団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

橋本大阪府知事

2011-09-15 16:57:16 | 政治
                     橋本大阪府知事

                                           2011年9月13日(火)

 橋本大阪府知事は、この閉塞された政治状況に対して、痛快な発言をすることがあり、私自身も小気味よいと感じることがあります。例えば、国直轄事業の地方負担金の請求方法について、「ぼったくりバー」と発言したことは、平素国の横暴に怒りを感じていた私としては、溜飲が下がる思いがしました。しかも、このことで国が請求方法を改めたのですから、橋本知事の手腕は相当のものと言わざるを得ません。


 しかし、この方の政治手法は「ファッショ」と断じざるを得ません。そういう意味で、「橋本ファッショ知事」と言います。

 問題になった「君が代・日の丸」条例ですが、橋本ファッショ知事によると、一言で言えば「決められたルールは守る必要がある」というもので、それはその限りで言えば間違いではありません。

 しかし、その制定に至る過程が問われなくてはいけません。
 民主主義において、多数意見が支配するというのは当然としても、それは少数意見を尊重しての上です。橋本ファッショ知事には、少数意見を尊重するという姿勢がカケラも見られません。

 その象徴が、あまり報道されていませんが、議員定数削減条例の制定です。
 この条例はあまりにひどすぎます。
 定数を109→88に削減(これは、まぁ仕方ないとしても)し、1人、2人の選挙区を約9割にするというものです。これでは、府民の過半数の意思ではなくても、議会の過半数の意思になってしまいます。

 しかも、この条例は審議されることなく、民主、自民、公明、共産の各党が採決に反対して欠席する本会議で、事実上の単独可決で採決されたのです。

 橋本ファッショ知事が、意のままに府議会を運営しようとして、虚構の「多数」を作ろうとしているというのが本質だと思います。

 どういう形になるかは分かりませんが、橋本ファッショ知事には、いずれ遠くない時期に歴史の審判が下ると思います。



 橋本知事が、「君が代・日の丸」条例制定に勢いを付けた最高裁の判決ですが、一人の裁判官(宮川光治氏)は反対意見を表明しました。この少数意見は貴重です。


 多数意見は、起立斉唱行為を求めた職務命令について、「思想・良心の自由の間接的な制約となる面がある」としつつ、命令には「制約を許容しうる程度の必要性・合理性が認められる」と判断したのに対して、

 宮川裁判官は反対意見として、起立斉唱行為は「原告の歴史観・世界観にとって譲れない一線を越える行動」であり、「人権の尊重は自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として、その信念を否定することになる」と指摘し、「多数意見のように精神的自由権にかんする問題を多数者の視点からのみ考えることは適当でない」と述べたのです。



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