのことだと勘違いしたのではないか(いや私の英語が勘違いさせたのだ)と気づき、「今日のピアノではなく、1970年のあの時のピアノのことですよ」という趣旨で、「then」と言えばよかったのだ。
「then」という言葉がとっさに出なくて、アッシュケナージに最も言いたかったことが「ゼン ゼン」通じなかった。
1998年5月18日 「人生時計15時54分」のことでした。 チン