ある貧賤高潔な知識人のエピソードを漢文の問題演習で読む。
読解し、問題も解き終わり、「で、何が言いたいの?」と問うと、しーんとしている。
答え合わせもしてしまったのに、まだ何か話があるのかという顔に見えた。
書いてあることを読み取ったら、書いてないことを読み取らないと。
「元さんは大変欲のない学者でした」と書いてあるということはどういうこと?
「元は欲がない」ということを言いたいのではないよ。
他の人は欲から離れられないということを言いたいがために、わざわざこんなエピソードを紹介してるのだよ、と説明する。
漢文の書き手はすべて古代中国の知識人。
為政者たちもそう。
同時代に人の上に立つ人々が私利私欲から離れられない現状を憂いているのです。
どんな文章も、「なぜその文章が書かれなければならなかったのか」に思いがおよばなければ、読んだことにはならないよ、と予備校トップの先生レベルの深イイ話をした。
放課後は今年度最初の営業活動。
川越市内の中学校さんにポスターなどをとどける。
吹奏楽つながりでお顔を存じている先生にお会いするとほっとして、四方山話をする。
思いのほか早く予定校をまわれたので、ロヂャースで買い物をした後、ウニクスのタリーズで予習をしてから学校にもどり、放課後事件がなかったことを確認して、「虹」の譜読みを少しした。