妻の叔父の死
2013年7月9日(火)
妻の叔父が6月29日亡くなりました。(77歳)
6年前にリンパ癌を発症し、数度手術を受けましたが、遂には肺へ転移し、最後は肺炎を併発し、苦しみながら亡くなったということです。(眠り薬や痛み止めで緩和はしたのですが・・。)
6月8日ですから、亡くなる3週間ほど前に入院先の広島市民病院へ見舞いました。
叔父は、それまで必ずしも良好な関係ではなかった家族との融和が図られ、自分は幸せ者だと述べていました。一人息子家族がカープ戦に連れて行ってくれて嬉しかったことや、その妻がカレーを作ってくれて美味しかったことを述懐していました。
6月8日の約2週間前自宅へ見舞ったときは、手を握るのも力強かったのですが、弱々しくなっていました。全身痩せほけて、骨と皮のみになっている腕を見せ、自らがその腕を叩いて見せました。私には、遣り切れなさ、もう余生のない残念さを表しているように思いました。
私達には最後の言葉として、「今のうちに、遊んどけよ。」と言われました。間もなく死期を迎える人からの言葉ですから、重みがあります。私には、いまある人生を精いっぱい生きるようにとのadviceだったように思います。
喪主の一人息子には、「叔父さんは最後まで気丈に生きた。」という趣旨の言葉をかけました。
この癌で5年以上の生存者ないと言われていたのですが、5年以上生存したのですから。
広島市民病院は、さながら美術館のようです。
アップすることに著作権の問題は考えましたが、私のマイナーなブログで、小さなサイズで載せるのは、問題ないのではないかと考えました。
病室からは、広島城が見えます。
斎場は西風舘という新しい施設でした。
最近は、49日を葬儀の日に行うことが一般的になっていて、国泰寺で行われました。
2013年7月9日(火)
妻の叔父が6月29日亡くなりました。(77歳)
6年前にリンパ癌を発症し、数度手術を受けましたが、遂には肺へ転移し、最後は肺炎を併発し、苦しみながら亡くなったということです。(眠り薬や痛み止めで緩和はしたのですが・・。)
6月8日ですから、亡くなる3週間ほど前に入院先の広島市民病院へ見舞いました。
叔父は、それまで必ずしも良好な関係ではなかった家族との融和が図られ、自分は幸せ者だと述べていました。一人息子家族がカープ戦に連れて行ってくれて嬉しかったことや、その妻がカレーを作ってくれて美味しかったことを述懐していました。
6月8日の約2週間前自宅へ見舞ったときは、手を握るのも力強かったのですが、弱々しくなっていました。全身痩せほけて、骨と皮のみになっている腕を見せ、自らがその腕を叩いて見せました。私には、遣り切れなさ、もう余生のない残念さを表しているように思いました。
私達には最後の言葉として、「今のうちに、遊んどけよ。」と言われました。間もなく死期を迎える人からの言葉ですから、重みがあります。私には、いまある人生を精いっぱい生きるようにとのadviceだったように思います。
喪主の一人息子には、「叔父さんは最後まで気丈に生きた。」という趣旨の言葉をかけました。
この癌で5年以上の生存者ないと言われていたのですが、5年以上生存したのですから。
広島市民病院は、さながら美術館のようです。
アップすることに著作権の問題は考えましたが、私のマイナーなブログで、小さなサイズで載せるのは、問題ないのではないかと考えました。
病室からは、広島城が見えます。
斎場は西風舘という新しい施設でした。
最近は、49日を葬儀の日に行うことが一般的になっていて、国泰寺で行われました。