団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

小澤征爾

2011-09-26 07:26:32 | 音楽
                            小澤征爾

                                                    2011年9月25日(日)

 妻が、小澤征爾はもう長くないのではないかと言うのです。
 小澤は妻の父親に体型が実に良く似ています。
 岳父は、3年前に亡くなりました。腰の骨を圧迫骨折して、セメント療法という手術を受けたりしたのですが、腰は人間の身体全体の要ですので、動くことがだんだんと不自由になり、それからというものは、「坂道を転げ落ちるように身体が弱った」(妻の弁)のです。
 小澤も腰の手術をしたといいますが、妻の想像では自分の父親と同じ病気ではないかと言うのです。


 最初に小澤のことを聞いたのは、高校生の時友人からでした。
 小澤が単身でフランスへ行きコンクールで優勝(1959年ブザンソン。当時私は12歳)したこと、N響の団員にボイコットされて誰もいない舞台でタクトを振ったこと等。
 その友人はそんな英雄のような小澤に憧れを持っていて、私に話をしたのだと思います。
 その時は、私は音楽にも関心がなく、「へぇ~」という感じのみでした。


 次に小澤を知ることになるのは、日フィルの分裂騒動の時です。
 私はその当時、日フィルの分裂は小澤が元凶だと思っていて、小澤が大嫌いになったのです。(FMで小澤の演奏を聴かない訳ではなかったのですが、小澤のCDは買うことがありませんでした。)

 日フィルの分裂は、楽団員は「労働者なのか芸術家なのか」が問われた問題だったのではなかったかと思います。私は主観が非常に強い人間で、「オーケストラの楽団員も労働者である。」と強い信念を持っていました。
 しかし今にして思うと、オーケストラの楽団員って、労働者の側面もあるし芸術家の側面もあるし、一律に決められないということでしょう。
 つまり、小澤が一方的に悪かった訳ではないと思うようになってきたのです。


 次の小澤との出会いは、今年のサイトウキネンフェスティバルでした。
 小澤は日本人が誇る世界的な指揮者であることは、客観的に間違いのない事実です。
 時が経たのだと思います、そんな小澤を私は冷静に客観的に見ることができるようになりました。


 小澤とN響は和解し、1995年に共演しています。DVDに録画したのですが、何かわだかまりがあり今まで見ようという気持ちになりませんでした。今は聴いてみたいという気持ちに変わっています。





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