小澤征爾・バルトーク「青ひげ公の城」
2011年9月1日(木)
バルトーク:オペラ「青ひげ公の城」
・青ひげ公:マティアス・ゲルネ(バリトン)
・ユディット:エレーナ・ツィトコーワ(メゾ・ソプラノ)
・吟遊詩人:アンドラーシュ・パレルディ
・ダンス:Noism1,Noism2
小沢征爾:サイトウ・キネン・オーケストラ
・2011年8月27日、松本市「まつもと市民芸術館」
好運でした。
その①
チケットの売出日、やっと℡が繋がった時は既にsold outでしたが、私はキャンセル待ちをねらいました。多分、何人かはチケット代金を払っていない人がいる「ハズ」だ、と。
このねらいが的中し、27日公演をゲット。小澤が振るこのオペラは、21、23、25、27日と4公演あったのですが、28日のオーケストラも聞きたかったので、27日にする必要があったのです。(28日のオケは発売日にゲットすることができていました。)
その②
公演が始まる前に、「ブラボー」を聞いたのは初めてでした。
それもその筈で、小澤は初日の21日は振ったものの、23、25日は休演(代役で演奏会はありました。)
聴衆は、小澤が振るかどうか心配していたのです。私は、旅でしたので小澤がキャンセルしたという情報は入手できていませんでした。
9月の中国公演もキャンセルしたことを考慮すると、ひょっとして、小澤の最後の公演になるかも知れません。
このポスターを見ると、嫌が応でも期待が高まります。
まつもと市民芸術館。タクシーの乗務スタッフの話によると、7年前位に建設されたということです。立派なオペラハウスが20万人規模の松本市にあるなんて、やはり、サイトウ・キネン・フェスのおかげでしょうか・・。
「当日券求む」。これを見るのは、10数年前、朝比奈隆がブルックナーの8番を振った時の演奏会以来です。
ドリンクサービスがありました。松本ワインを飲みたいのは山々でしたが、眠くなるので、ここはガマン。
初めてのオペラハウス経験でした。当然本格的なコックピットがあります。
雰囲気が良いです。
ロビーで、漏れ聞いたところによると、20年毎回聞きにきている人の話では、小澤の体調は芳しくなく、パーティにも出席しなかったとか・・。演奏の前に、点滴を打ってもらっているのではないかとの話でした。
カーテンコールは、延々10分続きました。
最後はスタンディングオベーションです。
翌日の信濃毎日新聞(その1)
(その2)
中日新聞。
何と、「日本経済新聞」。小澤フィーバーは、もう社会現象になっています。
演奏については、後日「追記」します。
(2011.9.25追記)
青ひげ公は、4人目の妃ユディットに「私は貴方を愛している。」と言われ、自らの秘密の扉7つを次々開けます。
その扉の向うには、暴力と圧政により得た財宝と領地が広がっています。
最後の扉には、朝、昼、夕方を象徴する3人の妃が生きていました。
ユディットは、それらの妃を「私より美しい」と言いますが、青ひげ公はユディットが一番美しいと言います。
青ひげ公は、暴力と圧政により得たものより、最後は夜の安息によって満たされることが分かったのでしょうか。
ユディットは夜を象徴する妃なのです。
バルトークの音楽は「内」へ向かって爆発するように感じます。その分暗いように感じるのかもしれません。当日の演奏「青ひげ公」を繰返し聴いていますが、そのエネルギーには圧倒されます。
オペラの舞台というと、何人もの登場人物がいろんな「騒動」を起こして華やかなイメージですが、このオペラは単調で超地味です。なにせ、登場人物が青ひげ公とその4人目の妻ユディット、それにそれまでの3人の妻の計5人ですから。しかも、歌は青ひげ公とユディットのみ。
演出は、そういったことを考慮したのでしょうか。「エッ?!」と思うような楽しい場面がありました。青ひげ公やユディットが鏡に写っていると思いきや、実は「影武者」だったのです。(ホールに居る時は、鏡に写っていると思っていたのですが、後日プログラムで「影武者」だということを知りました。)
それより、これは演出というより、小澤ファンサービスでしょうが、小澤の指揮する姿を舞台右下に50㎝四方程度の大きさで映していました。(私は字幕に忙しくて、途中から気がつきました。)good sence!
(明日に続く)
2011年9月1日(木)
バルトーク:オペラ「青ひげ公の城」
・青ひげ公:マティアス・ゲルネ(バリトン)
・ユディット:エレーナ・ツィトコーワ(メゾ・ソプラノ)
・吟遊詩人:アンドラーシュ・パレルディ
・ダンス:Noism1,Noism2
小沢征爾:サイトウ・キネン・オーケストラ
・2011年8月27日、松本市「まつもと市民芸術館」
好運でした。
その①
チケットの売出日、やっと℡が繋がった時は既にsold outでしたが、私はキャンセル待ちをねらいました。多分、何人かはチケット代金を払っていない人がいる「ハズ」だ、と。
このねらいが的中し、27日公演をゲット。小澤が振るこのオペラは、21、23、25、27日と4公演あったのですが、28日のオーケストラも聞きたかったので、27日にする必要があったのです。(28日のオケは発売日にゲットすることができていました。)
その②
公演が始まる前に、「ブラボー」を聞いたのは初めてでした。
それもその筈で、小澤は初日の21日は振ったものの、23、25日は休演(代役で演奏会はありました。)
聴衆は、小澤が振るかどうか心配していたのです。私は、旅でしたので小澤がキャンセルしたという情報は入手できていませんでした。
9月の中国公演もキャンセルしたことを考慮すると、ひょっとして、小澤の最後の公演になるかも知れません。
このポスターを見ると、嫌が応でも期待が高まります。
まつもと市民芸術館。タクシーの乗務スタッフの話によると、7年前位に建設されたということです。立派なオペラハウスが20万人規模の松本市にあるなんて、やはり、サイトウ・キネン・フェスのおかげでしょうか・・。
「当日券求む」。これを見るのは、10数年前、朝比奈隆がブルックナーの8番を振った時の演奏会以来です。
ドリンクサービスがありました。松本ワインを飲みたいのは山々でしたが、眠くなるので、ここはガマン。
初めてのオペラハウス経験でした。当然本格的なコックピットがあります。
雰囲気が良いです。
ロビーで、漏れ聞いたところによると、20年毎回聞きにきている人の話では、小澤の体調は芳しくなく、パーティにも出席しなかったとか・・。演奏の前に、点滴を打ってもらっているのではないかとの話でした。
カーテンコールは、延々10分続きました。
最後はスタンディングオベーションです。
翌日の信濃毎日新聞(その1)
(その2)
中日新聞。
何と、「日本経済新聞」。小澤フィーバーは、もう社会現象になっています。
演奏については、後日「追記」します。
(2011.9.25追記)
青ひげ公は、4人目の妃ユディットに「私は貴方を愛している。」と言われ、自らの秘密の扉7つを次々開けます。
その扉の向うには、暴力と圧政により得た財宝と領地が広がっています。
最後の扉には、朝、昼、夕方を象徴する3人の妃が生きていました。
ユディットは、それらの妃を「私より美しい」と言いますが、青ひげ公はユディットが一番美しいと言います。
青ひげ公は、暴力と圧政により得たものより、最後は夜の安息によって満たされることが分かったのでしょうか。
ユディットは夜を象徴する妃なのです。
バルトークの音楽は「内」へ向かって爆発するように感じます。その分暗いように感じるのかもしれません。当日の演奏「青ひげ公」を繰返し聴いていますが、そのエネルギーには圧倒されます。
オペラの舞台というと、何人もの登場人物がいろんな「騒動」を起こして華やかなイメージですが、このオペラは単調で超地味です。なにせ、登場人物が青ひげ公とその4人目の妻ユディット、それにそれまでの3人の妻の計5人ですから。しかも、歌は青ひげ公とユディットのみ。
演出は、そういったことを考慮したのでしょうか。「エッ?!」と思うような楽しい場面がありました。青ひげ公やユディットが鏡に写っていると思いきや、実は「影武者」だったのです。(ホールに居る時は、鏡に写っていると思っていたのですが、後日プログラムで「影武者」だということを知りました。)
それより、これは演出というより、小澤ファンサービスでしょうが、小澤の指揮する姿を舞台右下に50㎝四方程度の大きさで映していました。(私は字幕に忙しくて、途中から気がつきました。)good sence!
(明日に続く)