水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

浦島太郎

2010年06月27日 | 日々のあれこれ
 先日、久しぶりに生活指導の研究会に参加した。
 といっても、メンバーが固定化された内輪的な会ではある。
 そういえば、新しく若い先生方が顔をみせようとする風潮はないが、最近の若い先生方は、困ってないのだろうか。
 公立校の、それも困難校と言われる学校に勤務される先生方のお話をきいていると、とても一教員で立ち向かっていったのでは耐えきれないような事例は山のようにある。
 本校はおかげさまで大きな事件はないけれど、内面では同種の要素をかかえている生徒さんはいるだろう。
 昔はそれが顕在化し、たいへんな時期もあったが、こういう研究会に顔をだして話をきいてもらうだけで、ずいぶん楽になったものだ。
 外の世界に触れられるかどうかは、教員の仕事の質を決めるのに決定的な要素だ。
 自分の世界だけで、自分の世間だけで、自分の価値観だけしかなく、自分を客観的に観られないと、教員も関わる生徒さんも不幸になる。
 民間の教育団体などに出向けないにしても、せめてよその学校の先生と話をする、最低限本を読む程度の開かれ方をしていないと行き詰まるだろう。
 教員の世界にかぎらず、本を読むかどうかは大きい。
 でも、人にものを教える立場である以上、本を読むのはもう、絶対的に必要で、みんなさすがにそれはわかっているはずなのに、正直この人最近勉強やめちゃったのかな、なんて思うことがないではない。
 先日も本校のある研究授業の際に、指導案の書き方がおかしいと言ってた方がいらっしゃった。
 しかし、その先生のおっしゃることは、たぶん自分が大学で学んだことが根拠で、最近の教育実践に接した形跡が感じられないものだった。ただ、それを指摘して通じるかどうか。
 気をつけないとわれわれは本当に浦島太郎になってしまう。
 オバタカズユキ・石原壮一郎『大学図鑑』に、「高校教師」はこう定義されている。

~ 《 高校教師 》 自分では大学に詳しいつもりでいるが、実は大学に関してもっとも思い込みや偏見やカン違いの度合いが強い人たち。仕事に関しても同様で、世の中の事情をよく知らないまま聞きかじりの情報を与えて、見当ハズレな夢を抱かせるのも得意。なまじ権力や権威を持っているだけに、子どもにとって時には親以上に「迷惑な壁」や「厄介な呪縛」にもなる。もちろん親身になって生徒のことを考えてくれる先生もたくさんいるが、感謝の気持ちはさておき、子どもとしても親としても、いかに適当に距離を置くかが大切。 ~

 お互いにね、適度な距離は必要なのだ。とくにうちの生徒さんはいい子すぎるから、こっちも勘違いしてしまうときがある。
 生徒さんがひいてるのに、気づかずにひとりで熱くなっている自分が好きなときもあるのだけれど。 

 
コメント
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